犬土偶日記
海の近くに住みたい
2013年06月28日
B'zのベストアルバムで懐古3
公開日時: 2013年06月29日 06時34分44秒
B'zの25周年ベストアルバムを聽いて當時を振り返る3囘目。今日は黒ベストDisc1の1999年春「ギリギリchop」から2005年夏「OCEAN」までを聽きながら激動の時代を振り返る。俺の人生の中でも相當に激しい時代。今の俺を形成するのに一番大きな影響があつた時代。
まづ99年のB'zについて。松本孝弘がギブソンのシグネチャーモデルのレスポールを使ひ始めた。黄色いやつ。世界で5人目、日本人初のシグネチャーアーティスト。自身がボーカルもやつてゐるソロシングル「THE CHANGING」と、ソロアルバム「KNOCKIN' "T" AROUND」を出す。そしてB'zはシングル「ギリギリchop」とアルバム「Brotherhood」を出す。ギブソンに選ばれたのが嬉しかつたのか、この時期のTAKは異樣に張り切つてゐた。やたらとテクニックを追求してゐたやうに思へる。この頃の曲はとにかく難しい。
俺はこの頃、春の早い時期だつたと思ふんだが、PCを買つた。NECのVALUESTAR。Celeron366MHz、メモリは64MB、HDDは6GBだつたと思ふ。OSはWindows98。今では考へられん。動くのが信じられんほどの低スペックだ。PCを買つても特に何か珍しいことをしてゐたわけではない。ネットもしばらくやらなかつた。そのうちDTMでも始めようかなと思つてゐたが、何をどうすれば良いのかもよく分からないやうな状態。夏頃に漸くネットに手を出した。プロバイダの契約にクレジットカードが必要だつたので人生初のクレカを手にした。學生は審査で蹴られることもなく簡單にクレカを手に入れることができた。學生カードといふやつ。このクレカは更新時に蹴られて終了することになるが、取り敢へずどうでもいい。ネットは電話囘線を使つた56kbpsのナローバンド。しかも56kなんてほとんど出ない。大體33kとか28kだ。ネット中は電話が使へないといふのも懷かしな。またこのインターネット接續が悲劇に繋がるのだが、取り敢へずそれもまだどうでもいい。
この年の夏に凄まじい雷雨があり、雷で家電が全滅した。物凄く近くで落雷があつた。完全に50m以内の範圍に落ちた。買つて2年しか經つてゐないエアコンも死んだ。コンポも死んだ。ビデオデッキもテレビも死んだ。PCも當然に死んだ。あらゆるものが死んだ。PCを修理するために買つた店に持つて行つた。ここ數年よく立ち讀みをする三洋堂があつた場所に昔はコンプマートがあつた。そこで買つた。修理コーナーで俺の前にゐた客が店員と話してゐて、雷は無償修理の對象外だと言はれてゐた。なので俺は雷のことは言はずに原因不明といふことで無料で直して貰つた。エアコンはヒューズ交換とかで簡單に直つたが、他の家電は酷かつた。ビデオデッキは再生はできるが録畫時に音が録れなくなつた。テレビは時々音が出なくなる。電源を切つて入れ直すと復活するが、すぐにダメになる。今もそのままだ。コンポは完全に死んで電源が入らなくなつた。ビデオデッキを買ひ直したり色々悲慘だつた。
その夏に種子島に行くことになり、旅行用のギターを買ふことになつた。當時は漸くまともに彈けるやうになつて來て毎日何時間も彈いてゐた。人生で一番練習してゐた頃だらう。種子島に行つてゐる間に彈けないのはつらい。かと言つてデカいギターを持つて行くのも大變だ。といふわけで、小さいギターが欲しくなり、大學の歸りに大須のコメ兵でDIGI-ZOを買つた。アンプ内藏ギターのZO-3にマルチエフェクタがついてゐるやつ。今ではこれがメインギターみたいになつてゐる。机の前の狹いスペースで彈くにはこれが良い。家ではほとんどこれ。スタジオ練習やライブではレスポールだけど。で、B'zのアルバム「Brotherhood」を買つた少し後、種子島に行つた。まだ中部國際空港が無かつたので名古屋空港からだ。この頃は毎日筋トレをしてゐて今とは比べ物にならないほど筋肉もあつた。今思へばこの頃が人生最大の體重だつたかもしれない。この頃は量つてゐないから分からんけど。種子島でも寢る前に1人でバカみたいに筋トレをしてゐた。この時の種子島は何故かあまり印象に殘つてゐない。その前に行つた92年と違ふのは、祖父が亡くなつてゐたこと。祖父は俺が高2の時の2月に心臟の病氣で亡くなつた。相當な變り者だつたらしい。種子島系の親類は變り者が多い。俺が一番イカれてゐるが、恐らくこの祖父の血なんだらうと思ふ。祖父とはほとんど話したことも無い。言葉も分からんし。そんな面白い人ならもつと色々話しておけば良かつたなと思ふ。高1の夏に行つた時、心臟の藥の救心がテーブルに置いてあつた。病氣の自覺はあつたんだらうが甘く見てまともに病院で治療を受けてゐなかつたやうだ。さういふところも俺は似てしまつてゐるな。できる限り病院には行きたくない。心筋梗塞は早く治療すれば治るだらう。當時は考へもしなかつたが、祖父が病院で治療して生きてゐて、俺が高校卒業後に進學せず種子島に移住して祖父母と農業をやつて暮らしてゐたら面白い人生だつたかもしれないと思ふことがある。この99年夏の種子島で一番憶えてゐるのは日燒けだ。よきの海水浴場で完全に死んだ。背中がアホみたいに爛れて大變だつた。南國では海に入る時も服を着ろ。可児に歸つてからクソ分厚い皮がベロベロ剥がれた。皮が破れる音が聞こえた。日燒けで苦しむことが多い人生だな。南國の血を引いてゐるくせに日燒けに弱過ぎる。
松本ソロの「THE CHANGING」のカップリング曲、「ONE FOR THE ROAD」をコピーした。高2か高3の頃に出た「LIVE RIPPER」といふライブビデオのエンディングで流れてゐた曲。この頃やつてゐた松本孝弘のラジオ番組「ONE FOR THE ROAD」でも流れてゐた。オフィシャルの樂譜も出たのですぐに買つて彈いてみた。これは初心者にはかなり良い曲だ。速くないし、エレキギターで使ふ基本の技がふんだんに使はれてゐるし、初心者の練習には最適だと思ふ。ギターを始めたばかりの頃に樂譜を出して欲しかつた。今からギター始める人にもオススメ。今はもう樂譜が手に入らないかもしれないけど。その後、松本ソロアルバム「KNOCKIN' "T" AROUND」から「GO FURTHER」「Believin' You」をコピーした。難し過ぎる曲でなければ練習しさへすれば彈けると思へるやうになつて來てゐた。まだそれも錯覺に過ぎないわけだが、そこそこ自信を持てるやうになつて來てゐた。そして夏に出たB'zのアルバム「Brotherhood」。完全に打ちのめされた。難し過ぎる。色々やつてみて、結局そのアルバムで一番簡單だと思へた「Brotherhood」をコピー。やればできる。そして「SHINE」に手を出してギターソロで挫折。彈けてゐるやうな氣がする程度までは適當に誤魔化せるのだが、綺麗にキッチリ完コピといふのは無理だつた。これは6年後にDebugを結成してリベンジすることになる。次に「ながい愛」に挑戰。これも全體的に難しいんだが「SHINE」よりは少し簡單だらうと思ふ。ソロが長くて大變だしそこそこ速い。「ギリギリchop」にも半分ギャグで手を出したが、これは當時の俺には無理だと思つた。10年後ぐらゐにDebugでやることになるんだが、今でも完璧には彈きこなせない。その頃はさういふ感じの習熟度だつた。難し過ぎる曲は無理だがB'zでも彈ける曲はたくさんあるといふレベル。まだまだ上達できる感觸はあつたし、情熱もあつた。
秋頃にDTMを始めた。本の附録についてゐた無料のシーケンスソフトを使つて打ち込んでゐた。96年頃にMSXが壞れてからは音楽制作は一切やつてゐなかつた。99年にMIDIで再開。MIDIなんて全然分からなかつたが分からなくても大して問題にはならなかつた。MSX時代はBASICといふプログラミング言語を使つて音源を操作する、本當の意味でのプログラミングだつた。MIDIによる打ち込みのこともプログラミングと言ふが、こちらはソフトウェア開發的な意味でのプログラミングではない。MIDIデータを打ち込む作業がプログラミングに似てゐるイメージなのでプログラミングと呼ぶ。こちらは音樂用語。PCでの打ち込みはこの時代には相當に洗練されてゐて、數値入力だけでなくスコアエディタやピアノロールエディタのやうなグラフィカルな入力ツールが標準的になつてゐたので詳しい仕樣等は知らなくても大丈夫だ。俺はスコアエディタを使つてゐた。主流はピアノロールだと思ふけど。スコアエディタといふのは、樂譜に音符を置いていくやつ。5線譜にマウスで音符を竝べる。MSXの頃より隨分と曲をイメージしやすいと思ふが、樂譜を見ただけではどんな音か俺には分からないので結局完成するまで自分でもどんな曲になつてゐるか分からないのは同じだ。ただ理論に添つて埋めて行く。まづはキーを決める。コード進行を作る。そこにメロディを乘せる。最初はMSX時代後期に作つた曲をPCで再現したりしてゐた。MSX時代の後半に一部の曲で樂譜を殘してゐた。何曲か過去曲を打ち込んで操作に慣れてから新たに曲を作り始める。その中には最近Debugで沒になつた「菜園地獄」の原形になる曲や、「鐵道會社の陰謀」の大サビの元になつた曲もある。「鐵道會社の陰謀」の本體部分はMIDI時代後期の2003年頃に作ることになる。この頃から作り始めたMIDIの曲は翌年以降に自分のWebサイトで「いぬMIDI」として世界に晒されることになるが、まだ先の話。まだこの時は自分のWebサイトなど存在しない。
この頃から筋トレの一環としてたまに鳩吹山に登ることがあつた。何故登り始めたのかは自分でも憶えてゐない。これがまた未來に大きな影響を及ぼすのだが、まだ取り敢へずどうでもいい。この鳩吹山が「暇犬登山日記」に繋がり、椅子タンとの數年ぶりの再會時の登山に繋がり、その時の登山中の雜談から一緒にライブに行くやうになり、ライブの歸りにCHOSANGがバンドメンバーを探してゐるといふ話になり、CHOSANGやSALLYさんやBELLの人達と知り合ひ、Beginner's Rockに加入し、Debugに繋がつて行く。この登山が無ければバンドをやつてゐない可能性が高い。バンドのWebサイトのコンテンツとして始まつた犬土偶日記も存在してゐないだらう。何がキッカケで人生が變つて行くか分からない。
大學にはあまり行かなくなつてゐた。大學に面白いことは無かつた。滅茶苦茶つまらんといふわけでもないんだが、爆笑できるやうな一生ネタとして使へるやうなことが何も起こらない。普通過ぎた。焦りを感じるほどに平凡だつた。この俺がこんな普通で良いのかと。そんなだから大學に行くのも面倒になる。家でギターを彈くことが多くなつてゐた。ゲームはほとんどやらなくなつてゐた。パチスロは惰性で續いてゐたが、行かない大學に拂ふ金を稼ぐ不毛な作業だ。そんなわけの分からん生活をしてゐた頃、よく憶えてゐないが何かの機會に小林よしのりが何年か前にオウムに暗殺され掛けたらしいといふ話を聞いた。オウムがサリンを撒く何年か前に坂本辯護士一家が殺されてそのことに關してオウムが怪しいと漫畫に描いて暗殺され掛けたのだとか。小學生の頃、おぼっちゃまくんをテレビでよく見てゐた。ギャグ漫畫を描いてゐる人だといふ印象だつたがオウムのことなんか描いてゐたのかと少し驚いた。どんなものを描いてゐるんだらうかと興味を持つてゴーマニズム宣言を買つてみた。今では反米保守みたいな立ち位置だが昔の小林よしのりはサヨク的な思想だつた。ゴー宣を全卷讀んでみて社會に興味を持ち始めた。それまでただ生きて來ただけだつた。野山を駆け囘り、釣りとゲームで遊ぶだけ。勉強もしたことないし世間のことも何も知らなかつた。ただ流されるまま大學まで來てしまつてゐた。高校まではみんな同じやうな感じだつたが、大學以降は知性の面で著しく個人差が出て來ることを實感してゐた。パチ屋でゴミみたいな大人を多く見て來たことも大きい。誰でも入れるやうなカス大學だつたが、その中でも明らかに成長を續ける人間や全く何の變化も無い俺みたいな奴など人間的な成長に差が出てゐるのが見えて來てゐた。そんな中でゴー宣を讀み、へー、さうなんだと思ふ。さうなんだ、ぢやねえんだよ。それについて自分はどう考へるのか、と思つた時に判斷材料が全く無いことに氣附く。ものを知らない。社會の仕組みを知らない。世間で何が起きてゐるのかもよく知らない。世界も見えてゐない。自分の國のことも分からない。それが恐ろしいことに思へた。パチ屋にゐるバカな大人が思ひ浮かんだ。恐らく何十年も打ち續けてゐるであらう年配の奴等がバカなことを喋つてゐる。向上心が無いらしく勝つための努力の痕跡も見えない。そのくせ臺を毆つたりする。物凄く頭が惡さうだ。このままでは俺もさういふゴミになつてしまふ。途轍もない恐怖を感じた。そして本を讀み始める。それまでも釣りとか音樂理論とかプログラミングとかの趣味の本は色々讀んでゐたが、さういふのではなくもつと一般知識や常識的なものをインプットせねばといふ衝動に驅られてゐた。ただ、讀み慣れないので異常に讀むスピードが遲い。喋るのと同じ速度でしか本を讀めない。本の讀み方すら知らなかつたといふことだな。こんな状態ではどうにもならないので速讀の本を讀んでみたりもした。
そんな中で出會つた「速聽」の本が數年後に俺の人生に多大な影響を及ぼすことになる。普通、本を讀む時に目で文字を追ひながら頭の中で喋るやうな感じになる。所謂速讀といふやつはこの頭の中で喋るといふことを無理にやめて目で追ふだけにしてスピードを上げるらしい。速聽はこの頭の中で喋るスピードを上げることによつて讀む速度を上げる。頭の中で喋るみたいなのを追唱と言ふらしい。再生速度を上げた音聲を何度も聽くことでこの追唱のスピードを上げることができる。腦の聽覺に關するウェルニッケ中樞とかブローカ中樞とかが速聽によつて刺激されて神經ネットワークが密になり、速い音聲も聽き取れるやうになる。そして腦の汎化作用とやらで隣接する部分へ刺激が傳はつて他の部分も強化されて行く。判斷力やら記憶力やら思考力やら色々上がるのだとか。速聽CD付きの本を氣紛れで買つたんだが、そのCDには2倍速・3倍速・4倍速の文章が收録されてゐた。アナウンサーが喋つて聽き取りやすい。最初は2倍速しか聽き取れなかつた。3倍速はテキストを讀みながらでも部分的にしか聽き取れなかつた。4倍速なんか何言つてるのか全く分からなかつた。でも何ヶ月も聽いてゐるうちに4倍速も聽き取れるやうになつた。單に文章を憶えてしまつただけかもしれないと思つたし、その時は聽き取れても役に立たないと思つたし、汎化作用とやらの片鱗すら見えなかつたのでそれでやめてしまつた。2008年頃からこれが急激に生きて來ることになる。取り敢へず速い音聲を聽き取るといふ點に關して言へば訓練で習得可能だといふことは俺が證明濟みだ。だが、その後の汎化作用とやらは嘘臭い。それで頭が良くなつたりした實感は一切無い。俺がその域まで到達できなかつただけで人によつてはさういふことも起こるのかもしれないが、2008年以降色んな音聲ソースを何年も掛けて3倍速4倍速6倍速等で何百時間と聽いて來ていまだにさういふ兆しも感じられないといふことはたぶんそんな效果は無いのではないかといふ氣がする。ただ、この數年後に氣附くことになるのだが、速い音聲を聽き取れるやうになるといふことには驚くほどのメリットがある。是非習得すべき。これがあるのと無いのとでは人生の質が桁違ひだと思ふ。今の時代はPodcastとかで無料の音聲ファイルが大量に出囘つてゐる。FeBe等の書籍を音聲化して賣るサイトもある。短時間でインプットできるだけでも物凄いメリットだが、反復學習の效果が特に凄い。4倍速で2囘聽けば1倍速の半分の時間で2囘聽けることになる。時間を短縮した上に2囘も聽ける。エビングハウスの忘却曲線といふのを知つてゐるだらうか。詳しくはググれ。記憶は短時間で急速に大部分が失はれる。忘れる前に復習することで長期記憶になる。腦がさういふ仕組みになつてゐる。つまり1倍速で2囘聽くのと4倍速で2囘聽くのでは後者の方が壓倒的に記憶に定着しやすい。聽き取れればの話だが、訓練で習得できることは俺が保證する。聽く囘數を増やせば増やすほど爆發的に效果が上がる。音聲の資格講座みたいなやつがネットで無料で手に入る時代だ。これを利用すれば驚くほどの短期間で知識を習得できる。俺はiPod宅建をパチ屋で3倍速で何度も聽いて短期間で法律の基礎を猛烈に習得した。速聽が無ければ合格できてゐないかもしれない。ニュース系のPodcastでも時事ネタを短時間で仕入れることができる。2008年頃に急に速聽を使ひ始めたのが實はこれ。今はもう無いが、聽く日經とか讀賣ニュースPodcastを毎日聽いて時事ネタをインプットしてゐた。文字を讀むよりも聽く方が樂なので新聞を讀むより良い。テレビは遲いしCMが多いので無駄。Podcastは非常に良かつた。これも1倍速だつたら聽く氣にはなれなかつただらう。速聽を習得するだけで色々なことが劇的に樂になる。例へばハロプロに興味があつてハロプロ關係のラジオ番組を全てチェックしたいといふやうな場合、1倍速では全て追ふのは不可能に近いだらう。ネットでダウンロードして4倍速で聽けば全部チェックすることも可能になるかもしれない。子供がゐる人は早いうちから子供に習得させて勉強に利用させれば樂して良い大學や良い企業に入れて自分の老後が安心になるかもしれんぞ。ただし犯罪者の資質を持つて生まれて來た子供に知恵を與へると危ない。親なら子供のさういふ危險な資質は察知できるだらう。犯罪者が生まれて來たら愼重にな。速聽自體はそこそこ習得したが、速聽によつて讀書速度が上がつたかどうかはよく分からない。本を讀む速度は確實に速くなつたが讀書に慣れただけかもしれん。最初の頃は喋るのと同じ速度でしか讀めなかつたが、今は6倍速ぐらゐで讀めてゐるやうだ。
少し話が逸れた。氣紛れで讀み始めたゴー宣をキッカケにして、大人になつてから急激に色んな本を讀み始め、明らかに變つた。博識とまでは全然言へないが、そこそこ色んなことを知つて物事の判斷に知識を使へるやうになつて來てゐる。大學に入つた時點で勉強から解放されたと思つて學ぶことをやめた人間は30代40代になると悲慘なものだ。趣味が色々あつて趣味の分野で學び續けてゐる人や頭を使ふ仕事をしてゐる人は良いが、無趣味で一切何も學ばず誰でもできる仕事しかしてゐないやうな人だと物凄く悲慘な感じになる。話した時に本人は氣附かないかもしれないが物凄く淺いことしか話せないしつまらないし頓珍漢な受け答へをする。一歩間違へば俺もさうなつてゐたのかもしれない。まだ全然カスの部類だから死ぬまであらゆることを學び續ける必要がある。學校を出てからの方が人生は長いのだ。
ちなみに速聽を習得するために本を買ふ必要は無い。音聲を速く聽くだけでいい。再生速度を上げることができる無料のメディアプレーヤーはいくらでもある。その中でもnave playerがオススメ。アルゴリズムが優れてゐるのか、再生速度を變へた時の音質はこれが一番良い。音聲ファイルはPodcastで無料のを漁つてもいいしFeBeとかで買つてもいい。4倍速が聽き取れるやうになるまで何ヶ月か時間は掛かるが必ず習得できるしメリットは絶大なので是非やるべき。超オススメ。
99年の冬、ネットでとあるサイトに辿り着く。これがまた人生を大きく變へる。本當に99年は俺にとつて重大な年だな。ある歌手のファンサイトを巡つてゐて、良さげな雰圍氣のサイトの掲示板に書き込みをした。そこから常連さん達との交流が始まる。當時はまだ一般にインターネットが普及したとは言ひがたい時期だつたと思ふが、急激にネット人口が増えてゐた時期だらう。俺は完全なネット初心者。何も知らない。右も左も分からない。雜魚。そんな時代に今思ひ出してみても結構作り込まれた良質なサイトを作つて運營してゐた凄い人達がたくさんゐた。同じ分野の個人サイト同士の繋がりもあつて、人の交流は盛んだつた。ブログやSNSみたいなものは當時は無く、靜的なHTMLのページと、掲示板やチャット等の動的なCGIのページで構成されたWebサイトが主流だつた。CGIはプログラミングの知識が必要で難易度が高い。自分で無から作るのは非常に大變。世界にはさういふプログラムを作つて無料で配布してゐる人がゐた。それをダウンロードして設定ファイルを弄つて自分のサーバーに置いて動かす。それだけでも結構な知識が要る。なのに設定ファイルを弄るだけでなくプログラムそのものを自分流に改造して設置してゐる人もゐた。それが高校生だつたりするから凄い。どこでさういふ知識を學ぶのか不思議だ。俺がネットに足を踏み入れた時、既にさういふ世界が出來上がつてゐた。未知の世界。好奇心旺盛な俺はすぐにハマつた。既にあるものを利用するといふだけでなく、それよりも作る側の方に興味が湧いた。昔からさういふ傾向の人間性だ。與へられるだけでは滿足できない。仕組みを知りたがる。いづれ自分で作りたがるやうになる。
2000年に突入。2月に「今夜月の見える丘に」が出る。そして立て續けに「B'z The "Mixture"」といふアルバムが出る。過去の曲をアレンジし直して再録したアルバムだ。このアルバムでしか聽けない「あなたならかまわない」といふ曲もある。なかなか良いアルバムだ。「今夜月の見える丘に」が出た頃、ネットの生放送番組にB'zが出た。ラジオ番組のネット放送に映像がついたんだつたか。ナローバンドの時代によくリアルタイム動畫配信なんてやつてゐたよな。途切れながらも見れてゐたのが凄い。恐ろしく低い解像度とビットレートだつたんだらうな。その頃俺はインフルエンザに罹つた。子供の頃は忘れたが、俺の記憶ではインフルで苦しんだのは3囘。高1の冬と、この2000年初めと、今年2月。この2000年の時は人生初の氣絶を體驗した。風邪藥の何かの成分とアルコールは相性が惡い。保險金詐欺の殺人事件でも使はれたことがある。そんなことも知らずに風邪藥を飲んで親の同僚の家にすき燒きパーティーに行つた。インフルなのに行くなよ。で、そこでワインを飲んだのだが、胃の中で藥と反應して恐ろしく氣分が惡くなつて眩暈も發生して死にさうになつた。ウイスキーを一氣飲みしたぐらゐのフルパワーの醉ひを食らつたみたいな感じだ。本氣で死ぬかと思つた。そして便所に行つたのだが、突然床に倒れてゐた。ドアの外でみんなが呼ぶ聲が聞こえた。倒れる時に凄い音がしたらしい。氣絶してゐた記憶は無い。寢てゐたやうな感覺も無い。ジョジョ5部のボスのディアボロがキングクリムゾンを使つたやうに時間がすつ飛ばされた感覺だ。便器の前に立つた。瞬きしたら床に寢てゐた。さういふ感じ。その間の時間の感覺は無だ。死といふのはかういふ感覺なのかもしれないと思つた。知らないうちに一瞬で全てが終り、そのまま無が繼續する。恐ろしい。
そんな時期。類は友を呼ぶのか、歌手のファンサイトなのに好奇心旺盛な初心者達が續々と集まつて來た。GIFアニメが掲示板に貼られると興味津々でやり方を聞き、文字色や文字サイズが變化してゐればやり方を聞き、みんな眞似し始める。HTMLタグをそのまま反映する掲示板など今の時代ではあり得ない。スクリプトインサーションやクロスサイトスクリプティング等の脆弱性が滿載だ。當時はあまりさういふ攻撃が廣まつてゐなかつたこともあつて割と多かつた。で、HTMLといふものを知つた人達が荒らし始める。當人達は荒らしてゐるつもりは全く無かつただらう。だが今冷靜に考へるとどう考へても完全な掲示板荒らしだ。そこで遊ぶなと力強く言ひたい。もうファン同士の情報交換や交流が成立しにくい状況。一部の常連達がやりたい放題。新規客は入りづらかつただらう。サイト管理人やその友人達からすれば、このサイトはもう荒らされて終つたと感じたかもしれないレベル。アク禁を食らつても文句は言へない。正直スマンかつた。やつてはいけないことだと認識できてゐない人ばかりだつたので扱ひが難しい。HTMLタグを無效化するやうに設定を變更するか、アク禁にするか、さういふことはやめろと注意するか、ここがサイト運營力の見せ所だ。サイト作成の技術と運營の技術は違ふ。作成にはIT系の知識や技術や經驗が必要だが、運營には社會的な對人能力が必要になる。俺はこれが著しく缺けてゐるのだが、それはどうでもいい。そのサイトの管理人は高校生といふ若さで非常に良い判斷をした。會員制サイトを立ち上げ、通稱「裏」と呼んで特權的な地位を與へて隔離した。上手い。實に上手い。その一部の常連達は「表」では普通に振る舞ひ、「裏」で實驗したり暴れたりするやうになつた。波風立てず穩便に「表」は正常化し、「裏」の住人達も一切の不快感を味はふこと無く圓滿に解決した。「裏」ではみんなHTMLタグ辭典とか買つて猛烈に勉強しながら色々試して遊ぶ。ネットで一番樂しかつた時期かもしれない。そのうちサイト管理人がみんなに自分のWebサイトを作つてみたらどうかと提案した。分からないことがあつたら教えてくれると言ふ。そこからサイト作成が流行る。みんな好奇心旺盛過ぎる。さういふ人が好きだ。大學がつまらなかつたのはさういふ人がゐなかつたからかもしれない。俺もその時に自分のサイトを作つた。「いぬ帝国」といふ名前だつた。もう無い。無料のWebサーバーのサービスが終了して消滅した。新サイトは存在するが、興味がある奴は自力で探せ。舊サイトの常連にはいつでも教へるので興味があるなら連絡くれ。で、常連達のサイトで遊ぶ日々。チャットなんかもそこら中にあつて毎晩やつてゐた。これが大變なことになる。當時のプロバイダの料金は今より面倒な仕組みだつた。完全定額もあつたが、月15時間までは何千圓でそれを超過すると1分10圓みたいなのがあつたり、最初から1分8圓みたいなのとか色々だ。何時間までは固定料金といふやつでも必ず超過するに決まつてゐるので大變だ。プロバイダだけでなくNTTに電話代も拂ふ必要がある。當時はテレホーダイといふのがあつた。23時から8時までは何時間使つても定額といふやつ。プロバイダも定額のやつにしてテレホタイムだけネットをやるといふのが最強だつた。當時定額のプロバイダはODNぐらゐしか無かつたと思ふ。通稱おでん。おでん+テレホ。さういふユーザーが多かつたのでテレホタイムは囘線が混雜して激重になる。元々囘線が細くて激烈に重いのに。今の時代だつたらやつてられないだらうな。普通の畫像すら表示するのにアホみたいに時間が掛かつてゐた。そんな中、俺は定額+テレホにしなかつた。完全に自殺行爲だ。電話料金は使つた分だけ請求される。プロバイダも超過分で恐ろしいことになる。接續料が月10萬を超えたことがある。當時はパチで蓄へが少しあつたから死ななかつたが、恐ろしいことだ。といふかネットで月10萬超えなんてバカ過ぎるだろ。さういふのが3ヶ月ぐらゐ連續であつた。金に無頓着過ぎる。これが死への第一歩になるのだ。ここら邊りからスロも苦しくなつて來る。大量獲得機やらAT機やらが出始め、スロの收支が不安定になつて行くのはもう少し先だつただらうか。大學にも定期的に金を吸ひ取られるし、ネットで遊んでゐる分だけスロの稼働も減つて行く。この時はまだ大丈夫だつたが、緩やかな死へのカウントダウンは始まつてゐた。
それぞれ自分のWebサイトを作り始め、みんな原點である掲示板だけは必ず設置した。當時はCGIと言へば有料のサーバーでもほぼPerlしか使へなかつた。有料鯖に手を出す人はかなり少數派。無料でCGIが使へるサーバーと言ふと當時はfreeweb一擇だつただらうか。サイトの主要な部分はGeocitiesやTripodやらで、掲示板だけfreewebみたいな感じで統一性も無かつたな。最初からfreewebだけで作ればいいのに。俺もTripod+freewebだつた。Hoopsとかもあつたな。後からtok2とかも出て來たな。懷かしい。CGI設置は困難だといふ人はレンタルBBSを使つたりしてゐた。掲示板と何が違ふのかよく分からないゲストブックなんてのもあつたな。アクセスカウンターでキリ番取つた人はハンドルネームを載せるので名乘り出ろとかな。懷かし過ぎる。あの頃は良かつた。掲示板やチャット等のCGIプログラムは設置するだけでも結構大變だ。設定ファイルを弄つた時に行末の「;」を間違つて消してしまふだけでも動かなくなるし、ログファイル名の指定や設置ディレクトリを間違ふだけでも死ぬし、プログラムやログファイルやディレクトリのパーミッションの設定でも結構苦しむ。ここで挫折してしまふ人もゐる。でも俺達はみんな餘裕でやつてゐたな。さすがにプログラムを改造するまで行く人はほとんどゐなかつたが、俺はMSX時代の經驗が生きてPerlも割と早い段階から習得できてCGIプログラムを改造してゐた。さすがに一から作るほどの知識やスキルは無かつた。BASICから入つた人間なので構造化プログラムといふのに全く慣れてゐなかつた。サブルーチンを定義してメインルーチンからサブルーチンを呼び出すといふ仕組みに慣れてゐなかつた。それも時間が解決する。何册か本を讀んでマスターし、無から作れるだらうと思へる状態になつた。他人が作つたものを改造するのにも飽き始めてゐたので完全に一から自分で何か作らうと思つた。そこで少し前に書いた「暇犬登山日記」が出て來る。登山の記録をするプログラム。登山ルートや所要時間等を記録したり登山何日繼續中みたいな表示をしたり、まあ割とどうでも良い内容だ。基本的には掲示板と同じだ。まあCGIなんて突き詰めればほぼ全て掲示板だ。ブログだつてmixiだつて掲示板の亞流だらう。で、登山日記なんてものを作つてしまつたからには山に登らねばならぬ。たまにしか登つてゐなかつたのにアホみたいに登り始める。連續登山記録がプレッシャーになり苦しめられたりした。雨の日も颱風の日も雪の日も登つた。深夜に1人で登つたことも何度もある。登山日記以外のサイトコンテンツはメインが「パチスロ日記」で、他に少し前にも書いた「いぬMIDI」があつた。基本的に文章コンテンツが多い。「いぬMIDI」以外全てテキストコンテンツだ。やたら長文なんだよ。長く書けるのではなく、短く書くことができないのだ。つまり無能。要點をまとめて短く書く能力が無い。文才も無い。いや、自分の文章は客觀視できないからよく分からない。本當かどうかは知らないが面白いと言つてくれる人が過去に何人もゐた。何も言はないけど長年讀み續けてゐる人もゐる。少なくとも全ての人にとつてウンコな文章といふわけではないやうだ。高校時代に擔任の先生から唐突に「お前は物書きになれ」と言はれたことがある。例の宅習記録に無意味に長文を書いたりしてゐたので目立つてしまつたんだらう。課題とかは全然やらないくせにさういふどうでも良いものは無駄にやる。文章の良し惡しではなく、長さが無意味に目立つたんだと思ふ。文章書くの好きぢやないんで、と答へたら意外さうな顏をしてゐた。文章を書くといふ方面に興味を持つてそちらの方向で努力してゐたらプロの物書きになつてゐた未來もあり得たんだらうか。さういふ方面の資質を自覺できたことが無いがやつてみたらできるものなんだらうか。今でも興味は無いけど。それに、「勞働は、貧困を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する」と犬タン憲法に明記されてゐる。貧困を解決する手段でなければ良いのかといふ問題があるが、通説ではあらゆる場合に抛棄すると解釈するのが妥當であるとしてゐる。パクリ元の文に合はせて入れた文言に過ぎず、意味があるものではないとする説に對して特に有力な反論は無い。
B'zは「今夜月の見える丘に」の後も「May」「juice」「RING」とシングルをたくさん出す年だつた。大學の友人達はみんな卒業し就職し、大學では獨りになつた。年下の人達と新たな交友關係を築くこともなかつた。ここまでの大學生活前半は、まあそれなりの青春時代だつた。ごくありふれた生活。俺が最も普通の人間に近づいた時だ。客觀的に見ればまあ惡くない内容だつたのではないかと思ふ。かういふ大學生活を樂しいと感じる人は多いんだらうなと思ふ。でも俺はそんなに面白くなかつた。それまでの好奇心や冒險心に滿ち溢れた生活から突然普通の社會に投げ出された。周りが普通の人ばかりで、ネタになるやうな大きなことは起こらなかつた。一言で言へば退屈。いつしかそんな生活にも慣れてダラダラ過ごしてゐた。そして友人達が卒業して獨りになつた時、解放感と言ふと表現が惡いかもしれないが、それに近いものを感じた。椅子タンとかと無茶な遊びをしてゐた頃を思ひ出した。子供の頃から一緒に遊んでゐた人達も割と激しい人ばかりだつたが、やはり椅子タンと俺は少し激し過ぎたので、他の人はついて來れなかつたり引いてしまふやうなこともあつた。椅子タンと出會へたのは良かつたと思ふ。ただ、本當に無茶ばかりしてゐたので成人までに死ぬ確率が30%を間違ひ無く超えてゐる人生だつたと思ふ。大學に面白いことは無い。もうこれ以上は何も無い。在籍してゐること自體が無意味だとしか思へなかつた。それでも折角入つたんだから一應卒業だけはしようかとも思つた。しかしやはり英語がキツい。出席重視の科目が不可能過ぎる。3囘休んだらアウトと言はれる。普通に7囘ぐらゐ休むのに。絶對無理。毎日滿員電車で通ふ價値があるのか。こんなことのために好きでもないパチを打つて金を稼ぐ意味があるのか。だんだん學生の身分を維持するのもつらくなり始めてゐた。そしてますますネットにハマつて行く。引き籠りへまつしぐら。といふほどでもないけど。
2000年夏。「juice」が出てすぐの頃、死ぬほど苦勞してチケットを取り、ナゴヤドームにB'zのライブを見に行つた。B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 -juice-。7月22日と23日、2日連續だ。ライブ前に入鹿池で釣りをして何も釣れなかつた思ひ出。1日目は弟と行つたと思ふ。ステージの上手側の斜め後ろといふふざけた席で、ステージ裏の横に置かれたデカいテレビに映るステージ上の映像を眺めるだけみたいなウンコ。この時にあり得ないやうな奇蹟に遭遇した。後ろの人が肩を叩くので振り返つてみたら何と從兄夫婦だつた。4萬人だか5萬人だか入る場所で親戚と隣接する席になるなんてあり得るのか。凄い確率だな。2日目も似たやうな糞席だつた。チケット取るのに死ぬほど苦勞したのにこんな仕打ち。もう無理と思ひ、それまで何故か避け續けて來たFCに入ることを決意する。そして「いぬ帝国」に「Live Report」といふコンテンツができる。またまた長文のテキストコンテンツだ。レポート數を増やすためといふわけでもないが、これ以降急激に色んなライブを觀に行くやうになる。
翌月の8月、ネットで知り合つた人達とライブ會場で會ふ。ネット上では結構深い附合ひだが、リアルワールドでは初對面だ。文字だけの世界と實物ではだいぶ違ふのかなと思つてゐたが割とさうでもなかつた。實物は根暗で社交性が無いがネットではやたら饒舌みたいなのがよくゐさうな感じもするが、さういふのはリアルの場には出て來ないからな。少し第一印象が違ふ人もゐたが、少し話すとすぐに慣れた。俺はどういふ風に思はれたんだらう。2日連續のライブだつた。1日目のライブ後に會ひ、そのサイト常連の人の家に行くことになつた。そこに泊まつて翌日のライブにそのまま參戰といふ結構無茶なことをした。ライブ會場はセンチュリーホールで俺的には地元みたいなものだが、他の人達は全國から集まつてゐた。東京やら栃木やら大阪やら岡山やら静岡やら。で、近場の三重の人の家に車で行つた。6人ぐらゐゐたかな。誰がゐたのかもう正確には憶えてゐない。ホーリ〜、もすけ、雷鳥、マサムネ、ゆっきー、かっぱちゃん、俺。ゆっきーは車で三重まで送つてくれてそのまま歸つたんだつたか。徹夜で話し込んで近鐵で名古屋に戻つてライブ。晝公演は疲れて寢てしまつたよ。ライブ中に寢たのはこの時だけ。ゆっきーとはその後も何度かB'zのライブに行くことになる。ネットで知り合つて實際に會ふといふことは結構ある。他のサイトで知り合つた人とも別の機會に會つたりした。うちに遊びに來た人もゐる。ネットで知り合つた人と會つて事件に卷き込まれるみたいなこともあるのかもしれないが、俺はさういふ經驗は無い。みんな面白い奴だつた。もう10年以上も前なんだな。みんなどうしてるんだらう。何も變つてゐないのは俺だけなんだらうな。ビックリするほど變つてゐない、やうに見えて實は結構變つてゐるのかもしれない。
2000年はライブ行きまくりの年だつた。鈴木あみ、B'z、LUNA SEA、SADS、THE HIGH-LOWS、徳永英明、L'Arc〜en〜Ciel、SURFACE、あと何行つたかな。HIGH-LOWSは大變だつた。岐阜市民會館だつたが、バスが分からなかつた。岐阜驛の前にバス乘場があるんだが、乘る場所が大量にある。バスの動きを見てゐても規則性が無いやうに思へる。同じバス停から出たバスが違ふ方向へ行く。どこから乘ればどこに行くのかといふのがサッパリ分からない。市民會館に行くにはどうすればいいのか。路線圖を見ても分からない。聞いても分からない。嘘だと思ふだらう?頭が惡過ぎると思ふだらう?でもあれは無理。地元の人間でも乘りこなせないと思ふ。本氣で岐阜驛のバスは無理。宅建や行政書士の試驗で岐阜大學に行く時に事前に入念に調べたりして苦勞した。行けば分かるなんて考へて行くと絶對死ぬぞ。事前に確實に調べておかないと無理。本當に無理。誰に聞いても無理。岐阜驛のバスなんて樂勝と言ふ人に出會つたことが無い。去年は乘り場ごとに案内するボランティアみたいな人がゐた。あとはLUNA SEAとSADSの連莊がキツかつたな。2日連續だからな。8月10日のレインボーホールLUNA SEA、11日のセンチュリーホールSADS。LUNA SEAは解散のツアーだつた。名古屋でJRに乘つて發車を待つてゐたら激しくコスプレしたお姉さん達が續々と乘り込んで來て怖かつた。ライブ會場もさういふ人達で溢れ返つてゐた。そして音量がデカ過ぎた。これまでで最も音量がデカかつた。完全に耳をやられた。低音の衝撃で輕く腹を毆られてゐるやうな感じだつた。頼むからバスドラム踏まないでくれ!と懇願したくなるくらゐ。翌日のSADSのライブまで耳鳴りが殘つてゐた。そしてSADSも負けず劣らずの爆音。1週間ぐらゐ耳鳴りが消えなかつた。どれもこれも印象深いライブだつたが、やはり糞席でもB'zが一番良かつた。徳永英明とSURFACEも凄く良かつた。
「裏」で常連達と夜な夜な遊んでゐたが、だんだんアングラな方へ行き始めてゐた。「warez」とか「もせ」とか「尻」とか懷かしいな。市販のソフトを違法にUPしてゐる人がゐて、それを落としたりしてゐた。CDをリッピングしてMP3にしてUPするのとかも流行つてゐた。音樂PVも當時は價値の高いブツだつた。PVは映像をPCに取り込むといふのが機材やら何やらで敷居が高かつたのでありがたがられてゐた。今は音樂はYouTube等に堂々とUPされる時代だが、當時は地下深くで行はれてゐた。探すのもそこそこスキルが必要。落とすのも大變だし落とした後も大變。畫像ファイルに埋め込んで分割したファイルがUPされてゐたりした。僞裝や分割が異常に流行りまくつてゐた。まだブロードバンドが出始めたばかりで9割以上の人がナローバンドの時代。デカいファイルは途中で接續が切れたりしてUPできない。切斷されたところから再開するリジューム機能もあつたがサーバーによつてはできなかつたりする。なので最初から分割してUPする。デカいのをそのまま上げるとサーバー側で不法使用と判斷されてアカウントを削除される。そもそも容量が1垢5MBとか10MBとかだつたりしたしな。アカウント削除されることを垢デリとか言つてゐたな。さういふことをするためのツールも異樣に流行つて色んな種類があつた。まづはRarUty、ダメならでんこ、じゃむ、璃樹無やらラブマやらみかんやら色々なツールがあつた。面白い時代だつたな。自動で大量のアカウントを取得するツールなんてのもあつたな。あの時期日本人が世界中の無料レンタルサーバーを荒らしまくつてゐた。ネッタクやら塩やら鳥やら色んなネットスラングで呼ばれてゐた。急激に連番畫像が大量にUPされて急激に大勢が猛烈にダウンロードしたりするからサーバー側の監視プログラムがすぐにアカウント削除するんだよ。アカウント取つてすぐにUPせずに少し寢かせてからだとデリ食らひにくいとか、色々コツもあつた。しかしよくやつてゐたな。ナローバンドの遲さは今では考へられんほどだ。4分の音樂の128kbpsのMP3を落とすのに30分掛かつたりするからな。50MBのMPEGなんて氣が遠くなる。何十個にも分割され僞裝されたファイルのURLリストを苦勞して手に入れてIriaとかにブチ込んでダウンロード開始して寢る。起きたらデリ食らつてて補完依頼とか。寢てる間もプロバイダやNTTの金が掛かり續けてゐる。だから10萬超えたりするんだよ。死ね俺。いや、その頃はもうケーブルテレビになつてゐたか。10萬行つたのは少し前の連日徹夜チャットとかの頃だつたかも。3ヶ月ぐらゐ恐ろしい金額の接續料と電話代を請求されてもうダメだと思ひ、この頃に地元のケーブルテレビと契約した。ネットのついでにテレビの方も契約した。まだその頃はテレビも見てゐたしな。ケーブルにするとネットが56kbpsから10Mbpsへ飛躍的に速くなる。完全定額で電話代も不要。テレビもゴーストが出なくなりBSやCSも見れるやうになる。CSの音樂チャンネルに興味があつた。結局ほとんど見なかつたけど。で、ケーブルの常時接續になつたら完全に解き放たれてネットの時間が激増する。Win98は不安定なので定期的に再起動が必要だつた。スペック的にも限界が近づいてゐた。いづれ新PCに移行することになるが、もう少し先のこと。
その頃、「裏」で仲良くしてゐたIT系專門學校の人が基本情報技術者試驗を受けるといふ話をしてゐた。結構難しいらしい。俺も猛烈に興味を持つた。俺も受けようかななんて話してゐた。やると決めたら必ずやらねばならない仕組みになつてゐる。問題集みたいなのを買つたが、その時は結局やらないまま流れた。しかしいつまでも頭の中で燻り續ける。そして10年後にやり遂げることになる。やると決めたら必ずやるのだ。どんなに遲れても必ずやり遂げる。この頃は宇多田ヒカルをよく聽いてゐた氣がする。「Can You Keep A Secret?」を聽くとその頃を激しく思ひ出す。B'zの「ultra soul」が出る頃か。この頃は若い常連達が受驗の時期だつたりして人が減り始めてゐた。
「いぬMIDI」以外はテキストコンテンツだつたと書いたが、「いぬギター」といふのがあつたのを思ひ出した。著作權完全無視で自分のギター演奏を録音してUPしてゐた。懷かしい。もうネット上には存在してゐないが、PCには保存してあるので當時のままにサイトを再現することもできる。當時は犬土偶日記が無かつたがパチスロ日記や登山日記があつたし、自分の掲示板がほぼ日記の代りみたいな状態だつた。當時のものをそのまま殘してゐるので今改めて讀むと面白い。何も變つてゐないやうでやはり考へ方はだいぶ變つてゐる。
その少し前の12月にアルバム「ELEVEN」が出た。難易度激高な「Brotherhood」から音樂的な路線は變らないが、ギターの難易度は下がつた。リフのバリエーションが凄い。俺でも彈ける曲がたくさんあつて色々コピーした。今でもバンドでやつてゐる「juice」もこの頃にコピーした。この頃に椅子タンと再會する。5年ぶりぐらゐだらうか。その間全く會つてゐなかつたわけでもないかもしれない。1囘か2囘ぐらゐは會つたかも。しかし高校時代までみたいに頻繁に會つて遊ぶやうなことは無くなつてゐた。超絶久しぶりだ。家は200mぐらゐしか離れてゐないのに。弟が椅子タンの家に遊びに行つてたまたま椅子タンがゐたから連れてきたんだつたかな。この4年だか5年だかの間、お互ひ何をしてゐたのか全く知らない。當然、最近何やつてるんだといふ話になる。最近は、登山日記と筋トレのために山に登つてゐる・・・といふ話に好奇心旺盛な椅子タンが乘つて來ないわけが無い。當然に鳩吹山に登る流れだ。登るのに20分、下るのに10分掛かる。無言で登るわけもないので雜談する。主に近況報告だな。しばらく會はない間に俺は激變してゐた。知らないうちにギターを始めてそこそこ彈けるやうになつてゐたし、ネットにハマつてWebサイトを作つてCGIプログラミングまでやつてゐた。MIDIで音樂制作も始めた。そして頻繁にライブを觀に行くやうになつてゐた。さういふ話をすると、好奇心旺盛な椅子タンは色々食ひついて來る。俺のサイトのURLは教へなかつたが、自力で探り當てた。さういふ能力は高い。あとはライブに激しい興味を示した。行つたことが無いから行つてみたいと言ふ。ぢやあ一緒に行くかといふ流れになる。丁度その頃、Mr.Childrenのチケットの發賣日が近くてそれを取るつもりでゐたので、一緒に行かうといふことになつた。さらにJUDY AND MARYも行くことになつた。2001年2月、ミスチルとジュディマリを立て續けに觀る。どちらもレインボーホール。椅子タンの車で行つた。歸りは澁滯だ。ホールの駐車場からなかなか脱出できない。歸りにラーメン屋に行つた。そこそこ有名で行列のできるラーメン屋だ。そこで大變なことをやらかしてしまつた。胡椒を掛ける時に開けてはいけない中の蓋を開けてしまひ、氣附かずに大量にブチ込んでしまつた。勿體無いので全部食つたが異常に辛かつた。これで胃にダメージを受け、翌日に凄まじい激痛に苦しめられることになる。水を飲んでも素晴らしく痛むといふ面白い状況に陷つた。アホだ。この後も數年にわたり椅子タンと一緒にライブを觀に行くことになる。全てではないけどな。最後に一緒に行つたのは2008年2月のB'zのACTIONツアー長良川國際會議場だ。行く途中のガソリンスタンドでヤクザかチンピラか知らんが生きる價値の無いゴミに絡まれて車に蹴りを入れられたあの時。詳しくは2008年2月8日の日記を讀め。
重要なのはそれではない。2001年6月23日のEvery Little Thingのライブだ。センチュリーホールでライブを觀た歸りのこと。CHOSANGがバンドメンバーを探してゐると椅子タンが話し始めた。中學は同じだつたが俺はCHOSANGのことは知らなかつた。1學年で300人程度だから知らない人などゐるはずが無いと思ふかもしれない。でも俺は知らない人がたくさんゐた。なかなか信じて貰へないが、高3の時、卒業時に同じクラスなのに知らない人が半分くらゐゐた。顏と名前が一致しない。顏は分かるが同じクラスなのか隣のクラスなのかすら判然としない。話したことはあるけど誰だか知らない。竝んでも區別できない人がゐる。理解できないだらう?昔から人の名前や顏を憶えるのが異常に苦手だ。記憶力は結構良い方だと思ふのだが、人に關しては異常にダメだ。他人に興味が無いからだらうと思つてゐたが、それにしても異常過ぎる。もしかしたら腦に障礙でもあるのかもと思つてゐた。最近外國の俳優か何かが人の顏を識別できない病氣だといふ記事をネットで讀んだ。失顏症とか何とか。調べてみたら俺もそれなのかもしれないと思つた。それだとしても重症ではないと思ふが。頻繁に會つたり親しくなれば憶えるからな。まあとにかく人を認識したり識別したりするのが異常に苦手なのだ。といふわけでCHOSANGのことは知らなかつた。椅子タンとCHOSANGは高校も科も同じだつたから高校3年間一緒だつた。CHOSANGが會社の人(SALLYさん)とバンドをやつてゐるといふことだつたが、2人しかゐない上に2人ともギターだからどうにもならない状態。で、まともにバンドができるやうにメンバーを探してゐると言ふ。俺もギターしかできないから無駄ぢやないかと思つたが、とにかく何でもいいから樂器できる奴を探してゐるみたいなことだつた。取り敢へず會つてみないかと言はれたがその場では即答しなかつた。正直あまり乘り氣ではなかつた。家で1人で彈くのに滿足してゐたし、バンド活動をするといふのが面倒臭さうに思へた。しかしやはり面倒臭さよりも好奇心が勝り結局やることになる。その後、別の機會にバンドの件はどうかと聞かれ、まあ1囘行つてみるかといふことになつた。で、行く日も決まつたんだが、當日になつてその日は死ぬほど眠くて無理といふことで斷つた。外道。その翌週にスタジオへ。DIGI-ZOを持つて行つた。メインギターの方は酷使し過ぎて色々ガタが來てゐた。まだこの時點になつても加入するとは決めてゐなかつた。一寸見に行つてみようといふ程度の輕い氣持ちだつた。初めてスタジオに行つたのは9月頃だつたかな。B'zで言へば「GOLD」が出た少し後ぐらゐの時代の話。椅子タンと一緒にスタジオBELLへ。取り敢へず適當にDIGI-ZOを彈く。「煌めく人」や「ながい愛」のリフを彈いたと思ふ。一緒に何かできないかと聞かれたが何もできない。DEEP PURPLEのSMOKE ON THE WATERとか誰でもできるべき定番曲みたいなものを俺は何も知らない。最初からB'zばかりコピーしてゐたからな。そこでSALLYさんが出して來た樂譜がTHE VENTURESのDIAMOND HEAD。これなら簡單だからすぐにできるだらうといふことで、その場で憶えて適當に合はせてやつてみる。手持ち無沙汰な椅子タンが適當にドラムを叩き始める。本物のドラムは初めてだが、ゲームのドラムマニアはやつたことがある。8ビートを刻むだけなら何とかできるかもしれないやうな氣がするといふレベル。たぶん今それを聽くとギターもドラムも激烈にヤバかつたんだらうなと思ふ。俺は他人の演奏に合はせて演奏するといふのが初めてだつた。自分が彈くのに精一杯で他の音を聽く餘裕が無い。ドラムすら聽けない。自分のペースでしか彈けない。他の全てを無視して彈く。常人の平均よりも著しくリズム感が無い。リズム感だけでなく、あらゆる音樂の能力が低い。確實に向いてゐないと斷言できる。10年以上バンドをやつて來た今になつても確信を持つて力強く斷言できる。俺は音樂には向いてゐない。その時は他の人が俺に合はせてくれないと何もかもが無理だつた。しかも合はせやうとしても俺のテンポが一定ではない。かなり困難。指はそこそこ速く動くし色々彈けるんだが、リズムが絶望的。普通だつたら、これは使ひ物にならんといふことで捨てられる。ギタリストなんて掃いて捨てるほどゐる。でも捨てられなかつた。是非一緒にやらうと誘はれ、俺もやらうと思つた。Beginner's Rockの始まり。ギター3人では結局どうにもならんので、CHOSANGがベースに轉向することになつた。そして何故か椅子タンが俺の送迎として毎週一緒に來ることになつた。好奇心旺盛だからバンドに興味を示したんだらう。で、ドラムを叩いて遊んでゐるうちにあつと言ふ間に正式なドラマーになつてゐた。最初は流れでDIAMOND HEADをやつてゐたがすぐにコピーできてしまつたので次へ。何かやりたい曲は無いかと俺に振つて來た。惱んだ。どういふ基準で選曲すれば良いのか分からない。ギターのことしか分からんし他のメンバーの技量も不明だ。椅子タンは完全にドラム初心者だしCHOSANGもベースに轉向したばかりだ。難しいのはダメだらうが、何が簡單なのかも分からない。ギターに關しては分かるが、他のパートに興味を持つたことが無いから分からない。取り敢へず俺が既に彈ける曲ならOKかと思ひ、適當に松本孝弘の「GO FURTHER」を選んだ。テレビのF1の番組のテーマ曲に使はれた曲だ。これは大失敗だつた。初心者バンドには難し過ぎる。俺自身は彈けると思つてゐたがたぶん錯覺だつた。彈けてゐるつもりで彈けてゐなかつた。原曲のベースはMR.BIGのビリーシーン、ドラムはLUNA SEAの真矢。どう考へても無理だらう。でもやつた。半年ぐらゐ掛かつたかもしれない。次にCHOSANGの選曲でSEX MACHINEGUNSの「ファミレスボンバー」だ。これまた無理。最初に大變なのを選んだせゐでなかなかレパートリーが増えず、1stライブまで1年半ぐらゐ掛かつた。しかし挫折せずよく續けたものだ。SALLYさんが癌で亡くなつてAge君が加入してBRからDebugに變つたが、今でもまだ續いてゐる。かなりの長壽バンドだ。こんなに續くのは結構珍しいと思ふ。大體喧嘩別れする。若しくはメンバーの結婚を機に活動が減つて自然消滅したりする。轉勤等で消えることも多いだらう。まさかこんなに續くとは思つてゐなかつた。
そんな感じで、ネットで遊ぶ→あるサイトの常連になる→Webサイト作成→CGI習得→登山日記作成→椅子タンと再會→登山→ライブ鑑賞→バンド結成といふ流れになる。これがDebugに繋がり今に至る。BRメンバーでバーベキューをしたのがキッカケでCHOSANGが奧さんと出會つたので、俺以外の人生も大きく變つたことになる。俺がネットにハマらなければ今の全てが無い。今とは全く別の人生を歩んでゐるはず。それが良いのか惡いのかは分からない。別の方面で別の面白い人生を送つてゐたかもしれない。どんなことで人生が變るか分からんね。俺が明日氣紛れで水族館に行くか行かないかで未來が激變する可能性だつてある。B'zのチケ代やFC會費を今日拂ひに行くか明日拂ひに行くかでも激變してしまふかもしれない。何もしなければ何も變らないのだけは確實だ。とにかく行動すべし。興味があることはすぐにやり始めろ。目標があるならそれに向けて今動き出せ。何もやらないことが一番つまらない。何もしなければ何も起こらない。未來のあらゆる面白いことが今何もしないことで全て閉ざされる。ギターを始めてすぐに指が痛いと言つてやめてゐたら今どうなつてゐたか。あのサイトの掲示板に書き込む時にやつぱりやめておかうと思つてゐたら今どうなつてゐたか。善かれ惡しかれ、やれば何かが動き始める。10年後の人生が確實に變る。そして多くの場合、やつて良かつたと思ふはず。俺の場合、人生を振り返つて後悔することは少ない。大學に入つたこととパチに手を染めたことだけが後悔の種だ。何もしなければ全てが始まらない。確實につまらない人生になる。俺には向いてゐないからやめておかうとか、根性が無くて上達できないだらうからやめておかうだとか、もう始めるには遲いだとか、さういふ風に考へる奴はダメだ。頭が良くなりたければ勉強しろ。金持ちになりたいなら起業しろ。ヒマラヤ登頂したいならまづ體を鍛へろ。手始めに何をすればいいのかすら分からないならまづそれを眞劍に必死に何百時間でも考へろ。その分野の本を數十册讀んでみろ。やりもしないで無理とか言つてんぢやねえ。無理かどうかは10年やつてから決めろ。10年やつて無理だと判明しても必ずその過程で新しい人生が始まつてゐる。無駄にはならん。とにかく動け。何も無い人生の恐ろしさを想像すれば何もしないなんていふ選擇はあり得ない。誰でもできる勞働で時間を潰すだけの人生。退職後に何も無くて狼狽へる。そして一瞬でボケて人生終了。恐ろしいだらう?無趣味な奴は人間的な魅力にも乏しい。全ての原動力になる好奇心を鍛へろ。何にでも興味を持て。最近新たなことに挑戰しなくなつて來てゐる自分に自戒を込めて。ただし命は粗末にするな。死んだら全て終りだ。俺や椅子タンが今生きてゐるのはかなり幸運なのではないかと思ふ。だいぶ無茶して來たからな。でも面白かつた。
書くのがつらくなつて來た。1999年から2005年は濃いわ。1囘で書き切れん。白ベストの1988年〜1998年の時期の薄さは何なんだ。昔のことだからあまり憶えてゐないといふことなのかな。大學前半はクソだつたけど中學高校時代はそれなりに面白かつた。でもネタ的にはあまり書くべきことも無いのかもしれん。いや、ドブに流されて死に掛けたとか、フォ爺とか、腐敗ジャガ事件とか、インコ殺戮事件とか、今思ひ出せばそれなりに面白いネタはたくさんあるな。それぞれ短篇小説が書けるほどのネタだ。何故書かなかつたんだらう。まあいいか。黒ベストDisc1の懷古はここで一旦やめて續きはまた今度書くことにする。次囘は2001年から2005年。BRと大學中退と日燒けで瀕死がメインイベントか。2004年以降のことは犬土偶日記の過去ログを讀めば全て分かるから改めて書く必要も無いかもしれないが自分で過去を振り返つて懷かしがるだけだから別に良い。何度でも書く。
ここからは今日の日記。17時頃に起きた。どんどん起きてゐる時間がズレて行く。まづは體重計測。47kg。あれだけ食つたものはどこへ消えたんだ。頑張るだけ無駄な氣がして來る。
今日は耳の調子が良い方なので、B'zの黒ベストDisc1を聽いて過去を振り返る。この時代は色々あつて面白かつたなと懷かしむ。
いつの間にか夜。それはさうだらう。ダラダラと長く日記を書いてゐたんだから。今日も激しく飯を食はねばならんな。今日で大體食料が盡きる。明日GENKYに買ひに行かねばならん。起きれるかな。寢ずに行くのが良いかもな。
飯を食つた。丼に大量の米を入れ、鰹節を1パックのせてレトルトのカレーをブッ掛ける。レトルトカレーは1袋で150kcalしか無いらしい。米で稼ぐしか無い。しかし丼一杯では大したこと無いだらう。1.5合くらゐだらうか。カレーを食ふ間に卵を2個茹でた。もう食へる氣がしないが無理してでも食ふ。もう今日はこれ以上食へさうにないが、全然2000kcalなんか到達するはずが無い。本當に普通の人は日常的に2000以上食へてゐるのか?あり得ない。普通に食つても必ずオーバーしてしまふから困るなんて奴が多いんだらう?全然理解できん。拒食症ではないんだが、人竝に食ふことすらこんなに困難。どうなつてゐるんだ。
自販機にジュースを買ひに行つた。高校前の自販機が撤去されてしまつたので山を下りないと自販機が無い。坂戸へ下るか、谷迫間へ下るか、横市へ下るか。横市が一番樂だ。ペプシの500mlを買つた。240kcalらしい。歸りの坂を自轉車漕いで上るとどれくらゐカロリーを消費してしまふんだらうか。1本で1Mcalみたいな飲み物は無いのか。全然體重増えねえよ。
泣いて 泣いて 泣きやんだら(1.8)、LOVE PHANTOM(1.7)、ALL-OUT ATTACK(1.8)、IT'S SHOWTIME!!(1.7)、パルス(1.6)、I'm in love?(1.9)、ロビンソン(2.2)、勝手にしやがれ(1.7)、黒い青春(1.8)、OCEAN(2.0)、みかんのうた(1.7)、イカロス(1.7)、STAY GREEN 〜未熟な旅はとまらない〜(1.7)。
いつの間にか朝になつてしまつてゐる。このまま晝まで起きておくことにする。まづ畑の作業をする。支柱立てと追肥。あとは郵便局とコンビニとGENKYへ。水族館の機關誌の購讀申し込みとB'zライブチケ&FC更新費用の振り込みと、食料調達。まだ6時半なのにクソ眠い。もう無理かもしれない。でもB'zのチケ代は7月1日までだ。今日無理してでも行かねば危ない。
Info.
公開日時 | 2013年06月29日 06時34分44秒 |
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本文文字数 | 25214文字 (タグ込み) |
URL | https://orca.xii.jp/debug/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20130628 |
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