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犬土偶日記

海の近くに住みたい

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話題:種子島&屋久島 2007年夏

2007年07月09日

犬土偶旅行記 7日目 最北端で日焼け

公開日時: 不明

離島戦隊タネガシマン発祥之地

眠れない。うるさ過ぎて眠れない。雨と雷の音がうるさ過ぎる。雨ぢやなくて滝だとしか思へない。こんな勢ひで降り続けたら海水の濃度も一瞬で下がるだらう。地盤の緩いところでは土砂崩れが起こつて当然だ。こんなに降るとは予想外だ。豪雨に引き篭もらされる日々。今朝は豪雨と雷の音で眠れずに早朝に強制的に起こされた。今日は俺の母親が種子島に来る日だが、俺が来た時よりも天候が悪いから来れないかもしれない。種子島よりも鹿児島の方が酷いみたいなので、中部から鹿児島の飛行機も危ないかもしれない。鹿児島空港は山の中にあつて霧が激しいしな。

朝テレビを見てる時に親から電話が掛かつて来た。詳しくは聞いてないが、どうやら乗る予定だつた飛行機が飛ばないやうだ。鹿児島からの船の時間を電話で教へたりしてゐたので、中部から鹿児島の便が遅れて予約してゐた鹿児島から種子島の飛行機に乗れないのかもしれない。時間の余裕が無くて慌しい早朝の飛行機で来るつもりだつたやうだ。朝6時前に家を出て中部国際空港に着いた瞬間に猛烈に搭乗手続きをして乗り継ぎの時間の余裕もあまり無い鬼のスケジュール。順調に行けば昼前に種子島に着けるのだが、何か起こると一瞬でダメになる危険なパターンだ。だから俺はわざと1本遅らせて余裕を持たせた。そのおかげで俺は天候不良による1時間の遅延の影響も受けなかつたが、鹿児島では猛烈に暇な時間を過ごすことになつた。親は見事に悲劇を食らつたらしい。夕方に船で来るのか、それとも次の飛行機を長時間待つて来るのか。いづれにしても夕方に来ることになるだらう。

朝から祖母が歯医者に行つてゐる。早朝の雷雨が嘘のやうに外は晴れてゐる。種子島に来て初めて太陽が出た。だが騙されんぞ。これで安心して外に出たらまた豪雨にやられるんだらう?もう騙されん。天気予報で雲の動きも見てゐる。この後また来るに決まつてゐる。それにしても今朝の雨は凄かつた。まだ家の裏の山から大量の水が流れて来てゐて、家の前の庭が川みたいになつてゐる。種子島では土砂崩れは起こらないやうだが、この水の流れを見てゐると不安になる。

昼になり、異常なまでに晴れてきた。これまでの豪雨が嘘のやうな晴天。天候が急変する気配も感じられないので、意を決して外出してみることにした。また騙されて出掛けた後で豪雨になるかもしれないが、さうなつたらまた歯を食ひ縛るだけだ。まづは南へ向かふ。昨日も行つたんだが、晴れた時に海岸を撮影してみたかつた。といふわけで、何枚か撮つた。浜津脇の先の方の海岸沿ひから内陸部へ入る辺りの砂浜と、それより手前の小学校前にある雄龍・雌龍(オタツ・メタツ)の岩。岩には何か伝説があつたはずだが覚えてゐない。雄龍とか雌龍とかが種子島を作つたとか、さういふ神話系のものだらう。

雄龍雌龍の岩 中種子西海岸

浜津脇の先まで行つてから引き返す。今日は北の方へ行つてみたかつた。北に行くと西之表港がある。種子島最大の都市。まあ大したものではない。都市と呼ぶほどのものではない。結構近いと思つてたんだが、やはり予想以上に遠い。西之表まであんなに距離があるんだな。気軽に行ける場所ではないな。西之表の港からさらに北へ。海岸からさらに北の方を見ると、まだまだずいぶん遠くまで続いてゐる。行けるところまで行つてみようと思つた。西之表を越えてしばらく行くと海岸から離れて山の中へ入る。地図で見ると分からないんだが、島の北の方はかなり高い山になつてゐた。7月3日の日記の飛行機からの写真で島の北側がどうなつてゐるか多少分かるが、飛行機から見るとほぼ平地のやうに見える。実際は凄い高い山が延々と連なつてゐる。上つたり下りたりしながらどんどん高いところまで行く。時折山の隙間から見える海がずいぶん低い位置に見える。こんな例へはごく一部の人にしか分からんと思ふが、鳩吹山の山頂から見下ろす可児・美濃加茂よりももつと低い位置に海が見える。それにしても、西之表より北にはほとんど人がゐないんだな。交通量もほぼゼロ。こんなところでバイクが壊れたら確実に死ぬぞ。家まで30kmもある。西之表まででも10km以上ある。ここでバイクが壊れるわけにはいかない。ガソリン残量も不安がある。滅多にスタンドが無い。今日見た限り一番安いところで1リットル151円だつた。高過ぎだらう。

ほぼ島の最北に位置する浦田海水浴場の看板が見えた。でもまだ先まで行く。道なりにどんどん進んで行くと、喜志鹿埼灯台といふ標識が見えた。左の山へ入つて2kmほど行くと灯台があるらしい。それも無視してさらに北上する。凄い山の中を走つて来たが、つひに島の最北端に到達したらしい。視界いつぱいに海が広がる。かなり高い位置だ。道路の先は崖にでもなつてゐるんだらうか。もうその先には陸地は無い。道なりに進んで行くと、そのまま島の東側に回つて南に向かふ感じになつてゐた。どうしようか迷つた。そのまま行つてみるのも面白い。でもガソリンスタンドが無いかもしれない。何も無ささうな山。ガソリンに余裕があれば行つてみたいのだが、初日に入れてから一切給油せずに走つてゐるので不安がある。何リットル入るのかも知らないし、満タンで何km走るのかも知らない。残量のメーターは上り坂になると上がるが、下り坂になると下がる。何か不安。まあ今日のところは引き返すことにした。

引き返す序でにまづは灯台に行つてみた。標識も出てるぐらゐだからそこそこ有名な観光地なのかもしれないと思つた。しかし、標識から曲がつて山に入ると、どんどん道が細くなつて農道みたいになるし、どこにもそれらしい雰囲気が感じられない。時々ハイビスカスが咲いてゐるのが南国風だ。ずつと奥まで行き、つひに終端まで到達。確かに灯台があつた。物凄くショボい。小さい。画像で見ても分からんと思ふが、そこらの公衆便所みたいな雰囲気だ。いや、そこまでショボくは無いか。一応3階建ての家ぐらゐの高さはある。ただ、中には入れない。作業員が何かするために入るやうな隙間はある感じだが、小さい倉庫か物置みたいな感じ。これは観光する場所ではないな。道は軽自動車がギリギリ通れるかどうかの細さでガードレールも無い。少し離れたところに海が見えるが相当標高差がある。道路からすぐに切り立つた崖になつてゐるわけではないが、思はず足がすくむ。周囲の雑木林に少し入り込むと崖になつてゐるのかもしれない。しかしわざわざ意味も無く崖に近づいて命を危険に晒すやつは馬鹿だ。近づいてどうなつてゐるのか確認する気はダニの糞ほども無い。かういふところで無意味な好奇心を発揮するやつはいつか必ずくだらないことで命を落とす。心行くまで死ねば良いと思ふ。俺は死なない。

喜志鹿埼灯台1 喜志鹿埼灯台2

浦田海水浴場もう少し南に戻り、今度は浦田海水浴場へ行つてみた。ここはキャンプ場もあるし、そこそこ島の外から人が集まつて来る場所のはずなんだが、3人しかゐなかつた。2人がシュノーケリング貸切状態で、もう1人は海岸で砂浜を漁つてゐた。潮干狩りだらうか。ウミガメの卵でも探してたんだらうか。こんなに人がゐないものか。叔父がここはあまり良い場所ぢやないと言つてゐたが、俺から見れば相当キレイな海水浴場だ。一昨年に行つた福井の水晶浜なんかウンコといふぐらゐのレベルだらうと思ふ。でもここよりは島の東側の犬城海岸の辺りが良いらしい。飛行機から見えたあの茶色い岩場が多い砂浜だらうか。祖母の家から一番近い、よきの海水浴場といふところにも人はゐなかつた。まあ天気が回復したばかりだからな。夏休みもまだだし、観光客が島にほとんど来てゐないのかもしれない。帰りは西之表市街に入つて鉄砲博物館の前を通つて帰つた。まあ西之表の街中に入つただけで基本的には往きも帰りも同じ道。

猛烈な後悔に襲はれてゐた。往きに西之表を越えてしばらく北上してゐる間に既に腕に異変を感じてゐた。何だかピリピリする。これは拙い。日焼けだ。その時は大したことなかつたが、必ず後で悲惨なことになる。家から遠過ぎるので帰る間にもますますやられてしまふのは確実だ。日焼けが死ぬほど怖い。一昨年の水晶浜で本当に焼死しかけた。1週間苦しみ続けた。ネットで症状を調べたら入院確定の症状だつた。入院保険に入つてなくて金欠死が怖かつたといふだけの理由で自力で耐へたが、あの時は本気で死を覚悟した。二度とさうならないやうに、今年はアホみたいに大量の日焼け止めを買つておいた。それを使はずに外に出るとは。自分の馬鹿さに腹が立つ。日焼け止めは海で泳ぐ時に使ふものだといふ意味不明な先入観があつて、バイクで徘徊する時に使ふといふ発想が無かつた。家に帰る頃には本気でヤバい状態になつてゐた。腕が真つ赤。時間が経つほどに酷くなる。水をかけて扇風機で気化熱冷凍法とかジョジョ的なことを考へつつ頑張る。しかしどうにもならん。死が確定した。もうこれはダメだ。手遅れといふやつだ。南国の日差しを甘く見過ぎてゐた。

俺の母親が今日種子島に来ることになつてゐたのだが、何かあつたらしく来る時間が大幅に遅れた。本当は午前中に着くはずだつたんだが俺が来た時と同じく17時半の飛行機で来ることになつた。空港まで叔父と2人で迎へに行つた。中部国際空港から乗るはずだつた飛行機が整備不良で欠航になつたらしい。天候不良ぢやなかつたんだな。それで鹿児島から種子島の予約してた便に乗れなくなつて遅れたらしい。

家に帰つてから、今日行つた灯台のことを話したら誰も知らなかつた。地元の人間すら知らないとは。そんなところに灯台があるなんて知らないとか、行つたこともないとか。島の南の方は火縄銃伝来の地とか宇宙センターとか色々あつて地元の人間も観光客もよく行くと思ふんだが、島の北端は相当レアな場所らしい。浦田海水浴場より北に行く人はほとんどゐないやうだ。本気で何も無いしな。でも最北端とか最南端とか標高最大地点とか、意味も無く行きたくなる。

晩飯の時に20年物のスモモ酒を飲んだ。貰ひ物らしい。親類か近所の人か誰に貰つたのか俺はよく知らん。漬けてから20年なのか、それとも貰つてから20年なのかも定かではない。長い年月漬けることで味や風味が良くなるといふやうな理由で20年なのではなく、単に古いだけだと思ふ。大丈夫なんだらうか。猛烈に不安だつたが、折角なので飲んでみた。まあ悪くない。アルコールはあまり濃くなく、ジュースみたいな感じだ。直前に芋焼酎を原液で舐め回してゐたのでさう感じただけかもしれん。あまり20年のありがたみは無い。逆に不安感は結構ある。

叔父は明日奄美大島へ帰る。親が来て一時的に人数が増えた。親は20日頃に帰るらしい。叔父はまた夏休みになつてから従弟と一緒に来るらしい。8月8日にまた親と弟と叔母が来るらしい。8月初め頃に別の叔母が来るらしい。7月終り頃に従弟が帰り、盆の頃に叔母と弟が帰り、盆過ぎてからまた妹やら何やら来て、誰がいつ帰るのか正確には分からんのだが、といふか、書きながら3人ゐる叔母を全て同じやうに「叔母」と書いて自分でもワケワカラン状態。全く正確に把握できてゐないんだが、最も重なる時期は相当な大人数になるだらうと思ふ。大丈夫なんだらうか。寝る場所が無い状況になるかもしれない。さうなりさうな気配を感じたら鹿児島の宿を予約して俺は鹿児島観光に逃げようと思ふ。屋久島は体力がついてからにする。縄文杉は今のままでは到達できさうにない。屋久島は夏休みが終つた9月頃に行かうと思ふ。気紛れだからどうなるか分からんけどな。

日焼けがどんどん悪化する。両腕と鼻だけだが、腕が酷い。僅か2時間日光に曝されただけでこんなになるんだな。風呂に入つた時に恐ろしい激痛が走つた。ダメだ。どうなるんだらう。痛過ぎて眠れない。布団に擦れて激烈に痛い。何で俺がこんな目に遭はねばならんのだ。殺すぞボケ。ウンコ食つて苦しんで死ね。

話題:種子島&屋久島 2007年夏

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