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犬土偶日記

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2023年09月10日

種子島旅行3日目 南の名所巡り

公開日時: 2023年10月25日 09時35分12秒

6時40分起床。周囲の音で目が覚める珍しい環境。今日は朝から観光の予定。宇宙センターの施設見学バスツアーの10時半からのやつを予約してある。親の同級生がやってくれたらしい。過去に何度も何度も参加したことがある。その感じからすると予約は必要なさそうに思える。夏休み期間だと定員オーバーの危険もあるが、それでもたぶん大丈夫な気がする。1人で参加の時は一度も予約したことがない。たまたま運が良かっただけの可能性もあるが。今は馬毛島の基地建設関係で島の外から業者の人が大勢来ていて、休みの日に観光をするなんてことも多いかもしれない。夏休みの一般の観光よりも人が多い可能性もないわけではない。念のため予約しておいて良かったのかもしれない気はしている。なんせ宿もレンタカーもほぼ全部埋まっていて半年前からでも確保が大変な状況だったからな。宇宙センターへは島の南を時計回りに回る県道75号線を通って行く。途中で定番の観光名所の千座の岩屋(ちくらのいわや)にも行くようだ。干潮時でないと洞窟内に入れないが、ちょうど良いタイミングらしい。

DQウォーク4周年カウントダウンメガモンのハーゴンが宿から届く場所にいたので討伐。ハーゴンはDQ2のボス。4周年の8日前からカウントダウン開始している。8のボス、7のボス、6のボス・・・と順番に来て今日は2。明日が最後の1。種子島から可児に帰ったらすぐ4周年だ。クソどうでも良い。ひたすら面倒くさい。早くサ終して欲しい。人生で後悔していることなんてほとんどないんだが、2つだけとてつもなくデカい後悔がある。大学に進学したこととドラクエウォークをやり始めたこと。大学は完全に時間と金の無駄。得たものは何もない。あの時代でさえそうだったんだから、もし今の時代だったらもっと激しく後悔することになっただろう。大学なんて行く価値はダニの糞ほどもないよ。ドラクエウォークは犬土偶日記を見ても分かる通り、人生の大部分が犠牲になるほどの時間の無駄。面白ければ良いが、少しも面白くなく、ひたすら苦痛しかないのが凄い。

外に出て軽く散歩。ふれあいの里の敷地内をウロウロして写真を撮ってみたりする。ふれあいの里には平屋の普通の家みたいな宿泊施設があり、6人用2棟、8人用1棟がある。1人で泊まると特に安いわけではないが、大勢で泊まると安くなる。連泊は7日まで、同じ月内でも7泊までという制限があるので長期滞在には使えない。祖父母の家が廃墟になってから、法事で種子島に来る時はここに泊まるようになっている。俺が初めてここに泊まったのは2013年だろうか。行政書士試験が迫っていた時期で、ここでも勉強していた記憶がある。2016年の祖父の23回忌の時が2回目だろうか。叔父がインフルエンザで寝込んだ時だ。そして今回が3回目か。もっと来ているような気がしていた。もう祖父の墓仕舞いもして祖父母も永代供養して寺で何かやることもなくなったから、種子島に法事で来るのはこれが最後になるかもしれない。この宿に泊まるのも最後かもしれない。島に来ること自体がもしかしたら最後かもしれない。前回来てから6年半経っているが、歳を取るにつれてどんどん時間が加速するので、あまり懐かしい感じはしていない。道路を挟んで北側にある太陽の里の風力発電の風車がなくなった以外はほとんど何も変わっていない。バナナの木も生長していないな。これ以上デカくならないのか、剪定してこのサイズを維持しているのか。建物も特に劣化している感じもなく、備品もほぼ同じままで、全く変化を感じない。


8時半に出発。まずは南を目指す。島の中央を南下する国道58号ではなく、島の東側を時計回りに回る県道75号。名所はほとんど県道75号の近くにあるので、75号を走るだけで大体拾って行ける。熊野神社を通り過ぎた辺りで、あまり枠高確が近くに見えたが車からは届かなかった。

千座の岩屋に行く前に、阿嶽川の河口のマングローブを見ることになった。俺は見ても特に何も感じない。干潟に木が生えているだけで特に感動もないのだが、まぁ岐阜にはないし珍しいことは珍しい。1回見ればもう良いかなという感じなので俺1人だったらわざわざここで立ち止まって見て行くという発想にはならなかっただろう。弟達はマングローブを見るのは初めてかもしれない。島の北東にも湊川の河口にマングローブがある。地元の観光ツアーみたいなのでシーカヤックをやったりできるのはこの近辺のマングローブだけだろうと思う。湊川の方はそういうのができそうな感じでもなかった。駐車場が整備されているのもこちらだけだと思う。種子島に初めて来る観光客はほとんど何もない北側ではなく名所がたくさんある南側を回るべきだろう。リピーターは北側のマニアックなところも見た方が良いかもしれないが、北の方はショボいからな。

ほんの数分、ちょっと立ち寄って眺めてみただけという感じで阿嶽川のマングローブを後にする。ここからほんの少し先にある大浦川の吉助橋付近から塩田跡地の広い干潟があり、奥には種子島マングローブパークというのがある。ウッドデッキみたいな感じの歩道が整備されていて、さっき見た阿嶽川のマングローブよりは観光名所な感じがある。寄るならそちらの方が良かったと思う。割と新しい場所なので俺は行ったことはない。

マングローブから5分ほどで千座の岩屋に到着。波の侵食でできたデカい洞窟。結構入り組んでいるが、奥行きは大したことないので迷い込んで脱出不可能になったりすることは絶対にない。干潮時でないと中に入ることはできないので調べてから行くべき。以前、ここの砂浜には鳥居があった。軽石を投げて鳥居の上に乗せることができたら願いが叶うとかどうとか言われていだが、来るたびに砂に埋れてどんどん低くなっていた。2007年の時点では投げるかよじ登るかしないと無理な感じだったが、翌年の2008年にはジャンプするだけで普通に置けるほどになっていた。背の高い人ならジャンプすらせずに置けただろう。2009年はもう俺でもジャンプせずに余裕で置けるぐらい埋もれていた。2013年と2016年は千座の岩屋には来なかった。その間どうなっていたか分からない。2007〜2009年の間だけでもその勢いで埋もれていたから、もう完全に埋まってしまったとしても何の不思議もない。ここら辺にあったはずだという場所を探してみたが、痕跡すら見つからなかった。埋まるほど砂が積み上がったようにも見えなかったので撤去されたのかもしれない。

洞窟内に入る。観光客も少しいる。全体としては海側から陸側に大きく窪んだ空間になっていて、壁で区切られた部屋みたいなのが海側を向いて並んでいるような構造。壁の横にも穴が空いて通路になって繋がっていたりする。隣の広い空間に行くためには少し濡れるかもしれない場所もある。大きめの波が来て引いて行く隙を狙って行けば良いのだが、海に慣れていない弟達は苦戦していた。一番奥の大きめの空洞から見える海の景色がよく観光誌やWebサイトにも載っている写真の風景だ。ここが一番綺麗な風景ということだろうか。写真を撮ると逆光で洞窟内の部分が真っ黒になってしまうんだが。1000人座れるほど広い洞窟ということで千座の岩屋という名前になったというが、本当に千人も入れるのか疑わしい。というか無理だろう。壁面には細かくなった発泡スチロールの粉が大量に付着している。洞窟内にはゴミが漂着している。よく見ると結構汚い。太平洋のゴミが打ち揚げられている。浜も結構ゴミだらけだ。こんなのはいくら掃除しても無駄。無限に流れて来る。どこの国のゴミなんだろうか。東南アジアの方から流れて来るんだろうか。以前、流木が種子島に押し寄せて船が運航できなくなったことがあったな。叔父が法事に来れないかもしれないみたいなことになり、ギリギリ法事の途中で到着したなんてことがあった。




近くをよく見るとゴミが多いが、海は相変わらず綺麗だ。子供の頃にここで泳いだ記憶がある。いつのことなのかは分からない。一番古い種子島の記憶は保育園の年長の時だ。赤ん坊の頃の写真があるのでその前に1回は来ているが、当然記憶はない。次の記憶は小5。次以降は中1・高1・1999年、あとは犬土偶日記に書いてあるやつだけ。千座の岩屋がある浜田海水浴場で泳いだ記憶は幼い頃のことなので、中1以降ではあるまい。小5の時か、保育園の時か。しかし小5の時は鹿之峯に住んでいたタクシー運転手の親戚に島の名所を案内してもらった時だと思うのだ。その途中に海で泳ぐなんていう面倒なことをしたとは考えにくい。別日に改めてわざわざ千座の岩屋に行くとも思えない。記憶が曖昧なのだが、親戚に島を案内してもらったのが中1の時かもしれないような気もしている。中1の時は昨日刺身をくれた親の同級生が愛知の岩倉かどこかに住んでいて一緒に種子島に来た時だ。でもやっぱりタクシーの人に島案内をしてもらったのはその時ではない気がするんだよな。小5の頃の記憶すらもう自分で自信が持てない。1999年に20代前半で来た時ですら、既に小5や中1で種子島に来た時の記憶が凄まじく曖昧でほとんど何も覚えていなかった。子供の10年15年は異常に長いんだ。忘れても仕方がない。ということは、小5・小6で種子島に来た妹は20代になった今、当時のことをほぼ覚えていないということだろう。島に対してほとんど何の思い入れもない感じなのかもしれない。妹が島に来た頃、俺は既に30代に突入していたから時間の急激な加速が始まっていて、今でもつい最近のことのように思い出せる。妹本人が完全に忘れ去ってしまって知らないことも俺は鮮明に思い出せたりするんだろう。不思議な感覚だ。弟に子供の頃ここで泳いだことがあるのを覚えているかと聞いてみた。何となく覚えているような気がすると言う。それが本当ならば保育園年長の時ではないだろう。2つ下の弟が覚えているわけがない。小5の時だとすると、タクシー運転手の親戚に観光案内をしてもらっている途中で海で泳いだということになる。そうだっただろうか。種子島観光となると、メインはやはり南側ということになるが、記憶は逆方向の住吉のガジュマルしか残っていない。あの時どういうルートでどこを観光したんだろうな。牧川から一旦北に行ってガジュマルを見てすぐ引き返したのか、そのまま何もない北の方へ向かったのか。ガジュマルを見てから能野の辺りから島を横切って東側に出て犬城海岸とか行ったのかもしれないな。もしくは南を一通り観光して帰り際に牧川を通り過ぎてガジュマルを見て戻ったのかも。あの頃の種子島はどういう感じだったんだろうな。

千座の岩屋の駐車場にあった自販機で飲み物を買った。売り切ればかりだったが何とか人数分買えた。宇宙センターへ向かう。ここら辺の平山という地区から県道を外れて奥に入ると恵美之江展望公園や広田遺跡ミュージアムがある。どちらも行ったことがない。何故なら比較的新しく、俺が長期滞在していた頃にはまだなかったからだ。意外と新しいものがたくさんできている。俺が島で暮らしていたのはもう16年ぐらい前だ。つい最近のように思えてもずいぶん時間が経っている。広田遺跡は昔からあった。しかし発掘現場がそのまま放置されているみたいな感じだった。その後発掘現場も整備されて綺麗になって観光客にも見せられるぐらいになったようだが、それもまだ見たことがない。広田遺跡というのは弥生時代の人骨が大量に出て来た遺跡。最近ネットニュースで見たが、頭蓋骨を意図的に変形させる風習があったようだ。小柄な体型の集団だったようだ。弥生時代ということはそれほど昔ではないから、現生人類とは別種の人類というわけではないと思う。あまり詳しいことは知らない。調べたこともない。興味はある。いつか広田遺跡ミュージアムに行ってみたいと思いながら何年も過ぎている。そういうマニアックなところはこういう大人数で来た時に行ったとしてもほんの少し眺めて終わるだけだろう。1人でじっくり見たい。恵美之江展望公園は新しくできたロケット打ち上げ見学場。新しいと言っても10年近く経っているかもしれないが。長谷展望公園よりも射場にだいぶ近く、かなり良く見えるようだ。昨日刺身をくれた人が親に打ち上げ動画を送ってくれるんだが、恵美之江から撮影したと思われるものをよく見る。打ち上げ時にはマスコミ関係者しか入れなくなる竹崎展望台からの打ち上げ動画も見せてもらったことがある。旦那さんが三菱重工の関係でロケットの仕事をしているからそういうレアな動画も撮れるんだろう。俺もいつか恵美之江から打ち上げを見てみたい。今回惜しくも数日の差で打ち上げを見ることができなかった。残念だ。

平山から奥へは行かず県道75号を茎永方面へ。宇宙センターへ直行だ。もう結構時間もギリギリ。宇宙センターには何回行っただろうか。種子島に来るたびに必ずと言って良いほど行っている。何もない島だから、とりあえず宇宙センターには行っておくという感じなんだろう。長期滞在中も宇宙センター奥の竹崎漁港で釣りをしたりもした。1人で施設見学ツアーに参加したこともある。従弟のバイクで島中走り回っていたからな。種子島宇宙センターは世界一美しいロケット発射場と言われている。確かに風景は凄く良い。海も砂浜も綺麗だし波で削られた奇岩もなかなか趣があって良い。

10時に宇宙センターに到着。駐車場から宇宙科学技術館へ直行せず、俺だけ小走りでほんの少しだけ道を逸れてあまり枠の確定を拾う。スノーエルダー、D。ここでSが出たら良い記念になったのにな。施設見学バスツアーは10時30分からだが、早めに集合する必要がある。ツアー前に宇宙科学技術館の展示を全部眺めるのはなかなか難しい。ツアーが終わってからでも良いかなと思ったが、結局そんな時間はなかった。弟達はツアー開始前に中に入っていろいろ見たようだ。俺と親は入り口から入ってすぐの場所にある、以前にはなかったデカいロケットの映像を見たりしただけで終わった。ツアー参加者はロビーに集まるように言われ、2列に並ぶ。思っていたより参加者は多い。15人くらいか。外に出て駐車場に停めてあったJAXAのバスに乗り込む。


まずはロケットの丘。大型ロケット発射場が良く見える場所だ。ここは施設見学ツアーじゃなくても自家用車で来ることができる。平山から広田遺跡方面へ入ってものすごい山の中をグネグネと走って宇宙センターへ来るルートの途中にある。時々見える海がなかなかの絶景で良いのだが、車の運転が好きじゃない人にはつらいかもしれない。2007年に初めての種子島長期滞在を開始したばかりの頃、親を乗せて俺が運転して観光したことがあった。あの時、県道から通常ルートで宇宙センターへ行くつもりだったが、標識に騙されて道を間違えて広田遺跡方面から回り込んで結構大変だった。雨の日だったな。7月10日だったかな。・・・と思って調べてみたら7月11日だった。惜しい。俺の記憶力も大したことないな。もう16年も前のことなのに犬土偶日記で簡単に調べることができる。あの頃はまだ種子島の地理に詳しくなかったんだよな。ロケットの丘でバスを降り、記念撮影。ガイドの人に頼めばスマホやカメラで写真を撮ってくれる。写真に自分が写るということが珍しい。いつも1人で風景ばかり撮っているからな。死んだ時に遺影に困るパターンのやつだ。もしかしたら今日の写真が俺の遺影に使われることになるのかもしれない。10分程度ロケットの丘に滞在し、次の場所へ。バスの中ではガイドの人がロケットの説明などをしてくれる。

次はロケットガレージ。H2Aロケット7号機の実機が置いてある。これまでは入り口から右奥の方まで入れたんだが、今日は入り口のところから覗き込むだけだった。中にあるものは変わらないが、見せてくれるものは少しずつ変わっているということか。ここでツアー参加者の人数を数えてみた。14人だった。定員は何人なんだろうか。まだ結構余裕はありそうだ。夏休み期間でも満員だった経験はないので、やはり予約は不要な気がする。念のため予約しておく方が安心ではあるが。


次は総合司令棟。ロケット打ち上げ時にここでいろいろやっているらしい。ここは撮影禁止。いつからだ?俺は過去にここで写真を撮ったことがあるぞ。犬土偶日記にも普通に写真を載せているはずだ。勘違いか?気になったので調べてみた。2007年8月5日2007年10月12日2016年2月20日、軽く調べただけでこれだけあった。前回来た2016年でも撮影禁止ではなかったようだ。ということは今回が初めてか。何故禁止になったんだろう。そんな見られて困るようなものもなさそうに思えるんだが。施設見学ツアーで司令棟に来なかった時もあった。ここで何かやっていて見学できず、代わりに竹崎展望台の中にある記者会見室みたいなところを見たことがある。ガイドの人によると、そこを見れることは滅多になく、激烈にラッキーだったらしい。

今回は大型ロケット発射場は見せてくれないようだ。俺も2回しか行ったことがない。レアな場所なんだろうか。数日前に打ち上げをやったばかりでまだ片付いていないのかもしれない。今回のツアーはハズレ回だな。行く場所が普段より1箇所少ない。

JAXAの広大な敷地内に点在するDQウォークのほこらを自動でルーラ登録しているが、100件までしか登録できないので要らないものを削除する必要がある。もう全キャラ全職レベルカンストしているのでメタルのほこらは捨てる。その際、クリアした冒険者の欄を見てみたら種子島に来て初めて他の冒険者がいた。しかも大量に。レベルカンストしていないプレーヤーはメタルのほこらは優先的に消化するものだ。ここに人がいなかったら種子島にはドラクエウォーカーはいないと言って良いだろう。大量にいたんだが、JAXAの職員なんだろうか。観光客なんだろうか。

宇宙科学技術館に戻り、バスツアーは終了。これから中を見物するのかなと思っていたら違った。竹崎展望台へ行く。ロケット打ち上げの時にマスコミ関係者が撮影する場所だ。裏には竹崎漁港がある。ここの建物の中には記者会見室があって、通常は入れないが前述の通り1回だけ見学ツアーの時に他の場所の代わりに見せてもらえたことがある。中には入れないが、外の階段を昇って展望台の上に上がることはできる。手摺にマスコミの会社の名前が書いてあったりして、会社ごとに場所が決まっているようだ。結構高いし勾配もキツいんだが、せっかく来たんだから一番上まで行くべきだろう。しかし女2人は下で待つと言う。男だけで一番上へ。さらに叔父は手摺を超えて裏の断崖の方へ。門倉岬の方も見えると言っていたが、俺は行かない。一応手摺を乗り越えて少し出てみたが、崖には近づかない。もし突風でも吹いて落ちたらどうするんだ。人生というのはほんの些細なことであっけなく終了するのだ。死んだら終わり。ここで死ぬか、この後何十年か生きるか、大きな違いだ。余計なことはしない方が良い。ここからの眺めはなかなか良いな。


種子島に来る直前、ロケット打ち上げが見れるかもしれない状況だったので古いスマホのバッテリーを交換した。今使っているスマホのカメラは完全なゴミ。デジカメもかなり古い。撮るなら古い方のスマホが一番良い。しかし無惨に島に来る直前に打ち上げてしまい、今回は見ることができなかった。せっかくバッテリーを交換したので一応古いスマホも持って来ている。バスツアー中に車内でガイドが解説してくれているのとか窓からの風景とかを動画撮影したりもした。この竹崎展望台からの風景も何枚か撮影した。展望台からの写真を載せてみる。色味がデジカメで撮ったやつと結構違うな。

階段を下りて、下で待っていた親達と合流。どこかで飯を食おうと言う。少しも腹減ってないんだが。朝食っただろう。このタイミングで食う必要があるのか。それに、食う場所もないぞ。これから門倉岬に行く予定になっている。その後、坂井神社の大ソテツを見るようなことも言っていた。一般的な昼飯のタイミングで飯を食える場所なんか全くないぞ。門倉岬の後、ソテツへ行く前ならギリギリ昼飯の時間帯と言えるかもしれないが、また南種子で飲食店を探すのか。昨日の店は味が薄いから違うところが良い。そもそも種子島は日曜はどこの店も休みなんじゃなかったか。

親が門倉岬に行く途中に飲食店はないかと言う。あるわけがない!凄まじい勢いで突っ込んでしまう。田んぼしかない地域だぞ。民家すらほとんどないぞ。飲食店なんか存在できる場所ではない。花峰小学校に忍び込んでインギー鶏を盗んで絞めて食うぐらいしか食料を入手する手段はないぞ。本当に種子島出身なのか。その地理感覚はおかしいだろ。まぁ種子島出身とは言っても子供の頃にいただけだからこんな南種子の方がどうなっているかなんか知るわけもないか。でも歩いて野間まで行ったみたいな話を普通にするからな。昔の種子島人の徒歩の行動範囲は今の人間の感覚とは違う。そう言えばインギー鶏は10年ぐらい前に天然記念物に指定されてもう食うことができないらしいな。交配した雑種のインギー地鶏という偽物なら食えるとか。食えるうちに食っておけば良かったな。インギー鶏というのは明治時代に台風で難破してこの近くに漂着したイギリスのドラメルタン号という船を地元民が助けてお礼にもらったと言われる鶏で、それを繁殖させてずっと育てて来たものらしい。そんな昔からいるやつで特に品種改良したわけでもない普通の鶏だから、別に美味いものでもない気はする。ここから門倉岬へ行く途中にある前之浜海浜公園にドラムエルタン号漂着之碑という石碑がある。島の北東の安城地区にある立山漁港には明治時代に漂着したアメリカ船のカシミア号を救助した記念碑がある。米國人漂着地阯という石碑。この島は難破船が漂着しまくる島だったんだな。

宇宙科学技術館へ戻る。土産屋を見るようだ。俺も適当に眺める。なんかショボくなっているような気がする。ここで親がパッションフルーツアイスを買ってくれた。店を出て休憩所みたいな場所で食う。昼のどこでもメガモンの水竜ギルギッシュを討伐、C。弟達が芋を買いたいと言う。宇宙センターに芋なんか売っているわけがないだろう。詳しいことは知らんが、糖度を上げるために一旦収穫してから土に埋めて熟成させるみたいな話を聞いたことがある。外に出しておくと冷えて腐るから温度変化の少ない地中で熟成させるとかどうとか。ということはやはりもっと寒い時期の作物なのだ。収穫自体もまだ始まったかどうか怪しいぐらいの時期だろう。まだ出回っていないのではないか。去年のやつの調理済み焼き芋の冷凍物とかならあるかもしれんが、生の芋はまだない気がする。秋というよりは冬のイメージがある。相変わらず紫芋が欲しいのか安納芋が欲しいのかよく分からんのだが、種子島ゴールドと品種名を出すからにはそれが欲しいということなんだろうか。まぁ何にしても芋の収穫時期等、詳しいことを知らないので叔父に聞いてみた。やはりまだ早いんじゃないかと言う。弟達が今度は安納こがねという銘柄を出してきた。相変わらず定まらないな。そちらは安納芋。白い皮のやつ。いずれにしてもまだ早いだろう。普通に売っているなら俺も欲しいが、どうせ買っても宅急便で送ることになる。岐阜に帰ってから良い時期にネット通販で買うのが一番楽なのではないか。通販より現地で買う方が安いんだろうけど。冬に親の同級生に頼んで送ってもらうのが一番安く手に入りそうな気はする。どうしても今回の旅行中に買わないとダメなのか?

宇宙科学技術館の中を見物しないまま外へ。まぁ何度も来ているし展示物もそう変わっていないだろう。門倉岬に直行するのかと思っていたが、赤米館に寄って行くことになった。そう言えばそんなのもあったな。赤米館の前には宝満神社がある。奥には宝満の池もある。宝満神社は道路から見える看板的な石碑は凄く立派だが、神社自体は凄まじくショボい。池も別に大したものでもない。しかし種子島マニアは一度は見ておくべきだろう。観光するようなところではないのだが、種子島には何もないからな。今回は神社や池は見て行かないようだ。赤米館で赤米を買うらしい。12時20分到着。一応赤米に関する展示物もあるが、かなり狭いので一瞬で見終わる。赤米はあまり売っていなかったが、親が少しだけ買っていた。赤米は普通の米に少し混ぜて食うもので、赤米のみを大量に炊いて食うものではない。だから何kgとか買うようなものではない。にしても小さい袋に少しだけ入っているみたいなのしか売っていないのもな。2回ぐらい炊いたらなくなるんじゃないか。もっと多めに500gとか売れないんだろうか。収穫量が少ないんだろうか。


12時45分頃、門倉岬に到着。駐車場が少し綺麗になっていた。便所も新しくなっていた。昔は野良猫がたくさんいたが、今日はいなかった。観光客が餌付けするから集まって来て大変なことになっていたんだが、いないということは駆除されてしまったのかもしれない。

日差しが強い。これは日焼けで死ぬ可能性が高い。日焼け止めを持って来るのを忘れたことを猛烈に後悔した。種子島に来る前の週間予報では10日の種子島は暴風雨だったはずだ。全然違うじゃないか。晴れたのはありがたいが、なかなか厳しい。

駐車場から鳥居をくぐって奥へ。アコウやガジュマルの木がある。セミがうるさい。ツクツクボウシの偽物みたいなセミがいる。可児にはいないやつだ。奥にはコンクリートでできた船の模型みたいなのがある。登ることもできるが階段の1段の奥行きが狭すぎるので横向きに昇る。別に船に乗っても何もないが、宇宙センター方面を向いているのでそちらの景色を見ろということなんだろうか。逆方向には屋久島が見えるが上の方が雲で覆われていて島の形ははっきり見えなかった。門倉岬は1543年にポルトガル船が難破して日本に火縄銃が伝来した場所。これによって戦国時代の戦が大きく変わることになった。北の方の西之表には鉄砲館という博物館がある。数少ない北の名所。若狭姫の墓とか鉄砲にまつわる名所は北に多い。ここはただ船が漂着した場所というだけ。奥には神社がある。社から少し離れた場所に神社と関係あるのかないのか全く意味の分からない鐘が設置してあった。以前来た時はなかったと思う。幸せの鐘というらしい。とりあえず鳴らしておく。神社にはおみくじの自販機みたいなのが設置してあった。弟が金をブチ込んだが何も出て来なかった。こういう島なのだ。金を騙し取ろうとかそういう悪意でやっているのではない。何もかもがテキトーな島なのだ。




歩数が貯まったのでエビルホーク千里行に切り替えて魔力のたてごとを発動。クソ暑いせいでスマホも熱くなって動きが鈍い。おどるほうせき3匹しか倒せなかった。心珠箱は1個。

来た道とは違う道から駐車場に戻る途中、ツクツクボウシの偽物みたいなセミを捕まえた。このセミは何故かあまり逃げないので簡単に捕まえることができる。やはり外見はツクツクボウシにしか見えない。でも鳴き方が全然違う。調べてみたところ、確信は持てないがクロイワツクツクというやつではないかと思う。やはりツクツクボウシの仲間なのか。

ほとんど何もない門倉岬に40分ほど滞在したらしい。13時20分に門倉岬を出た。親はまだ昼飯を食うことを諦めていないらしい。南種子で飯を食う流れ。もしかして飯不要と思っているのは俺だけなんだろうか。6年半前に来た時に親の同級生に連れて行ってもらった高級そうな店を発見したが休みだった。適当に南種子の街をウロウロしたがどこも閉まっていた。やはり日曜はダメなのか。結局、帰りにAコープで何か買って行こうということになった。別に無理して食わんでも良いのに。

国道58号を北上。昨日行った寺田葬祭や祖母が最期に入院していた種子島病院の前を通る。もう少し先の長谷の交差点を東へ少し行くと長谷展望公園がある。恵美之江ができる前は最も良くロケットの打ち上げが見れる場所だった。俺も2007年9月14日にそこで打ち上げを見た。月探査衛星かぐやを打ち上げた時だ。かぐやはもう使命を終えて処分された。打ち上げを見てから祖母の見舞いに行ったんだよな。あれから10日ほどで死ぬとは誰も思っていなかった。医者は分かっていたのかな。

長谷を通り過ぎて少し行った坂井にある坂井神社周辺にはいろいろ名所がある。日本一の大ソテツ、矢止石、古市家の住宅。大ソテツは10年ぐらい前に台風で枝が折れてだいぶ小さくなったが、まだ日本一なんだろうか。

まずは古市家の住宅を見る。ものすごく古い古民家。詰所みたいなところは閉まっていたが勝手に見て良い場所。奥の畑か何かで作業していた人が近づいて来て話しかけて来た。以前、ここの案内をボランティアでやっていたとかどうとかいう人で、いろいろ教えてくれた。弟達は全然興味がないようだ。6年半前に親と親の同級生と俺の3人で見に来たことがある。あの時から特に何も変わっていない。


坂井神社の大ソテツへ。樹齢600年とか700年とか書いてある。室町時代ぐらいからあるのか。鉄砲伝来の頃にはどれくらいのサイズだったんだろうか。その頃ですら樹齢100年とか200年とかだから既に結構な巨木だったんだろうか。ソテツがどれくらいの速度で生長するのか知らんけど。日本一とか言われても特にそんなに感動するようなものでもないな。


Aコープへ。飯を買う。寿司でも食おうということになった。昨日目をつけていたんだが、ここを逃したらもう買う機会はなさそうなので冷凍キビナゴを籠にブチ込んだ。これは自分用の土産として買って帰りたい。明日空港で買うのが楽ではあるんだが、空港は高いだろう。今日ここで大量に買うべきかもしれないと思ったんだが、2袋ぐらいしか残っていなかった。昨日はたくさんあったのに。まぁ明日空港で大量に買えば良いか。とりあえず今日のところは今晩の晩飯用に1袋にしておいてやる。この時は空港に売っていないという悲劇が待っていることを知らなかった。あとは焼酎。薄めて小さいボトルに入れてあるやつ。種子島の葬式とかの後に弁当について来るアレだ。中種子の島乃泉と南種子の南泉を買った。17度と12度。

15時10分、宿に到着。買って来た寿司を親が準備し始めた。晩飯じゃねーのかよ。昼飯のつもりだったのかよ。このタイミングで食ったらもう確実に晩飯は食えなくなるんだが、まさか晩飯も食うつもりじゃあるまいな。やっぱりおかしいよ。飯の頻度が高すぎる。

この後、西之表の親戚の家に行くらしい。牧川の墓の世話をしてくれていた親達の従姉の家。遠藤造園の近くの家だ。遠藤造園までは分かるがその先が難しい。まぁ叔父が場所を知っているだろうからどうでも良い。俺は行く必要がないんだが、行けるところは全て行く。何度か会ったことはあるが別に親しいわけでもない。実のところ顔もあまりよく覚えていないくらいだ。でも行く。弟達は宿で留守番。

16時頃に宿を出た。納官にある国道沿いの店に寄った。これから行く親戚の墓に供える花を買うらしい。野菜とかも売っていたのでいろいろ見てみた。巨大な安納芋が安く売られていた。芽が生えまくっている。ちゃんとしたやつは売っていなかった。やはりまだ時期が悪いんだろう。

親が一番下の叔母に墓仕舞いした墓の写真を撮って送りたいということで墓に寄って行くことになった。もうここに来るのもこれが最後だろうな。親が墓の近くに生えていた草を岐阜に持ち帰りたいらしい。ただの草にしか見えんが食えるんだろうか。綺麗な花が咲いたりするんだろうか。墓のすぐ近くのやつは上手く引き抜けなくて諦めかけていたが、墓地の入り口に近い場所にあったやつは上手く取れた。これを持ち帰って植えて無事に活着するかどうかは分からん。

この墓地の横に祖母の畑があった。もうどこから入るのかも分からないし入るのも不可能な雑木林になっている。収穫が遅れて巨大になったオクラがあったのを覚えている。種を採るためにわざと放置していると言っていた気がする。オクラが上向きに生えるのをここで初めて知った。そうだ、俺が家庭菜園に興味を持ったのは祖母のこの畑を見たのがきっかけだった。その種を採ると言って枯れるまで放置したオクラの実はしばらく祖母の家に置いてあった。結局祖母はその年に亡くなってその種を翌年に撒くことはなかった。でも俺がその種を持ち帰ってうちの庭に撒いたんだ。でも芽は出なかった。今(可児に帰って日記を書いている時)急激に思い出したんだが、そのオクラの実、まだ持っているぞ。祖母の葬式の時の香典返しのお茶を入れるビニール袋に詰めて持ち帰って、少し播種したが、残りがまだそのビニール袋に入ったままCDラックの棚の空いているところにブチ込んである。種だけの状態ではなく枯れた鞘のまま丸ごと何本かある。もう何年経つんだ。16年か。撒いたやつがダメだっただけで他はまだ生きていたりしないかな。春に覚えていたら育苗に挑戦してみようか。発芽しないだろうけど。これで芽が出たら凄いな。あの頃に種子島で食ったオクラの直系の子孫だ。まだそのまま残っているのが凄い。

住吉のデーリィ牛乳の看板が変わっていた。Skalになっていた。まだ牛乳も作っているんだろうか。もうジュースを作る会社に変わってしまったんだろうか。住吉から能野へ。2007年、バイクの鍵をポケットに入れたまま泳いで鍵が海に流されて消滅し、牧川まで10kmも徒歩で帰るという地獄を味わった、よきの海水浴場。1999年に来た時にはここで激しく日焼けして死にそうになった。背中が真っ赤に腫れ上がり、地獄を味わった。よきの海水浴場にはあまり良い思い出がない。波が強くて面白い場所ではあるんだがな。

新しくできた、というほどでもないが、だいわの新しい方の店(プラッセだいわ)の脇から山の上に上がって行くと墓地がある。そこから右へ曲がると遠藤造園がある。そこまでは分かるが、その先が全く自信がない。どうやって行くのか今回で完全に覚えようと思っていた。しかし、全然違うルートで行くことになった。西之表の市街地に到達する前にわかさ公園の辺りから東へ。ここら辺に祖母の妹が住んでいる。イケダパンの近くだから、来れば分かるから遊びに来いと言ってくれたあのお爺さんは亡くなったらしい。「イケダパンの近く」で分かるわけがない。小さい島だがイケダパンとやらを探すには広大すぎる。「わかさ公園の裏」とかの方が圧倒的に分かる。古田の親戚もヤギがいる家だからすぐ分かるからとか言っていたが、分かるわけがない。今なら分かるけど。今日はイケダパンの近くの親戚の家には行かない。近くを通り過ぎて山を越えて新しいだいわの方へ。これは県道76号だな。空港の前の道。川を渡ってプラッセの方へ行くかと思いきや県道76号を古田方面へ。反対側から回り込むのか。こちらの方から行く道は全く想像もつかん。たぶん県道76号からこの辺りで外れたことは一度もない。俺が走ったことがない道を通ることになる。それはそれで楽しみだが、なんか遠回りしているような気がする。どんどん確信に近づいて行く。そんな奥じゃなかったはず。辿り着けるのか不安になって来る。だいぶ奥で川を渡って山に上り、細い道に入って行く。八百津の山の中みたいな道だ。対向車が来たら鬱陶しそうだな。やはり叔父も正確な場所を知っているわけではなさそうで、結構時間をかけて墓のところまでたどり着いた。新しいだいわの脇を上がればすぐだったのに。ここから遠藤造園まではすぐに行けた。親は曲がる方向を間違えて覚えていた。俺がいなかったら面倒なことになっていたかもしれない。俺がいたところで遠藤造園から先が分からんのだが。変な場所に入り込んだりしながら、結局電話して住所を教えてもらってナビに番地を入れて探し当てた。思っていたよりも奥だった。曲がる場所は次来た時に自信を持ってここだと言える気がしない。難しい場所だ。

まだ祖母が生きていた頃から何度か会っているし、ここにも何度か来たことがあるんだが、親達の従姉ということしか知らない。鹿之峯に住んでいた人の娘なんだろうか。こんなところから牧川の墓まで頻繁に通って掃除したりしてくれていたらしい。なんでそこまでしてくれるんだろう。何か祖母に激しい恩でもあるんだろうか。もう墓仕舞いしたのでここの人達も解放された。遠藤造園の手前の墓地にはここの親戚の墓がある。そこに供える花を買って来ているが、夕方以降は墓に行ったらダメみたいな風習があるような気配。相変わらず何もかもがよく分からん状態。全然知らない人のところでもついて行く。行けるところは全て行くのだ。それで何か得られるわけでもないのだが、何か面白いことが起こるかもしれないからな。人生は何がきっかけで変わるか分からん。

なんだかんだ1時間半ぐらい話し込んだ。知らない人の話題とか、全然分からない。叔父は教師を辞めて養鶏場で働いているらしい。ジャンルが違いすぎる。インフルエンザのワクチン用の卵を作っているとか。なかなか普通の人が選ばなそうな道を選ぶところが種子島の血筋っぽいと感じる。変わり者が多い血筋だ。普通ここまで来たら定年までやるだろう。数年前にそこで働いている時に脳梗塞で倒れてドクターヘリで運ばれたらしいが、全く後遺症もないように見える。脳梗塞は再発の可能性があるので定期的に検査を受けているようなことを言っていた。ちょっと前にコロナにも罹ったらしい。結構キツかったようだ。

俺も今年1月にコロナっぽいのに罹ったが検査をしなかったのでコロナなのかどうかは分からん。俺はノーワクチンだが過去に罹ったインフルエンザと比べたらだいぶ楽だった。罹ったらインフル程度に苦しむことにはなるが、よほどのことがない限り死ぬような病気ではないと初期の初期から分かっていたので、俺はノーガード戦法で生きてきた。ワクチンもまだ1回も打っていないし、初期の世の中発狂状態でも余裕のノーマスクだった。結局コロナ自体はほとんど何も変わっていないのにみんなどうでも良くなってコロナ以前の暮らしにほぼ戻ったような状態になっても特に死者が急増して地獄みたいになったりはしていない。コロナなんか最初からカスだったということだ。ノーガードで普通に暮らしていれば良かったのだ。運悪く罹っても1週間苦しめば勝手に治る。病院に行っても行かなくても何も変わらない。1週間苦しめばいいだけ。もう完全に人類社会に定着してしまったので、今後誰もが何度でも罹るありふれた病気になった。気にする必要はない。罹ったら1週間我慢すればいいだけ。この期に及んでまだ恐れてるアホいるの?

種子島が想像以上に寂れているらしいという話を聞いた。もう種子島最大の市街地である西之表の街もめちゃくちゃ寂れてしまっているらしい。来る時にわかさ公園の裏を通って来たので西之表の街を見ていない。どんな感じになっているんだろうか。西之表の街はどうだか分からないが、今日まで中種子や南種子を見て来て新しいドラッグストアが大量にできているのが気になった。人口に対して新規出店数が多すぎるように感じる。岐阜もドラッグストア激戦区で頻繁に新しいドラッグストアができては潰れている。ドラッグストアチェーンが日本全国で戦争でもしているかのようだ。

18時15分頃に親戚の家を出た。予想通り大量の飯をもらってしまった。さっき寿司を食ったばかりだが、大丈夫なのか?明日は帰るだけだぞ。今日の晩と明日の朝だけでこんなに消費できるのか?まだ宿にも大量に食料が残っているぞ。だから無駄に買わない方が良いのだ。いつもいつも同じことを繰り返している。

18時50分頃に宿に到着。だいぶ遅くなったな。弟達は寝ていた。暇だっただろう。太陽の里に散歩にでも行けば良かったのに。動物がいるはず。まだいるのかどうか分からんが。

夕方に昼飯を食ったばかりなのにもう晩飯だと。食えるわけがない。しかし食わねばならん。もらってしまったのだ。寿司以外にもいろいろ買ってしまったのだ。無駄に買うなと言いつつ俺も冷凍キビナゴとか落花生甘納豆とか安納芋羊羹とかいろいろ買ってしまっている。キビナゴを全部焼いてもらった。無理してでも食う。キビナゴの一夜干しを冷凍したやつだが、程よい塩辛さで美味い。これを是非自分用の土産として大量に買って持って帰りたい。記憶にある味より塩味が薄かったが、美味かった。キビナゴのことを種子島ではザコと呼ぶ。まぁ雑魚なんだろうけど、俺的には主食にしたいぐらいだよ。飲食店に行くと大抵刺身で酢味噌をつけて食う感じで出てくるんだが、丸ごと塩焼きが美味いよ。

今日拾ったほこらを必死に消化。グラコスD4C4、ガメゴンロードB2C1D7。レアモンもそこそこ拾えて心珠Pが増えた。

ここで予想外のことが起きた。薄めてアルコール度数が低くなっている焼酎を買ったので油断していたんだが、勢いよく飲みすぎたらしい。急激に凄まじく酔いが回って大変だった。普段は様子を見ながら危険を感じたらセーブできるんだが、ヤバいと思う間もなく一気に来た。キビナゴで喉が渇いたせいで飲む勢いが増してしまったのかもしれない。急激な便意にも襲われた。で、便所に入ったんだが、便器に座ったまましばらく寝てしまっていた。誰も何も言わなかったからほんの数分だと思うんだが。これはさすがにヤベーなと思った。午前に観光で歩き回った疲れも一気に出て来た。満腹感も凄い。ちょっと動ける気がしなかったので横になった。少し寝てしまった。

起きて本日最終のどこでもメガモンの水竜ギルギッシュを討伐。当然にD。そう言えば15時で週末の覚醒千里行も終了している。結果は魔力のたてごと3回発動して12匹倒して心珠箱3個ドロップ。野良で6匹倒して心珠箱4個ドロップ。かけら交換で1個。計8箱。開封結果は、A5 B3。無惨にSなし。

夜遅く、喉に痛みを感じ始めた。嫌な予感がする。扁桃腺が腫れている時の痛みに似ている。飲み込む動作で軽く痛む。右の奥だけ。キビナゴのヒレか何かが刺さっただけの可能性もなくはないが、感染症にやられた可能性がそこそこあるような気がする。ただの風邪なら良いが、種子島に来る途中の名鉄とか中部空港とかでコロナにでも感染していたら大変だ。俺自身は別にどうでも良いが、これまで会った人達に感染させてしまっているかもしれない。コロナは感染力は強いからな。種子島は老人が多い島だ。コロナがいくら雑魚とは言え、超高齢者や弱っている人にはなかなかキツい。まぁ今さらどうしようもない。

24時頃に寝た。クソ寒い。寝る時にエアコンがついているというのが俺にはキツい。エアコンが壊れてもう10年ぐらいになるだろうか。壊れた当初は暑さにも寒さにも耐えられず死ぬほど苦しんだ。しかし暑さは2年か3年で簡単に克服し、今では冷房が寒すぎてつらいという状態になってしまった。夏に喫茶店やパチ屋で長時間過ごすことができない体になっている。本屋で立ち読みも夏は無理だ。そんな俺が冷房つけっぱなしの部屋で寝るなんてあり得ない。喉の痛みはこの寒さのせいかもしれない。ちなみに、寒さは何年経っても克服できずにいる。冬は地獄だ。

実質的に今回の種子島旅行はこれで終わり。明日は帰るだけだ。本当に片道だけで1日潰れる。気軽に来れないんだよな。台湾とか韓国の方が簡単に行けるんじゃないのか。明日は出発前にふれあいの里の事務所に寄って中種子町施設予約システムの利用者登録の本登録をせねばならん。2月頃に仮登録をしてそのままになっている。仮登録はネットで、本登録は現地でという意味不明なシステム。現地に行くための予約をしたくて登録するのに現地に行かないと登録できない。本登録してももうここには来ない可能性が結構高いので無駄になるかもしれない。宿を出たら空港の土産屋で焼酎やバンドメンバーの土産を買って宅急便で送ってもらう。あとは帰るだけ。鹿児島空港でも何か買ったりするかもしれない。本当に明日は帰るだけ。夕方遅くに中部国際空港に着く。そこから名鉄でさらに2時間だ。可児に着く頃には完全に夜。マジで1日潰れる。飛行機の直行便があればもっと簡単に行き来できるんだが、需要がなさすぎるから直行便なんか永久にできない。もう中部から鹿児島の便すら消滅寸前の状態だからな。さて、今後また種子島に来ることはあるんだろうか。毎回これが人生最後の種子島かもしれないみたいに言っているが、今度こそ本当に最後になるかもしれない。宝くじを当てて移住したい。まだ諦めない。

Info.
公開日時2023年10月25日 09時35分12秒
本文文字数30838文字 (タグ込み)
URLhttps://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20230910
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