海の近くに住みたい
話題:ライブ鑑賞
公開日時: 2020年11月21日 08時45分12秒
今日はB'zのライブ。ネット配信なので家でくつろいで観れる。観ながら飲んだり食ったりするものを買いに行かねばならん。ついでにDQウォークだ。昨日からレアモン2週目。適当に狩ってから食料を買いに行くのが良いだろう。ほこらも潰しておきたい。
というわけで準備して外へ。まだ昼だから暖かい。横市の方へ下りて塩河の谷を回る。かなり奥まで行く。結構大変なんだが、そういう大変な場所に何故か良いほこらが多い。あくまのきしとサブナックは完全無視。それ以外は現場で狩る。横市で本日2匹目ぐらいのボーンナイトがSを出してくれた。塩河の谷を回るだけで結構な時間を消費した。レアモンはあまりなかった。谷を引き返して塩へ抜ける。そのままGENKYへは行かず、可児川駅の方へ。花木センターから土田・今渡を適当に回る。この辺りはほこらをほとんど潰しているのでサクサク進める。しかしやはりレアモンが思ったほど落ちていない。絞っているな。ライブの時間も迫っていたので深追いはせずに戻る。GENKYに寄って酒や菓子などを買い込んで帰宅。
B'z SHWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day3。今週は1999年からのやつ。2005年くらいまでかなと思っていたが、2003年までだった。32年を5回に分けてやることになっているが、残り2回であと17年をやるのか。まぁとにかく今週は1999〜2003だ。この時期はアルバム「Brotherhood」から「BIG MACHINE」の頃だ。Brotherhoodが発売されて1ヶ月ぐらいの頃に種子島に行った。その時に種子島に持って行くために小さいギターを買おうと思い、FERNANDESのDIGI-ZOを買ったのだが、それが今ではメインギターになっている。スタジオやライブではレスポールだが、家ではこれだ。もう20年にもなるんだな。あの時の種子島には妹も一緒に行った。3歳ぐらいだったか。もうとっくに大学も卒業して社会人だ。あの時の種子島では、よきの海水浴場で死ぬほど日焼けして大変だった。背中や腕がただれてアホみたいに薬を塗る地獄。2005年には福井の海でもっともっと激しい死に方をするんだが、それまではこの時の種子島が人生最大の日焼けだった。あの年の種子島は激しい日焼け以外の記憶はあまりないんだよな。なんでだろうな。今とは違ってそれほど種子島に興味がなかったのかもしれないな。2001年秋には人生初のバンド、Beginner's Rockを結成した。9.11のテロの頃。2003年ぐらいには常軌を逸したレベルの不運を長期間食らい続け、パチの資金が尽きるという悲劇も味わった。何度も休学しながらダラダラ続けていた大学生活にも終止符を打った。一時期金欠でライブに行けなくなったが、まだライブ行きまくったりネットにハマったりというのが続いていた時代。ほとんどゲームをやらなくなったのとバンドを始めたのと大学を辞めたのが大きな変化だろう。世間的には、ノストラダムスの大予言、2000年問題、沖縄サミット、小泉政権による構造改革、9.11同時多発テロ、アフガン・イラク戦争というようなことがあった時期。そんな頃の曲のみで構成されるライブ。
ギター演奏の観点から言うとアルバムBrotherhoodは相当に難易度が高い。曲単体ではもっと難しいのはいくらでもあるんだが、アルバム全体としての難易度は最高だろう。これが出た頃はまだ初心者だったから弾ける曲がほとんどなかった。このアルバムのオフィシャルバンドスコアはヨシヅヤで買った。1階の今は化粧品売場になっている辺りに本屋とCD屋があった。そこで買った。2002年の松本孝弘のソロアルバムDRAGON FROM THE WESTのバンドスコアはあおい書店で買った。どこで何を買ったとか結構覚えているものだな。このアルバムBrotherhoodの中で一番簡単な曲は夢のような日々だろうか。まぁコードをジャカジャカ鳴らしているだけみたいな曲だからそれはどうでもいいか。それ以外だとアルバムと同名の曲のBrotherhoodが一番簡単だろう。当時ギター歴2年ぐらいで初心者にはキツめのギターソロだったが、これが弾けるようになって自信を持つことができた。練習しまくれば俺でもできる。当時毎日3〜4時間練習していた。これをキッカケにしてますますギターにハマって行くのだ。Brotherhoodの後、ながい愛、SHINE、ギリギリchop、F・E・A・Rに手を出し、何とか弾けたのはながい愛だけだった。SHINEはギターソロがダメだった。他は絶望的。SHINEやギリギリchopはもっと後で弾けるようになるのだが、この時はこれ以上は無理だった。次のアルバムELEVENはかなり難易度が下がり、結構弾ける曲が多かった。俺の演奏力も上がっていたんだろう。この辺りからBIG MACHINE、THE CIRCLE、MONSTERと、難しい曲もあるが全体的に簡単な曲が多いアルバム連発され、中級者の領域に足を踏み入れた俺にはちょうど良い難易度だった。今回のライブはBIG MACHINEまでなので、THE CIRCLE以降は次の話。今回のライブは、俺がギターにハマり、急成長した時期。
98年秋にPCを買い、99年にネットをやり始め、今はなき、とあるサイトの常連達と仲良くなり、その仲間内でWebサイト作成が流行り、自分のサイトを作るようになった。HTML、CSS、JavaScript、PerlのCGIなど、どんどん深みにハマって行き、単に「ホームページ作成ソフト」的なもので静的なページを作るだけみたいなのよりかなり高度なことをやるようになって行った。当時の仲間達がみんな好奇心や向上心に溢れる人達で、単純なものでは満足せず次から次へと面白いものを追求して行くタイプだったからだろう。大いに刺激を受けたし、趣味の幅が大きく広がった。あれだけハマっていたゲームはもうほぼやらなくなっていた。他者から与えられるだけの「消費」に飽き、自らの力を使ってやる能動的な「趣味」に目覚めたんだろう。ギター演奏、作曲、Webサイト作成、サーバーサイドプログラミング等々。ブロードバンドが普及し、うちもCATV回線になってますますネットにハマって行く。法学部だったが法律など一切学んだ記憶はない。趣味に全力。そんな折、数年ほとんど音信不通状態だった椅子タンと再会することになる。弟が椅子タンの家に遊びに行った時に連れて帰って来たんだったか。会わなかった数年の間に俺はギターをそこそこ弾けるようになっていたしWebサイト作成してCGIプログラミングとかやっていたし、ビックリするほど変化していた。Webサイトのライブレポというコンテンツのためというのもあり、いろんな歌手のライブにも行きまくっていたし、プログラミングの練習で作った登山日記というブログ系CGIコンテンツに文章を書くために鳩吹山にも登っていた。椅子タンも好奇心旺盛なので、一緒に鳩吹山に登ることになり、ライブも一緒に行くようになった。ミスチル、ジュディマリ、TMR、ELT、SURFACEなどいろんな歌手のライブを観に行った。ELTのライブの帰りに、CHOSANGが会社の人と2人でスタジオに入って楽器演奏しているが物足りないから楽器できる人を集めてバンドをやりたいということで、そういう人を探しているという話が椅子タンからあった。CHOSANGは中学の同級生だが面識はなく、存在も知らなかった。向こうは俺のことを知っていたが。CHOSANGと椅子タンは高校が同じだった。俺がいつの間にかギターを始めてそこそこ弾けるようになっていることを知り、椅子タンがCHOSANGに話を持って行ったようだ。俺は最初はめんどくせーと思いながら渋っていたが、何度か誘われるうちに折れて行くことになった。その流れでBeginner's Rock結成ということになった。椅子タンは最初は俺の送迎と好奇心からの見学だけだったのだが、暇なのでドラムを叩いているうちに正式メンバーになった。最初から少し叩けたのはドラムマニアというゲームのおかげ。ゲーセンでよくやっていたようだ。それに俺がプレステ2を買った時に何となく買ったドラムマニアを椅子タンに長期間貸していたのもある。当時金は有り余っていたから、やりもしないプレステ2も買っていた。金が有り余っていたのはパチのおかげ。パチを始めたのは大学に行ったおかげ。いろいろな要素が微妙に少しずつ絡み合ってバンドに繋がって行く。こうなるようにできていたとしか思えない。
バンドを始めて自分のリズム感のなさを思い知らされたりもした。それまでCDに合わせて弾くことしかなかったからリズムなんてそれほど考えたことがなかった。自分がズレても本物の音がガイドしてくれるからいくらでも復帰できる。しかしバンドでは俺が弾くパートは俺の音しかないから、合わせる基準がない。他のパートの音を聴いて合わせるということをここで初めて知ることになる。普通はそうなんだよな。俺は自分が弾くパートの音だけを聴いてそれに合わせてやっていたのだ。他のパートに合わせるという概念がなく、どうやって合わせるのかも分からないほどの状態だった。そこそこ弾けるのに全然合わせられないという異常な状態。バンド初期は俺の壊滅的なリズム感のなさでメンバーに迷惑をかけたと思う。大袈裟ではなくリズムという概念がなかったかもしれない。拍を数えていなかった。伸ばす長さは毎回感覚で適当。他に合わせるのも不可能だから他の人が俺に合わせてくれないと無理。しかし拍を数えていない奴に合わせるなんて無理。合うわけがない。そんな状態だったよ。あり得ない。もしバンドをやっていなかったら、もしかしたら今もそんな状態だったのかもしれない。凡人の平均を大きく下回るリズム感でどうやってもタイミングが合わない状態からどうやって常人の域まで到達したのか。まず他のパートを聴きながら頭の中で自分が演奏すべき音を再生する練習。これが既に合わないから無理なのだが、脳内で自分が弾くべきパートをそこそこ再生できるようになったら今度はそれに合わせて自分が弾く。ここでやっとCD聴きながら弾くのに近い感覚になる。他のパートに合わせているのではない。脳内で鳴らしている自分のパートに合わせている。根本的におかしい。ここまで、自分が弾くべきパートが抜けたオケを聴きながら脳内で自分のパートを想像できるようになるまで数年。普通の人には何言ってるのか意味が分からないだろう。普通に拍を数えながら弾けばいいだけだからな。それができないほど音楽的な能力が低かったんだよ。拍を数えると脳の処理が追いつかない。余計できなくなる。メトロノームに合わせて練習とか、言いたいことは分かるがそんなのは不可能だ。最初の1音だけは合わせられる。次の音は合わない。ずっと8分音符で刻むとかならできるが、途中で伸ばしたりすると次が合わない。ウラに合わせるなんてのは絶対不可能。2倍クリック鳴らせばウラも取れるかというとそうではない。音が増えすぎてどれに合わせればいいか分からない。体の中で一定の速度を維持できていないからどのタイミングの音なのか理解できないのだ。本当に何を言っているのか、音楽をやってない人でさえ理解できないほどの音楽能力の低さだろう。俺ほど音楽に向いていない人間はいないと思う。絶望しかないレベル。それでも今はそこそこできる。もちろん今は他のパートを聴きながらやっているし、拍も数えているからオケなしでもある程度は弾ける。昔はなんでこんなことができなかったのか分からないほどまで成長した。リズム感に関してはやっと常人レベルだろうか。長い年月かけて、脳の音楽に関する部分の構造が変わったんだろう。無能でもアホみたいに練習すればそこそこの領域には到達できるのだ。継続は力なりと言う。まさにそれ。それが全て。ギターに限らずほとんどのことがそうだろう。頑張りたくない奴には頑張りたくない奴に相応しい人生がある。人生何事もやるかやらないかだけ。大して弾けるようにならないまま挫折する奴なんてどんな言い訳しても無駄。ただ練習していないだけだとしか思わない。挫折したんじゃなくて何もしなかっただけだろう。こんな俺ですらここまではできたんだから。ということで、すぐ諦める人や何年やっても全然弾けない人は割と冷たい目で見ている俺である。ギター以外のことに関しても同様。向上心がない奴の人生はつまらない。口だけの奴と実際に成長する人には明確な差がある。そういうことを俺はギターで学んだ。普通は受験とか部活とか仕事とかで学ぶんだろう。
まだ惰性で大学生活は続けていたし、収入を得る手段が相変わらずパチンコパチスロしかなかったから、パチも継続していた。だが、パチの方もだんだんいい加減になって行く。時代の変化について行こうとしなくなった。大量獲得機、CT機、AT機といろいろ出て来ていたが、真面目について行ったのはそこまで。ストック機はやる気が起きなかった。ハイエナでアホみたいに稼げる時代の到来だが、ハイエナという行為が嫌だった。時代遅れのAT機や大量獲得機にしがみついてチャンスを棒に振り、そこに長期的な不運が重なって死ぬことになる。2003年後半ぐらいだろうか。博打は資金が尽きたら終わりだ。昔買い漁ったゲームや音楽DVDなどを売りながら毎週のスタジオ代を工面し、飯は3日で2食、米と具なし味噌汁のみという生活。憐れんだバンドメンバーが飯を食わせてくれたりした。人生で最も落ちぶれた時期。今の時代にリアルに餓死を意識する領域まで行く人はなかなかいないだろう。この世で最も価値の高いものは食糧である。それをこの時期に完全に理解した。食糧は人命よりも尊い。人が生きるための食糧なのに人の命より価値が高い。金で食料が買える時代がいつまでも続くとは限らない。食料自給ということもこの頃から意識し始めた。食い物を粗末にする奴は許せない。飲食店で明らかに食えない量を注文して残したり、まだ食えるのに平気で捨てたり。今、日本だけ見れば食糧は足りている。自給率は全然足りないが、今のところは外国からも十分な量が入って来る。将来、世界的な異常気象や途上国の人口爆発で絶望的に食糧が不足し、いくら金を出しても食糧が手に入らなくなる可能性がある。その辺は個人で準備しておくべき。家庭菜園ナメるなよ。食糧がなくなってから急に始めても満足に収穫できると思うな。今のうちから鍛錬しておけ。今は日本ではまだ金さえ出せば貧しい国の人間を見殺しにしながら余裕で飲食物が手に入る。世界で見れば既に全然足りていない。日々廃棄される分なども全て分配できるとしても、それでも人類全体では食糧が全然足りていない。日々世界中で大勢餓死する中で醜くブクブク肥えているデブはどういうつもりなんだろう。痩せるためとか言って無駄に運動してるフリを見せつけて頑張っているアピールなどをしても無駄だ。そもそも食わなければいいだけだ。痩せようとか言う前にまず食うなデブ。最初から太るな。食糧を粗末にするな。こういう食糧に関する件は冗談に見えても結構本気で言っている。この2003年ぐらいの時期の飢餓体験によって普通の人が感じているよりもデブが醜悪に見えている。結局、ジリ貧の状態を続けていても売る物がなくなって完全に詰むので、パチの激アツイベントに合わせて売れるものを一気に大量に売って資金を作り、一か八かの起死回生の勝負で復活することになる。あの時負けたらどうなっていたんだろう。ギャンブラーにもほどがある。負けて別の道を探した方が結果的には良かったかもしれない。まぁその後も完全復活とは行かなかったわけだが、それは次回に。
俺が初めて観たB'zのライブは2000年のPleasure 2000 -juice-。ナゴヤドーム。7月22日と23日の2公演。一般で取った席なので超絶ウンコだった。ステージの斜め後ろ。ステージ裏にテレビとしては超巨大だがライブ用のスクリーンとしては激烈にショボいものが設置されていて、それを見る感じだった。ステージセットの骨組みの隙間から僅かに見えるだけ。たまにステージ端の花道に来た時に見える程度。死ぬほどリダイヤルしてやっと取ったチケットでこんなクソ席。当時はネットでチケットを取るという仕組みがなかった。発売日の発売開始時刻前から電話の前にスタンバイ。一度電話番号を入力していつでもリダイヤルできる状態にしておく。開始10秒前ぐらいから猛烈にリダイヤルアタック。1時間以上ひたすらリダイヤル。かけた瞬間に話し中の音が鳴るのはハズレ。しばらく無音が続いてから話し中になるのは惜しい状態。惜しいのが頻繁に出るようになるとそろそろ繋がる可能性が上がって来るが、それは電話をかけている人が減っているということ。売り切れの可能性も高い。絶望的に繋がらなくても必死にひたすらリダイヤル地獄。そんな苦労をして取ったチケットがマジでクソ。一般席の時点でウンコなのだ。ライブは非常に良かったのだが、席のクソさに一発でキレて、即FCに入会。その後はFC会員優先予約で楽に取れるようになったし、そこそこ良い席も取れた。今は一般でもネットで抽選とかだから楽だよな。猛烈リダイヤルアタック1時間とかクソみたいなことをしなくていい。そう言えば、この時のライブであり得ない奇跡が起きた。斜め後ろの席に従兄夫婦がいた。5万人入るドームでそんな偶然が起こるのか。どんな確率だよ。今でも信じられない。Pleasure2000の時のサポメンは増田・満園・黒瀬。今日の配信ライブのメンバーとほぼ一致。当時の感じが再現される。Brotherhoodの頃の雰囲気が好きなので今日のライブは非常に楽しみだ。曲に関してはDay2が一番楽しみだったが、ライブとしてはこのDay3が一番楽しみかもしれない。長々と書いて来たように個人的な時代背景にもいろいろ思い入れがある時期だし。なんかもう前置きが長すぎて肝心のライブ部分の日記は短くなって終わりそうだな。
まずはFC会員しか見れない特典映像。インタビュー30分。インタビュアーが松本に当時ギリギリchopが難しいと言っていたが今でもダントツの難しさですかというようなことを聞いていた。当時も特にギリギリchopに限定せず、アルバムBrotherhood全体が難しいというようなニュアンスで答えていたはずだと思う。実際、同じアルバムの中にギリギリchopより難しい曲が何曲もある。こうやって微妙に歪められてギリギリchopが異常に難しいという印象が蔓延している。うーん、まぁ難しいと思いますよ、みたいなハッキリと断言はしない答え。ギターでB'zの曲を弾いている人なら分かると思うが、言うほど難しくないんだよな。ちなみに難しいのはギターソロの部分ではないよ。たしかに、かなり難しい曲なんだが、そんなダントツとかいうレベルではない。B'zの曲の中でも上の中ぐらいだろう。もっと難しいのなんていくらでもある。だが、世間ではギリギリchopは死ぬほど難しい最高峰の曲みたいなイメージがある。だからYouTubeとかでB'zの曲のギター演奏動画をUPする人は必ずと言って良いほどギリギリchopをやっている。手軽に凄さを見せつけることができるからだ。人にすげーって思ってもらう目的ならなかなかにコスパが良い曲なのだ。「難しいことで有名な曲」だが実際はそれほどでもないという。ギターを始めてから3000時間ぐらい練習すればそれなりにできるだろうか。たった3000時間でギターをやらない人やギター初心者を騙せるのだからコスパ良すぎだろう。しかし3000時間を「たった」と思えるかどうかというところは人それぞれか。個人差もあるんだろうな。ギター始めた瞬間からこの1曲のみを練習すれば1000時間もかからないかもしれない。いや、無理か。センスある奴なら可能かも。まぁちゃんと練習すればギター歴3年程度でも何とか形にできる。「ちゃんと練習する」の意味も人それぞれだから全然できない人もいるだろう。実際どうなんだろうな。ギターやっている人の成長を何人も見て来たわけではない。俺1人しか知らないから俺基準で語っても他人には全然当てはまらないかもしれない。でも先述した通り俺は素質面で圧倒的に凡人以下だからな。いくら俺が劣っているからと言って、凡人以上なら1000時間以内でも楽勝ということは絶対にないと思うが。逆に5000時間以上かかるみたいなことも考えにくい。3000時間というのはまぁまぁ妥当な時間なんじゃないかなという気はするがどうだろう。
さて、Day3のライブ。いつものOFF THE LOCKのBGMのオープニングから始まり、廊下で気合い入れをするメンバーの映像。そのままステージに上がり、各々適当に音を出し始める。そのまま勢いをつけてライブ開始。まずはギリギリchopから。シェーンのドラムに慣れているせいで黒瀬のドラムの雰囲気が異様に懐かしく感じる。やはりBrotherhoodの頃は黒瀬のドラムがいい。Day3とDay4はリズム隊のメンバーが今までと違う。黒瀬蛙一のドラムと満園庄太郎のベース。俺がB'zのライブを見始めた頃のメンバーだ。ギターの大賀はその頃はまだいなかったが。
ながい愛、F・E・A・Rと難曲が続く。そして、アルバムELEVENからSeventh Heaven。冬の鳩吹山を思い出す。よくELEVENを聴きながら登っていたからな。ネットにハマっていた時期だな。
次の野性のENERGYで稲葉の声がおかしくなった。音が割れる感じ。ここまでの激しい曲でもう声がダメになったのか。もしかしてまたHINOTORIやDinosaurの時のように喘息で終わるのか。いや、今回のライブは生配信ではない。問題があれば撮り直すはず。放送開始している時点で大丈夫なはずだ。しかし最後まで行けるのか不安。
次のMayはライブ前のインタビューで稲葉が歌いにくい曲だと言っていた。何故か歌いにくいから今まで避けてあまりやらなかったらしい。今回歌ってみたら昔ほどの歌いにくさはなかったと言っていた。B'zの曲の中では音域が高いわけでもない。何が原因なんだろう。俺はこの曲はかなり好き。曲そのものではなく、この曲をよく聴いていた頃の思い出も込みで。2000年5月末頃に出た曲だと思う。ネットで知り合った人達と夜な夜なチャットで遊んだりしていた。既に英語の単位が取れないのが確定して留年決定みたいな感じで相変わらず大学なんかどうでも良い状態。1年で取るべき単位をまだ取っていない状況。同級生は既に卒業してしまい、大学での人間関係も変わっていた。そろそろ33kbpsの電話回線を卒業してCATVに乗り換える頃。CATVは最初は10Mbpsだったかな。もっと遅かったかもしれない。何回かに分けて勝手に速度が上がって最終的には30Mbpsになったんだよな。1Mbps→10Mbps→30Mbpsという流れだったかもしれない。そこら辺はハッキリとは分からないが、ナローバンドのアナログ回線からは劇的に変わった。何より常時接続というのが大きい。当時はプロバイダも月15時間までいくらでその後は何分ごとにいくらとかクソみたいな料金体系だった。その上プロバイダとは別に電話代がかかるという地獄のような状況。ネット使用中は電話使えなかったしな。懐かしい。今では考えられないよな。たった100KB程度の画像を読み込むのに何分もかかるとか。3〜4MBのMP3を1曲ダウンロードするのに30分とか下手すると1時間とか。今はフルHD動画のストリーミングでも遅延なくスムーズに再生できる。密かに凄く進歩している。20年だもんな。3歳だった妹がもう社会人だもんな。
稲葉の声はMayが終わるまで戻らなかった。次のGOLDは歌いやすい曲なので歌いながらでも休憩になったのか、ここから復活。プロは途中でおかしくなっても復活するから凄いよな。素人はカラオケの途中で声が枯れたらもうその日は二度と復活しないよな。どういう仕組みなんだろう。まぁとにかく、喘息再発ではなくてホッとした。
稲葉がアコギを抱えて次の歌。2002年のアルバムGREENからBlue Sunshine。GREENツアーのナゴヤドームにネットで知り合った人と一緒に行った。なかなか良い席だった。GREENツアーではベースがMR.BIGのビリー・シーンだった。ドラムはここからシェーンになった。ここからごく最近までずっとシェーンだったと思う。前ツアーからブライアンになった。GREENツアーは夏だったな。その年の春に新PCを買ってビデオキャプチャボードを載せて音楽番組を録画して動画編集したりしていた。MPEG2で録画して1時間で6GBぐらい。それをTMPGEncというソフトでMPEG1にエンコード。膨大な量の動画を編集したりエンコードしたりしていたな。バンド活動は長い長い潜伏期。結成時、椅子タン以外全員ギターという状況で、俺はギターしかできないのでCHOSANGがベースに転向。椅子タンも少しドラム叩けるとは言え完全な初心者。その状態で松本孝弘のGO FURTHERとかSEX MACHINEGUNSのファミレスボンバーとかかなり無茶な選曲でやり始めたためになかなかライブやるなんてところまでたどり着けず、2001年秋から2002年いっぱいはひたすらスタジオで練習していた。懐かしいな。
Blue Sunshineが終わり、ステージセットを変えるということで、稲葉と松本がステージから出る。雑談しながら会場内を歩き回る。Day2の時にlove me, I love youを歌いながら歩いた場所とかも。最後にたどり着いた場所にはテーブルとソファーがあり、テーブルの上には楽譜や歌詞のファイルがあった。それを見ながら雑談し、Thinking of youをアコギのみで歌ったりする。じゃあこれはできる?とか言ってBlue Sunshineをやり始める稲葉。さっきやったばかりだろというボケをかました後で、熱き鼓動の果て。1コーラスやったところでそろそろ準備ができたのでステージに戻って続きをやろうと。
ステージはだいぶ変わっていた。バンドメンバーが円形に並んで内側を向く配置。後ろの壁は全体がLEDのディスプレイ。熱き鼓動の果ての続きをやり、次は今夜月の見える丘に。そしてIT'S SHOWTIME!!へ。BIG MACHINEの頃は稲葉の声の調子が悪かった。当時は何も言わなかったが、声帯に水ぶくれができてツアー後に手術したらしい。初のソロライブの時もあまり調子が良くなかったようだ。ソロライブDVDを見てもあまり良い感じではない。その初のソロライブ、愛知のレインボーホールの公演にFC抽選で当選したのだが、先述の激烈な金欠で金を工面できず、参加を見送るしかない状況だった。プロバイダの金も払えずに何度かネットを止められたりもしていた。そこまで追い詰められていた2003年。ソロライブ自体は翌年だったと思うが、金を振り込むのはもっと前だからな。B'zのライブは金欠死するギリギリ前に金を振り込んだんだろう。もしかしたら相当無理して参加したのかもしれない。今思うと不自然なまでに唐突な死に方だな。2002年は普通だったのに。むしろ2002年は好調だった気さえする。そこからどうやって急激に追い詰められたんだろう。パチで半年以上に及ぶ長期的不運を食らったんだが、別に何百万も負けたというわけではない。年間トータルで初めてマイナスにはなったが、50万程度のマイナスだ。新PCや大学にもだいぶ使っただろうが、たかがその程度で飯もまともに食えなくなるほど困窮するだろうか。どうしてそこまで追い詰められたのか、自分でもよく分からん。BIG MACHINEツアーではステージでバイクのスタントをやっていた。バンドの後ろで恐ろしく高いジャンプ台でアクロバティックにバイクが舞っていて気になって歌を聴くのに集中できなかった。金がなくなって飢餓に苦しみながら家に籠ってギター練習ばかりしていた時代かな。それもまた良い経験になった。不思議とBIG MACHINEを聴いてもつらいとか苦しいとかいう感情にはならない。
次はライブで結構高い確率でやるjuice。メンバー紹介。ギリギリchopのカップリング曲のONE。そしてBrotherhood。やはり1999年から2000年ぐらいの曲は良い。曲が良いというか、当時の記憶とセットで良いと感じる。昔を懐かしむのは良くない傾向だ。今を楽しめていないということだからだ。常に「今」が最強であるべき。Day1かDay2の時に書いたが、今日もそれを意識してしまう。やはり今を楽しめていないんだろうか。変化に乏しくなった。いや、この1年、ドラクエウォークを激しくやったが、その前はやっていなかったわけだし、激しく変化はしているんだろう。今年はやけにアニメを見るようにもなった。新型コロナの影響でバンド活動を2月から休んでいる。どうやら椅子タンの嫁がコロナ脳らしく、OKが出ない。変化はしているんだろう。その変化をリアルタイムでは実感できていないだけ。変化すれば良いというものでもない。今を楽しめているかということが重要。昔を懐かしんでばかりいるのは非常に良くない傾向だ。懐かしむのはライブで昔の曲を聴いている時だけでありたいものだ。こんな風に、今を楽しめていないかもしれないと疑問を持つこと自体がもうダメだ。やれることを全力でやっていない。まだ余力があるからそういうことになる。まだ生きていたとして10年後20年後に今年の自分を思い出してどう思うだろうか。
最後はultra soul。いつの間にかB'zの代表曲みたいになっている。Day3でultra soulをやらないという選択はあり得ないだろう。1曲目に来るかなと思っていたんだが、最後だったか。最後はBrotherhoodで締めると思っていた。今日のライブはかなり良かった。黒瀬がやたら楽しそうだったな。また来週。
次は2004年からいつまでかな。残り2回で17年分やるから区切りが読めない。ライブ後のオマケ映像でイチブトゼンブの予告があったから2009年までやるのは確定だが。震災が区切りになるかな。MAGICまでと、C'monから。
次のDay4の俺個人の時代背景としては、復活しかけた極貧から完全復活とはいかない中途半端な状態が続く中、ネットの知り合いがプログラミングの請負の仕事を恵んでくれてその報酬で完全復活するところから始まる。向こうは会社の立ち上げ時に安く済ませたいということもあったんだろう。何の実績もない俺だったが、多少できることはネットでの交流で知っていた。実際に可児に遊びに来たこともあり、ネットの交流だけでもなかった。バンドメンバーやら弟やらネットの知り合いやらに助けられてとりあえず完全復活。ここでまたパチスロで復活するというところがダメなんだな。俺の人間性から考えて絶対にあり得ないことだが、真っ当な人間としてやり直す最後のチャンスだったと思う。それに気づかなかったわけではなく笑顔で自ら捨てた。そういう生き方をするなら最初からやっているよ。ストック機はハイエナ行為に嫌悪感があったが、この頃にはハイエナ行為とはほとんど無縁なストック機が多く出ていた。北斗の拳とか。そういうところから復活して行く。バンドではライブも何度かやった。しかしSALLYさんが癌になり活動休止。今のDebugと比べるとかなり濃密な活動だった。長く感じるがわずか3年半の活動期間だったらしい。SALLYさんが抜け、椅子タンの会社の同僚のAge君が加入し、Debugという新しいバンド活動が始まる。曲はBR時代のものはやらず、全て新しいのを。Age君もB'zファンだったということもあり、B'zの曲が多め。オリジナル曲もやるようになる。パチスロは5号機の時代になり、最初は超絶ウンコと思われていたが、だんだん規制も緩くなって楽に稼げるようになっていく。2005年夏に福井の海で死ぬほど日焼けして地獄を味わったりした。2006年2月、祖父の十三回忌で種子島に行ったのをキッカケに猛烈に種子島に興味を持ち、翌2007年夏に長期滞在することになる。長年運営していた個人サイトが消滅することになった。無料ホスティングサービスが終了することになった。有料レンタルサーバーに移行。しかし告知期間が短く、且つ新サイトを作ると言いながらなかなか作らないので昔のサイトで知り合った人との交流は徐々に絶えて行った。まだあの頃の人達で犬土偶日記を読んでいる人はいるだろうか。2007年夏に種子島長期滞在することになり、その飛行機チケを買う頃、5月にB'zのシングル永遠の翼が出た頃に祖母の不治の病が発覚し、俺が種子島に滞在中の秋に亡くなった。葬式の少し後にシングルSUPER LOVE SONGを種子島で買った。滞在中の盆くらいに世の中ではサブプライムショックが起こっていた。10月末に可児に戻り、SALLYさんの見舞い。これが最後だった。2月に亡くなった。祖父母の家は無人になったが、2008年も種子島に行き、1人で長期滞在した。屋久島にも行った。猿に襲われたりもした。帰ってすぐ20周年のPleasure2008ツアー、豊田スタジアム。リーマンショックの年。年末に中学の同窓会で懐かしい人達と再会し、交流が始まる。昔から好きだったわけではないがパチスロがつらくてつらくてたまらなくなっていた。精神的にも限界が近かった。緑ドンとか打ってた頃だな。かなり勝っていたが、相当つらかった。当時の曲を聴くとあのつらかった頃を思い出して嫌になる。BIG MACHINEを聴いても飢えていた苦しい時代を楽しく思い出せるのに。この違いは何なんだろう。DSiを買ってドラクエ9をやりまくっていた頃だな。すれ違い通信のためにいつも持ち歩いていた。2010年から、ボケ防止のための脳トレとしていろんなジャンルの資格試験に挑戦し始めた。まだやめていないことになっているが、2016年秋を最後に資格試験は受けていない。Day4は2009年までだろうか。2010年も含まれるんだろうか。もっと先までやるんだろうか。それなりに激しい時代だったな。バンドがBeginner's RockからDebugに変わったこと。祖母とSALLYさんの死。2年連続の種子島長期滞在。俺の中で特に大きいのは種子島だ。宝くじを当てて移住するということになった。当たらなければこのままだが、当たれば住む場所が変わる。人生が大きく変化する。それほどの決意をさせるほど種子島は俺の中では大きな存在だ。祖父の十三回忌の時、親について行かなかったらここまで興味を持つこともなく、長期滞在することもなく、祖母の葬式に出ることもなく、移住しようなどと考えるようにもならなかった。ほんの少しのことで人生が大きく変わる。B'zのおかげでギターを始めて大きく人生が変わった。生きていれば、またこの先、思いもよらないことから人生が激変するようなことも起こるかもしれない。ただ、そこに絶対に必要なのは好奇心と向上心だ。そもそも何かに興味を持たなければ始まらない。興味を持っても行動しなければ何も変わらない。行動してもすぐやめたら何も変わらない。ここで必要になるのが向上心。継続は力なり。何でもいいから気になったらとりあえずやり始めろ。そして、やり始めたら成果が出るまで続けろ。始めるのに理由は必要ないがやめるにはそれなりの理由が要る。言い訳だけは絶対ダメ。
話題:ライブ鑑賞
公開日時 | 2020年11月21日 08時45分12秒 |
---|---|
本文文字数 | 15571文字 (タグ込み) |
URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20201114 |
コメントはありません。