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2020年11月07日

B'z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day2

公開日時: 2020年11月17日 06時24分24秒

今日は雨らしい。昨日のDQウォークの疲労が激しい。夜中3時でレアモンチャンスがリセットされたのでまた拾いに行かねばならんのだが、雨なら仕方がない。雨は休むための正当な理由になる。しかし今日は夜にB'zのネット配信ライブがある。ライブを観ながら飲んだり食ったりするものを買いに行きたい。窓の外を見ると雨は降っていないが、いつ降り始めても不思議はない感じの空。雨雲レーダーを見てみたら全然大丈夫そう。でも信用できんな。どうしようか迷ったが、やはりライブ時に飲み食いするものが欲しい。外に出ることにした。傘は絶対必要だろう。

DQウォークはレアモンのみを狙う。強敵は完全無視。ほこらは行動範囲のやつ大体潰したからもう考える必要はないだろう。まだ潰していないのがあってもルーラ登録すれば良い。横市の方へ下りてレアモン確定スポットへ向けてかなりのスピードで走る。マップ上に見えたらひたすら直行。途中にある全てを無視。かなりサクサク拾える。昨日は強敵を90匹ぐらい倒したし、ほこらも20〜30ぐらいは潰したので結構時間がかかった。レアモンのみに集中すると早いな。このペースなら短時間で結構行けそうなので、ちょっと遠征することにした。可児川駅の方へ出て、病院裏から花木センターの方へ。国道41号を北上して土田・今渡を走る。昨日と同じく、ボーンナイトはそこそこあるが、ひくいどりが極端に少ない。今渡駅の近くで雨が降り始めた。粒が小さい雨だったので傘は要らないと思っていたが、少しずつ強くなって行った。傘がないと死ぬ状態になったので仕方なく傘を差す。愛知用水のトンネルを抜けて坂戸へ。結構キツい雨。GENKYに寄って菓子やジュースを大量購入。外に出たら雨は止んでいた。しかしまた降り出した。面倒くさいな。少し濡れたが無事帰宅。

昨日ルーラ登録したほこらを消化。8700位ぐらいまで上がった。プラチナIIに戻ったが、またすぐ転落するだろう。しかし今月は変動が激しいな。あとはB'zのライブを待つだけ。違法サイトでアニメのダイの大冒険を見たりDQウォークでレアモン確変クエを設置して野良レアモンを狩ったりして時間を潰し、ライブを待つ。

今日のライブは1994年からたぶん1998年までの期間のやつ。全5回の中でこれが一番楽しみ。前回は超初期のレア感に期待していたが、曲自体はそれほど好きな曲が多いわけでもなかった。今回のはものすごく楽しみ。The 7th BluesからSURVIVEまで。俺が高3ぐらいの頃から大学の途中まで。初代プレステの全盛期と被る。また、俺がギターを始めた時期でもある。さらに、大学の費用を稼ぐためにパチンコ・パチスロを始めた時期でもある。俺的にはかなり激動の時代だったし、割と順風満帆な時期でもあった。パチが楽勝な時代だったしな。

大学は高校時代から興味がなかった。どうでも良すぎた。必死に勉強して良い大学へ行こうなどと考えたことは一度もない。まだギリギリ受験戦争の厳しい時代だったが、下を見ればいくらでも入れる大学はあった。希望者全員が入学できるようないわゆる全入時代ではなかったが、進学校に通っている生徒のみで言えば十分全入時代だったと言える。全く勉強しなくても入れる大学が腐るほどあるのだから勉強する必要など全くなかった。ただし、そういうバカでも入れる大学には全く価値がない。行く意味が一切ない。勉強が目的なら学部レベルは独学でOKだ。医者とか薬剤師とか臨床心理士とか特定の学歴がないとなれないものを目指すなら行くしかないが、そうでなければ行く必要がない。大卒でなければ給料が少ないとか言う奴もいるが、そもそも何故サラリーマンしか選択肢がないんだ。金が目的なら雇われる選択なんてウンコだろ。自分で稼げばいい。ゆえに大学に行く意味など全くない。時間と金の無駄。今の時代はあの頃よりもさらにその傾向が強い。大学なんてどうでもいいと思いつつ、それでも大学に行ったのは時間稼ぎ。あの高校では進学しないという選択は許されなかっただろう。親には大学に行かないなら働けと言われる可能性が高かったと思う。とりあえず大学で時間を潰しながら先のことを考えようということで適当な大学に行ったが、結局大して目的もなかったので中退することになった。時間と金の無駄だった。これまでの人生で後悔するようなことはあまりないが、大学へ行ったのは最大級の失敗だったと思っている。今の記憶を持ったまま高校時代に戻れるならもっと激しく勉強してもっといい大学に行くとか言う奴がよくいるが、俺は大学へ行くという選択を完全に捨てる。行かない方が得であるとこが完全に分かっているから。行っても損しかない。これほど明らかにデメリットしかないものも珍しい。

しかしあの頃はそれなりに楽しかった。いろんな面で余裕があった。SURVIVEの曲を聴くと当時のパチスロを思い出したりもする。The 7th BluesやLOOSEの頃はパチに手を出していなかった。初代プレステにハマった時期だった。ほんの数年で激烈に人生が変わる。ギターを始めてから、あれだけ膨大な時間を費やしたゲームのプレイ時間がどんどん減って行くことになる。98年まではまだFF7とかFFTとかゼノギアスとかポポロクロイスとかアークザラッドとかワイルドアームズとかパラサイト・イヴとか武蔵伝とかスターオーシャンとか、いろいろやっていたが、次の99年頃から急激にやらなくなる。その頃から急激にギターにハマって行くことになる。99年はたぶんFF8しかやっていないのではないか。2000年以降はDQ7やFF9は買ったが、やらずに温めて結局やったのは2004年とか2005年だったと思う。DQ7はDQ8の後にやったからな。PS2も買ったがほぼDVDプレーヤー状態。買うだけ買って全然やらなかったドラムマニアを椅子タンに長期間貸して、それがバンド活動にも生きることになる。とにかく本当に急激にビックリするほどゲームをやらなくなった。本当に数年で激変するな。今は全然変化がないまま余裕で何年も過ぎて行くのに。若い頃はそれだけエネルギーがあったということかな。今日のライブはそんな時代の曲のみで構成されたライブ。当時のことをいろいろ思い出すんだろうな。

18時30分から、ライブ前にインタビュー動画がある。これはFC会員しか買えないチケットでしか見れない。値段は同じなので当然インタビューつきチケットを買っている。インタビュアーがB'zの2人に当時のことをいろいろ聞きながら懐かしい話をする。メンバーも覚えていないようなこともあって面白い。

  1. 01. LOVE IS DEAD
  2. 02. おでかけしましょ
  3. 03. Don't Leave Me
  4. 04. 闇の雨
  5. 05. YOU & I
  6. 06. 夢見が丘
  7. 07. love me, I love you
  8. 08. もうかりまっか
  9. 09. The Wild Wind
  10. 10. HOME
  11. 11. ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜
  12. 12. スイマーよ!!
  13. 13. Liar!Liar!
  14. 14. さまよえる蒼い弾丸
  15. 15. Calling

19時からライブスタート。たまにPleasureツアーなどで聴くような曲も多いというか、超レア曲はもうかりまっかとおでかけしましょと闇の雨ぐらいだったが、俺的にはかなり良いライブだった。YOU & I、夢見が丘、The Wild Windはちょっと前にライブで観たのでそれほどレア感はないように感じたが、2013年のPleasureで聴いたようなのは全然最近ではないよな。love me, I love youでは稲葉がZepp Hanedaの会場内外を移動しながら歌っていた。最近できたばかりのライブハウスを紹介するような感じか。もうかりまっかでは曲の途中で稲葉が変なキャラでぼやくコーナーがあった。当時のライブでそういうことをやっていたんだろう。俺はその頃のライブを知らない。The 7th Bluesが結構好きなのでいろいろ聴けて良かった。

The 7th Bluesは高3の時に出たアルバムで、高校卒業後すぐに椅子タンの車で恐ろしいほどの距離をドライブしながらよく聴いていた。免許取りたての頃は死亡率が高い。全く交流はなかったが高校の同級生も事故って死んだ。椅子タンは今ではだいぶ落ち着いたが、当時はかなり危険な運転をしていた。車を何台も潰したし、生きているのが不思議なくらいだ。ちょっと今だったらあの頃の椅子タンの運転する車には乗りたくないな。The 7th Bluesを聴くと当時のことを思い出す。本当にいろんな場所に行った。LOOSEの頃もまだドライブに行っていた。片道数百kmとか連日徹夜で無茶していたな。あいつショートスリーパーだからそのまま仕事に行くんだぜ。俺なんか夜まで爆睡みたいな感じだったのに。大学?行けるわけないだろ。椅子タンと頻繁にドライブに行ったりしていたのも高校卒業後1年だけで、その後は急速に疎遠になる。別に喧嘩したとか仲が悪くなったとかではなく、自然と疎遠になって年に1回会うかどうかという感じになった。それから5年ぐらい、バンド結成の少し前までそんな状態だった。本当に変化が激しいな。

俺の生活圈も大学のせいで可児だけでなく名古屋まで広がった。よく満員電車に乗れたよな。今は絶対乗りたくない。満員電車に乗らされる人生が一番ウンコだと思う。ホームレス以下だと思う。地獄。ラッシュを避けて昼に大学に行って一瞬で帰って来るみたいな無意味な行動もしていたな。出席重視の英語なんか無駄に朝イチに配置されていたりして、5月の時点で既に単位もらえないのが確定したりしてな。入試より簡単な無意味な英語の授業。なのに必須科目。朝イチ。不可能だろ。憎悪しかない。

パチのこともいろいろ思い出すな。そもそもは大学に入ってしばらくしてから急に親が大学の金出せないから自分で稼げと言い出したこと。そんなの大学に入る前から分かってただろ。先に言え。俺もバカだったから、大学の金は親が出すものだと思っていたというか、金のことなんか考えたこともなかった。交通費とか本代とか、いろいろ合わせるとなんだかんだで年100万はかかるだろう。バイトで稼ぐとたぶん生活の全てがバイトで消えるみたいなことになる。生きてる意味あるのか。だったら大学辞めた方が良い。元々行きたくて行っていたわけでもなかったし。しかしそれで就職しろとか言われると困る。一生働かないと決めていたのに当時は働かずに稼ぐ手段を知らなかった。学生という地位を維持する必要があった。で、その頃たまたま家族で行ったボウリング場の隣にパチ屋があって、親が寄って行くというので入ったんだが、そこでビギナーズラック炸裂。3回権利のやつで詳しいスペックは知らないがたぶん1/380ぐらいのやつじゃないかと。これが500円で当たった。よくある話だな。当時は結構怪しい業界だったから、店の人がいかにも素人な俺を見て遠隔操作して当てたのかもしれない。そこでパチの魅力に取りつかれてクソハマって・・・という展開にはならなかった。少しも面白いと思わなかった。そもそも俺は脳の構造的にギャンブル依存症にはならないっぽい。ハマる気持ちが分からない。何十年もの間、いつもいつもつらくて苦しかった。勝つ時よりも帰る時の方が嬉しかった。俺ほどパチが嫌いな人間も珍しいと思う。とにかくここでパチというものを意識するようになった。世の中にはパチプロというのがいるらしい。ということは勝つ手段が存在するということ。パチ屋は商売でやっているから客が勝つわけはないのだが、それは客全体での話。客同士での奪い合いで勝てる可能性がある。実際そうでなくてはプロは存在できない。もしバイトより稼げるのなら、ここに活路を見いだせるかも。そう思って地獄のような人生が始まる。当時は楽勝な時代だった。どうやったら負けるのか分からないぐらい隙だらけだった。パチンカーも超絶バカが多かったんだろう。バブルの残り滓でまだ世の中の金回りも良かったんだろう。時代に助けられて俺も大学の金を自力で払う道を得た。パチンコフルスペックが社会問題になって規制が入り、5回リミッターの冬の時代が来たのが97年だっただろうか。その頃からパチスロに移行。これまた超絶楽勝。1コマ余裕のあるバカでもできるリプレイハズシで設定1でも勝てる状況。凄い時代だった。そのパチスロ三昧だった頃によく聴いていたのがSURVIVEとかHOMEとか。金は有り余っていた。プレステ全盛期で毎週木曜に新作ソフトが大量に出た。プレイする時間もないのに毎週毎週何枚もソフトを購入して積み上げて行った。恐ろしい時代だったな。

と、当時の思い出を振り返りながらライブの内容にはほとんど触れずに今日の日記は終わる。ライブは凄く良かった。期待以上だった。この頃の曲が好きだというのもあって、かなり楽しめた。家で酒を飲みながら椅子に座って観れるのは良い。臨場感や生の迫力はないが、会場まで行かなくて良いし、立ちっぱなしではないので疲れない。老人の俺には素晴らしすぎる。向こう側も人件費があまりかからない上に実質的にキャパ無制限でチケットは見たい人の数だけ売れるので安くできる。いいことずくめだ。とは言え、演者は無観客ではやりにくいだろう。客の大半もやはり生を求めているだろう。家で観るとは言っても当然かなりの大音量。DTM用のスピーカーは小さくてもかなり音が出る。意外とショボくならない。

来週はBrotherhoodからだ。種子島に行くためにDIGI-ZOというギターを買った頃。アホみたいにギターにハマって全くゲームをやらなくなった時代。PCを買ってMIDIの打ち込みをやったり、ネットをやり始めてWebサイト作成とかCGIプログラミングとかにハマった時代。鳩吹山登山を始めて、毎日毎日、雨の日も台風の日も雪の日も深夜でも1人で登っていた。ライブにハマっていろんな歌手のライブを観に行きまくった。ライブに行きまくったのは単純に音楽が好きというだけでなくWebサイトのコンテンツとしてライブレポというのがあったからというのもある。当時のサイトを置いていた無料のホスティングサービスは終了したからもうネット上には存在していないが、まだPC内には残っている。今読み返すと死ぬほど懐かしいんだろうな。登山にしても、CGIプログラミングの練習として登山日記なる掲示板亜種というか今で言うブログ的なもののCGIを作ったことで始まったものだ。この頃は結構Webサイト関係を中心に人生が回っていたかもしれない。リアル知人よりもネットで知り合った人との交流の方がウェイトが大きかった時期。2001年秋には椅子タンを介してバンドに誘われてBeginner's Rockを結成した。2001年の正月に超久しぶりに椅子タンが遊びに来て、そこから登山やライブの話になり、一緒にライブ鑑賞や登山をするようになって交流が再開し、バンドの誘いもその流れで出て来たものだ。また新しい時代が始まる。本当に変化が激しいな。今の変化の無さが恐ろしい。

Info.
公開日時2020年11月17日 06時24分24秒
本文文字数6788文字 (タグ込み)
URLhttps://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20201107
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