海の近くに住みたい
話題:旅行
公開日時: 2016年11月26日 19時36分29秒
日歸りで養老に紅葉を見に行くことになつてゐた。例によつて居酒屋の人達と。誘はれたのはいつだつたか。行くのと行かないのとどちらが面白いか。當然行く方が面白いに決まつてゐる。しかし最近はそれほど面白さも感じなくなつてゐるし、いろいろ鬱陶しい思ひをすることもあるので、行かなくても良いかなと思つてゐた。面倒臭いしな。さういふわけで實はあまり乘り氣ではなかつたのだが、よく考へてみると、この歳にもなつて今まで一度も紅葉を見に行つたことが無いのではないかと思つた。やはり氣が進まなくても行つておくべきだらう。
何故か死ぬほど眠い。異常なレベルで眠い。あり得ないほど眠い。人はこんなに眠くなれるのかと驚くほどの眠さ。結構ギリギリの時間に起きた。起きてからもずつと死ぬほど眠い。アホみたいに欠伸が出續ける。10年に1囘ぐらゐのレベルの眠さかもしれない。腦に何か異變でも起きてゐるのではないかと不安になるレベル。取り敢へず出發。他に誰が行くのかは全く聞いてゐなかつたが、市役所の方へ向つたので日間賀島や伊勢に行つた人達も行くんだらう。その2人を乘せて居酒屋へ。女將夫婦を乘せて終り。6人。伊勢の時と全く同じメンバーだな。今日も伊勢の時と同じくアホみたいに天氣が惡い。岐阜は終日かなりの降水量らしい。もう中止にしろよと言ひたくなるくらゐの惡天候だ。それでも行くらしい。
まづは喫茶店でモーニング。これの意味が本氣で分からない。必要か?夜に豪勢な飯を食ふ豫定がある場合は當然食ふべきではない。それでもいつも食ふので腹が立つ。今日みたいに夜の豫定が無い場合は食つても食はなくてもどうでも良いのだが、そもそも食ふ必要があるのか甚だしく疑問。本氣で意味が分からない。
小牧から高速に乘り、大垣方面へ。途中、凄まじい土砂降り。三重では龍卷注意報が出てゐるとか。もう無理だらう。こんな雨の状態で山に入つて紅葉なんか見れるのか。まあネタとしては面白いかもしれないが。
大垣で降りて看板に從つて進む。雨は奇蹟的に止んだ。一時的なものかもしれないが、豪雨は避けられさうだ。
養老公園といふところがあり、奧の山の紅葉が綺麗らしい。山の方へ入つて行くと養老の瀧といふ少し有名な瀧がある。大垣から道なりに行くと手前で瀧に直行するルートに入る丁字路がある。それを無視して進むと公園方面へ曲がる道がある。ナビで瀧をセットしておいたこともあり、手前のところを曲がつて山に入つて行つた。凄まじい山。結構高低差があるやうで、勾配がキツくカーブも多い。道が細くて擦れ違へない。屋久島や飛騨の山を思ひ出す。ある程度登つた先に有料駐車場があつた。一應傘を持つて外へ。霧であまりよく見えない。山は少し色づいてゐるが、まだ少し早いやうだ。1週間後ならもつと綺麗だつたかもしれない。天氣が惡いおかげで觀光客が異樣に少なくて快適。普段から少ないのかもしれんけど。取り敢へず瀧へ。駐車場から歩道を歩いて奧へ下りて行く。階段が段ごとに高さや距離が違つて歩きにくい。しかも道そのものが横方向に斜めに傾いてゐたりする。20mぐらゐ下に下りただらうか。瀧に到着。思つてゐたよりデカい瀧だ。
公園の方に行くことになつた。最初からそちらに行けば良かつたんだな。公園から瀧までは徒歩で20分ほどかかるやうだが、その途中で紅葉が見れる。瀧だけ先に見て後から公園に行つてもあまり意味が無ささうではある。山を下りて途中の道から公園方面へ。途中で少し道を間違へたりもしたが無事に辿り着いた。
養老改元&元正天皇行幸1300年とか何とかいふポスター等があちこちにある。元正天皇は奈良時代初期の女性天皇。その頃の元號が養老。この養老町といふ地名と關係があるのかどうかは知らない。まあ全く關係が無いといふことは無いだらう。一寸調べてみたが、ややこしいことになつてゐる。元正天皇がここの瀧を養老の瀧と名附け、元號を養老にしたといふ昔話が鎌倉時代の十訓抄にあるらしいが、史實ではなささう。岐阜に行幸し、この近邊の泉で沐浴したところ肌がスベスベになつたとかで感動し、元號を養老にしたといふやうなことらしい。では初めからここら邊の地名は養老だつたのか?瀧は?あまりよく分からないのだが、まあいいだらう。
皇極・斎明、持統、元明、元正、孝謙・稱徳、この頃は女性天皇が非常に重要な役割を果たした。元正天皇は養老律令の編纂を始め、日本書紀も完成させた。元正天皇の2代後、孝謙天皇の頃に養老律令が完成し、明治までその法律で來た。元正天皇の母親の元明天皇は平城京に遷都した。少し前、初の女帝の推古天皇は支那の柵封から拔け日本獨自の文化を歩み始めた。皇極天皇は初めて讓位を行なつた。そして初めて重祚した天皇でもある。この頃からずつと讓位はごく一般的なものであつたが、何故か今、天皇の讓位を阻止しようとする勢力が暗躍してゐる。天武・持統の頃に「天皇」といふ稱號や、「日本」といふ國號ができた。この頃は女性天皇の時代と言つても良いほど女性天皇が活躍し多くの業績を殘して來たが、男系論者からは女性天皇なんてただの中繼ぎに過ぎないと言はれてゐる。元明天皇から元正天皇へは母親から娘への女系繼承といふ見方もある。男系論者は、元正天皇の父親は天皇ではないが祖父が天武天皇なので男系繼承であるといふ後附けの理窟で説明するが、當時男系の血筋を根據に皇位繼承が行なはれた證據は無いので男系論者にとつては多少苦しい繼承例だらう。親戚で結婚しまくつてゐたんだから男親を辿れば男系になつてゐるのは當り前で、それが傳統と言へるかといふとかなり微妙だらう。後から見ればたまたまさうなつてゐたといふだけに過ぎないとも言へる。明確に男系で繼承するといふルールが存在したなら傳統と言へるだらうが、當時はそんなルールは無く、皇位繼承を男系に限定したのは明治以降のことだ。しかも男系のみならず男子といふ限定までされてゐる。側室制度も廢止され、今非常に皇統の維持が危險な状態になつてゐる。今上陛下も安定的な皇室の維持を願つてをられる。斷絶を囘避し今後も何百年も安定して續けて行くためには繼承ルールを緩める必要がある。男系男子といふ縛りをなくし、取り敢へずは女性宮家を創設するといふところが現實的だらうが、天皇制を廢止したい極左と傳統を知らない(若しくは明治から昭和初期しか認めない大日本帝國崇拜者の)似非右翼が結託して男系に固執して皇統を絶やさうとしてゐる。舊皇族の宮家を復活させて皇籍を取得させれば良いなどと言ふ人もゐるが、舊宮家の子孫で皇族になつても良いといふ人が1人もゐない。搜して連れてくる努力すらしないところを見ると、現實的に舊宮家の復歸は不可能と分かつた上で時間稼ぎをして皇統を斷絶させるために言つてゐるのだらう。臣下に下つて何十年も經つて完全に一般人化した人を皇族に迎へ入れるといふのは國民の大多數にとつても違和感があるだらうし、秋篠宮殿下も公費負擔といふ觀點から望ましくないと表明してゐる。これまでの皇室周邊の發言を總合的に考へると、今上陛下も皇太子殿下も秋篠宮殿下も、女性宮家の創設、愛子さまへの皇位繼承を考へてをられるやうだと推測できる。憲法上の縛りでハッキリした發言はできないが、それを逆手に取つて「勝手に天皇の意思を忖度するな」などと言つて實質的に「天皇どもは默つてろ」と言はんばかりの勢ひで自分達の勘違ひした傳統に固執して皇統斷絶に導かうと目論む似非右翼がゐる。日本會議がその代表的存在だ。安倍ちやんがこいつらの言ひなりになつて皇室に叛逆心を剥き出しにしてゐる。尊皇心の無い右翼つてそもそも右翼なんだらうか。とにかく早く何とかしないと手遲れになる。眞子さま佳子さまの結婚前に女性宮家の制度を作らないと皇族の人數が減り過ぎて危ない。今のままで行くと數十年後には皇族は悠仁さま1人だけになる。たつた1人。今何とかしないと非常に拙い。早くしろよ。話が逸れた。とにかくここら邊は元正天皇に縁のある地域らしい。
公園内をウロウロする。一寸した谷間に川がある。養老の瀧から流れて來てゐるんだらう。ここら邊は瓢箪の産地でも有名らしい。川を瓢箪の形にしたり色々凝つてゐる。中途半端に色づいた紅葉を見たり賣店を覗いたりして過ごす。もう雨の心配は無ささうだ。天氣豫報は當てにならん。晝飯を食ふことになつた。肉の店みたいなのがあつて良い匂ひだ。メニューは少ない。限定5食とかの飛騨牛燒肉丼が1500圓。そんなの食ふわけが無い。普通の燒肉丼が美味さうだなと思つたが、俺以外全員何故かうどんを食ふと言ふので俺もうどんにした。俺だけ時間がかかつて待たされたりすると厄介だからな。うどんは馬肉が入つたやつだつた。大して美味くなかつたが、何人かは美味いと言つてゐた。
山に入つて紅葉を眺めるのかと思ひきや、奧へは行かず車に戻る。まだ時間が早い。ここから歸るわけにはいかんだらう。日歸りの日はいつも夕方から居酒屋が平常營業の豫定なので少し早めに歸ることになるんだが、今日は何故か休業にして來たらしい。しかし特にこの後の豫定も決めてゐないらしい。どうするのかなと思つたら居酒屋の女將の旦那が敦賀の市場へ行かうと言ひ出した。敦賀つてすげえ遠いんぢやないか。いや、大垣からだとさうでもないのか?いや、遠いだろ。福井だぞ。琵琶湖の向うだぞ。高速で1時間ぐらゐだから大したこと無いなんてみんな言つてゐる。俺にはすげえ遠く感じるな。まあ俺は運轉しないからどうでもいい。敦賀へ行くことになつた。あの押し賣りが酷い日本海さかな街へ。でもそれでもまだ時間が餘りさうなので、お千代保稻荷といふところに行くことになつた。大垣にあるらしい。
出店が多く、物凄い人。野菜やら川魚やら色々賣られてゐて結構そそられる。神社につき、取り敢へずお參り。油揚げを供へる風習らしい。1個50圓で賣られてゐる。神社の前の出店の通りの奧にはテレビにも出たことがあるらしい串かつの店があつた。そこで食つて行くらしい。食つてばかりだな。串かつくらゐなら食へるけども。ソースに浸して食ふ。これは美味い。キャベツも食ひまくる。地面にソースの池ができてゐる。みんなソースに浸し過ぎだらう。むせるほどソースに浸けてゐる。一頻り出店を覗いてやることも無くなり、福井へ向ふ。高速に乘りひたすら北陸を目指す。親が運轉してゐたんだが、激しいミスをした。敦賀で下り損なつて次の今庄まで行くことになつた。運の惡いことにこの區間がアホみたいに長く、20kmもあつた。今庄で出た瞬間に轉囘してまた高速に入り直す。往復40kmだ。1000圓ほど無駄になつただらうか。時間も30分ほど無駄になつた。敦賀から先は土砂降りだつた。敦賀までは雨は降つてゐなかつた。
敦賀で下りて日本海さかな街へ。アホみたいに話しかけて來てかなり強引に賣らうとするから鬱陶しい。全無視。鯖とか鰺とかどこでも買へる魚なんか買はないよ。しかも夏の魚だらう?冷凍物を解凍して賣つてゐるだけだ。しかも全體的にクッソ高いんだよ。觀光客が大量に押し寄せてアホみたいに買つて行くが、冷靜に考へてみろよ。そんな大金拂ふほどのものか?今は蟹が旬のやうで、どこの店もアホみたいに蟹を激しく賣らうとする。親が買つてゐた。全く料理しないくせにそんなもの買つてどうするんだ。夕方で閉店が近く、多く捌いてしまひたい店が多いやうで、アホみたいに色々つけて激しく値引きしてくれる。でも欲しいものだけを單品で買つた方が安いんだけどな。まあ色々つけてもらつたものを全部通常の値段で買ふと倍以上するから得ではあるんだが、そんなに買つても食ふのが大變だな。俺も何か買はうかと思つてゐたが、結局無駄に高いしそそられるものも無く、何も買はなかつた。市場の外側にある飲食店で飯を食ふことになつた。海鮮丼みたいなのが豐富にあつてクソ高い。しかも注文してみると思つたより量が少ない。1500圓のやつで全く滿腹になれなかつた。まあ美味かつたから良いけど。でもこれに1500圓出すなら養老で飛騨牛丼を食つた方が良かつたなと思ふ。
飯を食つて外に出たら激しい豪雨。もう後は歸るだけ。高速に乘つてひたすら岐阜方面へ。途中、養老のSAで休憩。土産屋を覗く。明日バンドの練習の豫定だつたがキャンセルになつたのでメンバーへの土産は買はない。12月には忘年會をやるので必ず1囘は練習がある。東京の土産を買つてその時に渡すのが良いだらう。みたらし餠が美味さうだつたので自分用に買つた。そして歸宅。終り。
(1.0)Anniversary song、fake、MIRAI、turning、トウダイモトクラシー、pain、孤独のRunaway -Mixture style-、THE HELLION、OH!GIRL -Mixture style-、STAY GREEN 〜未熟な旅はとまらない〜、SUPER LOVE SONG、衝動、憎いあの娘、BANZAI、I'm in love?、黒い青春、ultra soul 2011、WAKE UP, RIGHT NOW。
ギター練習65分、腕立て伏せ150囘、讀書27ページ。
話題:旅行
公開日時 | 2016年11月26日 19時36分29秒 |
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URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20161119 |
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