海の近くに住みたい
話題:種子島 2016年2月
最終更新日: 2016年02月25日 19時23分29秒
2日目。祖父の法事の日。一應、ここが今囘の種子島旅行で一番重要なイベントといふことになる。俺的には3日目の何も豫定が無い日が重要だと感じてゐるが、法事を口實にして來た以上は今日が最も重要な意味を持つ1日だらう。俺には信仰心が無いので法事そのものはあまり重要視してゐない。先祖が存在しなければ俺も存在しないから、先祖に對する感謝の氣持ちは當然にある。しかし靈的なものを信じてゐないから、儀式自體に意味があるとは思へないし坊さんを儲からせるだけだと感じてしまふ。まあ佛教の勉強をしたり修行をしたりしてしつかりと色んな儀式を執り行へるやうになるのも大變だから、2萬や3萬のお布施が不當に高いとも思はないが、そこまで必死にやらねばならんほどの儀式とは思へない。かと言つて、どうでも良いといふわけでもない。死んだ人間なんかもう生きてゐないんだからどうでも良いといふ氣持ちにはならないし、ある程度は先祖への禮儀としてかういふものも必要なのだらうとは思ふ。でも俺自身が死んだ時はかういふのは一切やらなくて良いと思ふ。骨は半分を鳩吹山の麓にある父方の祖父母の墓に入れて貰へるなら入れて欲しい。入れないなら俺の墓は不要。殘り半分を草ノ木の下の海に撒いて欲しいと思ふ。意味のあることではないけれども。ただしそれは俺が母親より先に死んだ場合のみ。祖父母の法事とかで種子島に行くついでにやつてくれれば良い。親が死んだらわざわざ俺の骨を撒きに誰が種子島なんか行くか。本人は死んで何も分からんから骨なんかどこに捨てても同じ。無理に種子島に捨てに行く必要は無い。何囘忌とかさういふのは俺のは一切やらなくて良いし墓參りも必要無い。やるなとは言はない。やりたければやればいい。でもやらなくて良い。散々親不孝をして來たから親より先に死ぬといふのだけは何としても避けるべきかなと思ふ。さうなると俺が死んだ後はどんな風に處理されるのか全く分からんな。あまり親戚附き合ひも無いし、弟は一切何もやらない人間だしやらうとしても何もできない人間だらう。自分の最期はどんなことになるのかな。もう人生半分は終つた。恐らく普通より長生きもできないだらう。意外と早く終るのかもしれん。死んだ後、誰に迷惑を掛けることになるのかな。
祖父とはほとんど話したことが無い。別に叱られたことも無いと思ふんだが、子供の頃は怖かつたやうな印象がある。少し大きくなつてからは言葉が分からなくて話さなかつた。祖母は無理して標準語に近い言葉を話さうとしてくれたが祖父は一切そんなことは無く、完全な種子島辯だつたので理解できる氣もしなかつた。惜しいことをしたと思ふ。實際はどうだつたのかよく分からないが、變り者だつたやうだ。祖母が亡くなつた年に色んな人から祖父の話を聞いた。聞かうと思つて聞いたのではなく、相手の方から話し始めることが多かつた。祖母の見舞ひや弔問に來たはずなのに、俺に祖父の話をする人が多かつた。何故だらうか。寫眞を見る限りでは俺と祖父は似てゐないが、どこか言動などに微妙な變り者の同じ匂ひを感じて祖父のことを話し始めるのかもしれない。しかし親や叔母達からはさういふ感じのことを一切言はれたことは無いので、例へ變り者だつたとしても祖父と俺が似た雰圍氣を持つてゐるのではないと思ふ。みんな祖父は變り者だつたと言つてゐた。だから相當變つてゐたんだらうと考へることができる。しかし、みんながさう言つてゐるからといふだけでは分からない。その人達すらもみんながさう言つてゐるから祖父は變り者だつたのだと思ひ込んでゐるのかもしれない。死んでからだいぶ長い。變り者だつたやうなエピソードを少し憶えてゐて他を忘れてしまふと徹頭徹尾變り者だつたかのやうに錯覺してしまふかもしれない。その状態で同じやうに錯覺した人から變り者だつたと聞けばやはり變り者だつたのだと思ひ込むかもしれない。さうやつて多くの人間の間で實際とは違ふ印象を共有しながらどんどん記憶が捻ぢ曲がつて行く可能性はある。とは言へ、何十年も附き合つて來た人間の印象がさう簡單に變化して行くとも思へん。もしかしたら生前から意外に普通な人だつたのに誤解されて變人だと思はれてゐた可能性もある。俺もよく誤解されるが、他人にどう思はれてもどうでもいいし面白いので積極的に訂正しようとしない。祖父も俺と似たやうな人間だつたら、誤解されたまま死んでずつと變人扱ひされてゐるのかもしれない。いや、俺と似たやうな人間だつたとしたら、その時點で既に確實に變人だ。やはり變人だつたのだらうか。それに、種子島の家系は變り者が多い。遺傳によるものとしか思へない。祖母も結構な變り者だつたが、祖母とは違ふ系統の變り者が多い。やはり祖父の血なのではないかと思へて來る。同じやうな環境で暮らしたことが原因で似たといふのではないと思ふ。實際に祖父母とほとんど交流の無かつた俺がこんな感じだし、同じやうに離れて暮らした孫の世代にも變り者が多い。やはり祖父が變り者だつた可能性が結構高いやうに思ふ。本當に惜しいことをした。もつと色々話しておくべきだつた。まだ祖父の血を引いた變り者がたくさんゐるからさういふ人達と交流するチャンスは殘つてゐる。非常に殘念なことに、祖父母の子の世代の5人の中でうちの親が一番普通で面白くない。猫の叔母がダントツで強烈な個性派で面白い。猫の叔母が一番俺に種子島のことを教へてくれた。言葉とか食べ物とか風習とか親戚のこととか。でももし猫の叔母が自分の親だつたら非常に煩はしい思ひをすることになるかもしれんな。感情的でキレやすくて自己主張が強い。横濱の叔母は何を考へてゐるのか全く分からない。慣れてゐると何も感じないかもしれないが、突然思ひも掛けないことを言つたりするし行動も讀めない。そこだけよく分からないのだが、他の4人は共通して祖母の超絶頑固なところを受け繼いでゐるので、猫の叔母がキレてそこに全員が頑固さを發揮して揉め始めると非常に厄介なことになる。祖母の三囘忌の法事の時もそれでアホみたいな喧嘩になつたからな。一番下の叔母とうちの親はその時に携帶電話のアドレス帳から猫の叔母の電話番號やらメールアドレスやらを削除したりして絶交して今でも全く交流が無いらしい。アホばかりだな。まあ俺もアホの血を引いてゐるんだが。今思つたのだが、横濱の叔母が何を考へてゐるのか分からないといふのは、他の人から見た俺も同じやうなものなのかもしれない。普通にしてゐるやうでその場の誰も考へてゐないやうなことを考へてゐたり、たまに口を開いたかと思へば突拍子も無いことを言つてみたり、横濱の叔母なんかより俺の方が意味不明で扱ひにくい人間かもしれない。
今囘、祖父がどんな人だつたのか色んな人に聞いてみたいなと思つてゐたが、結局聞けずに歸ることになつた。うちの親は法事は二十三囘忌で終りだと斷言するやうに言つてゐた。さういふ風に叔父が言つてゐたといふ感じだつた。うちの親は結構思ひ込みが激しいからあまり當てにならないんだよな。叔父の話しぶりでは別に今囘が最後といふ感じではなかつた。50まであるらしいが、そこまで續ける前に下の世代が死んでしまふので續かないといふやうなことは言つてゐた。できるうちはやつた方が良いかなみたいな感じだつた。あるとすれば次は二十七なのか?俺は勝手に下1桁に3と7のつく年だと思つてゐるが詳しくは知らない。行けるなら次も行きたいが、行けないかもしれない。と言ひながらいつも無理してでも行つてゐるので次も行くんだらうと思ふ。でももし親が死んだら行きにくくなるな。あまり交流の無かつた祖父母の法事に俺1人で行くといふのも何か違ふ感じがする。親と一緒に行く今でも部外者みたいな感じが強くある。祖父は62歳ぐらゐの時に亡くなつたらしい。親もそろそろそれくらゐの年齢だな。
さて、鹿兒島の叔父の家を出る。俺が起きた時には他の人達はもう學校に行つてゐた。俺が寢る前に從妹が起きて來て支度してゐた。みんなが起きた後に漸く少しだけ眠れてほとんど寢ないまま起きるしかない状態だな。これは絶對危ないぞ。我慢できないほど眠くなると思ふ。お經が確實にヤバい。前囘祖母の七囘忌の時も死ぬほど眠かつた。あの時は從妹も眠かつたやうだが。今囘は眠いといふ領域ではなく、本氣で寢てしまふ可能性がある。さすがにいい歳した大人が完全に眠るわけにはいかんだらう。儀式を完全に輕視してナメて適當に寢てやり過ごさうといふのではない。逆に滅多に經驗できないことだから集中して細部まで記憶したいとすら思ふ。でも眠くなるんだよな。今囘は最大のピンチだ。法事を乘り切つたとしても宿に着いてから倒れて爆睡し、周圍が餘計な氣を使つて(むしろ邪魔者が眠つて都合が良いと感じて)起こしてくれないみたいな悲劇もあり得る。通常時はどんなに拒んでも不當に飯を食ふやうに勸めて來るくせにさういふ時に限つて「普段食つてないから1食ぐらゐ拔いても大丈夫だわ」とか言つて俺を宿に寢かせたまま豪勢な飯を食ひに行く可能性が十分ある。それだけは絶對に避ける必要がある。何としても種子島の海の幸を必ず食はねばならぬ。今日1日、激烈な試練だな。俺が何を重視してゐるのか、どこにエネルギーを注いでゐるのか、一緒にゐる人ですら分からないと思ふ。いつも1人だけ違ふ世界を生きてゐるやうな感じになつてしまふ。「今は何も食ひたくない」のやうなどうでも良ささうな一言でもその裏には壯大な思索が秘められてゐたりするからまともに相手にしない方が良いし誰も適切な對應はできないだらうと思ふ。
荷物をまとめて外に出る。昨日は暗くて見えなかつたが、庭には手入れされたデカい木とか色々ある。前の持ち主が茶道か何かをやつてゐる人だつたとかで、なかなか良い感じになつてゐる。外にはしつかりした造りの井戸があつて、屋根もついてゐる。同じ敷地内にもう1軒家があつて、そちらは今は使つてゐないやうだ。鹿兒島は邊境のド田舎といふイメージがあるかもしれないが、都市部はかなり都會だ。可兒の方が格段に田舎。鹿兒島でもここら邊は相當田舎だと言ふが、まだ可兒の方が田舎みたいな感じがするな。親は可兒や美濃加茂の方が都會みたいに思つてゐる感じだが、俺は違ふと思ふな。住宅街から少し出ると、すぐに可兒より都會な感じになる。その瞬間に高速道路に入つて少し行くと空港。可兒より壓倒的に暖かいかと思つてゐたが、それほどでもないかもしれない。寒い。でもやはり可兒よりは氣温が高い感じはする。
まづは搭乘手續。JACのプロペラ機のチケットをネットで買つてすぐに座席指定しておかなかつたら座席指定ができなくなつてしまつた。つまりこのまま乘ることができない。どうせ荷物を預けるのでカウンターに行かねばならんのだが。
上の階に行つて朝飯を食ふことになつた。21時頃に食つたばかりだが大丈夫なんだらうか。21時に食つて今食つて、たぶん晝も食ふんだらうし、夜はいつもみたいに居酒屋に集まつて激しく食ふんだらうし、どう考へても危險だ。他の人達は全ての飯を普通にこなすのかもしれないが、俺は胃が小さいのか普段エネルギーをあまり必要としない生活をしてゐるからか、拒食症では全くないのだが、全然食ふことができない。優先順位をつけ、最も價値のありさうな飯に全力を注ぎたい。さて、ここで食ふ朝飯が最優先すべき價値のある食事だらうか。違ふと思ふ。朝を拔くといふ選擇肢は無いのですか。無いのでせうね。せめて晝は拔くべきだと思ふのですが、それも無いのでせうね。叔父は1日2食みたいなことを言つてゐたから別に食はなくても大丈夫なんだらうが、親が1日3食が當然みたいに思つてゐるからな。親はテレビで醫者か何かが言つてゐたのを見たとかで、1日1食の方が健康に良いらしいよといつも言ふのだが、そのくせ食事囘數を減らす氣は一切無い。檢査で中性脂肪が多いといふ結果が出たと言つてゐた。外見は別に全然太つてゐない感じだが、完全にメタボだらう。食ひ過ぎなんだよ。そんなに食はなければ良いだけなんだよ。飯の囘數を減らせよ。店に入つて1人だけ注文せず全く食はないといふことは無理だらうからここは少しだけ食つておくべきだらう。ほぼ間違ひ無く夜の居酒屋が本日最大の戰場になる。そこに狙ひを定めて準備しておかねばならんのだ。それが恐らく無理だらうといふことも想像はつくのだが。父親と居酒屋メンバーで旅行に行つた時も無駄飯を食はされて肝腎のメインディッシュが無駄になる展開だつた。いつもさう。何故みんな無駄に食ふのか。意味が分からない。必要な時に必要な分だけ食へば良い。俺が何か少しでも間違つたことを言つてゐるだらうか。「絶對に自分が正しい、他が間違つてゐる。」さういふ自己主張の強いところが猫の叔母や叔父や俺が誰かから受け繼いだ種子島系の性質の1つだが、誰の遺傳だらうか。祖母は頑固者だつたけど違ふやうな氣がするんだよな。祖父はどんな人だつたか俺はよく知らないんだよな。この性質が結構厄介で、自分を疑ふといふことを知らないと大變なことになる可能性がある。種子島系は謙虚さがやや乏しい。自分が間違つてゐるかもしれないと疑つてみること。相手に無理に間違ひを認めさせようとしないこと。
種子島系の最大の謎であり、最も興味を惹かれるのが祖父のことだ。意外と普通でつまらないのかもしれないが、面白い人のやうな氣がするんだ。自分の中にはほとんど記憶が無い。赤ん坊の頃は當然記憶に無い。一番古い記憶は保育園の年長の時だ。俺と弟はドリフを見たかつたのに祖父が頑として讓らず何が何でも暴れん坊將軍を見るといふ感じになつてゐた。親や祖母が見せてやれよと言へば言ふほど引けなくなつて意地でも暴れん坊將軍を見るといふ感じになつてゐた。あの時は叔父もゐたはず。10歳上だから中3ぐらゐか?その話を叔父から聞いたことは無いが年齢的に考へて俺よりも鮮明に憶えてゐるのではないか。いや、當事者ではないから全く憶えてゐないかもしれない。普通は孫の見たいものを見せるのではないかと思ふ。もうその時點で結構な變り者のやうに思へる。でも今の自分自身から考へると、別にドリフなんか見なくて良いだらうと思ふ。暴れん坊將軍を祖父に見せるべきだと思ふ。どうせそんな子供の頃に見たテレビの内容なんか大して理解もできないし全く記憶にも殘らないのだから無駄だ。さう考へる今の俺も普通ではないと自分で分かる。ドリフや暴れん坊將軍をやつてゐたといふことは、土曜だな。地域によつて放送する曜日が違ふ可能性があるが、子供がそんな可能性を考へるはずが無い。土曜の習慣としてドリフを見たがつたに決まつてゐる。親も普通に働いてゐたから行くなら土日を含んで計劃を立てただらうし、木曜から日曜、若しくは金曜から月曜ぐらゐの日程で行つたのではないかなと思ふ。小5の時も行つたが何故かほぼ記憶が無い。タクシーの運轉手をしてゐた鹿之峯の親戚に島を案内して貰つて住吉のガジュマルに行つたのは憶えてゐる。その時の歸りの名古屋空港の景色も何故か憶えてゐる。着てゐた服も憶えてゐる。でも他は何も記憶に無い。まだ祖父は若かつたはずだが、頭髮が薄くなつてヅラを使つてゐるとかそれを染めて變な感じになつてゐるとか、なんかそんなやうな記憶が薄つすらあるのだが、中1の時のことかもしれない。どこかの船が座礁したか積み荷を捨てたかで流れ着いた安いタバコのわかばを大量にどこかで拾つて來て乾かして吸つてゐたといふのも憶えてゐるがいつのことだらう。高1の夏が祖父に會つた最後だ。教員になつて鹿兒島に住んでゐた叔父に櫻島とか唐船峡とか池田湖とかに連れて行つて貰つた後、種子島に行つた。祖父はもう心臟が惡くて居間のテーブルに救心が置いてあつた。その1年半後に寢てゐる間に死んだ。當日も元氣で普通だつたらしい。寢てゐる間にたまたま心臟の發作が起こつてそのまま逝つたんだらう。普段から輕い發作はあつたんだらうな。その最期の時もきつと普段と同じやうな發作だつたのではないかといふ氣がする。普段ならそのまま普通に戻るのにその時はたまたま何かが違つて戻らなかつたんだらう。病院が嫌ひで行かなかつたみたいな話を聞いた。心筋梗塞だらうか。病院に行つてゐたらまだ生きてゐた可能性もある。まだ80代だらう。俺も病院が嫌ひだ。俺も似たやうな死に方をするのかもしれない。自分の記憶はその程度しか無い。まともに會話をした記憶が無い。自分の憶えてゐる限りでもやはり少し變り者だとは思ふ。他人から聞いた話は色々ある。動物が好きだつたらしい。犬は何匹も飼つたが全部ポチといふ名前だつたらしい。3匹ぐらゐは俺も知つてゐる。庭に池を作つたら高熱が出て占ひか何かでそれが原因だと言はれたみたいな話も聞いた。野生のフクロウが懷いて住み着いて祖父の後ろをついて歩いてゐたとか、孔雀を飼つてゐたとか聞いた。孔雀なんてどこから入手したんだらうか。昔は種子島に普通にゐたんだらうか。ゐないよな。屋久島で猿を毆り殺したといふのも聞いた。たぶん撫でようと思つて近づいたら襲はれたのではないかと思ふ。もしかしたら捕まへて種子島に持ち歸らうなどと考へたのかもしれない。俺も屋久島でデジカメを持つて動畫撮影しながら近づき過ぎて襲はれたことがある。俺は自分でも信じられない反射速度で逃げて猿も途中で見逃してくれたから助かつたが、もし猿が追撃をやめなければ俺も覺悟を決めて毆り殺してゐただらう。バトルに發展したらもう殺るか殺られるかしか無いからな。野生の猿に襲はれるのは相當怖いぞ。祖父は反射的に逃げるのに失敗して撲殺まで行つたんだらうと思ふ。最初から殺すつもりで向つて行くといふのはいくら變人でも動物好きなら通常は考へられない。俺は逃げ切れても半泣きだつた。祖父も半泣きだつたに違ひ無い。やはりどこか俺に似てゐるやうな氣がするよな。
祖父がもしあの時に死んでゐなかつたらどうなつてゐただらうか。祖母はいづれ完治不能なATLを發症して早く死ぬ運命だつた。祖父の方が長生きしてゐたらどうなつただらう。女は一人になつても餘裕で生きて行くが男は難しい。結局は祖母が死んですぐに早死にしたかもしれん。まだ體が動くうちは何とかなるだらう。地域の共同體が生きてゐるから近所の人の助けもあつて何とかしばらくは生きて行くはずだ。だが足を惡くしたとかで介護が必要になつたらどうだつただらうか。一番下の叔母邊りが叔父に「あんた近くに住んでるんだから世話しなさいよ」とか適當なことを言ひさう。うちの親も似たやうなことを言ふかもしれない。「何とかしたいけどこちらが忙しくてどうにもできんし・・・」みたいに眞劍に惱んでゐるやうなことは言ひつつも結局は誰かに任せようとするのではないか。叔父が種子島に移住して世話をするのは無理だし引き取るといふのも奧さんが絶對嫌がるのが見える。叔父は恐らく祖父を施設に預けることを考へるのではないか。しかし最終的には猫の叔母が愛知の生活を捨てて色々犠牲にして無理に種子島に來て一緒に住むことになるのではないかと思ふ。そこにうちの親が惡氣は無くとも無神經に「どうせ暇なんだし種子島はのんびりしてて良いんぢやない」とか言つて叔母の神經を逆撫でしたりするんだらう。祖母の時もきつとさうだつたんだらうと思ふ。そんなに無理してやらなくても言つてくれれば良かつたのにとか後から言ふのもまた火に油を注ぐ。言はれなくても色々犠牲にして種子島に來て祖母の世話をした叔母と、言つてくれなければ積極的に無理してまで種子島に行かうとは考へない他の叔母や親ではやはり違ふんだよ。どちらが良いとか惡いとかぢやない。それぞれできる範圍でやれるだけやつたが、「できる範圍」の幅の取り方が各自違つてゐて、それを理解しようとしないから分かり合へない。その程度しかできないのか!と言ふのもをかしいし、そこまでやるなよ!と言ふのもをかしい。でも祖母は猫の叔母に早く歸つて欲しいみたいなことも言つてゐたから報はれないよな。何だかんだで結局は祖父がさうなつても猫の叔母が世話をすることになつたんだらうなと思ふ。叔父が提案しさうに思へる施設に預ける選擇を全員が贊成すればそれが一番良い解決になるだらうが、可哀相だとか薄情だとか施設で酷い扱ひを受けるかもしれんとか言つて猫の叔母が反對して無理して種子島に來て世話をしさうに思へる。そしてそれが結局は揉め事に繋がるんだらうといふのが何と無く見える。あの叔母さんは平氣で自分を追ひ詰めるからな。俺にも似たやうなところがあるから何と無く分かる。横濱の叔母がどういふことを考へてどういふ行動を取るのかが俺には想像ができない。祖父の次に謎な人物だな。でも介護の仕事をしてゐるからプロなんだよな。頼まれれば種子島に移住してやるかもしれないな。横濱の叔母は種子島には住みたくないだらうけど。介護といふのは他人事ではない。うちの父親が要介護状態になつたらどうなるだらう。弟は間違ひ無く何もやらないしできないだらう。あいつはいつも口だけ偉さうだが何もしない。俺は全く金を持つてゐないし弟も同じやうなものだから施設に入れるのは不可能。自分で自力で介護できるだらうか。無理だと思ふ。親は退職金を貰つたはずだと思ふがいくらあるのかまだ殘つてゐるのか何も知らん。毎日のやうに居酒屋で飲んだくれてゐるが、今の給料で遣り繰りしてゐるのか、退職金に手をつけてしまつてゐるのか、俺は何も知らない。色々考へておかねばならんな。
空港の3階の飲食店が密集してゐるところに上がつてみた。しかしまだどこも開いてゐない。2階の喫茶店みたいなところしかやつてゐないやうだ。朝早いからな。で、喫茶店へ。叔父が携帶電話を家に忘れて來たらしい。翌日に家族に持つて來て貰ふことになつたが、まあ特に無くても困らないだらう。從妹は電話を持たせて貰へないやうだ。學校で仲間はずれにされたりするかもしれんし、少し可哀想な氣もするな。そんなのでしか繋がれないやうな人間關係など切つてしまつて何の問題も無いのだが、子供の頃はさういふ感覺は無いだらう。でも持たせたら持たせたで變な犯罪に卷き込まれたりする可能性もあるしな。朝は數種類のセットメニューみたいなのしか無い感じだ。通常時はステーキとかも色々あるんだが。量の少ないものは無いやうだ。まあ適當に注文した。やはり空港は高いな。俺は拂はないから良いけど900圓ぐらゐしやがる。寫眞は豪勢だがどうせ實物はショボいんだらうよ。と思つたが、かういふ時に限つて物凄く大量なサンドイッチ&サラダ。デカい皿に山盛りですよ。俺、この1食だけで1日過ごせるよ。ていふか、普段の1食より多いかもしれない。食へないことは無い。しかし食ふと夜の飯に影響が出るだらう。かと言つて今さら食はないといふ選擇肢は無い。貴重な食料を無駄にしてはいけない。どうしても食へなくなつたら諦めるしか無いが、可能ならば必ず全部食はねばならぬ。飯が食へない地獄を味はつたことは無いだらう?こんな豐かな時代の豐かな國で飢ゑるなんて想像もできないだらう?俺は10年以上前に金が盡きて餓死し掛けたことがある。3日で2食、米と具無し味噌汁のみ。味噌汁もただ味噌を溶かしただけでダシも何も無い。米は何杯も食つてはいけない。可能な限り少ない飯で何とか命を繋ぐといふ生活。あの時が成人してから最も體重が少なかつた時だ。47kgぐらゐまで行つた。まあさういふのも良い經驗だ。食料のありがたみを實體驗で知つてゐるといふのは強みだと思ふ。飲食店に行つて食へもしないくせに次から次へと注文して平氣で殘す屑がよくゐるだらう?飢ゑて死ねよと思ふ。食料のありがたみが分からん奴はダメだ。食料はこの世で最も尊い。てなわけで、當然全部食つたよ。美味かつたよ!滿腹滿腹!!終つた。午前の早い段階で1日が終つた。もしかしたら種子島旅行そのものがこの段階で終つた。さらば海の幸!!普通に朝飯を食つただけでまさかこんなことを考へてゐるなんて誰も想像もできないだらうな。
土産物屋をチラリと覗いてみたりするが、俺は何も買はない。バンドメンバーに何か買つて行かねばと思ふが、これからお世話になる種子島の人に何か買つて行くといふ發想は無い。
飛行機に乘る。面倒な保安檢査を通過し、搭乘口へ。小さいプロペラ機なので高さが無い。建物内から直截乘り込むことができない。一旦外に出て徒歩やバスで飛行機まで行くことになる。今囘はバスだつた。飛行機に乘り込んで座席へ。左側に1列と右側に2列しか無いやつだつた。兩側とも2列のやつもあるんだがな。客が多い時期以外は3列の飛行機なのかもしれない。種子島に行く時は島の西海岸の上空を南下して行くので、左側だと島がよく見える。右側だと鹿兒島で櫻島が見えるが種子島附近では馬毛島しか見えない。俺は親のと一緒に搭乘手續をしたので、勝手に右側の2列の席にされてゐた。櫻島は見えたが激しく噴火してゐる感じではない。少し白い蒸氣が出てゐるだけ。少し前に爆發的な噴火があつたやうなニュースを見たが、特に珍しいことでもないんだらうな。種子島の西を飛び、空港のある緯度まで南下すると東西方向に向きを變へて島に突入する。しかしこのルートは毎囘違ふ。風向き等で變更されるのかもしれない。島の逆方向の西に向つてからUターンして降下したこともあるし、島を横斷して島の東の太平洋でUターンして東側から降下したこともあるし、どちらでもなくただ南下して左に曲がつてそのまま着陸したこともある。今囘は最短だつた。東に向きを變へて濱津脇やその先の長濱海岸が見えた。このまま東へ拔けて太平洋でUターンして犬城海岸やゴルフ場のところを降下するパターンが俺の場合は多かつたので、今囘もさうなんだらうと思つたが、そのまま西側から降りた。墜落せず、無事に到着。懷かしい、といふほどでもない種子島。相變らず風が強いな。冬の種子島は2囘目だ。前囘冬に來たのは丁度10年前の祖父の十三囘忌の時。もうあれから10年も經つんだな。あの時3歳だつた從妹がもう中2になつてゐるからな。
風が強過ぎる。寒いが、普段より薄着して暴風でこれだから可兒と比べればやはりかなり暖かいんだらうと思ふ。前に來た時も風が強かつたな。種子島の冬はいつもこんな感じなのかもしれない。いざとなつたら種子島でホームレス生活を考へてゐるが、冬が嚴し過ぎる氣がするな。風さへ無ければと思ふが。まあそんなに追ひ詰められるかどうかも分からんし、取り敢へずどうでも良い。
荷物を受け取るのに時間が掛かると思ひ、親に任せて便所へ。起きてすぐ飯を食つて胃腸を刺戟したのでいつものやうに便意に襲はれる。ただし、いつもほどの強烈な便意ではない。放置しても良ささうに思へる。だが便所に行ける時に行つておいた方が良いに決まつてゐる。後で大變なことになるかもしれんからな。で、苦戰した擧句あまり出ない悲劇。そんなに時間を掛けたはずは無いんだが、便所を出ると、荷物の受け渡しなんかとつくに終つて客はみんな外に出て、親と叔父だけが殘つてゐる感じだつた。スマンね。ウンコに苦しめられる人生だからな。
レンタカー屋も數人しか殘つてゐなかつた。客が捌けてすぐにレンタカー屋は歸る。殘つても意味が無いからな。で、叔父が殘つてゐたレンタカー屋に話し掛ける。手配することはできるが空港には車は無いみたいな感じだ。擔當の人が電話に出ないやうで、少し時間が掛かりさう。空港の外の少し離れたところに營業所があるので叔父はそちらに行くことになつた。その間、俺と親は空港の待合室や土産屋で待つ。親は冷凍落花生や安納芋やタンカンを土産に頼まれて來たやうだ。俺も安納芋を頼まれて來た。芋は秋に收穫するからもう無いかもしれないと思つてゐたが、まだあるやうだ。收穫したやつを一旦土に埋めて保存したやつを冬に掘り返して賣るらしい。土の中に入れておけばある程度は保存できるらしい。いつも賣つてゐる冷凍落花生は無いやうだつた。ロケットの打ち上げが17日にあつたばかりで、觀光客が全部買つて行つたのかもしれないと思つたが、實はもうこの時點で種子島中にただの1袋も存在してゐなかつた。時期の問題ではない。去年は何故か異常に收穫量が少なかつたらしい。落花生だけでなく、タンカンもアホみたいに少なく、さらに海では腐るほど獲れるはずのカマスがほとんど獲れなかつたらしい。一部の地域で少しだけ獲れた程度なのだとか。動物も植物もダメだつたといふことは異常氣象のせゐなんだらうな。可兒も夏が全く暑くなかつたし、急激に冷え込んでからまた急激に暖かい時期が不當に續き、また急激に寒くなつたりした。今後も地球規模でをかしな氣候が續くと豫測されてゐる。可兒でも家庭菜園が理不盡に不作だつたからどこもさうなのかもしれない。この程度のことで收穫量が激減するんだよ。食糧自給率が極端に低い國がTPPなんかでさらに自給率を下げてどうするんだ。地球全體で食糧難になつたら眞つ先に死ぬぞ。金ごときクソなんかいくら積んでも貴重な食糧は手に入らんぞ。だからこそ、自分だけでも延命できるやうに家庭菜園や釣りの腕を磨く必要がある。急にやり始めて出來るものではない。知識だけでもダメだし、技術を身につけるには經驗も必要だ。畑も使ひ續けて土を維持しないと必要な時だけ都合良く使ふなんてことはできない。食糧難になんかならねえよと思つてゐる奴が多いだらうが、俺らが生きてゐる間に起こる可能性はそこそこ高いと思ふ。その時、俺はお前らを助けない。アリはキリギリスを助けて感謝されるが、働き者の俺は怠け者のお前らの餓死を肴に飯を食ふ。
無事にレンタカーが手に入つた。叔父の中學の後輩がレンタカー屋で働いてゐて安くして貰つたらしい。宿には15時からしか入れない。法事は14時から。法事まで4時間ぐらゐある。その間に親戚囘りをするらしい。まづ芋がタダで手に入るかもしれないといふ下心を抱きつつ古田の大叔父の家へ。祖母の家がボロボロになつてゐて何とかせねばならんのだが、それをどうするかといふ問題もある。大叔父が色々欲しがつてゐるやうだし、もう全部任せれば良いのではないかと親は言ふ。どうなるか俺は知らないが、もう廢墟みたいになつてゐるし、このままにしておくわけにもいかんだらう。恐らく今囘があの家の見納めになるだらうと思つてゐる。うちの親はあの家に住んだことが無い。學校を出て名古屋の方に行つた後、20か21ぐらゐの頃に結婚することになつてから今の家を建てたやうなことを聞いた。大阪や名古屋周邊に種子島人が多い感じがするが、親の世代の人達が學校を出て集團で都會の方に就職するために出て行つたからだらう。まあとにかく、親はあの家に住んでゐない。斷續的に通算1年ぐらゐは住んだ俺の方があの家には思ひ入れがあると思ふ。叔父はあの家で育つたから俺以上だらう。無くなるのは寂しいがもうどうにもならん。誰かが住んで維持すれば良かつたんだらうけどな。可能性としては横濱の叔母か俺かといふことになる。叔母は種子島に住みたくないだらう。俺は何としても種子島に住みたい。ならば俺があそこに住めば良かつたのだと誰もが思ふ。しかしどうしても種子島に住めない理由が2つある。2つの問題を圓滿且つ完全に解決するためには今のところ寶籤で一發デカく當てるしか無い。これがもどかしい。
大叔父の家に行つてみたが輕トラが無かつた。今の時期はおおぎ(サトウキビ)の收穫で忙しい。10年前に來た時も祖母や大叔父のおおぎ畑の手傳ひをした。ゐないやうなので明日改めて來ようかといふことになつたが、念のため裏の小屋の中の芋の樣子を見ておく。タダで芋を貰ひたい下心がフルパワーだ。でももう良い感じのは無かつた。小さいのが少しあるだけ。もう腐つてゐるかもしれないやうな状態だ。とにかく、今日はゐないやうなので次の場所へ行かうとしたところ、玄關の中で音がした。鍵が開いてお婆さんが出て來た。少し話して、また連絡するからと言つて古田を出る。縣道76號を西之表へ向ふ。親達の從姉の家に行くらしい。2年半前に來た時にも行つたところだ。新しいだいわの横の道を上がつて行く。いや、もう新しいといふほどではないか。古い方のだいわはどうなつたんだらうか。新しいだいわのところにあつたBEST電器は潰れた。ヤマダ電機に買收されたやうなニュースを見たが、川の對岸にあつたSUZUKIか何かの整備工場のところに新しくヤマダ電機の店舗を作つてゐたのを前囘見た。BEST電器がそのままヤマダになるのかと思つてゐたのに新たに建物を作つてゐたから何か變だなとは思つてゐたが、今囘見たら昔BEST電器だつたところはエディオンになつてゐた。こんな人口の少ない場所でしかもこんな隣接したやうな場所でヤマダとエディオンが競ひ合つても共倒れになるだけだと思ふんだが、どうなつてゐるんだらう。
だいわの横の道を上がつて行く。親達の從姉が墓で待つてゐるらしい。墓の手前の道を曲がつて少し入つたところで停車。親は特に何も言はない。墓で待つてゐるなら墓に行かないとダメなんぢやないのか?と叔父に指摘される親。どうするつもりでゐたんだらうか。墓の方で手を振つてゐる人がゐた。その人だつた。空港に着いてから親が電話して今から行くと連絡してゐた。また道に迷ふ可能性もあるし、近くで待つて案内するついでに墓の掃除でもしようといふことにしたらしい。墓の掃除を少し手傳つてから家に案内される。曲がり掛けて止まつた道の先。遠藤造園の看板が懷かしい。ここまでは俺も分かるんだが、その先で道の左側に目立たない細い入り口があつて、そこを憶えるのが難しい。2年半前に來た時に會つたお婆さんは2人とも亡くなつた。親の從姉の家に隣接するやうに作られた小屋にゐた元氣なお婆さんも亡くなつた。癌が發覺してすぐに亡くなつたらしい。誰だか全然知らなかつたが、親の從姉の旦那さんの親らしい。もう少し奧に行つたところにゐた、もう1世代上ぐらゐの感じの完全に癡呆が進んだ小さいお婆さんも亡くなつたらしい。あれが誰なのか今でも分からない。色んな親戚の家を囘つて輕く挨拶するだけのつもりだつたやうだが、結局長居することになつた。前囘來た時もここで長く話し込んだ。色々と食べ物も出て來る。親の從姉が何か料理しまくつてゐるのだが大丈夫だらうか。無限の胃袋が欲しいよ。食べ續けたいのではなく、いくら食べても重要な飯の時にまだ食へる状況でゐたい。パンを作る機械があつて、丁度出來上がつた。親が興味津々。以前から興味を持つてゐたやうだ。で、そのパンも貰ふことになつた。大丈夫か?行く先々で貰ひまくつて後で殘つて毎囘面倒なことになつてゐるだらう。魚の天ぷらを大量に揚げてゐるが、それも持つて歸ることは確定してゐるだらう。朝あれだけ食つたから俺はもう何も要らないんだが、色々勸められる。タンカンや菓子を少し食つた。歸り際にボタモチといふのが出て來たが、おはぎとは違ふのだらうか。同じもので名前が違ふだけなんだらうか。今ここで自分が牡丹餠といふものを知らないといふことを初めて知つた。棚から牡丹餠といふ言葉は知つてゐる。その牡丹餠といふものがどういふものなのか、考へたことも無かつた。目の前にある牡丹餠はどう見ても御萩だ。地域によつて呼び方が違ふだけなんだらうか。それとも根本的に違ふものなんだらうか。2年半前、角卷きと灰汁卷きの違ひが分からず放置したまま歸つてから調べても分からず、それ以來ずつとそれが頭に殘つてゐて氣分が惡い。今日か明日には聞くつもりで來てゐる。また同じやうに牡丹餠と御萩の違ひを知る機會を失へば數年間苦しみ續けることになつてしまふ可能性がある。今ここで激しく質問しておくべき。だが話の流れを遮つて突然質問するのが不自然過ぎてタイミングを逸し、そのまま有耶無耶になつてしまつた。まだいくらでも親とかに聞く機會はあるはず。無かつたんですけどね。角卷きと灰汁卷きの違ひも聞くタイミングが無かつたのですよ。宿題を殘したままの方が次囘の種子島旅行を樂しめるのだと前向きに考へることにしよう。
結構長居したが、結果的には丁度良い感じになつた。次は下西の大叔母の家。「イケダパンの近く」のあの家。2007年に、イケダパンの近くだから行けば分かるから遊びに來いよとか言はれたんだが、分かるわけが無い。來て欲しくなくてわざと言つてゐる感じではなかつたんだよな。今日最初に行つた大叔父の家も「ヤギがゐる家」だからすぐ分かると説明された。分からんよ。兩方とも自力で探したことはあるんだが、そんな眞劍に探したわけでもないから見つからなかつた。叔父に初めて連れて行つて貰つた時、これは絶對分からんわと思つた。その頃、叔父の友人でたまたま種子島に來てゐたといふカナダかどこかの外國人と西之表で飲んだのだが、その人の名前がどうしても思ひ出せない。もう二度と會ふことは無いはずだから思ひ出す必要は無いのだが、一度憶えたことを忘れてしまつたといふのが自分で許せない。人生は自分との勝負。自分に負けたといふことだ。ヘンリーぢやないよな。エドワードでもないよな。ゴードンでは絶對にない。ダメだ。考へれば考へるほど機關車トーマスの名前ばかり出て來て餘計思ひ出せない。そんなことはいい。あれ以來だから8年半ぶりか。「イケダパンの近く」より「わかさ公園の裏」の方が何萬倍も分かるよ。廣大な西之表からどうやつてイケダパンを探すのかといふところで途方に暮れたからな。で、今はおおぎ刈りの時期なので、やはり大叔母夫婦はゐなかつた。息子はゐた。もう自分の畑は大體終つたみたいなことは言つてゐた。また明日にでも來れたら來るといふやうなことを言つて、挨拶だけで終り。結局もう行けなかつたんだけどな。もし大叔母がゐたらまた上がつて行けよと言はれて色々饗されて夜はもうミナ1つすら食へませんみたいな状態になつてゐたかもしれない。國道を南へ。サムズの先の海側、エビの養殖池の跡地だらうか、あの邊りが太陽光發電のパネルで埋め盡くされてゐた。深川や牧川の海岸沿ひに夕日を見るための休憩所みたいなのが作られてゐる。作る必要があるんだらうか。地元の人はそんなの必要無いだらうし觀光客がわざわざそんなところで夕日を見るとも思へん。
次は草ノ木。祖父母の家が廢墟みたいになつてゐるはず。今日はそこには行かないやうだ。坂の下にお婆さんが住んでゐる。これがいまだに誰なのか分からない。ただの近所の人なのか、何らかの血縁があるのか。道路を挾んで店があり、そこの人も祖母と親しくしてゐて親も子供からの知り合ひだ。そこの2つに挨拶に行く。坂の下に自販機が設置されてゐた。誰が買ふんだらう。國道沿ひだが、店も目の前にあるし、少し先に龍星館もあるだらう。地元の人も觀光客も買はないのではないか。坂の下のお婆さんは寢たきりのお爺さんをずつと介護してゐたが少し前に亡くなつたらしい。2年半前に來た時はまだ生きてゐたから、最近のことなんだらう。16年も介護したと言つてゐた。
ここに泊まれよと行く先々で言はれる。親はどこでも泊めて貰へるから良いよな。俺は種子島に遊びに行つてももう祖母の家が無いから難しい。俺一人では誰も泊めてくれないだらう。頼めば嫌とは言はないかもしれないが、内心では嫌だらう。俺は全然知らない人の家でも餘裕で泊まれるけどな。親の同級生は普通に泊めてくれさうではあるが。でも危險過ぎるから俺にいつでも種子島に來いとか氣輕に言はない方が良い。すぐ歸つたら勿體無いなどと言つて恐ろしく長い期間居座つた擧句、歸る金が無いとか言つて非常に面倒なことになると思ふ。
天氣が惡い。すぐそばにある墓にも寄つて行かないらしい。また明日にでも來るといふことにして、寺へ。
親は岐阜でも安納芋を作つてゐるが今季は異常に出來が惡かつたらしい。種子島でも色んな作物ができてゐないやうだから、氣候のせゐだらうと思ふ。だが叔父が連作障礙だらうと言ふ。あれ?サツマイモつて連作障礙あつたか?確か無かつたやうな氣がする。確信が持てなかつたので何も言はなかつた。自分で作らない野菜の知識はどんどん無くなつて行くな。また家庭菜園檢定の復習をせねば。連作障礙があつても大丈夫なはずだと思ふ。畑を區切つて、作る野菜を囘して輪作してゐると思ふ。以前親が同じ野菜は同じところで作ればいいのに毎年場所が變つてて鬱陶しいみたいなことを言つてゐた。親は知らなくてもしつかり對策はされてゐるはずだと思ふ。たまに岐阜産安納芋を親から貰ふが、種子島のとは味が違ふ。同級生から種子島の苗を送つて貰つて作つてゐるから物は同じはずなんだが、やはり土とか氣候とかで味が變るんだらうな。種子島の中でも地域によつて味が違ふらしい。安納芋といふだけあつて、安納地區の芋が一番美味いらしい。安納は島の北東の地域。あまり行つたことが無い。親戚もそちらの方にはゐないと思ふ。種子島の農業は儲かつてゐるらしいと親が言ひ始めた。おおぎは儲かるんぢやないのかと。本氣で言つてゐるのか?祖父母や親戚みんなおおぎを作つてゐたが全然そんな感じではなかつただらう。さう言へば祖母を大學病院に連れて行つた時にタクシー運轉手も種子島の農業は凄く儲かるらしいみたいなことを言つてゐた。銀行で働いてゐる知人が種子島の農家の口座を見たら凄かつたといふやうな話。儲かつてゐるのはおおぎではなく安納芋の農家だらうと思ふ。今後TPPでますますサトウキビはダメになるな。どうせ後繼者がゐないから20年以内に自然にほぼ壞滅するんだらうけど。さうなつた時に廣大な農地はどうなるんだらうか。作る物も無いし作る人もゐない。移住する人もゐないから宅地化しても意味が無い。山になつてしまふのかな。米軍基地でも作られてしまふかもしれんな。馬毛島にFCLP訓練場ができればその近くに基地があつた方が便利だよねとかアホが言ひ出す。種子島のすぐ隣の小島の馬毛島にFCLPの訓練場を作るとかどうとかいふ話、本土ではもう全くニュースにもならないが、まだ消えてゐない。俺は時々西之表市のWebサイトを見たりして少しは状況を知つてゐる。本氣で將來移住する氣だから種子島の動向をチェックしてゐるのですよ。冗談だと思つてゐる奴も多いだらうが、本氣で寶籤を當てるつもりでゐるから。島には補助金目當てで大贊成といふ人も結構ゐるやうだ。國道沿ひにFCLP大歡迎!!といふやうな看板が大量に建つてゐた。FCLP斷固反對!!みたいなのも多い。交互に贊成と反對の看板が竝んでゐるやうな感じだつた。贊成派と反對派のどちらが多いんだらうか。常識的に考へて反對の方が多いと思ふんだが。贊成派も完全に金目當てで國防とかは一切考へてゐないだらう。TPP反對といふ看板も多かつたが、TPP贊成は1つも見なかつた。さすがにサトウキビが壞滅するから誰も贊成しないか。もう反對しても遲いけどな。アメリカの言ひなりになつて限界まで搾取されることに最高の喜びを見出す賣國奴を國民が選擧で選んだんだから仕方が無い。どつちみち民主黨もTPP推進してゐたから阻止できなかつただらう。弱小政黨しか反對してゐなかつたからな。自民黨だつて選擧の時はTPP反對を全力で掲げてゐた。社民とか共産がもし政權を取つても裏でアメリカに脅されて贊成に轉換したかもしれんしな。どうにもならんだらう。馬毛島も結局訓練場にされて一應は自衞隊のものといふことにしつつもほぼアメ公に全力で利用されるだけになるだらうよ。使用料をアメリカから取るのが常識だらうと思ふが、必ず思ひ遣り豫算みたいなので日本が全額負擔するだらうよ。賣國奴が國を動かしてゐるからな。中國が怖いからアメリカさんに全力で依存するしか無いなんて言ふ馬鹿がゐるがアメリカは絶對に中國なんかと戰爭したくないから、中國を刺戟するなと日本を脅して來る。全然役に立つてゐない。いざとなつても眞劍に全力で助けてくれるとは到底思へないんだが、ここまで全力賣國する價値があるだらうか。
南界にある寺へ向ふ。昔の坊さんは30ぐらゐの俺を大學生だと思ひ込んでゐた。偉い坊さんになつて京都の方へ行つたらしい。今の坊さんは「新しい坊さん」とよく言はれてゐるが、祖母の三囘忌の頃には既に新しい坊さんだつたからもう新しいといふほどでもないな。「新しいだいわ」と同じやうなものだ。14時からといふことになつてゐる。お供へするものを買ふために野間のAコープに寄る。ジャンボ寶籤で1等が出たといふあの賣り場が敷地の出入口の邊りに昔のまま建つてゐる。1等が出ると評判になつて賣上が激増して店舗がデカくなることがよくあるが、ここはさういふことにはならなかつたやうだ。美濃加茂の煙草屋も大昔に當りを出してからよく當ると評判になつて今では遠くからも大勢買ひに來るやうになつてゐる。川平たばこ店といふがもう煙草など賣つてないんぢやないのか。店の看板は「宝くじの店」になつてゐるしな。寶籤なんか確率だけだからどこで買つても同じなんだが、數學的な確率ではなく驗担ぎとかでオカルトを購入の基準にする奴が多い。別にそれで損をするわけではないが、竝ぶのが無駄だ。アホだなと思ふ。俺も最近、全く意味の無い厄祓ひに行つたが、それも同じやうなもの。これから行く法事だつて意味の無いこと。アホだとか無意味だとか頭では分かつてゐても、さういふことが生活に染み込んでゐるのが日本の傳統とか文化なんだらう。しかし寶籤を當てるといふのも恐ろしいことだぞ。ここで當てた人は種子島から出て行つたらしい。誰が當てたか特定された。可哀想に。1等が出たらしいといふ噂が出た頃、なんとこの犬土偶日記にも大勢の鹿兒島プロバイダのIPアドレスが猛烈にアクセスして來た。凄い人數だつたぞ。俺が2007年夏にAコープで寶籤を買つたことを日記に書いてゐたので檢索で引つ掛かつたんだらう。こんなところにまで調べに來るといふ情熱が恐ろしい。誰が當てたか突き止めたとしても自分が貰へるわけでもないだらう。何故そんなに必死になるのか意味が分からない。空き巣にでも入るつもりだつたんだらうか。強盗殺人でもやるつもりだつたんだらうか。急に仲良くして惠んで貰はうとか考へたんだらうか。他人がラクして億萬長者になるのがムカつくから嫌がらせしてやらうとか考へたんだらうか。絶對にまともな動機ではないよな。あんな超絶田舎で一寸噂が立つたぐらゐでこんなところにまで激烈にアクセスして來るぐらゐだから、可兒で當てたら凄いことになるんだらうな。銀行員が情報を漏らすんだらうな。「守秘義務があるから絶對私から聞いたつて言はないでね」とか言つてバカな銀行員が知り合ひに漏らしてそこから「誰にも言ふなよ」と言ひながらあつと言ふ間にみんな知つてゐる状態になつたりするかもしれないな。カネつてそんなに價値のあるものだらうか。知り合ひが何億か手に入れたとしても全然羨ましくもないぞ。たかりたいとか全然思はないぞ。くれるなら貰ふけどな。そんなに金が欲しいなら頑張つて稼げばいいと思ふんだが。起業でも何でも手段はあるだらうが。みんな金が欲しい金が欲しい言ひながら何故カスみたいな企業で社畜なんかやつてゐるんだらう。それは何が何でも絶對に金持ちになんかなりたくない!といふ明確な意思表示だらう。絶對に金持ちになれない人生を自ら送つておきながら金を手に入れた他人を妬むといふのが全く理解できない。俺ももし寶籤を當てて億單位の金を手にしたら妬みだけでなく殺意まで向けられるのかもしれんな。嫌だな。種子島に逃げても追ひ掛けて來さうだな。誰がどんなことを考へてゐるか分からんから寶籤が當つても誰にも言はない方が良いんだらうな。寶籤を當てて殺される事件はほとんど身近な人が犯人だからな。友人知人レベルは當然として、家族すら警戒した方が良いのかもしれない。でも絶對バレるんだらうな。默つてゐたことに對してすら憎惡を抱いたり理不盡なことになるんだらうな。そんなになるほど金が欲しいか?欲しいんだらうな。ぢやあ何故金持ちにならうとしないのか。なりたいけどなれない、と言ふんだらうな。何故なれないのか原因をリストアップして1つづつ問題を解決して努力して金持ちになれば良いと思ふんだが、さういふ人達つて一切頑張らないよな。頑張つてゐると言ふだらうけどな。誰でもできるしみんなやつてゐるといふやうなレベルでの頑張りだらう。それは頑張つてゐるとは言はない。それでできるなら世の中みんな金持ちになつてゐないとをかしいぢやないか。ナメてるのか。頑張らない人には寶籤しか可能性は無いよ。でも寶籤なんか當るわけが無いとか買ふ奴はバカだとか思つてゐるんだらう。頑張らない人間が自力で這ひ上がる可能性は完全な無だが、寶籤は絶對に當らないわけではないから、そちらの方が可能性はあるんだがな。まあさういふ人は妬む資格すら無いんぢやないのかと俺は思ふ。
果物を適當に3000圓分ぐらゐまとめてくれと頼んだが擔當者がゐないので無理みたいに言はれて斷られた。2年半前の祖母の七囘忌の時はやつてくれたのにな。その時、猛烈な便意に襲はれてAコープの外の便所でウンコを流し殺した思ひ出。あれが2年半も前といふのが信じられん。昨日のことのやうに思ひ出せるぞ。隣の花屋で花を買つて、もう少し先にある永濱ストアで果物を買つた。インスタントコーヒーとかお茶とかも。鮮魚コーナーをじつくり眺める。今種子島でどんな魚が獲れてゐるのか。いづれ寶籤を當てて移住し、釣り三昧の生活をするつもりでゐる。どんな魚がゐるんだらう。そろそろ巨大なハマトビウオが大漁なんぢやないかと思つてゐたが、ゐないな。メジナが多いな。關東ではメジナと呼ぶが、關西ではグレと呼ぶ。九州ではクロだ。岐阜は海が無い。釣りに行くには愛知の知多か、福井の若狹とかに行くことになる。知多は汚いからか、近いのにあまり馴染みが無い。釣り好きだつた椅子タンの親に子供の頃よく福井の三方五湖とかあの邊に連れて行つて貰つた。あちらは關西圈だらうから、當然グレと呼ばれてゐた。岐阜では一般的にどちらの名前で呼ぶのか知らないが、俺はグレ派。だいわの横の道を上がつて行つたところの親の從姉の家で釣りの話でクロといふ名前が出てゐた。日本さかな檢定2級をやつてゐなかつたらどんな魚か全く分からなかつただらうな。そんなクソみたいな檢定試驗でも人生の質を高めるのに大いに役立つ。この店で果物盛を作つて貰つた。メロン1個2000圓近くする。そんなの入れなくても良いだらうに。金持ちだな。坊さんだつて毎囘色んな人から果物ばかり貰つて困るんぢやないのか。少ない方が逆に喜ばれると思ふぞ。
あとは寺に行くだけ。少し南に行つたところで道が分かれる。右にそのまま國道を行けば寺に着く。そのまま更に行けばロケット打ち上げ見學ができる長谷展望公園や種子島病院がある。その先に南種子の市街地の上中があり、國道は右に曲がつて島間港まで續いてゐる。その先は海を隔てて奄美大島や沖繩に續いてゐる。野間で2つに分かれた道を左側に行くと縣道75號線。觀光するならそちら。親の同級生もそちらの方に住んでゐる。熊野海水浴場(キャンプ場)、マングローブ、千座の岩屋、廣田遺跡、宇宙センター、寶滿神社、赤米館、前之浜、七色坂、門倉岬、そして島間港へ。ここで國道と合流する。今日は觀光ではないので國道を眞つ直ぐ行つて、日本一の大ソテツや矢止石や古市家住宅などの場所をスルーして寺へ。
犬がうるさい。黒柴の雜種だらうか。昔うちで飼つてゐた犬に似てゐるが聲が高い。種子島では聲が高いと言ふと聲の音量が大きいといふ意味になる。音の高さ(周波數)が高いことをどう言ふのかは知らない。この日記に書いた聲が高いは後者の普通の意味。さう言へば、聲といふのも必ずしも人の聲のことではないかもしれない。ギターの音を祖母が聲と言つてゐた。
ドアはいつも開いてゐる。勝手に入つて拜んだりできるやうにしてあるのかもしれない。都會だつたら危なくてできないだらうな。中に入ると、3人分の椅子が最初から用意されてゐた。人數も言つてあつたのか。床には電氣絨毯があつて既に温かくなつてゐた。これが最大の罠。部屋の横の棚に祖母のお骨がある。まだ墓は無いので寺で預かつて貰つてゐる。叔父が定住する場所が決まつたらそこに納骨堂を建ててくれと祖母は言つてゐたが、叔父は高校教師で轉勤とかもあつてなかなか定住はできないやうだ。定年後のことになるのかな。でも叔父は散骨するみたいなことを言つてゐた。どうするのか知らんけど、いづれにしても俺が祖母の墓を參ることは無いだらうなと思ふ。叔父が種子島に住むならあり得るが、それも無ささうに思へるしな。
さて、今日は祖母ではなく祖父の法事だ。二十三囘忌。俺が高2の時の2月19日に亡くなつたらしい。今日まで命日を知らなかつた。恐らく前囘の十三囘忌の時に聞いてゐたはずだし、犬土偶日記にも19日が命日だと書いたのではないかと思う。でも完全に忘れてゐたといふか、今日まで正確な日時を知らないといふ状態だつた。昔は知つてゐたが忘れてしまつたといふ感覺でもなく、知らないといふ感覺。でももう憶えたぞ。
一番端の椅子に座る。前囘、祖母の七囘忌ではアホみたいに眠くて死にさうになつた。今囘こそ最後まで集中して參加するぞ!!と意氣込んだんだが、始まつた瞬間に終つた。電氣絨毯がヤバかつた。足が温まつて急激に眠くなつた。17日の夜遲くまで起きてゐて、布團に入つてからもほとんど眠れず、かなり睡眠不足の状態で家を出た。空港で無駄に歩き囘り、死ぬほど疲れたはずなのに昨日は叔父の家で空港の喧騷の幻覺に苦しめられて眠れなかつた。朝30分ほど寢たが足りるはずが無いだらう。2日連續ほとんど寢てゐない。お經を聞いてゐるとますます眠くなる。寢ないやうに時々足を動かしたり手を握つたり開いたりする。齒を食ひ縛つてみたりもする。しかし物音を立ててはいけない。落ち着き無くプルプル動いてゐたが、この世のものとは思へないほどの眠さに抗へない。人はここまで眠くなれるのか。カクン!と首が動いて目が覺める。全力で舟を漕ぐ。笑へて來る。こんな漫畫みたいなことが起こるんだな。どうしても耐へられない。目が覺めたらしばらく大丈夫だらうと思ふのだが、恐らく1分以内にまた眠りに堕ちてゐる。何度も何度も首をカクンカクンしてアホみたいだ。絶對隣にゐる叔父にはバレてゐる。坊さんは背中を向けてゐるから大丈夫だらうけど。こんなに眠い。一應法事のために島に來てゐるといふことになつてゐるから、法事を無事に乘り切れなければ種子島に來た意味が無いといふことにもなつてしまふ。寢るな。なんでこんなに眠いんだ。40分ぐらゐ耐へろ。最初は笑ひさうだつたがだんだん腹が立つて來た。激しく深呼吸してみたりしても1分以内には寢てゐる。途中で燒香タイムがある。その時だけは必ず起きてゐる必要がある。俺は左端に座つてゐる。幸ひ、反時計囘りでやるやうなので、一番最初の親が囘つて戻つて來た時にもし俺が完全に寢てゐたら起こしてくれるだらう。俺が最初だつたら大變だつたな。では燒香してくださいといふ坊さんの聲で無事に目は覺めた。助かつた。これで立ち上がつて燒香したおかげで、そこからは最後まで眠くならなかつた。危なかつた。人生最高の眠氣を味はつた。いや、危なかつたぢやねえだろ。完全に寢たわ。クソが。古い坊さんの時は巨大な手鏡みたいな形の太鼓を叩くのがあつたが、新しい坊さんはそれをやらない。それをやつてゐれば寢ずに濟んだかもしれん。途中、坊さんが咳き込んだ。氣管に唾液でも入つたのかと思つたが、その後もつらさうだつた。終つてからいつもありがたいお話を聞くところで、風邪の話を聞いた。今種子島で惡質な風邪が流行つてゐるらしい。坊さんもやられてかなり酷かつたが、何とかギリギリな感じで間に合つて良かつたと。インフルエンザの疑ひで病院に入れて貰へず、外で車に乘つたままインフルの檢査をして、インフルでないことが判明してから漸く病院に入れて貰へたらしい。嚴重にやつてゐるんだな。さういふ風邪の話だけで今囘はありがたいお話は無かつた。
叔父も昨日から咳が出てゐる。少し惡くなつてゐるやうだ。俺も2日前ぐらゐから喉が腫れて來てゐる。鼻水も出始めた。俺はこのまま治りさうでもあるが、もしかしたら惡化するかもしれない。歸りに藥局で風邪藥を買つた。そしていつもの宿へ。太陽の里の向ひにある、ふれあひの里。ロッジが3軒あり、8人用と10人用がある。いつも一番手前の8人用。2年半ぶりだが、そんなに久しぶりな感じはしない。中に入り、まづは食器棚の上を見る。あのピンク色のハエ叩きはどうなつただらうか。あのハエ叩きは祖母の家にあつたやつのやうな氣がするのだ。昔俺がハエを殺戮しまくつた思ひ出のハエ叩き。異常に似てゐたが確信は持てなかつた。ハエの汁の染みとか異常に見覺えがあつた。こんな滅多に人が泊まらない施設であんなにハエの血肉が染み込むほど使ひ込まれる可能性は無ささうに思へるところからも、どうも叔父が祖母の家の掃除に行つたついでに持つて來たのではないかと思へるのだ。それを結局ここに置いたまま歸つたのでどうなつたのかなとずつと氣になつてゐた。そんなことを氣にしてゐるなんて完全な氣狂ひだらう。親にも俺が今囘このハエ叩きのことを氣にしてゐることは言つてゐない。で、見た結果。水色の綺麗なやつに變つてゐた。ショック。汚いから捨てられてしまつたんだらうか。物凄い思ひ出の詰まつたハエ叩きなのだよ。でも翌日に安堵することになる。
親の同級生が來た。いつもタンカンを送つてくれる。社交的で、どこに行つても知り合ひがゐる。どこでも顏が利く。種子島に移住して5〜6年とか言つてゐたが、まあ子供の頃に住んでゐたし頻繁に來てゐただらうし、完全に何十年も種子島に住んでゐる人間にしか見えない。旦那さんはロケット關係で働いてゐる。愛知の三菱重工かその關係でずつと働いて、今は種子島の宇宙センターで働いてゐる。種子島に來てもう何年も住んでゐるのに言葉が全く分からんと言ふ。いづれ分かるやうになる氣もしないと言ふ。俺と同じだな。俺達が種子島に來ると夜に親の同級生達と居酒屋に集まつて飲んだりするんだが、種子島の言葉が分からないのでよく俺に話し掛けて來る。俺は話し掛けづらい種類の人間だらうと思ふのだが、それでも俺に話し掛けて來るくらゐだからよつぽど種子島辯が分からないんだらうな。種子島の言葉は聞いてゐると面白い。内容は分からんけど面白い。今日も居酒屋に集まつて飲むらしい。明日もたぶんどこかで良いものを食ふんだらうが、取り敢へず今日はこの後の居酒屋が最も價値の高い飯だらう。普通の居酒屋だから金額的な意味での價値は低いが、種子島のものが食へるといふところに高い價値がある。このために來たと言つても過言ではない。でも悲劇に繋がるのですよね。既に伏線は張られてゐる。
親の同級生がミナを持つて來たので少し食つた。ミナといふのは小さい卷き貝のこと。「イシダタミ」でGoogle檢索するとどんな貝か分かる。こんなの他所の地域では絶對に食はないだらう。種子島は食へるものは何でも食ふ。このググつて出て來る寫眞のミナはコロビミナと呼ばれる。人が近づくと一齊に海に轉がつて飛び込む。他にもクロミナとかアカミナとかツメミナとか色んなのがゐる。要するに小さい卷き貝は何でもミナなんだらう。海で拾つて鹽水で湯でて針で抉り出して食ふ。これを食はないと種子島に來た氣がしないよな。でも子供の頃に食つた經驗が無い人はこれを食ふといふ感覺には馴染めないかもしれないな。親の從姉の家で貰つて來た牡丹餠を1個食つてみた。やはり御萩だ。名前が違ふだけで同じものなんだらうか。もうすぐ夜の飯だから食はない方が良いのだが、取り敢へず全種類1個づつは食はねば勿體無いだらう。魚の天ぷらも1個食つた。何の魚かは分からん。黒いやつ。たぶんメジナなんだらうと思ふ。これは美味かつた。そして風邪藥を飮む。
風邪藥は怖い。酒と合はさると命が危ない。2000年2月にこれで氣絶したことがある。父親の同僚の家に鍋だか鋤燒きだかをやるといふことで呼ばれて行つたんだが、激しい風邪に苦しんでゐた。實はインフルエンザだつたのだが、とにかく風邪藥を飲んでから行つた。そこでワインを貰つて飲んだのが拙かつた。ほんの一口か二口しか飲んでゐないのに急激に氣分が惡くなつて視界も兩側から暗くなつて本當に死ぬかと思つた。凄まじい勢ひで醉ひが囘つて、急性アルコール中毒つてかういふやつなのか?と思つた。ゲロ吐きさうになり便所に行つたところで倒れた。ドアの外で激しく呼ばれてゐた。長く寢てゐて起きたといふ感覺ではなかつた。立つてゐたのに途中經過が一切無く、いきなり床に倒れてゐた。凄い音がして5分ぐらゐ外からドアを叩いて呼んでゐたらしいが、俺にはその間の記憶が無いし、それだけ時間が經過した感覺が無い。時間がすつ飛ばされたやうな感じだつた。1秒の時間差も無く立つた状態からいきなり倒れてゐて起き上がつた。どこかの居酒屋だかスナックだかで風邪藥とウイスキーを飲ませて殺して保險金を騙し取る事件がその後にあつて、酒と風邪藥は危ないんだと後から知つた。それ以來、かなり氣をつけてゐる。今日も藥を飲まない方が良い氣がしたが、まだ2時間以上あると言ふので、まあ大丈夫かなと思つた。さう、これが死に繋がるのです。カプセルの藥だつたから、丁度2時間後ぐらゐがヤバかつたのではないかと思ふ。
といふわけで、死の居酒屋へ。野間の中種子町立歴史民俗資料館の前にある茶ぶけといふ居酒屋。ここも親の同級生がやつてゐるのか?よく分からんけどそんな感じ。續々と親の同級生が集まつて來る。まづは酒を注文する。テーブルにはミナやアナゴが入つた皿が置いてある。アナゴといふのはウナギみたいな魚のことではない。小さいアワビみたいな貝のこと。ナガラメとも違ふ。ナガラメより格下の貝だ。ナガラメといふのはトコブシのこと。種子島では超高級品。どんどん獲れなくなつてゐる。他所の地域ではありふれた貝で高級品ではなかつたが、今は全國的に希少になつて來てどこでも高いやうだ。で、このミナとかアナゴは誰でも普通に海で獲れるから通常の居酒屋メニューで出るはずは無い。商品としてではなく、知り合ひだから出てきたといふやうなものだらう。分からんけどな。メニュー表には載つてゐなかつたが、普通に商品なのかもしれん。山芋の鐵板燒きとかダクマ(テナガエビ)の煮たやつとか色々出て來たが海の魚類は出て來なかつた。トビウオとかカマスとか出て來るかと思つたんだがな。カマスは全然獲れなかつたらしいからな。10年前に來た時に超巨大な新鮮なトビウオを古田の大叔父に貰つて祖母が砂糖醤油で煮て食つたからこの時期にハマトビウオが獲れるんだと思つてゐたが、今日は店で新鮮なトビウオは1匹も見なかつた。冷凍のやつはいくらでもあるけどな。これも不漁なのかもしれないな。ダクマは初めて食べた。祖母が生きてゐた頃、ダクマを獲りに行かうと話してゐたから樂しみにしてゐたんだが、結局行かないまま祖母も亡くなり、その後何度か種子島に來たがどこでどうやつて獲るのかも分からないし店にも賣つてゐないので食つたことが無かつた。種子島では醤油で煮て食ふのが多いらしい。その汁で素麺を食ふと良いダシが出てゐて最高に美味いらしいぞ。他所ではテナガエビは素揚げにすることが多いんぢやないかなと思ふ。
梅酒ロックとグレープフルーツチューハイを飲んだ。俺は酒に弱い體質だが、こんな程度のものなら5杯ぐらゐまでは普通に飲める。時間を掛ければ7杯ぐらゐまでは大丈夫だらうと思ふ。まさかたつた2杯で死ぬはずは無い。まだまだ絶對に大丈夫な領域のはずだ。勿論多少は醉ふけれども。で、3杯目のパッションフルーツチューハイを注文した。それを飲み始めた瞬間、急激にモワモワして來た。視界が兩側から暗くなる。猛烈な吐き氣を催す。あ、これは間違ひ無い。16年前の惡夢が甦る。少し休憩して何とかやり過ごさうとするが、時間が經てば經つほど苦しくなる。呼吸も苦しくなるし油斷すると意識を失ひさうでもある。そして、激烈な睡眠不足のせゐで耐へがたいほどの眠氣も出て來た。いや、眠氣も酒のせゐなんだらうか。氣分が惡いが絶對に吐くわけにはいかない。勿體無い。どうせほとんど全部ウンコになるんだらうが、少しでも血肉に變へねばならぬ。俺はどんなに苦しくても吐かない主義だ。最後に吐いたのは2007年夏の種子島。ナガラメの刺身に中つたのではないかと思ふが、燒酎も大量に飲んだので酒のせゐかもしれない疑ひもある。それ以前は小2の時に風邪を引き、何故かどうしてもひじきが食ひたくなつたがひじきなど常備してあるはずもなく、親が無理に鹽昆布を使つて似たやうなものを作つてくれたのだが、それが不味くて氣分が惡くなつて便所で吐いてしまつた。それ以前に吐いた記憶は無い。人生で記憶にあるのはその2囘のみ。今後死ぬまで吐かないつもりでゐる。酒は一旦やめて、他のものを少しづつ食つてみたりしたが、全く囘復の兆しも無く、これはあの時みたいに氣を失ふまで行つてしまふかもしれないと思つた。迷惑を掛けるわけにはいかん。でもどうにもならん。あの風邪藥は長時間胃に殘るやつだつたんだな。根性で堪へるしか無い。本氣で死にさうになつてゐたが、できるだけさういふ素振りを見せないやうに頑張つた。他の人から見たら激烈に醉つてゐるやうには見えただらうが、まさかそんなことになつてゐるとは思はなかつただらう。そんな状況で便意に襲はれ始めた。昨日からずつと激しく食ひつぱなしだからな。これは便所で倒れる可能性もあるぞ。ウンコ部屋に行き、ウンコを放出し始める。視界がどんどん狹くなる。前に倒れた時もさういふ状態になつたが、視界が狹くなつて眞つ暗になつて倒れるんぢやないんだ。視界が狹い状態でモワモワしてゐていきなり床から立ち上がるんだ。倒れる瞬間にもうダメだと思ふやうなことも無いし、いつ倒れたのかも知らないのだ。急になるから防御もできない。打ちどころが惡いとウンコまみれで死ぬかもしれない。眠いし氣分惡いしウンコは一氣に出ないしどうすれば良いのか分からん。氣絶はしてゐないはずだが、結構長く便所に行つてゐたやうだ。戻つてから、少しづつ食つて胃の中を薄めようと頑張つてみたが全然ダメ。そのうち、法事の時みたいにどう抗つても絶對に堪へ切れない眠氣に襲はれて何度も寢たり起きたりを繰り返した。ふと氣附くと全員が俺の方を見てゐた。どれだけ寢たのか分からんが、危險な状態は脱した。酒と藥のコンボで視界が狹くなつたり氣分が惡くなつたりモワモワしたりするやうなのがほとんど消えた。眠つてゐる間に氣絶したのかもしれないが、目が覺めたならどうでもいい。ただ通常の酒醉ひ状態は殘つてゐる。まだここから飲めるし、飯も食へるぞ。と思つたがもうそんなに時間は無いやうだ。新たに何かを注文する空氣ではない。殘つたパッションフルーツチューハイを少しづつ飲みながら殘つたものを色々食ふ。こんな状態だつたから種子島の飯を堪能できなかつた。でもそんなに種子島料理ばかりといふわけではなかつたな。冷やし中華みたいなのとかピザとかもあつたし。クルマエビの串燒きとかもあつたが別に種子島ぢやなくても食へるしな。
殘念な感じで店を後にする。全て自分が惡い。風邪なんか引かなければ良かつたのだし、寢るべき時にしつかり寢ておくべきだつたのだ。さすがに今日も寢れないなんてことは絶對に無いだらう。まだ酒が殘つてゐて足がフラつくので風呂に入るのは危ない。さて、日課のギター練習ができないのだが、意外と何ともない。2年半前は毎日やつてゐる練習が途切れてしまふことが嫌で嫌で仕方が無かつた。やはり一度途切れるとどうでも良くなつてしまふのかもしれん。といふことは、今日と明日やらないだけで本格的にどうでも良くなつて歸つてからもやらなくなつてしまふ可能性もある。それだけは避けねばならん。そして、旅行だらうと何だらうとずつと續けてゐた筋トレも何故か今日はどうでも良いと思へてしまつた。これを途切れさせるのは前囘ギターを途切れさせたのと同じくらゐ嫌なんぢやないかと思つたが全然抵抗が無い。今日は何故か全くやる氣にならないし、別にやらなくても良いのではないかと思へて來た。結局やらなかつた。どうせ榮養不足で筋肉は増えないし。いや、今日は食つたからかういふ時こそウンコになる前に激しく運動して肉に變へるべきなのかもしれない。
叔父は俺とは違つてどんどん風邪が惡化してゐる。熱も出始めたらしい。熱い風呂に長時間入つたりしても效果は無いやうだ。風邪藥も效かない。風邪ではないかもしれないと言ふ。昔、心臟をやられた時と似てゐると言ふ。齒から菌が囘つて心臟をやられて手術をしたとか。心臟手術をしたのは知つてゐるが、さういふことだつたとは知らなかつた。祖父の心筋梗塞か何かの遺傳かと思つてゐた。もしさうなら俺も血を引いてゐるから心臟が危ないかもしれないと思つてゐたが、遺傳するやうなものではなささうだな。叔父はもう法事は終つたから最大の仕事は終つたが、明日は鹿兒島から家族が來てみんなで種子島觀光をすることになつてゐる。この調子だと難しいかもしれんな。心臟でなければ俺とは違ふ種類の風邪だから俺もうつされて可兒に歸つてから苦しむことになるかもしれない。まあ可兒に歸つた後は一切何も豫定が無いから全力で寢込めば良い。
俺も風呂に入つて、完全に體が乾くまで電子書籍を讀んだりして、適當な時間に布團に潛り込んだ。叔父と同じ部屋だつたから風邪のウイルスを貰ふかもしれないなと思つた。さすがに今日は一瞬で爆睡できるだらうと思つたが、まだ酒のせゐか心臟の鼓動が速く、眠れさうな感じではなかつた。少し焦つたがやはり激烈な睡眠不足だつたからすぐに寢た。今日はとにかく死ぬほど眠い1日だつた。法事と居酒屋で人生最大級の眠氣を味はつた。
今年は日記の文字數を減らすといふことになつてゐる。今囘の種子島旅行も短めにするつもりだつた。しかし書いてみれば誰も讀めないぐらゐの量になつてしまつてゐる。この調子だと3日目が大變だな。3日目を短くするとバランスが惡い。3日目の方が内容は濃いだらうし。まあ適當に。今週中に最終日の分まで更新できるのかな。
讀書70ページ。
話題:種子島 2016年2月
公開日時 | 2016年02月24日 23時19分56秒 |
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最終更新日 | 2016年02月25日 19時23分29秒 (更新回数: 2) |
本文文字数 | 29679文字 (タグ込み) |
URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20160219 |
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