海の近くに住みたい
話題:種子島 2016年2月
公開日時: 2016年02月22日 18時29分30秒
2年半ぶりに種子島に行く。前囘は祖母の七囘忌。今囘は祖父の二十三囘忌。法事のために行くといふのではなく、法事を口實にした旅行。何かさういふのが無ければなかなか種子島に行くこともできない。行つたところで特にやることも無いし、日數も少なく移動と法事で大半が潰れるから何もできないんだが、それでも行きたい。叔父は近くにゐるからそれほどでもないだらうが、うちの親も俺と同じやうに種子島に行く口實が欲しいだらうと思ふ。滅多に行けないし種子島には同級生もゐるしな。俺は結構場違ひな感じがある。祖父母の生前に深い附き合ひがあつたわけでもないし、種子島の親戚とも同樣だ。なんで毎囘お前もついて來てるの?みたいに思はれてゐるかもしれない。親に無理に連れて來られてゐるみたいに思はれてゐるかもしれない。實はこれが逆で、親が法事の日程を忘れないやうに俺が親に來年法事だけどどうするんだ?といふやうなメールを送つたりして刺戟する。そこから叔父に連絡が行つて、假に叔父がそんなに必死にやらなくても良いかなと思つてゐたとしてもうちの親も乘り氣になつてゐたら自然に確實にやる流れになるだらう。俺が催促してゐるやうなものかもしれない。それが無くてもまあ普通にやるんだらうが、俺は參加しない流れで話が進んで行く可能性もそこそこ高いので、最初から當然に俺もついて行くといふ流れを生み出さねばならぬ。島に行けば親の關係で俺も色々して貰へるが、親がゐなかつたら俺なんか完全な部外者だから誰も一言も話し掛けても來ないだらう。言葉も分からんしな。10月初め頃に飛行機を豫約し、まだまだ先だと思つてゐたらもう當日。
やはりなかなか眠れなかつた。少しは寢たと思ふが熟睡はできなかつた。風邪氣味で體調も惡いし、死の豫感。8時半頃に諦めて起きた。激烈に珍しく朝飯を食つた。4日ほど放置することになるので炊飯器の中身を空にする必要がある。それから、ギターを持つて行かないことにしたので今日の分の日課のギター練習をやつておく。筋トレも先にやつておかうか。今日は脚の日だが、歩き囘ることになるので今日は少なめにしておかう。
(1.0)憎いあの娘、黒い青春、OH!GIRL -Mixture style-、野性のENERGY、The Wild Wind、I'm in love?、GO FURTHER、世直しGOOD VIBRATION、Anniversary song、fake、MIRAI、turning、トウダイモトクラシー、pain。
ギター練習55分、スクワット100囘、ハギ100囘。
18時半の飛行機で行く。親と同じ日程で行くことになつた。親は今忙しくてあまり時間が取れないやうで、今日は夜の便で鹿兒島まで。叔父の家に泊めて貰ふことになつてゐる。初めて夜の飛行機に乘る。16時に家を出てもたぶん間に合ふが、空港に滅多に行くことも無いので、中部國際空港を隅々まで探檢してやらうかなと思ひ、晝頃から行くことにした。あの空港は廣いからまだまだ見たことも無い場所が腐るほどあるだらう。11時23分の電車に乘つて12時48分に空港に着く豫定。今10時15分。あと35分か40分で家を出る。最終準備だ。出發前の日記はここで終了。さて、無事に歸つて來れるだらうか。どんなことが待ち受けてゐるんだらう。何か面白いことが起こるだらうとは思ふが。
そして3日半が過ぎた。
無事に飛行機が墜落することも無く、疲勞困憊で歸宅。數日間は爆睡だらう。今囘も色々あつて面白かつた。日記がいつ更新されることになるか分からんが、いつもみたいに激しくは書かず、寫眞も少なめにして1週間以内には始末しようと思ふ。その前に優先的にやつておかねばならんことがある。いつもは自分の記録用に寫眞を撮るだけなんだが、今囘は流れで人物も撮ることになる場面が多かつた。親やその同級生は老人だから、バンドのWebサイトにZIPで固めたJPEGファイルをアップロードしてURLを教へても何をどうすれば良いか分からず困ることになるかもしれない。説明するのも面倒臭い。それならネットプリントを利用して送り先を指定すれば良い。といふことで送り先の住所は聞いて來た。叔父の家族はプリントして送るよりもデータを渡して自分たちで好きなやうにする方が良いだらう。といふことで、まだ何も準備してゐない段階からZIPのファイル名だけ決めてURLを教へておいた。そのファイル名を俺が忘れたら超絶ウンコだが、そこまで耄碌してゐないから大丈夫。叔父のメールアドレスを知つてゐるから、後で教へても良いかと思つたが、知つてゐるメールアドレスがまだ生きてゐるかどうかといふところに不安がある。最後にメールのやりとりをしたのは7年前だらうか。變つてゐる可能性は結構高いのではないか。アップロードするURLを決めて先に教へておく方が確實だらうと判斷した。ただ、寫眞をアップロードすること自體を忘れてしまふかもしれない。自分の記憶力を信用してゐない。だから、叔父の家族用にアップロードする作業を忘れないうちに優先的にやつておかねばならん。今日中にやるべき。叔父の奧さんにはURLを先に教へてゐるので早めにUPした方が良い。俺がUPする前にアクセスして404 NOT FOUNDとか空しいエラーページが返つて來るなんてことにもなりかねない。そんなに急いでダウンロードするとも思へんが。で、昨日と今日の寫眞を適當に全部チェックして、叔父の家族が寫つてゐるやつと、一緒に行動してゐた時の寫眞を選んでZIPに固めた。念のため自分で解凍もしてみた。大丈夫だらう。URLを紙に書いた時、燒酎を激しく飲んで醉つてゐたが、たぶんそれでも間違ひは無いはずだと思ふ。無事にUPできた。86MBぐらゐになつてしまつたが、今の時代なら大したこと無いだらう。今なら無料で2分も掛からんだらうが、ナローバンド時代ならReGetにURLをブチ込んでリジュームしながら何日も掛けてダウンロードして電話代が何萬圓といふ感じだらうな。定額プロバイダ+テレホーダイぢやないと確實に死ぬ。元々死ぬほど遲いのにテレホタイムは人が殺到するからさらに死ぬほど遲い。恐ろしい時代があつたものだ。あの時代に今のやうなWebサイトばかりだつたら1ページ表示するのに一晩消費してしまふかもしれないな。あの頃はいかに畫質を維持しながらファイルサイズを落とすかみたいな工夫に必死だつたよな。從妹たちはそんな時代を知らないはずだ。もう完全に世代が違ふな。俺のことを從兄といふより伯父みたいな感覺で見てゐただらうな。20以上離れてゐるしな。でも言動が大人ではないから違和感もあつただらう。どう思はれてゐたんだらう。
次は老人たちに送る寫眞だ。いや、かういふのは最終日の日記に書くべきことだ。初日の續きを書かう。
10時50分過ぎに家を出た。二度と起動できないかもしれない不安を抱へながらPCもシャットダウンした。このPCは2007年に初めて種子島長期滯在するために買つたものだ。その後に長年使つたデスクトップPCが死に、そのままメインPCに昇格して今に至る。9年近く使つてゐることになる。數年前に七囘忌の法要をやつた祖母がまだ生きてゐた頃から使つてゐるからな。OSのサポートも切られたし、アプリやWebサイトも色々とXPを切り始めた。最近調子も惡くなつて來た。もうそろそろ限界だらう。一度電源落とすと變なエラーが出たり初つ端から調子が惡かつたりでまともに起動するまで1時間ぐらゐ掛かつたりする。電源を切るたびにもう次は無いかなと思つてしまふ。電源を落とすのが怖くて使はない時でも常時電源ONにしてゐる。それも良くないのかもしれない。まあこの日記を書いてゐるといふことは歸つてから無事に起動できたといふことだが。で、何か忘れ物があるやうな氣がしながらも家を出る。忘れ物程度なら何とでもなるだらう。飛行機が墜落すればもう二度と戻つて來れないので、これが可兒の家の見納めになるかもしれない。夏野菜を放置してゐる庭を眺めたりする。この家庭菜園も種子島の祖母の影響で始めたものだ。樂しさうに農業をやつてゐた。あんな重勞働のどこに樂しみなんかあるんだらうと思つてゐたが、畑のことばかり話してゐた。收入に直結し、生活に影響があるから氣にせざるを得ないのかとも思つてゐたが、さうではなかつた。屋久島に旅行に行つても他人の畑ばかり見て樂しさうに話してゐた。鹿兒島の大學病院に行つた時もタクシー運轉手と鹿兒島の農業の話をしたり電車から見える荒地を見て畑の持ち主はどうしてゐるんだらうとか話してゐた。そんなのを何ヶ月も見てゐるうちに、激しいのは絶對無理だしやりたくないけど自分が食ふ程度の野菜を作つてみるのも面白いかもしれないと思つて可兒に歸つてから家庭菜園を始めた。面白いんだよこれが。なんでもつと早く始めなかつたんだらう。まだまださういふことがいくらでもあるんだらうな。人生がつまらんとかやることが無いとか言ふ奴がよくゐるが、さういふ奴の氣持ちは全く理解できん。種子島に頻繁に行くやうになつてからかなり人生が變つたと思ふ。でも行くたびに飛行機墜落が頭をよぎる。なるやうにしかならん。覺悟を決めよう。
かなり早めに驛に着いたが、それも豫定通りだ。可兒方面からの空港行き特急は早朝や夜しか無い。日曜の晝の空いてゐる時間帶だが、それでも荷物が多いし準急で行く氣にはなれないので特急に乘る。可兒からは無いので犬山から特急に乘るといふことになる。その特急券を買つたり色々必要なので少し早めに來た。空港まで運賃は1440圓。特急券は360圓。券賣機で特急券を買ふ操作が面倒臭い。この驛から乘るなら簡單で良いんだが、さうでないなら機械でやらずに驛員に言つた方が樂。しかし豫め乘る電車を完全に決めてゐるのなら機械でやつても良い。まあとにかく、昨日決めた特急の座席指定券を無事に買ふことができた。
寒い。風が強い。これは體調が惡化するかもしれん。家にゐる時は常軌を逸した厚着で何とか凌げるが、外に出る時に變なエスキモーみたいな格好をすると目立ち過ぎて困る。外の方が寒いのに外に出る時の方が薄着。少し待つて電車に乘り込む。中部國際空港行きの準急。普通に座れるので、そのまま行つても良いのだが、音や振動が激しく、停車驛も異樣に多くて時間も掛かるので空港まで普通の電車で行きたくない。死ぬほど疲れるんだよ。今日はただでさへ既に寢不足と風邪で死にさうなのにクソみたいな電車に長時間搖られて空港まで行つてそこからさらに4時間ほど歩き囘つてそこからさらに飛行機に乘るなんて考へるだけで死にさうだ。何もかもが順調でも死ぬほど疲れるのに。で、空港行きの準急に乘るが敢へて犬山で降りて空港行きの特急に乘り直す。先に出る俺が乘つて來た準急よりも俺が後で乘る特急の方が先に着く。このミュースカイといふ特急がやたら快適。音は異樣に靜かだし振動も半分以下。座席も廣くて快適。空港に行くならこれしか無い。貧乏でも360圓くらゐは捨てるべき。
犬山に着いて特急を待つ。これがまた寒い。なんでかういふ日に限つて暴風なんだ。普段外に出ないから知らないだけでいつもかうなのか?これは命を失ふほどの寒さだ。早く南國の種子島に行きたい。熱い罐コーヒーを買つた。懲りない奴だ。これが猛烈な便意に繋がつて殺されるのだ。だが今日は特急なので電車内に便所がある。大丈夫だらう。しばらく待つて漸く來た特急に乘り込む。アホみたいに客は少ない。ここから空港まで停車驛は少ない。江南、岩倉、名古屋、金山、神宮前、中部國際空港。神宮前が大體眞ん中ら邊だと思ふんだが、そこから1つもカス驛に止まらないのが素晴らし過ぎる。岩倉の邊りで親からメールが來た。15時頃の電車に乘るらしい。
電子書籍を讀みながら電車に搖られる。やはり體調が惡いな。讀む速度が異樣に遲い。熱は無い。咳も一切出ない。輕度の中咽頭炎で、嚥下の動作で咽が輕く痛む。鼻水が出る。それくらゐのものだから、運が良ければ今日中に治るかもしれない。運が惡いから激烈に惡化して寢込んで種子島旅行が臺無しになるかもしれない。咽頭炎はこれまでの人生ではほぼ確實に熱が出るものだつたが、ここ2年ぐらゐは熱が出ない咽頭炎といふのが主流になつてゐる。何が違ふんだらうか。今後は炎症が下の方へ移動し、氣管までやられて咳や痰がドバドバ出るといふ方向へ惡化するか、輕いまま治るかどちらかだらう。もうどうにもならん。なるやうになれ。
金山までは見慣れてゐるが、そこから先は空港に行く時以外ほぼ行かない場所だ。でも風景を眺める氣力が無い。睡眠不足でつらい。これはヤバいな。海が見えて來た。常滑の競艇場も見えた。空港も見えて來た。日間賀島旅行の歸りに寄つためんたいパークもチラッと見えた。數時間後には飛行機の中か。
空港に着き、電車を降りる。クソ寒い。ここも風が強い。晴れてゐるがこんな強風で飛行機は安全に飛べるんだらうか。離陸の瞬間に豫期せぬ横風を受けてバランス崩して死亡なんてことにならんのか?ああもうどうでもいい。なるやうにしかならん。俺にできることは無い。改札を出てすぐの廣場は異樣に寒い。屋根はあるし完全に建物の中みたいに見えるんだが、電車のホームは外だし、高速船乘り場へ向ふ階段も外と繋がつてゐるし、全然密閉された空間ではないのでエアコンが使へない。外と同じやうなものだ。ここから空港への通路に入ると、ドアは常時開いてゐるのに暖房全開で死ぬほど暑い。あまり大きくないドアだけなので空氣の出入りは少ないのかもしれないが、中では物凄いエネルギーを消費して暖房を使つてゐるんだらう。長い通路を通つて空港へ。左が國際線、右が國内線。まづは荷物を何とかしたい。こんなデカくて重い荷物を持つたまま數時間もウロウロしたくない。親が荷物を預けるのか機内に持ち込むのか知りたい。俺は預けたいのだが、親は預けないといふことになると、鹿兒島で降りた後に俺の荷物待ちといふ激しく無駄な時間ができて鬱陶しいだらう。親も預けるのなら俺だけ先に預けておきたい。もし親が機内に持ち込むつもりなら俺も持ち込むが、乘るまで荷物を持つてウロウロするつもりは無い。當日だけ荷物を預かつてくれるところがある。しかし500圓掛かる。この500圓を拂はねばならんのか、拂はずに濟ませられるのかを早く確定させたい。岩倉の邊りでメールが來た時にその件について返信しておけば良かつたのだが、バカだから空港に着いてからメールを送ることになつた。間が惡く、親はメールに氣附かなかつた。返信が來るまで荷物を持つたままウロウロすることにしたんだが、いつまでも返信が來ない。1時間ほどで諦めた。親がどうするにせよ、取り敢へず500圓拂つて荷物を預けることにした。その瞬間にメールの返信が來るんだらうなと思つたが、まだしばらく來なかつた。
荷物を預ける前、親にメールを送つてから一旦驛の方へ戻り、高速船乘り場の方へ行つてみた。建物内から高速船乘り場の方を眺めることはよくあつたが、實際に乘り場まで行つたことは無い。ここに行つてみることにした。種子島のトッピーみたいなのを想像してゐたが、もつとデカい船だつた。海は思つたより綺麗だつた。伊勢灣の中の方だから、日間賀島よりも壓倒的に汚いのを想像してゐた。名古屋港みたいな超絶惡臭と恐ろしい色を想像してゐた。しかし全然そんな感じではない。丁度船から降りて來た人たちの流れに乘つて空港に戻る。
荷物を預けてから本格的に空港内をウロウロし始めた。廣い空港だから親が來るまでに見盡くすことはできないかもしれないと思つてゐた。しかしさうではなかつた。これまでに何度か來て歩いたところがほぼ全てと言つて良い。何も無い。ヤバいぞ。時間がクソ餘る。取り敢へず展望デッキに出て飛行機を眺める。ゴツいカメラを持つて撮影してゐる人が多い。わざわざ飛行機を撮るために來てゐるんだらうか。飛行機マニアなのかカメラマニアなのかどちらだらうか。この展望デッキが死ぬほど長い。先端まで行つて戻つて來ると1kmぐらゐになるんぢやないかと思へて來る。普段あまり外に出ないせゐか、日光が眩し過ぎる。まともに目を開けてゐられない。少し待てば慣れるかと思つたが、全然慣れさうにない。をかしいぞ。今日は視力も惡い。どういふわけか日によつて視力に大きな差が出るんだが、今日は見えない日だ。寒いし眩しいし疲勞もあるので飛行機なんかほとんど見ることも無くデッキの先端まで行つて早歩きで戻つた。
取り敢へず3階の店を全部眺めてみた。飲食店と土産屋が多いが、服屋とか本屋もある。空港で服を買ふ奴なんてそんなにゐない氣がするんだが儲かるんだらうか。何もかもが不當に高い値段なので、少し賣れるだけで儲かるのかもしれない。今日は視力も弱いし視野も狹いので物を見るのもつらい。それに人が多くて鬱陶しい。うるさい。人混みは嫌ひだ。ストレスで死にさう。
一通り眺めてから下の階へ。さう言へば國際線の方には行つたことが無い。別に何も無いだらうけど。航空會社の受付カウンターが竝んでゐるだけで國内線と同じだらう。保安檢査より先は入れないしな。手前に少し賣店みたいなのがあつて、そこだけ分からない。取り敢へず行つてみた。炊飯器とか賣つてゐた。そんなものが賣れるのか。國際線の方は服とかバッグとか家電しか無い感じ。國内線の方には食品系のデカい土産屋がある。そこを一通り眺めてみる。別に買ふものは無い。色んな人の世話になるんだから土産のひとつでも買つて行くべきだらうが、親が買つて行くから良いだらう。氣が利かないのではなく、意圖的に氣を利かせない。ダメ人間だからな。
もう疲れた。死にさうだ。普通だつたらここらで飲食店に入つて輕く飯でも食ふといふ流れになるだらう。親と一緒に來てゐたら間違ひ無くさうなつてゐただらう。だが俺は基本的に1日1食なのでそんなに頻繁に無理して飯を食ふことができない。今朝、炊飯器を空にするために飯を食つて來てしまつた。夜は何とか食へるだらうが、こんな時間に飯なんか無理だらう。それに空港の店は高いんだよ。別に節約してゐるでもなく普通に食ひたいものを適當に食つてゐるだけでも食費が月15000圓程度だからな。1食に2000圓とか3000圓とかあり得んだらう。何日分だよ。そんなに激しく美味いわけでも量が多いわけでもないのにそこまで拂ふ價値があるとは到底思へない。金に餘裕があるわけでもないが、あつたとしてもそもそもそんなのを食ふ必要性を感じない。思つたよりも何も無い空港だつたな。あとは温泉とラウンジだけだ。
セントレアには温泉があると思ひ込んでゐた。だが、昨日調べたらどこをどう調べても「温泉」といふ言葉が使はれてゐない。もしかしてただの錢湯なんだらうか。1000圓もするのに。温泉で疲勞を癒してから飛行機に乘らうと思つてゐたんだがな。まあ良い。取り敢へず行つてみた。中に入つてみると、想像してゐたより激しくショボかつた。寫眞の撮り方が上手いんだな。凄く廣くて充實してゐさうな印象の寫眞だつたのにな。一寸笑へて來た。やはり温泉ではない。温泉なら泉質とかの表示が必ずあるはずだし、匂ひもヌルヌルした感觸等も無い。完全に普通の風呂。久しぶりに體重を量つたら49.75kgしか無かつた。やはり50kg未滿になつてしまつてゐるな。體重を増やすために食費を倍にして無理して大量に食つたこともあつたが、ウンコが増えるばかりで體重はほとんど増えなかつた。筋トレで筋肉を増やさうと思つてみたりもしたが、筋トレでエネルギーを消耗したり少し筋肉がついただけで基礎代謝が上がつたりして餘計無駄だつた。どうやつて體重を増やすことができるのか。無理してアホみたいに食ひ續けるしか無いんだらうが、それが難しい。電氣風呂があつたがこれが異樣に弱く、全然大したことが無い。らいんの湯の電氣風呂が強いのかもしれない。サウナも暑くない。だが長時間は無理だらう。入つて2分ぐらゐ經つてから12分計の存在に氣附き、それが1周するのを見屆けてから出た。あまり暑くないサウナだから餘裕かと思つたが7分ぐらゐから危ない感じになつた。でも1周待つと決めたからと、必死に12分待つてから出た。自分に負けるわけにはいかんのだよ。人生は自分との勝負だ。凄まじい立ち眩み。懷かしい感じ。風呂の種類も極端に少ないので長時間入るのも難しい。ドアを開けて外に出て飛行機を眺めることができるやうになつてゐるが、外には風呂が無い。ただ飛行機を眺めるだけの仕組みなのに無駄にスペースがある。外に出てみたが、濡れた體で激烈に氣温が低い暴風の場所に出たので一瞬で凍死しさうになつた。こんな無駄なスペースがあるんだから露天風呂を作れば良いのにと話してゐる人がゐた。これは1000圓分の元を取るのは不可能だな。まだだいぶ時間があるが、出ることにした。出る時には體重が49.25kgになつてゐた。
次はラウンジだ。一度も空港のラウンジを利用したことが無い。ステータスが高いカードを持つてゐる人が使へるラウンジとか、カスでも定收入があり年會費さへ拂へば持てる雜魚カードで入れるラウンジとか色々あるが、最低でもゴールドを持つてゐなければ入れない。同伴者は1000圓だか1500圓だか拂へば入れるところもあるやうだ。俺は無職無收入だから高級カードの人しか入れないラウンジは利用不可能。雜魚でも持てる下級ゴールドカードのラウンジなら入れる。無職無收入でも曲がりなりにもラウンジに入れるゴールドカードを持つてゐるのが不思議だよな。10年前、祖父の十三囘忌の法事で種子島に行くことになり、デジカメやらiPodやらを買つたりしたことがあつた。その時にコンプマート(エイデン)の出口でカード入會を勸められた。その時代は無職でも無收入でも割と簡單にカードを持つことができた。でも俺は古い人間だからカードなんか使はないし現金の方が安心だからカードなんか持たうと思ひもしなかつた。學生時代にネットのプロバイダ契約にカードが必要で一時期持つてゐたが、更新時に解約した。ただ、その頃にエイデンが鬱陶しいことをし始めた。家電を買ふと保證がつくんだが、その保證をつけるためにはクレジット機能つきの會員カード(有料)が必要といふ仕組みになつた。保證をつけるためだけのクレジット無しの會員といふ選擇肢も用意されてゐたが、それすらも年會費を取るといふやうなクソみたいなことをやり始めた。一切保證をつけずに家電を買ふのも不安だし、まあこの機會にカードを持つのも良いかもしれんなと思つて申し込んだ。種子島から歸つてから印鑑不鮮明で送り返されて來たり色々あつたが、無事にカードを持つことができた。申し込んで正解だつた。その後審査が異樣に嚴しくなつて無職無收入ではほぼカードを持つことができない時代になつた。今もしカードが無かつたらネットショッピングや飛行機などで死ぬほど面倒なことになる。で、そのカードは何のステータスも無い通常の最下級カードだつたから空港ラウンジは使へなかつた。6年ぐらゐ前だつたか、エイデンがそのカード會社との提携を切ることになつた。新しいカード會社に移行するのでそちらに申し込んでくれといふ手紙が送られて來た。そちらの新しいカード會社の方は無職無收入なので當然に審査に落ちて終了した。申込書に無職無收入と書いたのに電話が掛かつて來て職業や收入を聞かれた。滿面の笑顏で嬉しさうに無職です!收入はありません!と答へて數日後に審査に落ちましたといふ葉書が來た。でも前のカード會社の方からは客を失ひたくないからか、エイデン會員だつた客にといふことで新しい案内が來た。何も手續きしなければ、エイデンとは關係無い、そのカード會社の通常のクレカ(年會費無料)を自動更新するらしい。エイデン時代に拂はされてゐた年會費はカード會社ではなくエイデンに搾取されてゐたものだ。そして今なら永久に年會費無料でゴールドカードにランクアップできるので是非申し込んでくださいみたいな案内もあつた。ゴールドに申し込むと審査で落ちて完全にカード無しの人生になるかもしれない。何もしなければ通常カードは手に入るだらう。リスクを冒すべきではないとも思つたが、ネタ的に面白いだらうと思つてゴールドに申し込んでみたら審査をした形跡すら無く普通にゴールドカードが送られて來た。しかし年會費は無料なので通常の年1萬ぐらゐ要るゴールドよりはサービスに制限がある。空港のカスラウンジは使へる。といふわけで、社會の最底邊の俺が何故か低ランクとは言へラウンジに入ることができるといふ、ある意味不當な状況になつてゐる。
カードだけ持つてゐても、飛行機に乘らない人は入れない。以前は何か勘違ひしてゐて、そのカードを使つて航空券を買ふ必要があると思ひ込んでゐたが、最近調べ直したら他のカードで航空券を買つても良いらしい。このゴールドカードはポイントを貯めても全く使ひ途が無いし有効期限も短い。期限延長の手續きを無料でできるが、手續きできる期間も短いし死ぬほど鬱陶しいからこのカードはあまり使ひたくない。俺のメインカードは樂天カード。こちらは審査が甘いと言はれるが無職無收入では落ちることもあるといふ。でも俺は通つた。まあ親の持ち家に住んでゐるから親の信用で奇蹟的に通つたのかもしれん。で、飛行機代は樂天カードで拂ひ、ラウンジはゴールドカードで。今日飛行機を利用する證明が必要になるので入り口でeチケット控の紙を見せた。無事に中に入れたが結構ショボい。ドリンク飲み放題、おつまみ食べ放題みたいな、なんか貧乏臭い宣傳文句に多少不安があつた。奧のドリンクコーナーに行くと、ファミレスのドリンクバーみたいになつてゐた。アルコールは變なビールが3種類ほどあるだけ。チューハイとか無いのかよ。俺はビールが飲めない。酒で疲勞を紛らはさうと思つてゐたのに。でも冷藏庫に罐のトマトジュースがあつた。これは良い。アホみたいに飲みまくりたい。つまみはショボ過ぎた。外への持出し禁止と書いてある。セコいな。當然持ち出すけどな。味付けしたマグロの四角いやつを金や銀の紙で包んだあれ(分かるだろ!)とか小袋に少し入つた豆類とか酢昆布とか、そんなもんしか無い。腹も減つてゐないのだが、無料なのでここで食ひ溜めしようと考へてゐた。しかしこんなショボいもので無理に腹を滿たすのは勿體無いだらう。種子島では結構良いものを食ふはず。でも何も食はないのも勿體無い。虚ろな目をしながらマグロの屑肉の四角いやつや豆の中でも少し高さうに見える種類を選んでモサモサ食ふ。下級ラウンジは乞食しかゐないみたいなことをネットでよく見るが、飲食物を目當てにして來るなら間違ひ無く乞食みたいな種類の人間だらう。普通に休憩するには良い。外と違つて靜かだし。無料のWi-Fiも使へるし、有線LANの端子もある。雜誌や新聞も置いてあるやうだ。高級なラウンジだともつと良い物があるんだらうか。電子書籍を讀みながらコーヒーを飲んだりしてゐるうちに意外と早く時間は過ぎた。
親は17時8分に空港驛に着くらしい。17時にラウンジを出て、驛の方へ。長い通路を通つて驛や高速船乘り場や駐車場と繋がつてゐる廣場に出た瞬間に激烈な寒さで死にさうになつた。17時5分にラウンジを出ても良かつた。數分早過ぎた。そのたつた數分が寒過ぎてつらい。改札の前で待つてゐたが、出て來る人の邪魔になるほどの近くで待つことはできない。邪魔にならない程度に離れると眼鏡を掛けてゐるのに人の顏も識別できない。普段なら餘裕なのに今日は異樣に視力が惡い。どうなつてゐるんだらう。俺の方に近づいて來る人がゐた。たぶん親だらうが確信が持てない。相當近くに來て漸く顏が見えた。普段の裸眼の時と同じくらゐしか見えてゐないかもしれない。
親は右手の親指に包帶を卷いてゐた。昨日、爪を取つたと言ふ。何かが爪の中に刺さつて放置してゐたら根元が膿んで腫れて病院に行つたらさういふことになつたらしい。恐ろしい。聞くだけで全身脱力すると同時に顎が強固に收縮して全力で齒を食ひ縛りながら内臟がモワモワする。麻醉してもあまり效かないらしい。麻醉自體も結構痛いらしい。醫者も看護師もやる前から痛いよと脅しまくつてゐたらしい。自分では見なかつたが2囘に分けて剥がしたやうな感覺あつたと言つてゐた。
あまりにも寒いのでさつさと通路の方へ。さうだ、結局親も荷物を預けて乘るとメールの返信が來てゐたんだが、俺が荷物を持つたままウロウロするのに疲れて諦めて當日預かつてくれる場所に預けてしまつたので、もはやどうでも良かつた。まづはそこに俺の荷物を取りに行き、500圓拂つて札を渡して荷物を受け取る。それからANAに荷物を預けに行く。親のチケットは俺が印刷して來た。合流できなかつた時のために確認番號等は教へてあるが無事に合流できた。まだ飛行機に乘るまで時間がある。親が持つて行く土産を買ふと言ふので、また空港をウロウロする。何か食つて行かうとか、輕く何か食べるものを買つておいた方が良くないかとか言ふ。全然腹も減らんし一切必要性を感じない。それが晩飯のつもりで俺は話を聞いてゐたんだが、全然違つた。晩飯は叔父が鍋料理を用意してくれてゐるらしい。え?ぢやあ今食ふのは何?向うに着くのは20時頃。今17時半。今食つたら明日の晝までは何も食へんだらう。今食つてさらに叔父の家で晩飯食ふつもりなのが信じられん。現代人の完全にイカれた1日3食信仰に疑ひを抱かずに生きてゐると起きてゐる間ずつと食ひ續けるといふ異常なことになる。當然世の中デブばかりになる。ダイエットがどうとか運動してカロリーを消費するとか狂人みたいなことを眞顏で言ふ奴が世の中には多い。そもそも必要な分だけ食つてゐれば無駄な運動に貴重な時間を勞費したりする必要も無いし無駄に健康を損なふ心配も無い。何故分からんのだ。そんなに食ひたいといふ氣持ちが分からん。
適當に土産屋を眺めてみたが、あまり氣に入るものは無かつたらしく、少ししか買はなかつた。保安檢査通過後の中にも土産屋は少しある。大量の土産を持つて保安檢査をするのが嫌なので中で買ふことにしたらしい。保安檢査を通過し、中で土産を買ふ。俺は買はない。そして、何度聞かれても今日の分の食料は一切不要だぞ。自分が食ひたいのかな?それなら自分の分だけ買つて食へば良いのに。いつもは土産屋の先を右の奧の方へ行くんだが、今日は左の方に搭乘口があるらしい。左へ行くのは初めてのやうな氣がする。搭乘口へ行く前に便所に行くといふので、近くの席に座つて待つてゐたがなかなか戻つて來ない。ウンコかと思つたが、別の賣店でまた何か買つてゐた。もう完全に眞つ暗。
少し待つて飛行機に乘る。夜の飛行機は初めてだがどんな感じなんだらう。もう二度と生きて地上に戻つて來ることは無いかもしれない。猛烈に加速して一氣に空へ。風邪氣味で鼻が少し詰まつてゐるせゐか、急激な氣壓の變化で耳がやられまくる。外の景色は電氣がついてゐるところしか見えない。黒いところが海なのか山なのかも分からない。激しく明るいところは名古屋の街だらう。しばらくして見えて來た別の都會はたぶん大阪とか神戸とかなんだらう。日本は意外と都會は少ないみたいだな。明かりは見えてもそんなに激しくない。ほとんど黒いので見ても面白くない。無料のドリンクはホットコーヒーを貰ふ。電子書籍を讀んでゐる間に鹿兒島に着いた。外は眞つ暗。何も見えない。どれくらゐの高さにゐるのかも分からんまま着地の衝撃が來た。こんな低いところにゐたのか。死なずに到着。荷物が出て來るのをひたすら待つ。これが面倒臭いんだよな。俺はいつも機内に持ち込むのでかうやつて荷物を待つのは珍しい。荷物を受け取つて外へ。もう叔父は來てゐた。2年半ぶりだが、久しぶりといふ氣はしない。この歳になると2年3年なんてあつと言ふ間だから頻繁に會つてゐるやうな氣さへする。バンド關係以外の人間の中ではかなり頻繁に會つてゐる部類だらう。叔父は少し痩せてゐた。
駐車場へ。種子島にゐた時に乘つてゐた車ではなかつた。奄美にゐる時に猪に當つて壞れたと言つてゐた。轢いたんだらうか。2分に1囘ぐらゐの間隔で叔父が單發の咳をする。最初は咳拂ひをしただけかと思つたが、ずつとそんな感じが續いてゐる。風邪だらうか。俺は喉と鼻だけだから種類が違ふな。多少不安がある。違ふ種類の風邪を貰つて相乘效果で激烈に惡化しさうな豫感がする。いや、今ここで貰つてしまつても發病するのは歸る頃だらうから大丈夫か。
叔父の奧さんが鹿兒島に家を2軒買つたらしいと親が言つてゐた。家を買つたといふことはそこに一生住むといふことだらうか。それならば叔父が住む場所に墓を建ててくれといふ祖母の遺言でここに墓ができてもう種子島では法事をやらないといふことにもなるかもしれない。空港を出てすぐ高速道路に入り、そこからそんなに時間も掛からずすぐに下道に下りてあつと言ふ間に着いた。空港に近い。良い場所だな。どんな風に成長したのか氣になつてゐた從弟は沖繩にゐて今囘は歸つて來ないらしい。叔父の奧さんと從妹2人は俺達より1日遲れて種子島に行くやうだ。法事には間に合はない。種子島には遊びに行くやうだ。學校があるからか。今日は木曜なんだな。それなら法事は土曜か日曜にやれば良いのにと思つたが、命日までにやらねばならんらしい。19日が命日のやうだ。先週だと叔父が忙しくて無理で、どうしてもかういふ風にせざるを得なくなつたらしい。明日叔父と親と俺の3人で種子島に行つて法事をやる。
鍋料理をご馳走になつた。朝食つて來たのでたくさんは食へない。この感覺が常時食ひ續けてゐる不健康な自稱普通の人たちには理解できない。今猛烈に後悔してゐる。準備は萬全なつもりでゐたが、全然萬全ではなかつたのだ。1ヶ月ぐらゐ前から食事囘數と量を少しづつ増やして自稱普通の人に近いぐらゐの状態にしておかねばならなかつた。胃を大きくしておかないと非常に困る可能性がある。明日明後日、目の前に豪華な種子島の海の幸があるにも拘らず全く胃に入らないといふ最強の敗北感を味はつて一生後悔することになるかもしれない。たくさん食へるやうにしておけば、ラウンジでも丼いつぱいぐらゐマグロのサイコロみたいなやつを食へただらうし、夕方にも親の金で空港で飯を食へたし、今も鍋を大量に食へたし、明日も明後日も今の状態よりは大量に食へるはずだ。榮養補給の最大のチャンスではないか。種子島に行くといふのが最大の目的になつてしまつてゐたが、さうではなく、種子島で大量に食つて榮養補給をするといふことを最大の目的にすべきだつた。もう遲い。
當然だが從妹2人は成長してゐた。今は中2と高2らしい。下の子は2年半前の祖母の法事にも來てゐたが、成長期だからだいぶ變る。上の子は最後に會つたのは小2の時かな。8年半ぐらゐ前といふことかな。大人になつてからの8年なんて大したこと無いが、それくらゐの子供の8年は長いぞ。叔父の奧さんもそれ以來か。と、この時は思つてゐた。そんな感じの話もした。しかし實はさうではないことを後で思ひ出す。2007年から2009年まで、毎年叔父の家族には會つてゐる。2008年は祖母の1周忌の法要の時にみんな來てゐた。種子島に來て法事をやつてから屋久島に行つたんだよな。そして叔父家族が屋久島で猫の叔母の知り合ひのベップさんに追ひ囘されるといふ珍事を俺は種子島にゐながら樂しませて貰つた。俺が屋久島に行つたのはその後のこと。その年に海で獲つたシャコガイを叔父の奧さんに料理して貰つた。祖母の家の庭にまだその時のシャコガイの殻が落ちてゐるだらう。さらに、2009年の祖母の三囘忌もみんな種子島に來てゐた。臺灣かフィリピンかどこかで巨大な颱風があつて流木が押し寄せて船が出なくて法事に間に合はないかもしれないといふことになつたが、ギリギリ法事の途中に來ることができた。落雷で電氣が止まつて冷凍庫のオキアミが腐敗してゐたり風呂のボイラーが壞れて水風呂になつたり猫の叔母がヒステリー起こしてアホみたいに兄弟喧嘩したりしてゐた時だな。あの時も叔父の家族全員ゐたんだ。歸る人や西之表に用事がある人がたくさんゐて、定員オーバーで1人だけ殘らねばならんことになつて、當然のやうに俺が殘された。法事前に冷藏庫やらボイラーやらバイクやら電話やら色々俺がやらねばならず、早めに種子島に行つたのに全然種子島で遊べなかつた。そしてさういふ時も留守番をさせられる。あの年は酷かつたな。その留守番をせざるを得なくなつて滿員の車を見送つた時が叔父の家族に會つた最後だな。だから6年半ぶりだ。一番下の子は2年半ぶり。
この家は新築ではないらしい。結構新しく見えるんだが、30年ぐらゐだと言つてゐた。そんな風には全く見えない。可兒の家が30數年だらうが、うちはもういつ倒壞してもをかしくない感じだぞ。前の所有者がしつかりしてゐたんだらうし、元から良い家だつたんだらう。叔父はここに永住する感じではないやうだ。といふことは種子島の祖母の墓をここに建てるつもりは全く無いといふことだな。學校で働いてゐるから轉勤とかもあつてどこかに定住するといふ感覺は無いのかもしれないな。それでも家を買ふといふのが凄いな。賣ることも考へながら買ふんだらうが、色々面倒臭さうだな。
特にやることも無いので23時半頃に寢ることになつた。なんとここからが地獄の始まりだつたのだ。人知れず苦痛に苛まれながら孤獨に鬪ふことになる。前日もほとんど寢てゐないし、風邪氣味で體調も良くないし、空港で歩き囘つたし、飛行機にも乘つたから、ここはもう絶對に疲れ過ぎて驚異的な勢ひで心地よく眠りに就けるはずだつた。まさかこんなことになるとは夢にも思つてゐなかつた。アホみたいに眠れないんだよ。ピクリとも眠くない。物凄く靜かで、通常ならそれが良い方向へ働くところなのだが、今日に限つては逆效果。うるさくて眠れない。大勢の人がガヤガヤと話すやうな音や、飛行機の轟音みたいな幻聽がアホみたいに聞こえる。クソうるさい空港に長時間ゐたせゐだ。これだから人混みは嫌なんだよ。都會に住んだら俺は慣れる前に一瞬でストレスで死ぬだらうな。イライラすればするほど眠れない。目を閉ぢると大勢の人間が歩いてゐる影のやうな殘像みたいなのが見える。ウゼエエェェエェエェ!!!激しく殺したい。死ぬほど眠れない。風邪氣味で體力も衰へてゐるだらうからしつかり寢ておく必要がある。明日明後日の種子島にも絶對に惡影響が出る。ここは必ず熟睡すべきところなのだ。さう思へば思ふほど焦つて眠れない。どうすれば眠れるんだらう。眠れなくて惱むことなんて通常はほとんど無い。寢なければ良いだけだからな。眠くなつたら寢て、勝手に目が覺めるまでそのまま寢てゐるだけで全く問題無い生活だ。たまにライブがあつたり試驗があつたりでどうしても決まつた時間に起きねばならず、そのために必ず寢なければならないといふ状況があつて、さういふ時に眠くないのに眠らねばならん苦しみを味はふことがある。今日もそれに近いが、今日は十分過ぎるほど眠れるはずの状況ではないか。何故眠れんのだ。眠れないものは仕方が無い。ここで寢ることを諦めて電子書籍でも讀むといふやうなことは避けるべき。目を刺戟すると朝まで眠れないことが確定してしまふかもしれない。目を閉ぢて適當に考へ事でもしてゐればいつかそのまま寢てしまふかもしれないと思ひ、種子島のことを考へることにした。色んなことを思ひ出した。子供の頃、1992年、1999年、2006年、2007年、・・・細かいことまで色々思ひ出した。その過程で、叔父の家族に最後に會つたのは2007年ではないことも思ひ出した。そんなこんなで數時間。親の携帶電話のアラームが鳴つた。6時半に鳴ると言つてゐた。もうそんな時間か。まさか一睡もできないとは思はなかつた。この絶望感。種子島で1日中爆睡してしまふのではないか。なんでこんな目に遭はねばならんのだ。そして、この通常は起きなければならない時間になつてから急激に眠くなるといふ悲劇。氣を失ふやうにいつの間にか寢て、7時半頃に起こされた。30分程度は寢たやうだ。足りるわけが無い。死ぬほど眠い1日の始まりだ。
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話題:種子島 2016年2月
公開日時 | 2016年02月22日 18時29分30秒 |
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本文文字数 | 17524文字 (タグ込み) |
URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20160218 |
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