海の近くに住みたい
最終更新日: 2013年10月08日 07時50分44秒
種子島最終日。もう歸るだけ。朝の飛行機で歸るので種子島ではもう何も無い。本當に何も無い。歸りたくない。歸つたらまづはこの種子島旅行の日記を書かねばならん。本氣でやれば2日ぐらゐで十分だらうが、どうせやる氣が出ずに半月放置みたいなことになるだらう。と思つたが實際はもつと放置することになる。1日分を1週間掛けて更新するみたいなことになる。時間を掛けて書くのではなく、書かない日が異常に多いだけ。氣が向いた時に一氣に書いて更新みたいなことだ。この最終日の日記を更新しようとしてゐるのは何と10月8日だ。それが終つたら地獄の行政書士だ。もう受かるわけがないのに不毛な勉強をせねばならんよ。憂鬱だ。それが終る頃には可兒は激烈に寒くなつてゐるだらう。夏の暑さは種子島も可兒も大差無いが、冬の寒さは桁違ひだ。考へるだけでウンコが漏れさう。
色々と荷物を送ることになつた。親の鞄は微妙にサイズオーバーだつたのでまた歸りのジェットスターで餘分に2000圓も取られてしまふ。それならばクロネコヤマトで送つた方が安い。叔母も持ち歩くのが面倒なので送るらしい。俺も貰つた土産を持ち歩けないので送る。親の同級生がくれた燒酎2本も俺が貰ふことになつて箱に詰めた。割れないやうに衣類で念入りに包む。できるだけ多く詰めて手荷物を輕くした。
昨日Aコープで買つたパンが朝飯。スルメとかも殘つてゐる。適當に飯を食ひ、念のためもう一度愼重に蠅叩きを隱す。どうか捨てられませんやうに。誰にも理解されないが大事な蠅叩きなんだ。忘れ物が無いか確認し、外へ。
あつと言ふ間だつた。3泊4日といふのはこれまでの人生で最短の種子島滯在ではないのか。子供の頃のことは分からんが、たぶんこんなに短かつたことは一度も無いのではないかと思ふ。俺は種子島に何囘來たことがあるんだらうか。2013年、2009年、2008年、2007年、2006年、1999年、1992年、1989年、1987年、1982年、それ以前に最低1囘はあるが記憶は一切無い。11囘か12囘だらうか。昔の記憶は間違つてゐるかもしれない。忘れてゐるだけでもつと來てゐるかもしれない。横濱の叔母が赤ん坊の俺を抱いて地面に落としたといふ話を聞いたがそれは1982年よりも前の話だらう。その時に頭を打つて氣狂ひになつたのかもな。82年が俺の一番古い種子島の記憶。保育園の年長の時だつた。クマゼミの雌を捕まへて持つて歸らうとしたら親が飛行機内で鳴くからダメだと言つて捨てさせられた。セミの雌は鳴かないんだと激しく抵抗してたぶん俺が泣いたが無意味。8時だョ!全員集合が見たかつたのに祖父が暴れん坊將軍を見て絶對に譲らず祖母や親が祖父を責めてゐた記憶もある。風呂は外の建物ではなく中にあつたやうな氣がするのだが氣のせゐだらうか。叔父が竹藪に入つて竹の切り株を踏み拔いて足を貫通したとかいふのもたぶんその時だらう。竹ではなく笹だらうが乾いた切り株は兇器だ。どこの藪だらうか。2007年に叔父と從弟がスズメバチに刺された邊りかな。想像するだけで恐ろしい。次は小5の時だ。肺癌で亡くなつた鹿之峯の人に種子島を案内して貰つた記憶。住吉のマングローブしか憶えてゐないが、千座の岩屋や宇宙科学技術館や門倉岬や大ソテツにも行つただらう。次は中1の時。今囘猛烈に世話になつた熊野に住む親の同級生が當事は岩倉に住んでゐて一緒に行つた。颱風で飛行機が飛ばず、鹿兒島で足止めを食らつた。そこのホテルにカメラを忘れてしまつて鹿兒島に住んでゐた叔父に種子島まで持つて來させてゐた。叔父は當事はまだ大學生だつたのかな。もう卒業してゐたのかな。その時の種子島での記憶はほぼ無い。次は1992年、高1の時。直截種子島には行かず、鹿兒島で叔父の家に泊まつて鹿兒島觀光をした。最初から鹿兒島に行く豫定だつたんだらうか。あの時も颱風のせゐで急遽さういふことになつたのかもしれない。櫻島や唐船峽や池田湖や長崎鼻に連れて行つて貰つた。櫻島はもう無理かもしれないがもう一度行つてみたい。2007年に鹿兒島も觀光するつもりだつたができずに終つた。その92年の時、種子島では下の海で叔父が伊勢海老を2匹捕獲し、それを茹でて食つた。それ以外の記憶はあまり無い。その1年半後に祖父が亡くなつた。言葉が分からな過ぎてほとんど話したことは無かつた。惜しいことをした。相當な變り者だつたらしい。お前らも十分過ぎるほど變り者だよと言ひたくなるやうな人達がみんな口を揃へて祖父は變り者だつたみたいに言ふから相當面白い人だつたのではないかと思ふ。分からんけどな。1999年はよきの海水浴場でアホみたいに日燒けして背中が酷いことになつた。その頃は今みたいに筋トレをしてゐた。さうだ、その時に種子島に持つて行くためにDIGI-ZOを買つたんだ。このギターも相當彈き込んだな。このギターを買つてゐなかつたら今よりだいぶ演奏力が低かつたかもしれんし、もしかしたらもう辭めてゐたかもしれないな。この時の記憶もあまり無い。ここまで大して種子島に興味を抱いてゐなかつた。海で遊ぶのは面白かつたが、それだけだつた。次の2006年、祖父の法事がキッカケで變る。冬だつたので海で遊ぶこともなく特に劇的に面白いことがあつたわけではない。法事で太鼓を叩いたり、ロケットの打ち上げを見たり、おおぎの收穫の手傳ひをしたりしただけ。でも何故かここで突然種子島に激しい興味を抱いてしまふ。それが今に繋がる。その後長期滯在連發でアホみたいに詳しくなつてしまつた。タクシーの運轉手より道を知つてゐる。種子島のタクシー運轉手は全然道を知らん奴が多いけどな。數年後には種子島に永住してゐるはずだ。寶籤當れボケ。
裏の建物に管理人がゐる。ホワイトボードに何日から何日まで宿泊みたいなのが書いてあつたりする。3人ぐらゐ職員がゐた。親が金を拂ふ。何も言はれなかつたので俺は拂はない。マジでほぼ0圓の旅行だ。西可兒から中部國際空港までの電車賃1410圓と、犬山驛の自販機で買つたGREEN DAKARAの130圓と、中部國際空港の自販機で買つたカップのホットコーヒー(ネスカフェエクセラ)100圓、それから、種子島空港で買つた自販機のコーラ120圓。ここまでそれだけしか使つてゐないぞ。歸りも電車賃の1410圓だけだらう。4000圓以内の種子島旅行。飛行機代も宿泊費も飯代もほぼ全て親が出してくれた。屑過ぎる。
空港へ。まづはガソリンスタンドに寄る。Aコープ前の最安のスタンドだ。1リットル179圓。離島だからアホみたいに高いがこれで最安。滿タンで1800圓ぐらゐだつた。意外にもこのレンタカーはほとんど使つてゐなかつたらしい。野間から縣道76號へ入り、ひたすら空港を目指す。途中の店にヤマトの看板が出てゐるのを一昨日の古田からの歸りに見てゐる。そこから荷物を送るつもりらしい。空港の土産屋からでも送れるけどな。で、その店に寄つて荷物を渡す。またここでも親が俺の分も出してくれた。これは3日後ぐらゐに屆くのかな。その店の人は一時期岐阜に住んでゐたらしい。荷札の住所を見てさういふ話をして來た。その店から空港に向ふ途中、親が次來た時もこのレンタカーを借りようと言つてゐた。叔父が借りたやつはこれより1日少ないのに似たやうな値段だつた。こちらの方が安いといふことだらう。熊毛レンタカーといふ名前を憶えておかうと言つてゐた。斷言しよう。無理だね。絶對次來た時には憶えてゐない。何故なら、2006年に祖父の法事で來た時にも全く同じことを言つてゐたからだ。あの時もこの熊毛レンタカーだつた。しかも契約の時にゐた人は同じ人だつた。少し無愛想な感じの個性的な小母さん。人の名前や顏を憶えるのが苦手な俺でも憶えてゐたのに。鐵砲館を見た後で車を返しに行く時に熊毛レンタカーの野間の事務所でお客さん用のキャラメルをゴッソリ俺がポケットに入れて持ち歸つたとか俺は鮮明に憶えてゐるけどな。まだあの時は新空港が稼働してゐなかつた。また今度ここで借りよう。熊毛レンタカー憶えておかう。あの時もさう言つてゐたよ。2006年なので犬土偶日記に書いてあるな。また熊毛レンタカーで借りようと言つたことは書いてゐないが。 ( 2006年02月19日 種子島旅行記 3日目 〜レンタカーの最期〜 ) 日記を書くことで記憶に定着してしまつただけで、忘れるのが普通なのかもしれない。7年半も前のことだし。何?そんな前なの?俺が驚きだ。その頃のこと、アホみたいに鮮明に憶えてゐるぞ。トリノ五輪でイナバウアーとか永田議員のホリエモンメール事件とか。でも2ヶ月前のことより鮮明に憶えてゐるのはをかしいよな。可兒の生活はつまらな過ぎて記憶にも殘らんといふことか。やはり憶えておかうと思つたなら忘れない氣がするのだが年取つたら俺もそんなに記憶力が惡くなるんだらうか。來年、親は同窗會と運動會でまた來るやうだが、その時は同級生の世話になつてレンタカーは借りないだらう。その次の2年半後の祖父の二十三囘忌の時に親が熊毛レンタカーで借りるかどうかが見物だな。その時もし俺も行くことになれば日記で結果を報告しよう。まづ間違ひ無く忘れてゐるだらうと思ふ。
空港の土産屋をウロついてゐたら親の同級生達が見送りに來た。また土産をくれた。種子島の牛乳を使つた菓子。美味さうだ。JAXAのロケット關係の展示があつたので輕く眺める。出口の近くに觀光協會とかのパンフレットが置いてあつたので大量に頂く。バンドメンバーへの土産に紛れ込ませる。レンタカーを返さねばならん。飛行機の到着時刻に合はせて續々とレンタカー屋が來るが、熊毛レンタカーは來なかつた。電話してみたらそのまま駐車場に置いておけと言はれたやうだ。結構ギリギリまで椅子に座つて話し込んでゐた。空港の人が鹿兒島行きにご搭乘のお客樣〜とか言ひながら威嚇して來たので中に入る。保安檢査が面倒臭い。小さい籠に財布やデジカメや小錢入れ等を入れ、リュックと菓子を臺に乘せる。IC入りのマイレージカードを機械にかざして中へ。さらば種子島。
左耳の不調は全く惡化することなく消えてゐる。何も心配することはなかつた。でも何が原因なんだらうな。ストレスかな。と言つても俺にとつて唯一のストレスであるはずのパチは最近ほとんど打つてゐないからな。まあいいわ。
右の窗側の席を確保してある。歸りは右側だ。未練がましく種子島を眺めるのだ。しかし俺の席にはガムをクチャクチャ噛んでゐる變なヲバサンが乘つてゐた。ウゼェ。親と叔母は偶然俺の前の席。まあいいわ。めんどくせえ。そのまま通路側の席に座る。それによつて何か面白いことに繋がるかもしれん。正直窗側は出る時つらいのであまり好きではないしな。で、この判斷が良い方向へ動いた。珍しい。左側の窗から櫻島の噴火が綺麗に見えた。左側は1列しか無い飛行機で、左の奴は爆睡してシートに埋まつてゐたのでよく見えた。親にも教へてやつたら見てゐた。でもあんな噴火してゐたら歸りのジェットスターが飛ばずに鹿兒島で足止め食らつたりするんぢやないだらうな。まあそれも面白いが、宿泊費は出せんぞ。さうなつたらまた親に出させることになるな。
鹿兒島に着き、土産屋をウロつく。親達はまだ何かを買ふらしい。俺と弟に鷄肉の炭燒きのやつを買つてくれた。叔母が誰かに頼まれたと言つてゐたやつ。飯も食ふことになつた。今度は叔母が奢つてくれるらしい。山形屋へ。ここはいつも注文した瞬間に出て來る。注文の多いやつはいつでも出せるやうに準備してゐるんだらう。だが、あまり注文されないものはすぐには出て來ない。俺と叔母は黒豚の生姜燒き定食を頼んだんだが、これは豫め用意されてゐるものではなかつたやうで結構待たされた。黒豚でも普通の豚でも違ひなんて分からんし、ただの生姜燒きならどこでも食へさうな感じがして注文する人が少ないのかもしれない。まあ確かに食つても黒豚なのかどうか分からん。さつま定食みたいなのを食つた方が良かつたのかな。親は變な燒きそばを食つてゐた。揚げたやうな麺に餡掛け。一寸豪華なベビースターラーメンにしか思へん。
1階の土産屋で燒酎を買つた。芋燒酎だが、麹も芋を使つてゐるといふ。芋麹の酒は飲んだことが無い。店の人が鹿兒島限定だと言ふし、まあ買つてみようかなと。數日後に絶望感で視界が狹くなりながら齒を食ひ縛ることになる。
ジェットスターのWebチェックインは出發の48時間前からしかできないので歸りの分はできなかつた。旅程表を印刷して持つて來てゐる。そこに印刷されたバーコードを機械に讀ませて畫面の案内に從つてチェックインすると搭乘券が出て來る。それは2時間前からしかできない。もう既に疲れてゐる。椅子に座つてスルメを食ひながらひたすら待つ。歸る日といふのが一番つまらんね。足湯にも行つておかねば損した氣分になるが、もう歩くのも面倒だ。親達も行く氣は無いらしい。足を拭くのが面倒だとか言つてゐた。
搭乘手續が始まつた。親達も俺と同じやうに旅程表を印刷して來てゐたが機械に讀み込ませるのではなく受付に持つて行つて手續きしてゐた。機械に弱いんだな。機械でやる方が樂なのに。でもバーコードリーダーの調子が惡くてなかなか讀み込まなかつた。鬱陶しいな。座席は非常口の近くで、非常時には色々やつて貰ふみたいなことが表示された。面倒なので座席再選擇。ランダムだから好きな席は選べないが、何度も繰り返せば希望に近い席は取れるかもしれない。まあ窗側は無理だらうけど。確か窗側は數百圓餘分に拂つて座席指定しないと取れない席だつたと思ふ。結局前の方の通路側の席になつた。出る時早いから良いだらう。外は見えない。どうでもいい。確か墜落事故での生存率は前の方はほぼゼロだつたな。後ろの方に乘つてゐてさらに奇蹟が起きないと助からんらしい。ヤバいな。
まだ結構待ち時間があるのだが、親達はもう中へ入ると言ふ。保安檢査がいちいち面倒臭い。もう何もやることが無い。適當に飛行機を撮影してみたり、行政書士の本を讀んでみたりする。早く歸りたい。いや、種子島に戻りたい。
クソ長い待ち時間を無爲に消化し、飛行機に乘り込む。櫻島の降灰の影響は無いらしい。もう面倒臭い。早く名古屋に着け。どうでもいい。ああどうでもいい。激しくどうでもいい。何もしてゐないのにもうこんなに疲れてゐるし、やたら投げやりな氣分だ。歸るのが一番つまらん。
離陸。行政書士の勉強。着陸。終了。何だこれ。
もう既に夕方。何もしてゐないのに1日が終る。JALでもANAでもジェットスターでも何故かいつも限りなく端の方に飛行機が着く。降りてから死ぬほど歩かされる。何故いつも出口の近くぢやないんだ。中部國際空港は廣いんだぞ!といふことを見せつけるためにわざと端から乘客を降ろすやうにパイロットに指示してゐるのではないかと疑つてゐる。取り敢へず、飛行機から建物まで移動し、親達を待つ。親達は眞ん中ら邊の席だつた。でもいつまで待つても出て來ない。4列目の俺は素早く飛行機を降りたから、俺より先に出てゐるはずは無い。まあそのうち來るだらうと思つてひたすら待つ。ほぼ全員降りた後で來た。どうやら飛行機を出てすぐの狹い通路で俺を待つてゐたらしい。俺の方が先に出てゐるから待つても出て來ないのに。4列目だと言つてなかつたのかもしれない。とにかく無事に合流し、殺したくなるほど長い長いクソ長い通路をひたすら歩く。一體何kmあるんだよ。10個以上は歩く歩道に乘つたぞ。ふざけんな。いい加減にしろ。中部から乘る時はそれほどでもないが、中部に歸つて來た時のこの通路の長さは殺意が湧く。世界一温厚な俺がこんなに簡單にキレる。明らかにをかしい。設計ミスだらう。そんなに大量に國内線の飛行機が來るのか?どうせ空いてるんだからもつと出口に近いところに着けろや。殺すぞ。以前種子島から歸る時に激烈にウンコ我慢した状態で同じやうに端つこに到着して死ぬほどウザかつた。便所はそこそこあるから大丈夫だが結構危なかつた。バンドメンバーへの土産のさつま揚げを持つたまま便所でウンコを屠つた思ひ出。ウンコに苦しめられる人生ですな。今囘も法事の前にAコープでウンコと戰つた。とにかくこの通路がアホみたいに長えんだよ。クソが!!
歩き疲れて死にさう。荷物は預けてゐないのでそのまま出る。飛行機を降りてから出口まで死ぬほど長かつた。本當に長かつた。嫌がらせとしか思へない。そのままどこにも寄らずに名鐵の驛へ。manacaの殘高が不足してゐるのでチャージ。特急で歸る。叔母は金山で乘り換へ。岐阜行きの一部指定特急がある。それに俺達も乘ると金山か名古屋で乘り換へることになる。どうせならそこから先も特急に乘りたい。平日なのでこの時間帶は通勤通學のラッシュで準急等は座れない。死ぬほど疲れてゐるので命を失ひかねない。叔母と同じ電車で金山まで行つても結局ここから出る次の新可兒行きの特急に乘ることになるだらう。ならば最初からここで新可兒行きに乘つた方がいい。特急を乘り繼ぐと特急券を2囘買はされる。といふわけで、叔母は先に歸る。さやうなら。もう會ふことは無いかもしれない。30分近く待つて新可兒行きの特急に乘る。まだここから1時間以上掛かる。クソ遠いな。鹿兒島空港から中部國際空港までの時間と、中部國際空港から西可兒までの時間が同じくらゐ掛かる。特急に乘らなかつたら空港から可兒までの方が時間が掛かる。死ね。早く歸らせろ。
横濱の叔母はもう1日種子島にゐる。羨ましい。何かよく分からんが、泊つてるところの人か誰かが救急車で運ばれたとかどうとか親にメールが來てゐた。ついでに何故か俺の携帶電話の番號を知りたいらしい。教へても良いかと聞かれた。ダメな理由は無いから教へた。俺に何か用でもあるんだらうか。何も思ひ浮かばんのだが。この時に親に叔母の電話番號も聞いておくべきだつた。知らない番號から掛かつて來た電話を叔母だと思つて出たら振り込め詐欺とかの人間の屑だつたなんてことになつたら厄介だ。まあそれもネタとして面白いかもしれんな。たまに知らん番號から掛かつて來るが一度も出たことが無い。知り合ひから掛かつて來ても出ないことが結構多いからな。知り合ひでも出るかどうかは半々ぐらゐかな。寢てゐる間や知らないうちに掛かつて來て着信履歴が殘つてゐたといふやうな場合はほぼ100%掛け直さない。用があるならまた何度でも掛けて來るだらう。掛けて來ないなら大した用事ではないのだ。用事があるのは向うで、俺には何も用事が無いから絶對にこちらからは掛けない。起きてゐる時でも手元に電話を置いてゐないので、少し離れた場所でブルッてゐても放置しがち。携帶電話といふ名前が良くない。持ち歩くことが可能な電話といふだけで、必ず持ち歩いて常に手元に置いておかねばならん電話ではない。そこを勘違ひしてゐる奴は死ぬほどウザい。出ないのが當り前なのだと世界中の人間が認識すべき。着信履歴を見たらすぐに掛け直すべきといふ風潮も死ぬほどウザい。着信履歴を表示する機能を法律で禁止すべき。さうすれば着信無視を不當に責められて嫌な思ひをする人もゐなくなつて一歩平和に近づく。電話ウゼェ。使ひ方次第ではある程度便利な物なのかもしれないが、存在自體が死ぬほど邪魔。これからは叔母かもしれないので知らない番號でも出ることを一應考へる必要がある。非通知で掛かつて來ることがたまにあるんだが、番號非通知は何のためにある機能なんだ?やましいことがあるから非通知にするんだらう?そんなの出るわけがない。バカか。非通知で掛ける奴は全員犯罪者だと思つてゐる。結局、1ヶ月近く經つても叔母から電話は無い。ただ番號を知りたかつただけなんだらうか。
瀕死の状態で西可兒に辿り着いた。もう20時近い。眞つ暗。10時頃にふれあひの里を出て20時半に家に着く感じか。歸るだけで1日消費。無駄過ぎる。飛行機の乘り換への待ち時間が長過ぎる。中部〜種子島の直行便が欲しい。電車を降りたらクソ寒い。何だこれ。なんでこんなに突然寒いんだ。颱風のせゐで氣候が變つたのか?まだ種子島と可兒でそんなに激しい氣温差が出る時期ぢやないだらうに。半泣き状態で改札を出て駐輪場へ。自轉車は無事だつた。鳥肌立ちまくりでクソ震へながら必死に自轉車を漕ぐ。ああ、つまらない世界に歸つて來てしまつたな。何も無い。種子島と比べると何でもあるが、種子島より何も無い。くだらな過ぎる。住み心地の惡い場所でもないのに何故かクソ過ぎる。樂しまうと思へばいくらでも樂しめるはずなのにな。種子島でやつたみたいに激烈にショボいものも徹底的に觀光し盡くしてみれば良いと思ふのだが、どうにも氣が向かない。全く可兒に興味を持てない。
家に着いた。オクラが生長し過ぎて食へなくなつてゐるのではないかと思つたが意外と大したこと無かつた。ああ疲れた。もう完全に夜。取り敢へずPCを起動する。適當にネット巡囘。メールチェック。早速鹿兒島空港の賣店で買つた芋燒酎を飲む。芋麹の酒は初めてだが、違ひは分からない。芋燒酎は、米麹、黒麹、赤米麹、芋麹と色々試してみたが、麹の違ひによる味の差はよく分からないな。赤米麹だけは何故か物凄く個性があるが他は分からん。普通の芋燒酎だな。ああ完全につまらん世界に戻つて來てしまつた。15日の夜に「【toto】スポーツ振興くじ結果のお知らせ」といふメールが來てゐる。試合は14日と15日だつたのか。15日と16日だつたら颱風の影響がモロに出てゐたかもしれない。微妙。當つてゐてくれ。既に半泣き状態でメールを開く。お客様がご購入された第652回BIGは残念ながら当せんしておりませんでした。次はあなたに幸運が届きますように。
うあああぁぁっぁあぁあ!!!まだ始まらない俺の人生!!畜生!!!なんでお前ら喜んでるの?俺が當ててもお前らの人生に惡影響は無いだらうが。他人が幸せになるのを不愉快に感じる、これ一生幸せになれない奴の特徴ね。お前ら反省しろよ。詳細を確認してみた。颱風による中止は無し。結果は7,4,6/14。大體いつも通りな感じだ。
種子島空港で大量に貰つて來たパンフレットのいくつかに種子島の地圖が載つてゐた。これはいい。早速いつも見える場所に貼つておいた。種子島觀光協會パンフレット2013年版(PDF) ( http://tanekan.jp/assets/files/pdf/pamphlet2013.pdf ) 心が和む。これを眺めるだけでいつでも種子島に旅立てる。壁に貼つたのとは別のやつの地圖を見たら種子島の川の名前が滅茶苦茶詳しく書いてあつた。草ノ木の坂のところにあるあの川は無内川といふらしい。あんな川にも名前があつたんだな。相變らず讀めないけど。「無内川」でググると草ノ木の懷かしい風景寫眞が出て來る。思へば種子島の川の名前なんかほとんど知らないな。俺が名前を知つてゐるのは甲女川と阿嶽川と川脇川と西京川と湊川だけかもしれない。意外とあまり行かなかつた島の北東にある川をよく知つてゐるな。男淵女淵の滝の川は何ていふ名前なんだらう。
體重を量つてみた。51.5kgだつた。らいんの湯の體重計に換算すると52.5kgだ。種子島に行く前日にらいんの湯で量つたら最小48.35kg、最大49.40kgだつた。風呂は汗等による水分の出入りでかなり變動するが、まあ眞ん中ら邊を見て48.9kgぐらゐだつたといふことだらう。4日で4kg近く増えた。食費を2倍にして3ヶ月頑張つて1.5kgぐらゐしか増やせず、少し油斷するだけで簡單に減つたりしてゐたのに、たつた4日でこんなに増えるのか。さすがに無理して食ひまくつただけのことはある。ほとんどウンコになつて出て行くんだらうけどな。ある程度は肉や脂肪になつて殘るだらう。50kgは維持したい。風呂で限界まで汗を放出しても50kg未滿にはならないやうにしたい。目標の56kgはまだ遠い。
いつの間にか深夜だ。死ぬほど眠い。まだ筋トレもせねばならんし、久しぶりのギター練習もやらねばならん。ギターは2日サボつたが、時間的に3日半も空いてゐる。この程度空けただけで劇的に指が動かなくなつてゐるなんてことは無いはずだがどうか。怯えながら練習開始。ダメだ。やはり指が固い。彈けない。動かない。焦る焦る。客觀的にはあまり變つてゐないのかもしれないが、自分自身の感覺として明らかに指が動かない感じ。たまにある異常に調子が惡い日よりも少し惡いぐらゐの感じ。元に戻すのに10日ぐらゐ掛かるかもしれんな。
MY LONELY TOWN(2.0)、Easy Come, Easy Go!(2.0)、黒い青春(1.9)、みかんのうた(1.8)、ELECTRIC EYE(1.8)、野性のENERGY(1.9)、I'm in love?(2.0)、OCEAN(2.2)、SHINE(1.8)、アクアブルー(1.8)、パーフェクトライフ(1.8)、GO★FIGHT★WIN(1.8)、BURN -フメツノフェイス-(1.8)、Hey!Mr.Angryman(2.0)。
筋トレはスクワットの日。適當に50囘だけ。もう疲れた。これ以上は無理。荷物も片附けず、風呂にも入らずいつの間にか氣絶してゐた。
3泊4日の恐らく人生最短の種子島滯在。初日と最終日はほぼ往復だけで潰れた。殘り2日のうち1日は法事で午前を消費した。殘り1日半。何か激しいことをやるには時間が少な過ぎた。しかしそもそもやることなど無いのだ。觀光は今さら過ぎるし。釣りか海水浴か、まあ颱風の影響で時化てゐたからいづれにしても無理だつた。特に何かしたくて行つたわけでもない。期間が短過ぎて異常に慌ただしかつた。祖父母の家に宿泊できないのが致命的だ。もう長期滯在は不可能。やはり寶籤を當てる必要がある。結局、ほとんど何も無い旅行だつた。祖父母の荒れ果てた家を見に行き、法事で睡魔と戰ひ、安納芋を貰ひ、古市家の住宅を初めて見た。簡單に言へばそれだけ。ほとんど何も無かつた。本氣を出せばこの4日の日記など1行で濟ませられる。それを約98000文字も書くといふ氣狂ひぶり。薄い文庫本ぐらゐの分量があるのではないか。全部讀むのに一體何時間掛かるだらう。書くのはもつと大變だ。でもかういふ文章を書くことで記憶が鮮明に殘る。何年經つても昨日のことのやうに思ひ出せる。俺以外の人間にとつては完全に無價値。寶籤を當てない限りもう種子島に行くことは無いかもしれないが、一應2年半後の祖父の法事の時に種子島に行くことを當面の目標にでもしておかうか。行つてもまた今囘みたいに何もできずに歸つて來るだけなんだけどな。
最後に、4日分全部讀んだ暇人にクイズ。以下の文中の空欄[ A ]〜[ W ]を埋めろ。全問正解できるかな?讀んだけど全然憶えてゐないなんてことはさすがに無いだらう。正解率50%以下だつたらアホ過ぎるぞ。多少難しい問題もあるが8割以上(19問)は正解しろよ。全部この4日間の日記に書かれてゐる。
名鐵西可兒驛から中部國際空港驛までの運賃は[ A ]圓。ジェットスターは[ B ]の降灰によつて缺航することがある。新種子島空港の前を走る道路は鹿兒島縣道[ C ]號線。ふれあひの里の向ひにある、流水プールや運動場がある施設、中種子町中央運動公園の通稱は[ D ]の里。薩摩芋澱粉を水で溶いて揚げて餠状にしたものに砂糖醤油や胡麻で味付けする種子島の郷土料理的なものの名前は[ E ]。西之表港から島間港へ通じる種子島唯一の國道は[ F ]號線。水イカとは[ G ]のこと。角卷きは種子島と[ H ]にしか無い。種子島では落花生を[ I ]と讀む。種子島で作られる安納芋2種類のうち、安納こがねの登録商標は[ J ]。種子島紫芋の品種名は[ K ]。ジャガイモはナス科、サツマイモは[ L ]科。農地法3條の權利移動は[ M ]の許可が必要。3條の對象となる權利は所有權・地上權・永小作權・質權・賃借權・使用貸借等で、[ N ]は含まない。農地法3條5條に言ふ許可は行政法の講學上は法律行爲的行政行爲のうち形成的行爲に分類される[ O ]に當る。市街化區域以外で4haの農地を宅地に轉用する場合には[ P ]の許可が要る。濱田海水浴場にある海蝕洞窟[ Q ]は干潮時以外は濡れる覺悟が無いと入れない。米軍の訓練施設等の移轉候補地となつてゐる西之表港の西12kmに浮かぶ島の名前は[ R ]。[ S ]は米軍基地等馬毛島移設問題對策協議會から離脱した。その訓練施設で米軍が行ふ豫定の訓練は[ T ]である。種子島ではサトウキビのことを[ U ]と言ふ。草ノ木のバス停のところにある川の名前は[ V ]。どうせ誰も讀んでゐないからどさくさに紛れて言ふけども、俺は[ W ]が好きだ。
公開日時 | 2013年10月08日 07時47分52秒 |
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最終更新日 | 2013年10月08日 07時50分44秒 (更新回数: 2) |
本文文字数 | 15293文字 (タグ込み) |
URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20130917 |
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