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犬土偶日記

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話題:種子島 2013年秋

2013年09月16日

種子島2013秋 3日目 熊野漁港公園 古市家の住宅 雄龍雌龍の岩

最終更新日: 2013年10月03日 21時13分32秒

種子島3日目。朝7時15分頃に起きた。種子島は多少風があるが、天氣は素晴らしく良い。親達がテレビを見てゐたので俺も少し見てみた。京都とか北陸とか色んなところで颱風18號の豪雨による洪水が起きてゐた。岐阜の方もそこそこ雨が降つたやうだ。上手い具合に颱風を避けて種子島に來たな。かういふことは珍しい。いつも種子島で颱風に苦しめられる。

外に出て散歩。親の同級生もふれあひの里に來た。何故かみんな散歩してゐた。少し奧の「ふれあい農園」の看板のところに、茶ぶけ(初日の晩飯を食つた居酒屋)の人がゐた。このふれあひ農園といふのは何だらうか。市民に畑を貸してくれるのかもしれない。オクラとか色々あつた。茶ぶけの人は落花生を試し掘りしてゐた。俺は家庭菜園の勉強を始める前は落花生は根に實が着くのだと思つてゐた。さうではなくて普通の豆みたいに地上で花が咲いて受粉してそれから實が地面に潛つて行く。變な植物だ。ちなみに、種子島ではラッカセイではなくラッカショウと讀む。完全に乾燥させてピーナッツとして食べることは少ない。と言ふか種子島でそんな食べ方は見たことが無い。鹽水で殻ごと茹でて柔らかい實を食べる。海水で煮ると丁度良い鹽分濃度になるやうだ。收穫後すぐに茹でて冷凍保存しておくらしく、茹でたてよりも解凍したやつを食べることが壓倒的に多い。大體どこでも半分凍つたままの状態で出て來て自然に解けるのを待ちながら食ふ感じになる。レンジで1分か2分ぐらゐ温めると美味いのだが、種子島人はあまりさういふことはしないやうだ。

今日の朝飯は喫茶店でモーニング。種子島にもあるんだな。親の同級生達とふれあひの里のすぐ近くにある中種子町役場の前のサンポストといふ店で。モーニングはAセット、Bセット、和食、みたいなのがあつてそのセットに750圓とかの値段がついてゐる。東海地方では朝何時から何時までは飲み物に勝手にセットがついて來る感じだが、こちらではセットを自ら注文する仕組みらしい。珍しいな。しかもクソ高い。このセットには飲み物の値段は含まれてゐなかつたと思ふ。俺は拂はないからそんなに眞劍に見てゐたわけではない。だから實は飲み物込みの値段かもしれない。いづれにしても高い。ハムエッグとトーストぐらゐのショボいセット。これで750圓。無いわ。無理だわ。貧乏性の俺には絶對無理だわ。750圓も出せば安い店でステーキランチとか食へるんぢやねえの?貧乏過ぎて震へてしまふ。

適當に食ひながら雜談するのを聞く。俺は喋らない。話すことも無い。親達は同級生同士で盛り上がつてゐるが、他の人は別に何もない。適當に食ひ終つて歸ることになつた。叔父と從妹と叔母が先に歸る。俺はどうすべきだらう。何も話すこともないし、ゐても邪魔だらうし、親を待つのも結構苦痛だ。一緒に歸ることにした。

ふれあひの里に戻つて來たが、やることが無い。取り敢へず外に出て自販機のゴミ箱を漁る。コカコーラのキャンペーンのシールをGETだ。少し前はTシャツとかタンブラーとかが何萬人に當るやうなやつだつたが、今は500圓のQUOカードが1000人に當るといふ絶望的なやつ。でも應募する。コツコツとゴミ箱を漁つてシールを剥がす。完全に乞食。

今日は夕方に叔父と從妹が鹿兒島に歸る。それまで二人で觀光でもするんだらう。子供が樂しめるやうな場所と言ふと宇宙科学技術館とあっぽ〜らんどぐらゐだらうか。無理すれば宇宙ヶ丘公園やわかさ公園でも遊べるがショボい。宇宙科学技術館には初日に行つたらしい。今日はあっぽ〜らんどだらうな。あっぽ〜らんどには馬毛鹿もゐる。これは農家にとつては天敵みたいなもので物凄く厄介な存在なのだが、農家以外の人は見れたら少し得した氣分になる動物かもしれない。島民は見慣れてゐて何も感じないかもしれないが。俺は野生のやつは1囘しか見たことが無い。農業の被害の大きさの割に意外とゐないんだよな。横濱の叔母は友達と會ふ。叔父の車で一緒に出掛けるやうだ。下の叔母も友達と會ふために車で出掛けるらしい。親は同級生と遊ぶ。待てよ、俺はどうなるんだ?レンタカーは2臺とも無くなる。親が同級生と喫茶店で話し込んで俺の存在を忘れ去つてそのまま同級生の車で遊びに行つたら俺はこの何も無いふれあひの里で1日無駄に過ごすことになるのか。非常にその可能性が高い。どうしようか。叔父と從妹の觀光に俺も連れていつて貰ふか。いや、親子水入らずのところ邪魔するのもあれだ。下の叔母について行くか。途中の海で降ろして貰つて一日中アホみたいに海で遊ぶのも良いかもしれない。ふれあひの里に籠つて慘めに行政書士の勉強をするよりはマシだらう。でも日燒けが怖いな。それに長時間海で遊ぶのは體力的にもキツいだらう。ヤバいな。一應親に電話してここに俺を迎へに來るやうに言つておいた方が良いか。叔母が電話してくれて一度ふれあひの里に戻つて來ることを確認した。といふことで、今日は親と親の同級生について囘ることになつた。バイクでもあれば一人で島を走り囘るんだがな。でも親の同級生から面白い話を聞けるかもしれないし、行つたことが無い場所にも行けるかもしれない。叔父達について行つても、海で一人で遊んでも、親について囘つても、籠つて行政書士の勉強をしても、どんな選擇をしてもそれなりに何かが起こる。違ふ未來に繋がる。籠つて行政書士の勉強といふのが一番クソだが、それ以外ならどれでもいい。ここで籠つて行政書士の勉強をするかどうかで行政書士試驗の合否が分かれるといふ可能性もあるけどな。面白いことが起こりますやうに。面白ければ何でもいい。

叔父と從妹と叔母が出掛けた。もう一生會ふことは無いかもしれない。毎囘種子島に來るたびにさう書いてゐる。また會ふこともあるだらうとは思ふが、次は誰かが死んだ時かもな。

ピンクの蠅叩きをキュッと握る。この握り心地。をかしいな。フィットし過ぎるんだよ。大量生産されたありふれたもののはずなのに明らかに何か違ふ。激しく使ひ慣れた感觸。これは草ノ木の家にあつた祖母の蠅叩きではないのか。叔父が持つて來たのかもしれない。見れば見るほどさう思へて來る。蠅の汁が染み込んだ模樣にも激しく見覺えがある。俺が3年掛けて屠つた數百匹の蠅の汁。思ひ出がいつぱい詰まつた蠅叩き。祖母の家にはもう1本薄い緑色の蠅叩きがあつた。そちらの方は滿足行く戰果が出せてゐない。反りや撓りの問題もあるかもしれないが、殺戮の成功率が明らかに低いのだ。よく祖母が言つてゐた。蠅は蠅叩きを知つてゐると。憶えてしまつて寄つて來ないと。そんな馬鹿なことがあるかと嘲笑する人が多かつたが、これに關しては俺はある程度祖母を支持する。奴等は蠅叩きを知つてゐる。蠅叩きを持つてゐる時と持つてゐない時では奴らの動きが明らかに違ふ。緑の蠅叩きを持つてゐた時は特に奴等の警戒心が強かつた。何故奴等は蠅叩きを知つてゐるのか。生まれた後に學んだことは遺傳で次世代に傳へることができないはずだ。教育等による知識の共有で受け繼ぐしかないが、奴等にそんな知性や社會性があるはずもない。蠅叩きで仕留め損なつた個體がそこで學習して一世代限りその蠅叩きを警戒するやうになる、と考へるのが最も自然に思はれるが、どういふわけかほぼ全ての蠅が最初から明らかに蠅叩きを警戒してゐる。祖母は蠅が蠅叩きを憶えると言つてゐたが、俺には蠅が生まれながらに蠅叩きを知つてゐるとしか思へない。明確にピンクより緑のを警戒してゐた。蠅の色覺の問題かもしれない。同胞の死骸の臭ひを警戒してゐたなら戰果の多いピンクの方を警戒したはずだ。蠅叩きの問題ではなく、人間の殺氣のやうなものに反應してゐるのかもしれないが、俺は蠅叩きを持つてゐない時でも同じくらゐ蠅を殺戮しようとしてゐたから殺氣の問題ではない氣がする。奴等は何故最初から蠅叩きを知つてゐるんだらう。俺が蠅叩きを持つてゐない時の俺をナメたやうな動き。思ひ出すだけで屈辱だ。蠅叩きを持つた瞬間に距離を置く蠅。絶對あいつら蠅叩きを知つてゐる。まあ蠅について熱く語るのはやめておかう。俺は誰もが知つてゐる通りの氣狂ひだが、別の方向性の氣狂ひだと思はれてしまふ。なんか自分でも怖いんだよ。變なところで好奇心や向上心が旺盛だから一歩間違ふと將來蠅研究家みたいなのになつてゐるかもしれない不安がある。種子島がキッカケで蠅研究家になりました!とか、さすがにさういふ方向性は望まない。蠅殺戮の充實感は筆舌に盡くせぬものがあるけれども。たまに蠅について狂つたやうに熱く語ることがあるが、ネタとして大袈裟に書いてゐるだけだらうと思つてゐる人が多いかもしれない。でも本氣なんだ。種子島で一緒にゐた人達は俺がどれほど蠅に拘つてゐたか知つてゐるだらう。蠅叩きの柄の後ろには死骸を摘まんで捨てるための道具がついてゐる。スパーン!と叩いて屠つた後にそれで蠅を摘まんで捨てて物凄く誇らしげに恍惚の表情を浮かべながら挾むやつを柄に戻す樣はまるで刀を鞘に收める侍のやうだ。いつも蠅叩きを持つてウロウロし、法事で坊さんがゐるのに儀式の最中にも蠅を殺して窘められたり、蠅を誘き寄せるためにわざわざ脂の多い鯖を食つてゴミをゴミ箱の上に置いてドアをわざと少し開けつ放しにして無殘に猫に荒らされてみたり、蠅の死骸をキッチンペーパーの上に積み上げて叔母に絶叫され親に捨てられ、とにかく尋常ではない拘り方だつた。完全に魅了されてゐた。迸る情熱。漲る愉悦。完全に氣狂ひの領域。密かに蠅侍とか變な渾名で呼ばれてゐても何の不思議もない。親戚の間でも「蠅の人」で十分通じるのではないかと思ふ。そこまで熱くなれるものが君にはありますか?輝いてるだろ?俺。

親と同級生がふれあひの里に戻つて來た。まづは郵便局に行くらしい。古田で貰つた芋をまづ送るらしい。10時までに出せばその日の便で送られるから早く着くのだとか。親の同級生の車に芋を積み込み、4人で野間の郵便局へ。裏口から直截行く。荷札を書いて俺の分も親が金を拂ふ。思へば種子島に來てからほとんど金を使つてゐない。エアコンが壞れた死にさうな飛行機を降りて速攻で買つた自販機のコーラ120圓しか使つてゐない。飛行機代も親が哀れんで出してくれたし、この分だと宿泊費も何も言はなければ出さずに濟みさう。全く金が無くても種子島に來れるんだな。外道だな。芋は歸つた翌日には屆くだらう。種子島の芋は主に3種類ある。安納芋2種類と紫芋。紫芋は作るのが難しいらしい。紫芋の品種名は種子島ゴールド。安納芋は皮が赤紫色のやつと白いやつの2種類。味は同じ。皮が赤紫のやつは安納紅(あんのうべに)といふ品種で西之表で作られてゐるやうだ。白いやつは安納こがねといふ品種で登録商標が「安納もみじ」。安納こがねは中種子と南種子で作られてゐるやうだ。どちらも安納芋ブランドの商品として流通してゐる。俺達が貰つたのは安納紅。古田は西之表市だからな。親の同級生も誰かに最近貰つたらしいが、中種子町なので安納こがね。サツマイモは連作障礙が無いし荒地でもよく育つからいざといふ時の食糧として適してゐる。芋を主食みたいにしてゐるやうな地域でよくジャガイモが作られてゐるが氣温が低くてサツマイモが育たなくて仕方なくジャガを作つてゐるだけだらう。ナス科は連作障礙が激しいから廣大な土地で上手く輪作しながらぢやないと難しい。ジャガイモはナス科、サツマイモはヒルガオ科。この機會に憶えておけ。憶えて損は無いし大した勞力ではない。いつか何かの役に立つかもしれんしな。南の方ではサトイモ系を主食にすることも多いな。安納芋は今はただの高級なスイーツみたいな扱ひだが、救荒作物としての薩摩芋といふ認識も密かに持つて栽培法などを少し學んでおくと後々助かるかもしれない。徳川吉宗や青木昆陽が芋で飢饉を救つた實績もある。異常氣象や世界人口の急増などに今から備へておけ。家庭菜園でも十分に芋は作れる。いざといふ時は金ごときクソでは貴重な食料は手に入らんぞ。この世で最も價値の高いものは食料だ。

郵便局を出て、國道を北へ向ふ。何度も何度も走つた道。約10kmで牧川に着く。まづは叔母をどこかに送つて行くらしい。ふと思つた。叔母はレンタカーで一人で行くんぢやなかつたのか。レンタカーはふれあひの里に置きつぱなしだ。芋の發送だけ親に頼んで俺がレンタカーで一人で種子島觀光をすれば良かつたのだ。もう遲い。叔母の友人は上牧川にゐるらしい。草ノ木よりも少し北。何故草ノ木を下牧川と言はないんだらう。上西・下西、上石寺・下石寺、上能野・下能野、上中・下中など、上下がつく地名は多い。上しか無い牧川は例外的な存在だらう。實は俺が知らないだけで草ノ木のバス停から星原小學校邊りまでのことを下牧川と呼ぶのかもしれない。草ノ木はもうほとんど人がゐない感じだが、上牧川の方はまだ家がたくさんあつて人もそこそこゐるやうだ。道が狹く込み入つてゐて迷ひ込むと厄介なことになりさう。まあ迷つたら海を目指すだけで良いけど。確かここら邊だつたと言ふ邊りで叔母を降ろし、國道へ。

草ノ木の坂を上がり祖父母の家へ。親の同級生がアマリリスか何かの球根を欲しがつてゐた。それを取りに來たやうだ。相變らず家に上がつて行く坂の横の木が邪魔で上まで車で上がつて行けない感じだつたので下の隙間に停める。車を降りて家へ。激しく綺麗になつてゐる!何だこれ。叔父が一人でやつたのか。あれだけあつた草が無い。裏の風呂の方から家の中へ。親達は當然のやうに土足で入つて行く。廊下はまあ良いかもしれないが、疊の上も平氣で土足で歩き囘るのはどうかと思ふ。俺は靴を脱いで上がる。叔父はパソコンと屋久杉の壺を家に送ると言つてゐた。屋久杉の壺は祖父が誰かから貰つたものらしい。間違ひなくこの家で一番高價なものだらう。結構デカかつたから買へば何十萬もするはず。PCと壺が無くなつて家の中もある程度綺麗になつて昨日とはだいぶ違つてゐた。でもやはり住むにはまだ嚴しい。本格的に掃除をするとかなり大變だらうと思ふ。俺が置いて行つた釣具はそのままになつてゐた。ケースは埃で汚いが中身は4年前のまま。洗つて干して細かいものも全部ビニール袋に入れて封印してあつたから中身は結構無事。そのまま使へるだらう。でもここに置いてあつてももう誰も使はないし、家に持ち歸るのも送るのも大變だ。岐阜には海が無いから海用の釣具なんか持ち歸つても仕方が無い。どうしようかと思つてゐたところ、親の同級生が保管しておいてくれると言ふのでお願ひすることにした。民法で言へば無償の寄託契約、片務・要物契約、善管注意義務無し、解除の遡及效無し。かういふどうでもいいところで法律を當て嵌めて考へてみることも行政書士試驗の勉強になる。さうまでしてもヤバい状況に追ひ込まれてゐるから毎日5時間ぐらゐ勉強しないと拙いんだけどな。もうどうでもいいわ。何氣なく段ボールの切れ端をどかしてみたら下に蟻が大量にゐた。卵もたくさんあつた。奧に作つた小屋みたいな場所が隙間だらけで蟲が入つて來る。隙間風も凄いんだらう。この邊りに笹の枯葉みたいなのが大量に落ちてゐる。家の中が激しく汚れてゐたのはこれのせゐかもしれない。釣り道具は自由に使つてくれて良い。寶籤が當らない限り、二度と俺が使ふことは無いだらうと思ふ。親の同級生は炊飯器の中の釜も欲しいらしい。これを使つて燒き芋を作ると美味いらしい。種子島人はみんなさうするらしく、要らなくなつた炊飯器を捨てる時も外側だけ捨てて中の灰色のやつは殘しておくのださうだ。庭でアマリリスの球根を根こそぎ取つてビニール袋に入れ、車に積む。そして家を出る。もうここに來ることは無いのかもしれない。

祖父母の家1 祖父母の家2 祖父母の家3 祖父母の家4
祖父母の家5 祖父母の家6 祖父母の家7 祖父母の家8

祖父の墓へ。俺は昨日行けなかつたので良かつた。行つても別に何もしないけど。墓の近くの畑はもう荒れ果てて入れなくなつてゐた。入り口だけが草で荒れてゐるのではなく、奧も滿遍なく荒れ果ててゐるやうだ。まともに奧を見ることもできない。叔父が言つてゐたが、最近の地籍調査でこの畑は原野になつてゐたらしい。これで完全に農地法の制約からは解放されたな。農地を守るために農地の賣買等を制限する農地法といふ法律がある。農地法上の「農地」は登記簿の地目は關係なく、現況で判斷される。登記簿上は宅地でも現に耕作してゐたら農地法が適用される。しかし家庭菜園は農地ではない。だから祖母が生きてゐた時點でも既に農地法の對象外だつた可能性がそこそこ高いが、休耕地は原則として農地なのでどう判斷されるか微妙なところだつた。それが今では完全に原野扱ひだから農地法の適用は無い。他の問題で權利移動できないなんてこともあるんだけど。厄介だね色々。農地法では3條の權利移動、4條の轉用、5條の轉用目的權利移動に許可が必要になる。權利移動とは賣買等によつて權利者が變ること。轉用とは農地を農地以外のものにすること。轉用目的權利移動とは農地を農地以外にする目的で持ち主が變ること。3條の權利移動は市町村の農業委員會の許可が要る。4條5條は都道府縣知事の許可が要る。條文上は「許可」となつてゐるが、行政法の講學上は3條5條に關しては「認可」に當る。4條はそのまま「許可」。行政行爲は行政庁の效果意思に基き法的效果を發生させる法律行爲的行政行爲と、それ以外の準法律行爲的行政行爲に分けられる。行政の意思表示が必要かどうかといふ分類だ。準法律行爲的行政行爲には確認・公證・通知・受理がある。法律行爲的行政行爲はさらに命令的行爲と形成的行爲に分類される。命令的行爲は國民が本來有する自由を制限したり制限を解除したりする行爲で、下命・禁止・免除・許可がある。形成的行爲は國民が本來有してゐない權利や法的地位を設定・剥奪・變更する行爲で、特許・認可・代理がある。農地法3條と5條の「許可」は法律行爲的行政行爲のうち形成的行爲に分類される「認可」であるといふことになる。ちなみに、農地法について細かいことまで言つておくと、3條5條は農地以外に採草放牧地も對象になる。3條の對象になる權利は所有權・地上權・永小作權・質權・賃借權・使用貸借等で、抵當權は含まない。許可主體の例外として、3條は個人がその住所地以外で農地又は採草放牧地の權利を取得する場合に農業委員會ではなく都道府縣知事の許可が要る。例へば俺が可兒市を住所としたまま種子島の農地を買ふには鹿兒島縣知事の許可が要る。4條5條について4haを超える農地の場合は農林水産大臣の許可が要る。土地收用の場合や、遺産分割・相續の場合、農事調停による取得、國・都道府縣が權利を取得する場合は農地法3條の許可は必要ない。ただし相續の場合は遲滯なく農業委員會へ屆け出なければならない。4條5條では國・都道府縣が道路・農業用用排水施設等の地域振興上または農業振興上の必要性が高いと認められる施設の用に供するために轉用や取得する場合には許可が不要。それ以外は許可が必要だが、國や都道府縣と都道府縣知事(4haを超える農地の場合は農林水産大臣)との協議成立で許可があつたものとみなされる。4條について、農家が2a未滿の農地を農作物の育成もしくは養畜のための農業用施設に供する場合も許可は不要。5條について、採草放牧地を農地にする場合は許可不要だが、3條で規制される。市街化區域については4條5條の場合、豫め農業委員會へ屆け出るだけで良い。許可・屆出が無い場合、權利移動・轉用目的權利移動は效力を生じず、轉用・轉用目的權利移動では工事停止命令や原状囘復命令を受けることがある。また罰則として3年以下の懲役または300萬圓以下の罰金、法人の場合は1億圓以下の罰金が科せられる。法人の從業員等が違反した場合は本人と法人兩方に罰則あり。こんな知識はほぼ何の役にも立たない。しかし絶對に役に立たないとも限らない。この機會に憶えておけ。後半の細か過ぎる知識はマニアとか專門家にしか必要ない知識だらうが憶えられるなら憶えておけ。宅建試驗で農地法が必ず1問出題されるので、もし受けるならこの程度は必ず完全に憶える必要がある。ここは樂に確實に1點取れるところだからな。農地法は他の法令より簡單で合格者はほぼ全員正解するので落としたらヤバい。宅建受けない人は、まあほぼ必要ない知識だらうが、將來農地の賣買をすることもあるかもしれない。その場合もほとんど不動産屋を介してやるから自分は知らなくても問題ないだらうが、宅建主任者による重要事項説明の内容がチンプンカンプンで理解不能といふ状態よりは豫め色々知つてゐた方が失敗も防げるし面白いかもしれない。將來農地を相續する可能性がある人も憶えておいて損は無い。行政行爲の分類については行政書士試驗の行政法の分野で出ることがあるかもしれない。眞劍に憶えようと思へばこんなの10分もあれば憶えることができる。憶えて損は無い。最初から憶える氣もなく讀み流すのと、憶えようといふ意識を持つて讀むのでは全く違ふ。これに限らず何でも初めて見ることや初めて聞くことなど何でも全て取り敢へず憶えようといふ意識を持つだけで隨分變つて來る。1つ1つはすぐに忘れるかもしれないが、忘れてもいい。完全に忘れ去ることは不可能で、腦のどこかに必ず殘る。別の機會にふと思ひ出したりすることもあらう。全てを記憶しようと一應意識してみるといふだけのことで知識の蓄積量が大幅に變る。5年後10年後20年後、明らかに違つた結果になるはずだ。今は役に立ちさうになくても、すぐに忘れさうでも、取り敢へず憶えてみようといふ意識を持つてみろ。人生が變るぞ。そこから何か新しい趣味に繋がるかもしれない。何事も憶えて損は無いのだ。犬土偶日記を讀むのは時間の無駄だが、それを完全な無駄にしないために、知らなかつたことが出て來たらそれを全て憶えて無駄の度合を減らす努力をしよう。完全な無駄で終らせたら勿體ない。といふわけで、もう一度この段落を讀み返してみよう。それができるかどうかで今後の人生が變る。この知識が直截人生を變へるのではない。今後あらゆる場面で未知のものに出會つた時、それを吸收しようといふ意識を持てるかどうかに關つて來る。今この段落を讀み返さうと思へない人は永久にダメなまま。既に子供の頃からさういふ意識を持つてゐる人は良いが、無駄に生きて來た奴は今日ここで心を入れ換へろ。損は無い。ほんの少しの意識の差で劇的に變る。何?説教臭い?折角俺が善意で忠告してあげてるのに素直に受け入れられないのか。だからお前はダメなんだよ。ところで安納芋の品種名を2つ言へるかね?常に新しいことを憶えようといふ意識を持つてゐたらここまで讀み進むうちに忘れるといふことはあり得ない。何でも憶えようと思つてゐたらまだここで品種名を言ふことはできるはず。既にここでもそれだけの差が出る。その積み重ねで10年20年。どれほどの差になるんだらうね。ただ、敢へてバカで無能な人生を送るといふ選擇も否定すべきではないとも思ふ。

しかし凄い荒れやうだな。家と違つて畑は2007年秋から誰も觸つてゐないからな。この畑で祖母はナスやトマトやオクラやスイカを作つてゐた。キュウリかゴーヤみたいなウリ科のやつもあつたかもしれない。ヘチマだつたかな。種子島ではヘチマも食ふんだぞ。イトウリと呼ぶ。昨日の晩飯にも密かにあつたよ。落花生も作つてゐたかも。俺はここで初めてオクラの木を見た。上向きに實が着くものだとこの祖母の畑で初めて知つた。收穫のタイミングを逃して超巨大化したオクラなんてのもここで初めて見た。祖母は農業が好きだつた。仕事でサトウキビを作つてゐたが、それ以外は趣味だつた。食料の自給自足といふ目的も大いにあつただらうが。とにかく野菜の栽培が好きでいつも樂しさうに語つてゐた。指宿に行つた時も電車から餘所の畑を見て農業の話をしたり、旅館に行くタクシーでも運轉手と農業の話をしたり、屋久島に行つた時も作物を見るために叔父の運轉する車を止めてみたり、來年は桃を作るなどと語つたりしてゐた。その影響で俺も家庭菜園を始めることになつた。初めは何も知らず、トマトの脇芽かきもせず放任栽培だつたが一應トマトも獅子唐もいくらか收穫できた。少し眞面目に勉強しないとダメだなと思ひ、そこから家庭菜園檢定に繋がる。何がキッカケで人生が變るか分からない。この祖母の畑は俺の家庭菜園の原點。種子島で本當に俺の人生が大きく變つたなとつくづく思ふ。

濱津脇國道を南へ向ふ。濱津脇に知り合ひがゐるらしく、そこに寄つて行くことになつた。俺は疲れたので車で待つ。ヨーグルトと野菜のジュース、そして何故か廣島の蛸せんを貰つた。種子島の人は必ず何かくれる。既に色んな人に會つてアホみたいに色んなものを貰つてゐる。どう考へても持ち歸れないので、親や叔母が餘つたものを俺にくれる。バンドメンバーへの土産や俺の食料がどんどんタダで手に入る。ありがたいことだ。

しばらく濱津脇の人と話し込んでゐた。でもまだ12時半ぐらゐだ。活動開始するのが早過ぎる。この後は取り敢へず球根や釣具を置くために親の同級生の家に行くやうだ。熊野の邊りだと聞いてゐるが行つたことは無い。親も初めて行くらしい。海拔0m地帶だとかで、東日本大震災の時は津波から避難したさうだ。種子島は半日ぐらゐ遲れて夜に津波が到達したんだつたか。確か熊野で50cmぐらゐとかニュースで見た氣がする。50cmなんて高さ的には大したこと無いが、津波の場合は足を取られたら簡單に死ねる高さだ。結局0m地帶と言つても家の方までは來なかつたやうだ。津波の時は南界に避難することになつてゐるらしい。昨日の寺がある邊り。熊野から南界に避難するルートが全く思ひ浮かばない。さては俺の知らない道があるな。

國道をひたすら南下。野間から縣道75號線へ。ここから先の縣道75號は觀光地滿載だ。少し縣道から逸れないと行けない場所もあるが、熊野海水浴場、阿嶽の洞穴、水稻早期栽培發祥之地、マングローブ、濱田海水浴場、千座の岩屋、廣田遺跡、寶滿の池、赤米館、宇宙科学技術館、竹崎海水浴場、インギー鶏、前之濱海濱公園、ドラムエルタン號漂着の碑、七色坂觀望所、門倉岬。これだけで種子島の主要觀光地の大半を見たことになるだらう。だが今日は觀光の豫定は無い。熊野へ。

海水浴場の少し手前の新町といふ集落に入つて行つた。ここまで入り込んで來たことは無いな。親の同級生の家はかなりデカかつた。1階建てだが部屋數がかなり多い。二世帶住宅らしい。掃除が大變さうだ。こんな豪邸でも他所と比べるとクソ安い。土地がまづ坪單價數千圓だからな。1坪1萬圓の大臺に乘つたら超絶ボッタクリの領域。そんな世界だ。普通に働いてゐる人なら餘裕でマイホーム持てるぞ。猫を何匹か飼つてゐた。1匹アホな猫がゐて、部屋のドアが閉まらないやうに置いてある黒い豚の縫ひぐるみを異常に恐れてゐた。小母さんが猫を抱へて無理矢理その縫ひぐるみに近づけたらアホみたいに暴れてゐた。近くの臺所に入る時もその縫ひぐるみを警戒しながら少しづつ近づいて隙を見てダッシュで驅け込む感じだつた。居間には超巨大なテレビが置いてあつた。ウォーターサーバーとかもあつて結構ブルジョアな暮らしぶりだ。ロケット關係の仕事は給料が高いんだらう。俺もいつかは種子島に家を建てて暮らす。よく考へてみればこの家は俺の目標とする人生に近いものなのかもしれない。俺は働かずにこれを實現するのだ。庭に畑が無いのが殘念だな。

熊野漁港公園海へ行つてみることになつた。すぐ近くの熊野漁港公園へ。ここは來たことある?と親の同級生に聞かれた。ありますとも。この規模の目立つものはほぼ全て見たと言つていい。初めてここに來たのは祖母が亡くなる數日前。8月末の大潮の貝拾ひが原因で肺炎を起こした祖母が入院して約半月。ATLのせゐで肺炎が治らず、高熱を出してゐた頃だ。親は病院に寢泊りし、叔父も毎日病院に通つてゐた。親は歸りの飛行機をキャンセルしてもうしばらく種子島にゐることにした。叔母達がその翌日から續々と種子島に集結し始めた。そんな慌ただしい時に俺は暢氣に觀光をしてゐたのだ。ATLは治らないけども、肺炎さへ何とかなればまだしばらく大丈夫などと樂觀的に考へてゐた。その肺炎が致命傷だつたのだ。その日は朝から牧川で騷動が起きてゐた。親の別の同級生がやつてゐる老人ホームからボケ老人がゐなくなり、パトカーや消防車も來て地元の人達で激しく周圍の山を搜索してゐた。結局上牧川の川で水浴びをしてゐたところを發見されて無事に保護されたらしい。その日、熊野漁港邊りをウロついてゐた時、携帶に親から電話があつた。家にゐなかつたけどどこにゐるのかと。熊野漁港だと答へてから漁港公園を適當に歩き囘り、海水浴場やマングローブを輕く眺めてからどうしようか考へた。もう夕方だつたし、宇宙センターや門倉岬はもう何度も行つて飽きてゐた。そんな時、平山の邊りで國道58號へと書いてある標識を見つけ、走つたことが無いから行つてみようと思つた。しばらく行くと長谷展望公園といふ立て札があり、長谷で國道に合流した。そこから種子島病院はすぐ近くなので病院に寄つてみた。親は耳がをかしいと言つてゐたのだが、どうやら病院で寢泊りしてゐる間に耳に蜘蛛が入り込んでゐたらしい。綿棒で蜘蛛を引き摺り出したと言つてゐた。そこから數日で祖母の容態が急變して亡くなることになる。熊野漁港公園には2009年秋にも來たことがある。釣り道具を持つて南種子を激しく觀光しつつ釣り場を探してゐた。結局その時は熊野では釣りをしなかつた。宇宙科学技術館の奧の竹崎觀望臺裏の竹崎漁港で少しルアーを投げてみただけだな。熊野漁港はこれで3囘目か。シラスウナギが獲れるだとか、奧の漁港でイワシやアジやイカが釣れるだとか、色々教へて貰つた。昨日の晩飯にあつたミナもここで採つたらしい。どこへ連れて行つても俺は來たことがあるといふので少し殘念さうにしてゐた。あの燈臺にも登つたことあるぜ!とか無駄に誇らしげな俺。近所に住んでゐる小母さんですらあんな燈臺なんか行つたこと無いと言ふ。まあさうだらうな。別に珍しいものでもないし、わざわざあんなところに登る意味が無い。近くに住んでゐるからこそ興味を持てない。俺だつて30年近く住んだ可兒のことをほぼ何も知らない。可兒の縣道なんて1本も知らない。地名も春里地區以外ほぼ知らない。古墳やら遺跡やら石碑やら色々あるみたいだが全く知らない。鳩吹山に行く途中に土田城阯といふ看板が出てゐるが見に行つたことも無い。もしこれが種子島だつたら絶對見てゐるはず。さういふものだ。俺が異常なレベルで種子島に興味を抱き過ぎてゐるだけのことだ。

漁港を出てもう少し南へ。マングローブをチラ見して、この潮位だと千座の岩屋は行つても無駄だと言ふ。干潮時は洞窟内に入れるが、通常は濡れる覺悟が無いと入れない。俺は氣象廳のサイトで潮汐表を見てわざわざ干潮の時刻を調べてから見に行つてゐたが、近くの人はこの鹽田の潮位で見るんだな。2007年8月に叔父と横濱の叔母とその子供達と5人で男淵女淵の滝や千座の岩屋を觀光に行つた時に、そのマングローブの近くにあるペンションで晝飯を食つた。その店は雰圍氣が變つてゐた。單に改裝しただけなのか、店そのものが變つたのかは知らない。サーファーがよく集まるみたいなことを言つてゐたので全く違ふ店なのかもしれない。以前に來た時はさういふ店ではなかつたやうな氣がする。その店の邊りでUターン。ここから先へ行くと歸るのが大變になるし、有名過ぎる觀光名所しか無いし、行く意味も無い。近くに別の同級生か何かが住んでゐるらしく、會ひに行くことになつた。一旦熊野に戻り、山の方へ入つて行く。この道は通つたことが無い。鹽屋といふ地域で突然アホみたいに車が大量に停まつてゐた。今日は敬老會の日で、公民館に集まつてゐるやうだ。若い老人が激しい老人を祝ふ日。本物の若者などゐない。島民の平均年齢は相當高い。小學校の生徒數は一桁だつたりするし、島外から移住して來るサーファーもそんなに多くはないから平均年齢を下げる力は無い。仕事が無いから若者は高校を出たらみんな出て行く。60代は完全に若者扱ひだ。島全體が限界集落みたいなもの。鹽屋からさらに奧に行くと中田といふ地域に出る。ここの公民館でも敬老會をやつてゐた。どうやらこれから會ひに行く人も敬老會に出てゐることは間違ひ無いやうなので諦めようかといふことになつた。取り敢へずその人の家まで行つてみることに。ゴールデンレトリバーがゐると言つてゐた。行つてみたら庭にゐた。知らない人にも餘裕で尻尾振つて懷く。番犬には使へないな。激しく撫で囘してからもう一度公民館の前を通る。覗いてみたら目が合つたやうで、その人が出て來た。俺は相變らず車で休憩しながら待つ。外で3人でしばらく話し込んでゐた。

今囘、島の至る處で「TPP反對」とか「馬毛島の米軍施設反對」といふやうな立て札や看板を見る。沖繩と違つて本土から左翼活動家が入り込んでゐるといふことは全く無いんだが、昔から「憲法9條を死守!」みたいな看板をよく見掛ける。平和がどうたらとか。戰爭時にはそんなに激しい被害を受けた場所ではないと思ふのだが、左寄りな思想を持つ人が多いのだらうか。日教組が強い地域にありがちだが種子島はどうなんだらうか。島民ならTPPに關しては當然反對だらう。TPPで種子島の主要農作物のサトウキビが完全に終る。一應日本政府はサトウキビを關税撤廢の對象から外すやうに交渉する品目に舉げてゐるが、まづ無理だ。TPP參加で種子島の農業は壞滅する。さうなつた場合に何に轉作するか。安納芋?ダメだらうね。今は稀少だから高値で賣れてゐる。廣大なサトウキビ畑を全部安納芋に轉作したら供給過多で値崩れどころではなく、これも死んでしまふだらう。海外に輸出?できるかね。TPPは種子島にとつては本當に激烈にヤバい。もしサトウキビがダメになつたら種子島の風景も激しく變つてしまふな。サトウキビ畑の無い種子島など想像もできない。馬毛島に米軍の訓練施設ができるかもしれない件についても島民としては當然反對だらう。米軍に來て欲しい理由など何一つ思ひ浮かばない。鳩山が最低でも縣外とか言ひ出してから起こつた問題なのか、それ以前からあつたのか俺は知らない。馬毛島は西之表の少し西にある小さい無人島。ここらでは良い釣り場があることでも有名。種子島の釣り人にとつても重大な問題だな。そもそも漁業にも相當な惡影響がある。ここに米軍の訓練施設を作ると補助金が10年で250億だか貰へるらしい。勿論、住民が貰へるのではなく、西之表市、中種子町、南種子町、屋久島町といつた周邊の自治體が貰へる。過疎化で人口が激しく少ないので税收も少ない。そこにそれだけの補助金をチラつかせられたら行政としては惱むだらう。それだけの金があれば農業・漁業・觀光・福祉・医療等に一體どれほどの投資ができるだらうか。TPPで農業が壞滅することも考へると金は喉から手が出るほど欲しいに決まつてゐる。しかし島民感情としては來て欲しくないだらう。地方公共團體の長は餘所者でもなれるが、かういふ邊境では長も島民だ。一般の住民と同樣に個人的な感情としては來て欲しくないに決まつてゐる。しかし高額な補助金を見せられたら屈辱でも島のために色々考へねばならんだらう。重要なチャンスでもあるのだ。とは言へ、金が永久に貰へるとは限らない上に施設は一度作つたら半永久的だ。愼重にならざるを得んだらう。最近中種子町議會は米軍基地等馬毛島移設問題對策協議會から離脱した。反對であることには變りないやうではあるが、交附金の有用性等も考へて少し贊成側へ囘る檢討をしてゐるのかもしれない。だがこの補助金はアメリカではなく日本が出すんだ。アメリカには思ひ遣り豫算とかで金まで惠んでさらに土地までも提供する。日米地位協定による治外法權まで認めてゐる。どこまで差し出せば氣が濟むんだ。中國や北朝鮮があんな風で日本は憲法9條があるからとか言つてアメリカに頼らざるを得ない。だがアメリカは信用できない。イラク戰爭の頃、北朝鮮が危險な状況で、アメ公に媚びないと日本が危ないだとか、大義より國益だとか言つてゐた自稱保守派の馬鹿が大量にゐたが、アメリカはイラク戰爭で疲弊して面倒になり北朝鮮のテロ支援國家指定を解除した。一切日本に配慮なんかしなかつた。イラクへの侵掠戰爭を支持してくれた恩など微塵も感じることなく日本の卑屈な媚を平氣で踏み躙つた。自分の國のことしか考へてゐないのだ。何が國益だ。同盟國だからと言つて安心も信頼もできない。いざといふ時に米軍が自分の國のためではなくただの同盟國のために本氣で命を懸けて全力で戰つてくれるだらうか。絶對無いね。日本の國力からして單獨防衞は不可能だから少なからず米軍に頼らねばならんことは間違ひ無いが、信用できない國だから全力で貢ぐのはやめろ。必要最小限に留めろ。大體、訓練などどこでもできるんだからアメリカ國内でやれ。これは重要なことだが、そもそもその訓練(空母艦載機離發着訓練)は日本を守るための訓練ではないのだ。沖繩の基地は、中國のボケが世界征服を企んで手始めに沖繩周邊を奪はうとしてゐるから場所的にどうしやうもないが、馬毛島の訓練施設は必要が無い。ただ、アメ公專用の施設ではなく自衞隊も使ふ施設だから日本にとつて完全な無駄ではない。宿舍等を種子島内に作る計劃もあるやうだが最惡の場合でも馬毛島から自衞隊員は良いが米兵は出さないやうにして欲しい。米兵が頻繁に西之表に上陸したり種子島に住むやうなことになれば、沖繩と同じやうに米兵による轢き逃げや強姦事件がアホみたいに多發するだらう。アメ公は野蠻人だからな。被害者は泣き寢入りだ。沖繩みたいにデモを起こすのもこんな人口の少ない場所では大變だらう。さういふ時は島外の氣狂ひ左翼活動家が大擧して押し寄せるだらうが、それによつて逆に印象が惡くなつたりもする。世の中には「反左翼」のみを原動力にしてゐる頭の惡い似非右翼が結構ゐる。あいつら強姦被害者に落ち度があるなどと勝ち誇つたやうに言ふからな。日米同盟のために我慢しろ!クソ左翼は默れ!みたいな全力感情論だからな。中韓は積極的に叩くべきだがアメリカ樣の惡口は言ふな!みたいな奴隷根性丸出しの氣狂ひ。あいつらのせゐで本當の保守や右派も同類視されてただの馬鹿だと思はれてしまつてゐる悲しい現實もある。何か起きれば色んな思惑が入り亂れて悲慘なことにしかならない。米軍の施設ができて良いことなど何も無い。補助金は日本國民の税金から出るといふことで、島外の貧民の的外れな嫉妬による攻撃も起こるだらう。大體、補助金つて何だよ。慰藉料か?アメ公がウロつくけど金やるから何があつても默つて我慢しろと。ナメやがつて。地元民がいくら反對しても署名を集めても最終的に國が勝手に決めることだからどうにもならんのだらうな。アメ公の要求を全て受け入れる姿勢がクソ過ぎる。反米左翼もアメリカに脅されれば簡單に屈服する。小泉や安倍みたいな親米の自稱保守は自ら喜んで何でも差し出す。酷い國だ。俺は將來種子島に住む豫定だから馬毛島の米軍施設には當然反對だ。自衞隊專用の訓練施設を作るならまだ我慢できるかもしれない。アメリカには使はせるな。どこかが負擔せねばならんことだが、敢へて言はう。最低でも國外。

親達が車に戻つて來て熊野とは逆方向へ。その道をそのまま上つて行くとどうなるのか興味があつたので丁度良い。なんと、坂井神社の邊りに出て來た。こんな道があつたんだな。津波から避難する時は南界へといふのはこの道か。感動的だな。平山から長谷への道を見つけた時と似た感覺。この近くに種子島で星が一番綺麗に見える場所といふのがあると言ふ。知つてゐるか?と聞かれたがそれは知らなかつた。やつと俺の知らない場所が出て來たといふ感じで喜ぶ親の同級生。國道沿ひに少し南へ行き西側の奧にチラッと青い建物が見える。それが星が一番見える場所らしい。高い場所にあるから邪魔なものが無くてよく見えるといふことだらうか。星なんてどこでも見れるからわざわざ夜にこんなところまで見に來る人はあまりゐないかもしれない。しかし一度はそこで星を見てみたい。いづれ寶籤を當てて種子島に移住したら見に來よう。

坂井神社の駐車場に車を停める。矢止石が見える。さすがにここは超有名だから改めて見るものは無い。と誰もが思ふだらうが、實は俺は古市家の住宅を見たことが無い。駐車場から坂を下りて行つたことはあるんだが、手前の管理人の小屋に人がゐて目が合つたので引き返した。100圓ぐらゐ取られるかもしれんと思つたのだ。別にどうといふことはない金額だが、1圓も拂ひたくなかつたし、まあいつでも來れるしまた別の機會にでもと思つた。結局それ以來見に行かなかつたのだ。さう話したら是非見に行かうといふことになつた。裏の下り坂を歩く。管理人室が見える。手前側にある窗のところには簾が掛かつてゐて遠くからでは人がゐるのかどうか分からない。以前來た時はここに簾が無く、窗越しに目が合つて逃げた。今日はどうだらう。行つてみたら誰もゐなかつた。ドアは開け放たれてゐたけど。その少し先に古市家の住宅はあつた。日本最古の木造住宅だとか何とか。うちの祖父母の家より綺麗だが本當に古いんだらうか。中にも自由に入れるので一頻り見て囘つた。天井が無い。古田の大叔父の家がかういふ感じだつた。

古市家の住宅1 古市家の住宅2 古市家の住宅3 古市家の住宅4
古市家の住宅5 古市家の住宅6 古市家の住宅7 古市家の住宅8
古市家の住宅9 古市家の住宅10 古市家の住宅11 古市家の住宅12

適當に見てから車に戻る。また熊野に向けて走る。一旦親の同級生の家に戻り、それから牧川へ向ふ。連絡は無かつたが、そろそろ叔母を迎へに行つても良い時間なのではないかといふことで。濱津脇の手前から山に入る。十六番といふ標識が出てゐる。坂元といふ地域だ。ここは一度バイクで走つたことがある。恐ろしい勾配でキツかつた。祖母が亡くなる數日前に熊野漁港公園に行つたといふあの日の歸りのことだ。ここから急激に山を上つて行くとおおぎ畑が廣がる場所に出る。ここに古田の大叔父の畑もある。以前にこの邊りで大叔父にスイカをあげた記憶がある。祖母が大量にスイカを作つてゐて、食つても食つても無くならず毎日畑から補充されてスイカを少し恐れてゐたので大叔父に1個惠んで少し助かつたみたいに思つてゐた。2007年に種子島に來た時の初期の初期ぐらゐの話。「おおぎ」といふのはサトウキビのこと。種子島の畑の大半はサトウキビだ。何故おおぎと呼ぶのかは分からない。歴史的假名遣で書くとオホギだらうか。漢字ではどう書くんだらう。御穗木?大木?全然しつくり來ない。後で調べてみたところ、扇のやうに葉を廣げる樣子からさう呼ぶのだと。全く分からない。扇のやうといふ例へが俺には分からない。サトウキビはそんな形状ぢやないだらう。それに扇なら「おおぎ」ではなく「おうぎ」だらう。歴史的假名遣で「あふぎ」だ。平假名で「おおぎ」と書かれたものはこれまで何度も何度も見て來たが、「おうぎ」と書かれたものは一度も見たことが無い。扇が語源といふ説は納得できないな。Wikipediaには荻が訛つたものとあり、「おうぎ」の表記になつてゐる。種子島で「おうぎ」といふ表記は見たことがないが、語源としてはこちらの方が正しさうな氣はする。ここら邊に大叔父の畑があるといふやうな話をしながら走つてゐたら、その大叔父に遭遇した。おおぎ畑に除草劑を撒いてゐた。この畑はもうあと1年やつて辭めるらしい。今が2年キビなのでもう1年。2006年の2月に來て祖母のおおぎ畑の手傳ひをした時に初年キビ・2年キビ・3年キビについて少し聞いたが實のところよく分かつてゐない。穂と呼ばれる脇芽を取つて苗にするんだが、最初に作つたやつの次々世代までしか使はないやうだ。丁度その節目の3年で辭めるといふことで大叔父は來年までここでおおぎ栽培をやるさうだ。他にも畑は大量にあるから大變だな。

上牧川へ。途中で親達の知り合ひらしき人に遭遇し、少し雜談。それから叔母を探しに行く。叔母を降ろした邊りを適當に探す。人に聞いたりして何とか辿り着いた。叔母を車に乘せる。叔母が娘に土産を買ひたいやうなことを言つてゐたので、親の同級生が近くの店に行つてみようと言ひ出した。深川にアクセサリーの店があるらしい。あの岩のところだな。入つたことはないが、そこそこ有名な店だらう。いつからあるのか知らないが、2つ店ができてゐた。北側のプレハブみたいな小さい方は昔は無かつた氣がする。そちらは普通な感じの店。南側は種子島とは關係ないアジア風な店。外人が石とかを輸入して細工して賣つてゐるらしい。そちらは客がそこそこゐたが、數萬圓するやうなものが多く、これはダメだといふことで出る。星原小學校のそばの雄龍雌龍の岩のところに龍星館といふ土産物屋ができてゐる。そこにも寄つてみることになつた。親達は小腹が空いたやうで、そこでパンを買つて外のベンチに座つて食ふことになつた。勿論俺も食ふ。親達が雜談してゐる隙に海へ下りる。種子島に來て海水に一瞬も觸れないなんてあり得ないだらう。ここで海水に觸れた。懷かしい磯の匂ひ。適當に雄龍雌龍の岩を撮影したりする。

雄龍雌龍の岩1 雄龍雌龍の岩2 雄龍雌龍の岩3 雄龍雌龍の岩4
雄龍雌龍の岩5 雄龍雌龍の岩6 雄龍雌龍の岩7 雄龍雌龍の岩8

16時過ぎた。そろそろ歸るらしい。叔父達の飛行機はもう出發したのかな。思へばほとんど會話も無かつたな。俺も明日の朝の飛行機で歸る。もうこの時點でほぼ種子島旅行は終了してゐる。濱津脇を過ぎて少し行つて山に入る。種子島の海を眺めるのもこれで最後かもしれない。寶籤當れよマジで。老人になつてから當つても意味無いんだよ。早く當れ。今當れ。サッカーの試合はどうなつた?颱風で中止しまくりの神展開は起こつてゐますか?俺のtotoBIG。ここで1等來いや。

野間に到達。Aコープへ。適當にスルメとか罐チューハイとかインスタントコーヒーを買ふ。親はパンとか手卷き壽司とかを買つてゐた。資料館の先の信號で左折するのかなと思つたら直進。おや?どこへ?まあいい。俺は流されるのみ。しばらく行つて、叔母が「どこ行くの?」と言ふ。親の同級生がビクン!と反應する。どうやら無意識に自分の家がある熊野に向つてゐたらしい。やはりさうか。適當に軌道修正してふれあひの里へ。親の同級生は一旦歸る。適當に飯を用意してまた夜に來る。宴會だ。人數はどんどん減つてゐるけどな。今日は俺と親と下の叔母と親の同級生夫婦ともう一人同級生が來て6人かな。隨分寂しくなつたものだ。外に出て自販機のゴミ箱を漁る。他の建物の宿泊客がジュースを飲んで罐を捨てるので定期的に補充される。コーラの應募シール。この種子島旅行で20枚ほどGETした。親や叔母が飲んだやつも全て取つた。まあ今のキャンペーンは1000人しか當らないから無駄だけどな。

疲れたな。ほとんど車に乘つてゐただけなのに。それにしても、この蠅叩き、どうみても祖母のやつだよな。ここの備品ではないんだが、ここに置いて歸つたら捨てられてしまふんだらうか。3年掛けて數百匹屠つた思ひ出の蠅叩き。念のため捨てられないやうに棚の上の見えない場所に置いておく。もう俺はここには來ないけどな。來るとしたら2年半後の祖父の二十三囘忌か。それまで俺が生きてゐるかどうか分からんし金があるかどうかも分からん。うちの親は來年の今頃にも種子島にゐる。星原小學校の傳統みたいなので還暦の卒業生が運動會に參加するんだとよ。生徒は數人しかゐないから老人の運動會みたいな感じになるんだらうな。親は3月生まれだから今58歳といふことか?實は2月生まれだと祖母が死ぬ少し前に發覺してゐたが年は同じ。もう結構な年だな。誕生日つて信用できないよな。親に騙されたらどうしやうもない。年齢も信用できん。

しばらくして親の同級生夫婦が來た。もう一人の同級生も來た。敬老會で出た辨當の餘りみたいなやつが手に入つたらしく想定外の量になつた。Aコープで手卷き壽司セットを買はなければ良かつたかもしれない。拙いことに親達も俺も龍星館でパンを食つたばかりだ。それでも俺は食へるだけ食ふけどな。體重を増やさねばならんのだ。無理してでも食ふぞ。

どういふ流れだつたか忘れたが、ムカデの話が出た。ムカデを殺すと番か兄弟か知らんが必ず復讐に來るといふよくある話。それを避けるために箸で摘まんで外に持つて行つて燒いて殺すのだとか。種子島の人はみんなさうするらしい。さうすると復讐に來なくなる。家の中で殺すとその場所にもう1匹出て來る。臭ひか何かが殘るではないかと。これ、よく言はれることだけども、一見迷信みたいに思へるが實際に來るんだよな。何がどうなつてゐるのか知らないが1匹殺すと數日から1週間ぐらゐの間に必ずもう1匹出て來る。2匹ではなく1匹だ。絶對に1匹だけ來る。しかも必ず同じぐらゐのサイズのやつだ。ただ、殺した場所ではなく、殺した人間のところに來ると思ふ。殺す時に洗つても取れないフェロモンみたいなものを吹き附けられるのかもしれない。2009年の秋に種子島でボイラーが壞れて水風呂に入つてゐた時にムカデに刺されたことがあつた。あの後、1週間ぐらゐして、居間で猫の叔母が發狂して親達がバカみたいに喧嘩してゐる最中に俺がムカデに襲はれた。大勢ゐたのに俺が襲はれた。完全に狙はれてゐた。今年、階段でデカいムカデを發見し殺蟲劑で殺し、その數日後、部屋で寢てゐるところを襲はれて左手の小指を刺された。どういふ仕組みになつてゐるのか分からないが、奴らは2匹で1セットだ。燒き殺せば良いといふのは初めて聞いた。臭ひか何かを附ける物質が熱に弱いのかもしれない。試したことが無いから本當に2匹目が來ないのかどうかは分からない。次は生きたまま燒き殺さうと思ふ。

時間を掛けてゆつくりじつくり飯を食ひながら他の人の話を適當に聞いて過ごす。親の同級生は元看護婦か何かなんだな。叔母が少し前にバセドウ病に罹つて苦しんだんだが、甲状腺が腫れてゐるのを見拔いてさういふ話を延々としてゐた。素人にしては詳し過ぎるからさういふ仕事をしてゐたんだらう。さう言へば猫の叔母も元看護婦だつたか。もしかしたら同じ病院で働いてたなんてこともあるのかもな。その人は物凄くよく喋る人だつたが、もう一人の同級生はあまり喋らない感じだつた。しかし今日は色々と話してゐた。そちらの人は豫想外にかなり面白い人だつた。種子島人は變り者が多い。俺の親戚だけでなく、島の人みんな何かをかしい。來年は運動會に出て同窗會をやつて、と既に來年の話で盛り上がり始めてゐた。

結構遲くまで飲み食ひしてお開き。親の同級生には今囘隨分世話になつたな。色んな人から土産も大量に貰つた。次から次へと色んな人が色んなものをくれた。俺は芋しか貰つてゐないが、叔母達が持ち歸れないものを俺にくれた。ありがたいことだ。食費が浮く。バンドメンバーにも土産ができた。俺もまた種子島に來いよと言はれたが、金が無いからもう無理と言つておいた。稼げばいくらでも來れるんだがな。俺は働かないと決めたから勞働以外の手段で稼がねばならん。しかも今は稼ぐこと自體を拒絶してゐるやうな状況だ。稼がされるくらゐなら飢ゑた方がマシぐらゐに思つてゐる。金が憎い。見たくもない。殺したい。だから俺は寶籤を當てないともう來れない。そろそろ寶籤を買ふ金も盡きるかもしれない。どうでもいい。

さて、行政書士の勉強は午前中の空き時間に少しやつてある。親達が喫茶店から歸るのを待つ間とか。合計で32分。もう今日は良いだらう。あとは筋トレ。今日は背筋の日。サクッと100囘。明日は歸るだけだから今日は無茶しても良いのかもしれんが、面倒だから適當。そして、ギター。今日も彈けない。さう思ふと落ち着かない。とんでもないことをしてしまつたやうな氣持ちになる。無駄に指だけ動かしてみたりする。そんなわけで、3日目も適當に終了。明日は本氣でただ歸るだけだから何もない。實質的に今日が最終日。短かつた。日記は無駄にクソ長いけど。これまで3日分全文讀んだ奴ゐるのか。書いた俺が一番凄い。

話題:種子島 2013年秋

Info.
公開日時2013年10月03日 02時15分15秒
最終更新日2013年10月03日 21時13分32秒 (更新回数: 4)
本文文字数25527文字 (タグ込み)
URLhttps://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20130916
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