海の近くに住みたい
最終更新日: 2013年09月21日 03時32分01秒
いつものことだが、日記がアホみたいに長くなる。普段の何も無い日は書くことが無いから書かないが、たまにどこかに出掛けたりすると異常に長くなる。誰も讀まないだらうが、全部讀むとそれだけで數時間消費してしまふかもしれない。時間計つて全文讀破に挑戰してみろや。今日から3泊4日で種子島だ。長いぞ。
4年ぶりに種子島へ行く。祖母の七囘忌の法要を口實に遊びに行くのだ。旅費も掛かるし、行くだけでもかなり大變なので氣輕には行けない。何か特別な理由でも無い限りさう簡單には行けない。普段から半分引き籠つてゐるやうな生活だから尚更だ。別に行つても何もやることは無いんだが。
觀光はほぼやり盡くした。現地に住んでゐる人でもあまり知らないやうな、知る必要すら無いやうな細かいものも大抵見た。日本甘藷栽培初地之碑、増田周袈裟女の碑、カシミア橋、阿嶽の洞穴、水稻早期栽培發祥之地、誠の碑公園、天女ヶ倉、若狹姫墓地、例へばここに擧げたやうな少しレアなものについて即座に場所や風景が思ひ浮かぶ人はほとんどゐまい。種子島人でも滅多にゐないのではないか。俺は餘裕で分かる。メヒルギの自生地を2箇所言へと言はれても即座に答へられる。潰れたところも含めて海老の養殖場はどこにあるかと問はれれば3箇所ぐらゐは一瞬で思ひ浮かぶ。
縣道何號線がどこを走つてゐるかも分かる。重要な縣道は75號と76號だらう。牧川の祖父母の家を據點に生活してゐた俺にとつては濱津脇から空港に行くための583號線は結構重要な道だ。島の北の方では581號や591號が重要だらう。南では上中から莖永への586號とか。野間から島間へ行くのに588號も重要だな。といふか、ここまでに舉げた75・76・581・583・586・588・591で島の縣道は網羅してゐる。他には無いはず。野間の舊空港から國道までの300mぐらゐの道も縣道だが、今は標識も出てゐないし消された跡すらあつたからもう縣道ではないのかもしれない。589號な。あれは國道から空港までだつたのかな。そのまま納官小學校を拔けてまた國道に合流するまで縣道だつたのかな。空港が閉鎖されたからと言つて縣道を廢止する必要も無いだらうし道路自體も殘つてゐるからまだ縣道なのかもしれない。標識は一切出てゐないけど。どうなつてゐるんだらうな。觀光で最も重要なのは75號線。これは他の縣道と比べて壓倒的に格が違ふ。國道58號と縣道75號だけで種子島初心者は十分過ぎるほどに島を堪能できる。
まだ俺も種子島を知り盡くしてゐるとは全然言へないが、島民の平均よりは種子島の地理や觀光地についての知識はあると思ふ。ただ、地名が分からない。といふか讀めない。これは種子島に限つたことではなく、地名といふものは日本全國どこでも地元民以外には讀めないものが多い。漢字で見せられればどこら邊のことだか分かるかもしれないが口に出して言はれてもどこだか分からない。それでも大體は分かると思ふんだけど。例へば猫の叔母の前の旦那さんの實家がある鞍勇なんてしばらく分からなかつた。「くらざみ」といふ音は何度も聞いてゐたが島中走り囘つてもどこのことだか分からなかつた。立て札で「鞍勇」といふ文字は見たが、それをくらざみとは讀めなかつた。言はれればさう讀めないこともないし、一度憶えれば分かるんだが、地圖や標識にルビが振られてゐないことが多いので難しい。今でも例へば「美座」とか「万波」とか「石寺」とか讀めない地名が多い。そのまま讀めば良いのかもしれないが、そのままといふのでも何通りも考へられるし、そのまま讀んではいけない氣配を感じる。
釣りや漁では滿足行く結果が出せてゐないのだが、山で生まれ育つた人間にはこれはなかなか難しいやうだ。叔父や祖母が當り前のやうにナガラメを採つてゐたのに俺は夏を丸々2囘も過ごして1個も採れなかつた。やはり海で育つた經驗の差だな。勝てる氣がしない。イカも釣れなかつたしエビも獲れなかつたし海系は全く成果が出てゐない。これは何年も住まないと無理かなと思ふ。
といふわけで、島のことはまあ大體把握してゐるし、もはや行つても新たに觀光すべきところも無い。同じ場所を何度も何度も見てゐるしな。食べるものも大概のものは食つただらう。親戚や知人はそこそこゐるが、ほとんど交流は無い。會へばお互ひ何となく誰だか分かるが、用も無いから話すことも無い。言葉も分からない。
今囘は3泊4日の豫定だし、たぶん海に行くことも無からうと思ふ。本當に行つても何もやることが無い。いや、法事のために行くといふ建前なのだから法事だけで十分なのだ。實のところ宗教的な儀式にはあまり意味が無いと思つてゐる。死後の世界とか靈とか魂とかそんなアホなものがあるか。死んだら終りだ。供養してもしなくても何も關係無い。殘された人間の自己滿足と坊さんの收入源に過ぎない。先祖に對する感謝などは個人で默つて勝手にやつてゐれば良いのであつて、わざわざ集まつて大金拂つてまでやる必要も無い。だがそれでは風情が無い。かういふ時にしか會へない親戚との交流は意味があるだらうし、別に惡いことでもないだらう。俺は宗教に對しては否定的だけども、先祖に對する感謝の氣持ちはある。先祖の誰一人缺けても俺は生まれて來れなかつた。誰も俺を生み出すために生きて來たわけではない。俺の兩親すらも俺を生み出すために生きたわけではない。偶然俺が生まれただけのことに過ぎないが、それでも先祖が存在したといふ前提が無ければ俺はゐない。ジャンボ寶籤で100囘連續1等を當てるよりも遙かに低い確率で俺が生まれた。それだけで凄まじい幸運だ。その幸運を生み出すために必要な存在だつた先祖にはいくら感謝してもし足りない。先祖がどんな人間なのかは祖父母の代ぐらゐまでしか分からんけどな。例へ犯罪者や氣狂ひがゐたとしても俺が生まれるためには必要だつた。だから意味が無くても墓參りや法事には行く。行つて久しぶりの種子島の空氣を懷かしむ。種子島に興味を持つたのも氣紛れで行つてみた祖父の十三囘忌がキッカケだ。それまでは全くと言つて良いほど興味が無かつた。そこで興味を持つて頻繁に行くやうになり、長期滯在してみたり色んなネタを生み出したりした。祖母の最期に立ち會へたのもそのおかげだらう。今では寶籤を當てて種子島に住まうとさへ思ふやうになつてゐる。祖父の法事がキッカケで種子島に興味を持ち、明らかに人生が變つた。またさういふ劇的な何かが起こるかもしれない。法事以外に何も豫定は無いが、何もしなくても良いのだ。行けば何かが起こるだらう。家に引き籠つてゐるよりは面白いに決まつてゐる。何が起きても、何も起こらなくても、可兒でのつまらない日常よりは面白いに決まつてゐるから良いのだ。
俺は誰にも必要とされてゐないし、クソの役にも立たないし、逆に恐らく邪魔にもならないから、法事には行つても行かなくても他の人には影響が無い。よくぞ來てくれた!なんて言はれることも無いし、なんでお前がゐるの?と疎まれることも無いだらう。何をするでもなく、ただアホみたいにゐるだけ。何か聞かれれば話すが、自分からは何も話さない。今囘は空氣に徹する。俺の話は俺にとつては既知のつまらない話だから自分からすることは無い。俺は普通とは掛け離れた人生を送つてゐるので俺の話は他の人には多少面白いかもしれないが俺にはどうでもいい。種子島系の親戚は變り者が多いので、他の人の話を聞くことに時間を割いた方が面白い。他の人達の話がつまらなければ默々と飯を食ふか、別の部屋に移動して行政書士の勉強でもすればいい。まあ退屈はしないだらう。變人が多いからな。あの空氣感をダラダラと樂しめば良いのだ。
4年前は酷い目に遭つた。宇宙は俺を恐れ過ぎてゐる。毎囘何か酷い目に遭ふのだが、とにかく前囘の2009年は酷かつた。ネタ滿載だつた。蟲齒、冷凍オキアミ、ムカデ、バイク故障、ボイラー故障、とにかく酷かつた。今囘も酷い目に遭ふかもしれないと思つてゐる。寶籤を當てて種子島に家を建てて住むといふ人生設計になつてゐるが、當らなければもう種子島に行くことも無いかもしれないと思つてゐた。酷い目に遭ひ過ぎた前囘で最後になるといふのは何か嫌だ。今囘の七囘忌も何とかして種子島に行きたいと思つてゐた。できれば法事よりだいぶ前に島に乘り込みたかつた。夏に行つて海を堪能したかつた。ただ祖父母の家がもう住めないので旅館等に泊まらねばならず、さうすると短期間でも2007年の長期滯在より金が掛かるかもしれない。ギャンブルで生活してゐるので4年先がどうなつてゐるかなんて分からないし、金を稼ぐ作業は苦痛でしかないので4年後のためにコツコツ貯めるなんて俺には不可能だし、そもそもコツコツ稼げるかどうかも分からん。といふわけで、4年前はもうこれで最後かもしれんなと思つてゐた。結局あれ以降、眞面目に(と言ふのもをかしいが)ギャンブルに打ち込むこともなく、餘剩資金を作ることもないまま今年に突入し、惡いことに今年に入つてから重度の「打ちたくない病」が發症して猛烈に金を減らした。登校拒否の生徒と同じ精神病かもしれない。そろそろパチ屋に行かねばならんなと考へるだけで腹が痛くなつたり氣分が惡くなつたりする。10萬ぐらゐ勝つても全く嬉しくないし憎しみを込めて札束握り締めてグチャグチャにしたり床に叩きつけたりする時點でもう完全に病んでゐるよな。こんな汚い紙屑のために何故俺がパチなんか打たされねばならんのだといふ強い憎しみを抱いてゐる。もう無理。絶對種子島には行けない。と思つたが、俺を哀れんだのか、親が飛行機代を出してくれると言ふので滿面の笑顏で惠んで貰つた。今年から中部〜鹿兒島間のLCCが就航し、往復で33680圓で濟んだ。往きは土曜ではなく金曜以外の平日だつたらもつと安く濟んだが、親と叔母の日程に合はせた。まあこれなら自分で行けないこともないけどな。早めに行つて旅館に泊まりながら堪能するといふのは不可能だつた。
さあ、今囘はどんな狙はれ方をするのか。俺が乘るジェットスターが櫻島の降灰で缺航することが多いらしい。ANAは缺航しないのに。これがまづ危ない。飛行機が飛ばないとなれば、中部〜鹿兒島はJALが廢線になつてANAしか無いので空席も少なくなる。空席があつても運賃が當日はクソ高いだらう。ANAは何ヶ月か前の安賣りの豫約が埋まつてゐて買へなかつたのでジェットスターにしたのだが、ジェットスターが缺航してANAも滿席で種子島へ行けないといふ最惡の事態を囘避するために割高でも最初からANAの普通運賃の席を買つておくべきだつたかもしれない。ここが第一の關門だな。何も惡いことが起こらないとは思へない。どこかで何か惡いことが起こる。ここが一番危ないかもしれない。ジェットスターは直近では先週金曜に缺航してゐる。
前置きが長くなつたが、ここからが本番。
5時40分頃に目が覺めた。ダメだ。死ぬほど眠い。3時間ぐらゐしか寢てゐない。起きれたのが奇蹟。種子島にはギターを持つて行けないので家を出る前に日課のギター練習をせねばならんが、今からだと電車に間に合はなくなる。いつからか週末は1.0倍速でやる習慣になつてゐるが、どうやら1.0倍速では無理らしい。全曲1.6倍でやることにする。
今夜月の見える丘に、衝動、煌めく人、RING、STAY GREEN 〜未熟な旅はとまらない〜、みかんのうた、波、勝手にしやがれ、OH!GIRL -Mixture style-、GO FURTHER、Brotherhood、アラクレ、FRICTION -LAP 2-、IT'S SHOWTIME!!。
思つたより早く終つた。1.3倍速でも良かつたかも。
上の3つの段落を當日に書いてPCをシャットダウン。まだ餘裕で間に合ふつもりでゐた。ここからいきなり始まる悲劇。準備は一應寢る前に何とか濟ませてゐた。かなりギリギリな感じだつたので忘れ物もあるかもしれない。でもどうにでもなるだらう。電車は7時24分に西可兒を出る中部國際空港行きの準急に乘ることになつてゐた。犬山で特急に乘り換へる豫定。8時48分に空港に着く。親も同じ電車で行くことになつた。親は新可兒から名鐵に乘るらしい。一緒に行くので新可兒で俺の分の特急券も買つておいてくれることになつてゐた。新可兒は駐輪場が有料になつたので俺はいつも通り西可兒から。西可兒の無料駐輪場は何日も放置するとダメなんだが、2006年の祖父の十三囘忌の時にバイクを1週間放置して大丈夫だつたので多分大丈夫なはず。犬山の乘り換へで時間があるが、この電車を逃すとその特急には間に合はなくなる。たぶん大丈夫だが下手をすると飛行機にも間に合はなくなる。とにかく必ずこの7時24分の電車に乘らねばならん。驛まで自轉車で約20分。急げば15分で着けるが、かなり嚴しい。大學時代に免許を取るまでマウンテンバイクで驛まで通つてゐたが、若い頃のマウンテンバイクですらそれくらゐ時間が掛かつてゐたので、今の體力でママチャリだと相當ヤバい。少し餘裕を持たせて7時までには必ず家を出る必要があつた。なのに氣づけば7時6分。ここでの1分はデカい。6分は致命的。殘り18分。拙い。道路は線路の西側。駐輪場は東側。つまり踏切を渡る必要がある。電車が來るよりも早く踏切が閉まることを考へるとかなりヤバい。最初から東側に囘り込むと山を越えることになるので絶對に間に合はない。追ひ詰められてゐる。絶對ヤバい。飛行機が飛ばないかもしれないなんていふ以前にまづ西可兒の驛までも間に合はないかもしれない。凄まじい絶望感。
行かないわけにはいかない。颱風が發生したらしいので窗を閉めておく。荷物を輕くチェックし、家を出る。もうこれだけでも1分は消費してゐる。急いで驛へ向ふ。筋トレのおかげか、速攻で瀕死に陷ることもなかつた。前日はスクワットの日だつたが、旅行に備へて輕めにやつてゐたのも良かつた。もし本氣でやつてゐたら脚に力が入らず終了してゐた。時計をチラチラ見ながら全力で漕ぐ。とにかく電車が來る前に踏切を渡れるかどうかだ。踏切を渡つた直後に閉まるぐらゐのタイミングでももう間に合はないかもしれないがとにかく電車が來る前に最後の踏切を渡らねばならん。駐輪場で施錠するのも少し時間が掛かるし、驛まで全力疾走だらう。manacaにチャージしてあるので切符を買ふ必要が無いといふのが良い。とにかくまづは踏切を渡ること。新可兒方面からの電車が來るよりだいぶ早い時間から逆方向の電車のために踏切が閉まつて兩方通過するまで開かないなんていふ可能性も無いわけではない。相當嚴しい。マジで嚴しい。何故こんなことになつてゐるのか分からない。呼吸が苦しい。肺にダメージを負つてゐる。冬だつたらこの痛みだけでゲロ吐いて死んでゐただらう。脚やケツが痛い。スクワットもノーダメージではなかつた。全力で自轉車を漕ぐことで筋トレの疲勞が顕在化して來た。間に合はないかも。でも間に合はせる。何分までにあそこに到達しないと終了、などと思ひながら必死に漕ぐ。あそこまでは何秒で行けるだらうと思ひながら必死に漕ぐ。鹽の交差點で信號に引つ掛かつた。死んだと思つた。早くしろ。何故か車が多いので信號を無視して行くわけにもいかない。呼吸を整へながら待つ。凄まじい緊張感。青になる瞬間に飛び出す。また全力だ。こんなに必死に自轉車を漕いだのは何年ぶりだらう。間に合つてもギリギリだらうといふ時間だつたはずが、どういふわけか7時18分に駐輪場に着いてゐた。死にさうになりながら施錠して驛へ。もう大丈夫だ。19分に驛に着いた。5分も餘裕がある。何故だ。どうなつてゐるのか分からない。本氣を出し過ぎたか。自分を過小評價してゐたのかもしれない。俺はやればできるんだ。しかし達成感や安堵感は一切無い。ただただ死にさう。manacaで改札を通る。3號車に乘つてゐると親からメールが來てゐた。前から3兩目かと思つてそこら邊で待つ。電車が來たので3兩目を確認して無事に乘り込む。どこを探しても親がゐない。車輛の繋ぎ目から隣の車輛を覗き込んだら4兩目にゐた。これ4兩目だぞと言つたら3號車と書いてあると言ふ。見たら確かに3號車と書いてある。3兩目と3號車は違ふのか。どうなつてゐるんだ。取り敢へず最初の難關は乘り切つたが、死ぬかと思つた。睡眠不足だし最初からこんなに疲れてゐたらどうなるんだらう。先が思ひやられる。な?絶對に順風滿帆な感じにはならないだらう?俺は惡くない。宇宙がさういふ仕組みになつてゐる。宇宙は俺を恐れ過ぎてゐる。そんなに俺が怖いのか。種子島は「宇宙に一番近い島」とか言はれてゐる。つまり俺を不當に敵視する宇宙の本據地に乘り込むやうなものだ。それは妨害されても仕方が無い。恐れられる理由が分からんけども。
起きてすぐにこんな激しい運動をしたら氣分が惡くなつて便意が發生し、電車で死ぬほど苦しめられることになる可能性が高い。だが今日は特急だ。名鐵は350圓も餘分に拂ふ金持ちには優しい。全席指定の電車は中に便所があるのだ。それ以外の電車には無いので、便意が限界に達したら途中で降りる必要がある。切符を新たに買ひ直させるためにわざと便所を改札の外に作つてゐることが多いので大變だ。そのために驛構内の自販機のジュースには下劑が入れられてゐるのではないかと疑ひたくなる。貧乏人にはとにかく嚴しい。ウンコで仕留める氣滿々だ。極惡過ぎる。なのに金持ちには車内に便所を用意する。この差は何だ。日本はこんな非道なことが許されるほどとんでもない格差のある國なのだ。貧乏人は死ねといふことだ。貧民のくせにアベノミクスとかに浮かれてるアホは覺悟しておけ。つらい目に遭ふぞ。まあ今日は特別な日だから便意に襲はれても大丈夫だ。この壓倒的餘裕。鐵道會社の陰謀とは無縁の1日。これが富裕層の暮らしか。
犬山で少し待ち時間があつた。そこでmanacaを使つてジュースを買つた。起きてすぐの激しい運動と冷たい飲み物。通常なら絶對に避けるべきものだが、今日は特急で電車内に便所がある。むしろ電車内の便所でウンコを流し殺さねば損だとさへ思へて來る。ここで親から特急券を受け取つた。そしてハプニング發生。親が乘車券を紛失したらしい。新可兒から中部國際空港まで1500圓近いだらう。大損だ。どれだけ探しても見つからん。もしかしたら自動改札にブチ込んでそのまま取らずに來たかもと言ふ。そんなことがあるのか。改札機に入れた後どうなつたのか思ひ出せんらしい。どこかに入れたのか、落としたのか、全く分からんと言ふ。結局、鞄に入れた時に携帶電話の隙間に挾まつたらしく、電話の中にあつた。
無事に特急に乘り込んだ。條件が整つてゐるにも關らず、何故かかういふ日に限つて便意に襲はれない。特急は構造が違ふのか、音が靜かだ。振動も少ない。廣くて快適だ。空港は死ぬほど遠い。準急や普通で行くと何時間掛かるか分からない。神宮前から空港まで1つも止まらないのが素晴らし過ぎる。それでも1時間以上は掛かる。颱風が來てゐるが種子島はほとんど影響を受けないやうだ。風は多少吹くだらうが、直截に激しい影響を受ける心配は無い。飛行機にもあまり影響は無いだらう。岐阜は結構酷いことになるかもしれない。上手く颱風を避けて種子島に行くことになる。をかしい。いつもは逆だ。丁度颱風が種子島に直撃みたいな時に行くことが多い。飛行機も船も出ず、死ぬほど苦勞して種子島に行くといふやうなことになりがち。逆に何か惡いことが起こる前觸れなんぢやないかと思へて來る。前觸れなんか無くても必ず鬱陶しいことは起こるけどな。狙はれてゐるからな。まあいいさ。なるやうになれボケ。ウンコでも食つてろ。
父親の方は昨日から日間賀島に行つてゐる。飲み屋の仲間と旅行らしい。俺も先週ぐらゐに誘はれたんだが、種子島と日程が重なつてしまつたので無理だ。運が惡い。親の飲み仲間はほとんど面識が無いが、別にどうでもいい。一人で温泉を堪能すれば良い。行きたかつた。日間賀島は知多半島のすぐ先にある自轉車でも1周できるほどの小さい島。30年ほど前に行つたことがある。親の會社の同僚達と家族連れで行つたのかな。ほとんど記憶に無いけど。隣に座つてゐる母親に確認してみたらやはり行つたことは間違ひ無い。夜に港で親達が數人で釣りをしてゐたやうな記憶が薄つすらとある。小學校1年ぐらゐの頃かな。ほとんど憶えてゐない。あんな島に行つても子供はやること無いよな。温泉とかタコとかフグとかハモとか、子供には何のありがたみも無い。種子島もさう。海とか珍しい食べ物なんてどうでもいい。カブトムシとかセミとかの方が嬉しい。子供つてバカだよな本當に。
一番下の叔母も同じ電車に乘らないかと親が誘つたみたいだが、もつと早く行つて土産を買ひたいらしい。叔母は彌富かどこかに住んでゐるやうだ。同じ電車に乘るとしたら金山から。猫の叔母は今囘は來ないらしい。三囘忌の時に色々あつたから來づらいんだらうけど。來たら來たでまた激しく喧嘩したりするかもな。俺は面白いから良いんだけども。
無事に空港に着いた。結局ウンコしないまま。飛行機に乘つてゐる時に便意が來るといふ狙はれ方かもしれない。そもそも最初に想定したやうに櫻島のせゐで飛行機が飛ばないかもしれない。空港に着いたらいつも高速船乘場の方の風景を寫眞に收める習慣になつてゐるが、今囘は親がそのまま叔母と合流しようと空港の奧の方へ歩いて行つたので諦めてついて行つた。歸りの電車賃もここでチャージしておきたかつたが、まあどうでも良い。國内線の受付の奧の方の椅子に叔母はゐた。會ふのは祖母の三囘忌以來4年ぶりだな。まづは搭乘手續をするらしい。俺は家でWebチェックインして來た。プリンタで搭乘券を印刷して紙やインクを無駄に消費することになつた。紙やインクの金をケチるなら豫約番號だけ憶えて行けば良いのだが、窗口や機械で色々やるよりネットで濟ませた方が樂だし混雜を避けることもできる。親は叔母の分も一緒に買つてチェックインはせずに旅程表を印刷して持つて來てゐた。規定サイズまでの手荷物1つと小さい鞄等は無料で機内に持ち込めるが、規定サイズや重量を超えると預けることになる。サイズや重量が超過したり個數が増えたりすると餘分に金が掛かる。豫約の段階で預ける荷物を指定しておくと1個1000圓で濟むが、當日に言ふと2000圓になる。預けないのがベストだ。親も叔母も持ち込めるサイズで豫め準備して來てゐたが、親が重量オーバーで2000圓拂はされてゐた。サイズも微妙にデカかつたらしい。細かいな。ANAならいくつあつても無料なのにな。LCCも結局色々金取られて最終的にはそんなに安くならない。座席指定でも數百圓取られるしな。機内のジュースとかも豫約段階で高い券を買ふことで500圓無料になるとかいちいち鬱陶しい。考へるのも面倒臭い。俺は一切オプションをつけず、最安のやつにした。座席もチェックインするまで分からないし機内の飲み物も無い。何も要らない。どうせ鹿兒島空港まで1時間だ。何だかんだつけてANAと同等のサービスにしたらANAより高くなるんぢやないのか。親なんか荷物強制追加で2000圓拂はされて一發で無駄になつた。どういふ具合に手續きをするのか樣子を見てゐたんだが、窗口でやらずに自動チェックイン機でやれば荷物はごまかせただらうと思ふ。一應スタッフが機械の横にゐたが、一時的に俺にでも預けて機械に旅程表のバーコードを讀ませて航空券を手に入れれば多少オーバーしてても預けずにそのまま乘れたと思ふ。
外の土産屋にはめぼしい物は無かつたらしい。まあ中にも無いだらう。いつ來ても同じ。中は土産屋自體が少ないが、もう面倒だから中に入つて飛行機を待たうといふことになつた。搭乘手續を終へてすぐに保安檢査へ。今囘はノートPCを持つて來なかつたので樂だ。どういふわけかパソコンだけは別にして通さねばならんのでいちいち鞄から出さねばならん。死ぬほど面倒臭い。向うではネットもできないだらうし、どうせ持つて行つても犬土偶日記を少しづつ書いて歸つてからの更新が少し早くなつたり内容が少しだけ詳しくなつたりする程度だ。3泊ぐらゐならむしろPCなど無い方が良いかもしれない。今囘はギターも無い。機内に持ち込めるサイズがANAもJALも變更され、ギターは持ち込めなくなつた。ジェットスターも同樣。テロ對策とかで法律が變つたのかもな。預けるとなるとハードケースに入れる必要がある。しかしハードケースは持つてゐない。といふことで今囘はギターも持つて行けない。つまり3年以上毎日續けて來た日課のギター練習が明日で途切れる。今日は來る前にやつておいた。こんな終り方をするんだな。試驗前で死ぬほど時間が無くても、インフルエンザで本氣で命を失ひさうになつてゐても、睡眠不足状態のパチ終日勝負で氣絶寸前でも、どんなにつらくても2010年8月2日から1日も缺かさず續けて來たギター練習が明日で終る。俺にとつては物凄く重大な事件なのだが、まあ仕方が無い。輕い感じで書いてゐるが本當に震へるほど重大な事件だ。何とかする手段は無かつたのかと今でも考へてしまふ。
保安檢査を無事に通過し、中の土産屋へ。ここに來て便意に襲はれる。しばらく土産を見たりしてゐたが、何も買ふものは無い。奧の便所へ。乘る飛行機は同じだから親達とはぐれても問題は無い。下手にウンコ我慢して飛行機内の便所が滿室だつたり離着陸の席を立てない状況で限界が來たりすると人生が終る。ウンコに苦しめられ續けて來た人生だ。ウンコできるチャンスは逃すな。
便所を出て親達と合流し、飛行機を待つ。思つたよりも時間があつた。10時25分發。今のところ何もアナウンスは無い。櫻島降灰による缺航は囘避できたか。でも乘つてから目的地變更になつたこともあるやうだ。福岡とかに強制連行されても困る。コーヒーを買つて飲んだ。これは便意には繋がらなかつた。
クソ眠い。疲勞も激しい。大體いつも初日がつらい。普段ほとんど引き籠つてゐるのに突然活動的になるから嚴しい。今囘もさうだ。いつものやうに睡眠不足だしな。今囘は自轉車で必死にならざるを得ない状況から始まつてゐるので激烈につらい。體重を増やすために2ヶ月以上も筋トレを續けてゐるが、それが無かつたら特急に乘れず、さらにウンコのために途中下車させられてゐたかもしれないし、まだ空港にも着いてゐなかつたかもしれない。親にも特急券が無駄になつたと叱られることになつただらう。30代にもなつてみつともない。まあ飛行機代を出して貰つてゐる時點で云々。
つひに飛行機に乘る時が來た。LCCは安くするために無理をしてゐるかもしれないので安全面で激しい不安がある。今年だつたか去年だつたか、高速バスが側壁に突き刺さつて大勢死んだ事故があつただらう。あれも規制緩和とかで無理な價格競争の果てに起きた事故だ。頭の惡い奴はすぐに競争だとか規制緩和だとかを無批判に良いものだと思ひ込んだりするが、必ず貧民が犠牲になる。ならば富裕層になれば良いから努力をしろなどと、一生頑張つても絶對に勝ち組になれない無能なカスが言つたりする。新自由主義といふのはどういふわけか犠牲になる側の奴が強烈に支持するんだよな。恐らく自分は勝ち組の側になれる人間なんだと錯覺してゐるんだらうな。弱者を不當に保護する仕組みの社會だから割を食つて自分の努力が報はれないみたいな勘違ひをする。自分が保護されてゐる側の人間だと客觀視できない。俺はどんな社會にならうと金を稼ぐための努力は一切しないから寶籤が當らない限り永久に底邊だ。金持ちにならうだとか、さういふ方向の人生は目指してゐない。寶籤で何億當てるといふのも、金持ちになるのが目的ではなく、金を稼ぐといふつまらなくてくだらない作業から解放されたいだけだ。とにかく價格競争といふものは商賣をしてゐる側にも利用する客の側にも多くの場合著しい不利益をもたらす。例へば牛丼チェーンの不毛な價格競争では當然に味も質も落ちて客も店も甚大な不利益を被つた。ただの潰し合ひ。液晶テレビの價格競争では世界中のメーカーが全負け状態になつた。作れば作るほど損をするやうになつた。競争といふ言葉に何故か良いイメージを抱くアホが多い。福知山線の脱線事故だつて競合他社との苛烈な競争のために運轉士を日常的に脅して無理させて起こつた事故だ。良い競争もあるが價格競争といふものは絶對にやつてはいけない競争だ。料金が安いといふやうな目先の利益などどうでもいい。できるだけ價格競争をしてゐるところには關らない方が良い。でもANAの割引運賃が早々と埋まつてゐたからな。あの段階で普通運賃で豫約する勇氣はさすがに無かつた。例へ親が拂つてくれるとしてもだ。そこが貧乏症なんだよな。とにかく怖い。確率的にはANAだらうがジェットスターだらうが死ぬやうな事故に遭遇することはほとんど無いだらう。しかし飛行機事故よりも壓倒的に低い確率の寶籤に人生を賭けてゐる俺が、飛行機事故なんか滅多に起こらないから大丈夫などと言ふのは完全に矛盾してゐる。飛行機に安心して乘れるなら寶籤なんか1枚たりとも買つてはいけない。ここで人生が終るかもしれない覺悟だけはキッチリしておかねばならん。PCにパスワードもかけずに愛キュンやゑりりんの動畫を大量に殘して來たことが心殘りだ。死んだ後で晒し者にされるかもしれない。死んだらもうどうでもいいけどな。覺悟を決めて乘り込む。俺は後ろの方の席。親達は前の方。後ろの方は先に乘る。さらば地上。無事に地面に降り立てるだらうか。ジェットスター初利用。もうこれまでの申し込み等の作業が既に面倒で今後あまり利用したくない氣持ちだが、この後はどうだらうか。慣れれば別に何も問題無いのかもしれん。
飛行機に乘り込んで席に座る。荷物は座席の下に置く。上の棚は面倒臭い。座席は背凭れが高くて前が見えない。座席のスペースは狹いがJACのプロペラ機よりはマシ。乘り心地は良いわけではないが、JALやANAと比べて著しく惡いといふことは無い。飛行機なんてのは電車より乘り心地が惡いものだからな。1時間10分ぐらゐ我慢するだけだ。櫻島のことは何も言はない。鹿兒島までは行けるやうだ。ベルトや救命胴衣の説明が始まつたが、通路に頭を出さないと何も見えない。通路側に座つてゐない人間には説明が全く分からない。スタッフが通路を歩きながら何人かの人に話し掛けてゐた。機内サービスについて確認してゐた。少し高めの運賃で豫約すると500圓まで無料になる。金をケチるためのLCCなのにそんな割増し運賃で乘る奴などゐないだらうと思つてゐたが、結構ゐる感じだつた。普通の罐ジュースが1本200圓とかだぞ。完全に無駄。しかも500圓丁度にするために商品の組み合はせを考へるのも死ぬほど面倒。オーバーしたら餘分に金も拂はねばならん。だつたら最初から最安で申し込んで乘つてから氣が向いたらその場で現金で買へば良い。豫め500圓分の機内食を買はねばならん制約を自ら課す必要があるのか。スタッフがいちいちさういふ客に事前にメニューを見ておけとか言ひに來るのが鬱陶しい。通路狹いのに。まあどうでもいい。無事に着いてくれさへすれば。パイロットだつて死にたくないし、整備士も事故を起こしたら給料減らされたりクビになつたり人殺しに荷擔した罪惡感に苦しめられるかもしれないから本氣でやるだらうし、さう簡單に死ぬことは無いと思ふ。でも油斷できない。油斷してもしなくても關係無いけどな。既に俺の命は他人の手に委ねられた。あとは運を天に任せるのみ。だが、この「天」といふものが俺に明確な敵意を抱いてゐるし、俺には肝腎の「運」が無い。恐ろしい状況に自分を追ひ込んでゐる。
離陸。窗側の席ではないので外はほとんど見えない。耳が心配だつた。難聽なのか何なのかよく分からんが、左耳がをかしい。少し詰まつたやうな感じがある。酷くなるとボンボン響いたり音が二重に聞こえたり不協和音になつたりする。7月に苦しめられたんだが1ヶ月ほどで自然に治つた。それがまた數日前から再發してゐる。今のところ初期の輕い症状で日常生活には何の支障も無い。一度も發症したことが無ければ異變にも氣付かないかもしれないぐらゐのレベル。この再發した状態で飛行機に乘つて急激な氣壓變化を食らつたらどうなるか心配だつた。どうやら大丈夫らしい。ただ、種子島滯在中に惡化したら歸りはどうなるか分からない。
上昇し切つてシートベルト着用のランプが消えたところでリュックから行政書士のテキストを出す。數十分は勉強できるだらう。別にしたくはないんだが、申し込んでから試驗日まで毎日必ず勉強すると決めた。種子島に着いてからはやる時間が無いかもしれないし、あつてもやりにくいかもしれない。飛行機で無駄に孤獨に墜落を恐れてゐる不毛な隙間時間を勉強に充てれば良いのだ。醉つて氣分が惡くなつたらやめればいい。1分でもやれば良いのだ。0分といふのだけは絶對に避けねばならん。飛行機が壞れて墜落死が確定しても、今日のノルマを達成するために必ず墜落前に1分でも勉強せねばならん。筋トレもだ。今日は腹筋の日。墜落が確定したら通路に出て大勢見てる前でやるのか。完全に氣狂ひだな。やつても何の意味もなくただ死んで行くのにな。それでもやらねばならん。決めたことは必ずやり遂げる。お前らとは違ふからな。明日と明後日にギター練習ができないことがどれだけ重大なことなのかたぶん他人には分からない。種子島にただ遊びに行くだけのことで凄まじい決斷を迫られた。ギターを飛行機内に持ち込めないと知つた時にそれだけで斷念しようと思つた。想像を絶する決斷だ。普通の人で例へると、結婚するとか家を買ふとか、さういふのに似たレベルの決斷だと思ふ。誰にも理解されないだらうな。
速攻で氣分が惡くなつたが無理して23分も民法の相續の邊りを讀んだ。頭に入らん。今の俺には關係無いが、寶籤を當てたら俺にも必要になる知識だ。6億當てて速攻で死んだら兩親に半分づつ遺産が行く。弟には1圓も行かない。親以外に遺すためには遺言が必要になる。どうせ親に3億づつ行つても死ぬまでに使ひ切れんから勿體ない。弟や世話になつた親戚等にも少しづつでも遺贈した方が良いだらう。もちろん死ぬつもりは無い。誰よりも長く生きたい。でも何が起こるか分からんからな。相續や遺言の知識はしつかりと身につけておかねばならんよ。何?寶籤が當る前提がをかしいだと?ボケたことを言ふな。當るに決まつてゐるし當らねばならんし當るべき。お前は外れろ。どうならうと豫め準備しておく。當つてから焦る奴はバカ。當る氣が無いなら買ふな。買ふなら當つた後の準備もしておけ。ちなみに昨日寢る前にtotoBIGを買つておいた。颱風でいくつか試合が中止になれば當籤率が上がる。中止になつた試合は勝ち・負け・引き分けのどれでも的中扱ひになる。4試合以上中止になるとその囘の籤は無かつたことになつて拂ひ戻される。普段は14試合全て的中しないとダメだが、運が良ければ11試合で良くなる。過去最高で9試合的中したことがあるから(6等の570圓當籤が2囘)、不可能ではないかもしれないやうな氣がする。颱風が來てゐる時に買はずにいつ買ふんだ。でももしこの飛行機が落ちて俺が死んだ後に1等に當籤したらどうなるんだ?當籤は有效で父親に全額相續といふことになれば良いが、死人には當籤權無しなんてことになつたら悲慘過ぎるぞ。非嫡出子の相續分が嫡出子の相續分の半分なのは違憲といふニュースについて、自分の人生は自分で切り拓くべきで卑屬への相續を認めるのがそもそもをかしいなどと最近書いたばかりだが、俺は親だけでなく弟や親の兄弟姉妹にも遺す。從兄弟には遺さない。自分の人生は自分で切り拓くべきとの考へは變らないが俺の身近な人間が少し樂をするのは良い。他の人はダメだ。俺は身近な人間を贔屓する差別主義者だからな。文句あるのかボケが。配偶者がゐないのが幸運だな。姻族がゴチャゴチャ口出しして來て揉めると死ぬほどウザいだらうからな。何度でも言ふが、當る前から色々考へておくんだよ。當らないと思ふなら最初から買ふなよ。俺は當てる。ただのバカに見えるだらうが、こんなにしつこく何度も言つてゐるといつか本當に當てるんぢやないかと思へて來るだらう?お前らは悔しがる準備をしておけ。當つてもお前らには1圓も惠んでやらない。寶籤當籤後、有效な自筆證書遺言の作成前に死んだ場合のために今考へてゐる相續・遺贈の割合について書いておく。兩親は22%づつ、弟に15%、妹に5%、父母の兄弟姉妹9人に4%づつ。他は無し。法的な強制力は無いがさういふ事態になつた時は俺の遺志として尊重して欲しい。まあ俺の親は俺の遺志に反して醜く遺留分を主張したりするやうな人間ではないし、元々貰ふ權利の無い他の人は特に不滿も無いだらうが、これに不服がある人は辭退しろ。抛棄する人や俺より先に死んだ人がゐればその分は全て父親へ。一應かういふふうに考へて準備してゐるといふことを關係者は憶えておけ。相續税は各自計算して拂へ。無いとは思ふが萬一俺が結婚したり子供ができたりした場合はまた考へ直すのでその時はここで宣言した割合は無效な。そんなことまで考へて完全に頭がをかしいと思つてゐるかもしれんが俺は本氣で寶籤を當てる前提で人生設計してゐるからな。取らぬ狸の皮算用だとか言つて嘲笑してろよ。俺は負けない。必ずやり遂げる。
鹿兒島空港に到着。離着陸時が一番危ない。と思ふ。知らんけど。ミスるなよ。着地の瞬間に突風が吹いたり大地震が起きたりしたら危ない。物凄く危險な状況に身を置いてゐる。祈つても無駄。自分にはもうどうすることもできない。顏面蒼白。恐怖ではなく氣分の惡さで。便意には襲はれなかつた。でもここから來るかもしれない。取り敢へず無事に着陸。助かつた。
3時間ほど待ち時間がある。JALがあつた時代でも待ち時間が長かつた。ANAもJALも種子島行きのJACの時間を全く考慮してゐなかつた。ジェットスターも同じ。鹿兒島で待ち時間無く乘れたことが無い。いちいち全ての乘り繼ぎを考へて飛行機の時間を決めてゐたら何もかも不可能になる。客の少ない種子島便など蔑ろにされても仕方が無い。いつもは一人で來て3階の展望デッキから飛行機を眺めてみたり1階の外の足湯に入つたりして時間を潰してゐた。今日はどうするのかね。取り敢へず飯だらう。夜は4年前と同じやうに親の同級生達と野間の居酒屋に集まつて激しく飲み食ひするらしい。ここで大量に食つてしまふと夜に食へなくなるから手加減した方が良い。・・・と一瞬考へたが、どう考へても種子島の居酒屋より空港のレストランの方が高級だ。こちらを優先すべき。親が金を出してくれるみたいだし。もちろん夜も全力で食ふけどな。體重を増やさねばならん。今囘の旅行で榮養もつけておかねばならん。特に食ひたいものも無いので親や叔母の好きな店に入れば良いと思つてゐたのだが、みんな特に食ひたいものも無いらしい。しかし何も食はないといふ選擇肢も無いらしい。俺も何も食はない選擇は嫌だ。タダで良いものを大量に食へるチャンスは逃したくない。で、結局2階の鮨系の店に突入。いつだつたか、2007年だつたか、ここの鮨がクソ高くて怯えたといふやうなことを日記に書いた。そんなに激烈に高いわけでもないものもあるが、高いやつはマジでクソ高い。小さいマグロの握りが2個で750圓とか、絶對滿腹になれない量の握り鮨のセットが3000圓とか。そんなの人の金でも食へない。どこでも食へるやうなものも避けたい。折角鹿兒島まで來てどこでも食へるやうなものを食つても損した氣分になるだらう。俺はさつま御膳といふやつを食つた。まあありがちなやつだな。黒豚を甘い醤油で煮込んだやつとかキビナゴの刺し身とか。大體いつも似たやうなものを食つてゐる。今年は鰻のメニューがどこの店にも無かつた。鰻は絶滅しさうになつてゐて異常に高くなつてゐるので儲からないのかもしれないし、安定して仕入れることができないのかもしれない。親はチャンポンを食つてゐた。祖母がチャンポン好きだつたな。そんなところまで似なくて良いのに。鮨の安めの握りセットも頼んでゐた。3人しかゐないのに4人分になる。どうせ親も叔母もほとんど食はないんだろうと思つた。全部食へるのか。俺のさつま御膳だけでも結構な量だぞ。勿體ないから絶對に殘さないけども。不安だ。結局、親がチャンポンも少し俺に無理に食はせたので豫想を遙かに超えた量を食ふことになつた。しかし意外と食へるものだな。夜はもう無理だなと思つた。でも夜も食ふぞ。無理してでも大量に食ふ。體重を増やさねばならんのだ。
飯の後は土産屋を徘徊。俺は何も買はない。種子島に土産を持つて行くやうな知人はゐない。自分が食ふにしても空港は高い。向うに着いたら何だかんだ色々食ふことになるに違ひ無いから食料は買ふ必要が無い。可兒への土産は歸りに買へば良いし。と言つても買はないけどな。バンドメンバーにも金が無いから土産は無いと宣言してある。マジで何も無かつたら驚くかな。本氣か冗談か分かりにくいよな。今のところ本氣で何も買はないつもり。親や叔母は色々買つてゐた。種子島への土産ではなく、家への土産。買つてその場で宅急便を頼んでゐた。送り賃が無駄だよな。でも自力で持ち歸るのも死ぬほど大變。ジェットスターは荷物増やすと金が掛かるから送つた方が良いし。土産そのものが高いし送料も掛かるし、大變だよな。やはり鹿兒島と言へばさつま揚げ。店によつて味が違ふ。その場で揚げてゐるやつは消費期限が近い。具の種類も豊富。甘いやつもある。九州地方は味付けが甘い。東海地方は辛い。なので甘いやつはその珍しさで喜ばれることはあつてもあまり飯のおかずとしては喜ばれないかもしれない。叔母が頼まれたと言つてゐた鷄の炭火燒みたいなのを試食してみた。わざと炭で眞黒にしてある。煤なのか灰なのか知らんが食つても大丈夫なんだらうか。黒豚のやつもある。兩方試食してみた。鷄の方が美味い。冷えて脂が固まつて少し硬いからそれほど美味く感じないが、温めて食ふと結構美味いだらうと想像できた。酒に合ひさう。ウロウロしながら適當に試食。滿腹でも試食。一切買ふつもりが無いので店の人は俺に話し掛けないで欲しい。でも向うにとつて試食は罠に置いた餌だ。餌だけ取られるわけにはいかないから手が空いてゐれば必ず超高速で忍び寄つて話し掛けて來る。他の客の對應等で動けない隙を見計らつて食ふ。同じ店には長居しない。でもなかなか難しい。全く話し掛けられずに全力で試食できたことが無い。やはりプロなんだよな。ゐなかつたはずの店員がどこからか現れたりする。どれだけ熱心に語つても俺は買はないけどな。金が無いんだよボケが。こんな俺を上手いこと嵌めて見事に土産を買はせることに成功した土産屋の店員も過去にゐた。まあ美味かつたから買つたんだけどな。でも負けたと思つたね。今度は負けない。逃げ切る。
中で待たうといふことになつた。早くないか?3階のデッキで飛行機を眺めることも無く、1階の足湯に入ることも無く、飯を食つて適當に土産を買つただけで中へ。あり得ん。中に入つたらほとんど何も無い。小さい賣店はあるが。どうしようか。ここで親達と別行動にして一人でウロウロしても良いだらう。でももう疲れたな。歩きたくない。足湯で疲れは取れるだらうか。結構頻繁に疲勞を癒やす目的で温泉に行く俺が言ふのもあれだが、温泉の效能については激しく疑念を抱いてゐる。無意味なのではないか。明らかに温泉で疲れが取れたといふ體驗は一度も無い。眞冬なら一時的に體を温める效果はあるだらう。でもこの時期に、しかも足だけ温泉に入つて何の意味があるだらう。拭くのも面倒臭いよな。でもここに來て足湯をスルーするのは損した氣分だ。ああ面倒臭い。もうどうでもいい。親達と一緒に中に入らう。保安檢査が面倒臭い。小物用の籠に財布やデジカメや携帶電話を入れる。リュックを渡す。機械にJALのICカードをかざす。だいぶ前にネットでチェックイン濟みだし、昨日も念のため確認してある。ICカードだけで乘れる。稀にベルトが反應して止められることがあるが、面倒なのでそのまま通る。鳴つたら外せばいい。中部國際空港では鳴らなかつたし。ここでも無事に通過できた。あとは飛行機をアホみたいに待つ。ひたすら待つ。死ぬほど待つ。無駄に飛行機を撮影してみたりする。絶望的にやることが無い。行政書士の本を15分ほど讀んでみたがつまらない。もう今日はジェットスターの機内で23分讀んだからこれ以上やる必要は無い。毎日1分でも必ずやるといふノルマだけ考へればな。合格するためには毎日數時間必要なんだけどな。餘つた時間は全て全力でやらねばならんよ。でも全くやる氣が無い。これは今年も悲慘だな。でもまた來年といふのも嫌だな。どうなるんだらうな。
種子島行きの飛行機が25分ほど遲れるらしい。鹿兒島空港に來るのが遲れるんだらうか。25分も待ち時間が増える。うんざりだ。眠いし。まだこの時は知らなかつた。このJACで酷い目に遭ふことを。
遲れて搭乘時刻になり、漸く飛行機に乘り込む。バスで飛行機に向ふ。すぐ近くだから歩けば良いのにな。歩く時もあるんだよ。どういふ基準で歩きとバスを振り分けてゐるんだらう。飛行機までの距離はあまり關係無い氣がする。まあとにかく今囘はバスだ。颱風の影響か、そこそこ風がある。大丈夫だらうか。小さい飛行機なので搖れが激しい。いちいち死を覺悟するのも面倒臭くなつて來てゐる。もう疲れた。どうでもいい。早く着け。自分の席に座る。左側の後ろの方の窗側。左は1列しか無い。右は2列。クソ小さい飛行機だ。天井もやたら低いし通路は狹いし座席の間隔も異常に狹い。椅子に座つてゐても滿員電車竝につらい。なんでこんな無茶な設計なんだらう。背が異常に高い奴とかデブは乘れないんぢやないのか。JACは意味の分からない追加料金を拂はなくても座席指定ができる。購入した日にできる。左の窗側を選んだのは種子島を見るため。いつも島の西側を南下するルートで飛ぶので左側だと種子島が見える。
離陸。風のせゐか、アホみたいに搖れる。異常に氣分が惡い。しばらくして異變に氣附いた。やたら暑いのだ。最初は普通に暑過ぎるだけだつた。エアコンが壞れてゐるやうだ。座席の前にある網の中に團扇があつた。乘客が何人か團扇を使ひ始めた。やはり暑いよなと思ひながら俺も團扇で煽ぐ。團扇で煽ぐ人がどんどん増えて行く。うむ。これはをかしい。明らかにをかしい。どんどん氣温が上がつて行く。煽いでも無駄。異常にクソ狹い機内なので乘客の熱氣でさらに温度が上がる。しかも息苦しい。換氣扇みたいなやつは無いのか?これはヤバいかもしれないと思ひ始めた。外を見ると、全くどこだか分からない景色。遠くを見ても海らしきものは全く無い。どうも大隅半島の西端邊りを南下してゐる氣配。右側の窗からなら櫻島や錦江灣が見えたのかも。左側は全く何も分からない。知つてゐる景色が皆無。海が見えない。種子島まではまだ時間が掛かりさう。早くしろ。大變なことになるぞ。上の機械を弄る客が増えて來た。無駄。エアコンは動いてゐない。スチュワーデスがウェットティッシュみたいな紙のおしぼりを持つて來た。そんなもの要らん。無駄に濡れるだけで鬱陶しい。汗を吸收するものを持つて來い。といふかエアコン直せ。死人が出るぞ。もういい。窗を開けろ。いや、飛行機の窗なんか開けたら全員死ぬ。どうすればいいんだ。もはやサウナ。汗の量が凄い。息苦しい。こんなところで死ぬのか。墜落ではなくエアコン故障で。これは豫想外。種子島行きの飛行機だから老人も多いだらう。マジで熱中症で死ぬかもしれんぞ。間違ひなく言へるのは、トラブル等で到着が30分遲れたら俺は死ぬ。一瞬でいいから窗を開けてくれ。酸素マスクを出せ。もうダメだ。
種子島が見えて來た。豫定通り島の西側を南下する。懷かしい。もう見れないかと思つてゐた。喜志鹿崎、浦田海水浴場、あっぽ〜らんど、西之表港、わかさ公園、よきの海水浴場、死ぬほど懷かしい。濱津脇を過ぎ、長濱海岸が見えた邊りで右へ旋囘。何故か島を離れて中國の方へ向ふ。ここら邊まではいつも同じやうなルートなんだが、ここから着陸まではその時によつて違ふ。左へ旋囘して島を横切り、一度太平洋側へ拔けてからUターンして犬城海岸の邊りから空港へ突入するルートが多いと思ふ。今囘は何故かこの場所から東シナ海へ向ひ、時計囘りで旋囘し、米軍の訓練場になるかもしれないことで少し有名な馬毛島の南を通つて西側から空港に突入。このパターンは初めてかもしれない。だつたら最初から西へ行かずそのまま東へ行つて着陸すれば良いだらうに。高度の關係だらうか。少しづつ降下するために距離を稼ぐ必要があるのかもしれない。風等の關係で着陸のタイミングが惡かつたのかもしれない。何でもいいから早くして欲しい。暑過ぎて死にさうだ。物凄く急激に落下するやうな動きが何度もあつて異常に氣分が惡い。早くしてくれ。パイロットはよくこんなの毎日乘れるな。
上の寫眞、上段4枚は旋囘して東シナ海方面へ行く前のもの。左から順に、北端の喜志鹿崎〜浦田、上西、西之表港、長濱海岸。下段は旋囘後再び種子島に接近した時のもの。左から、馬毛島、住吉、深川、最後に牧川港のすぐ北の邊りに出來た休憩所みたいなやつ。以前は無かつた。最近Googleのストリートビューで見たら新たに出來てゐた。あの邊りは道路を工事してゐたんだが、ついでにこんなものを作つてゐたんだな。何のためにあるのか分からない。日沒を眺めるためだらうか。それなら雄龍雌龍の岩のところで良いのに。あそこから4kmぐらゐしか離れてゐないのに。
何とか無事に着陸できた。早くドアを開けろ。死人が出るぞ。急いで外へ。素晴らしく深呼吸。颱風の影響か、風がアホみたいに強くて心地良い。汗で全身濡れてゐるので激しく涼しい。懷かしい種子島空港。何とか無事にここまで來れた。横濱の叔母が何日か前に來て古田にある祖母の弟の家に泊まつてゐるらしい。叔父と從妹が今朝來たらしい。まづはレンタカーを借りて古田に叔母を迎へに行くことになつてゐた。親が叔父に飛行機の時間を知らせてあつて、到着の頃に空港に來ることになつてゐた。親と叔母は手荷物を預けてゐたので出て來るのを待つ。JACはジェットスターと違つて無料で荷物を預けることができるから良いよな。俺は全て機内に持ち込みだつたから先に出て叔父と再會、の豫定だつたが、出た場所に叔父と從妹はゐなかつた。しばらく探してみたが見つからん。まだ來てゐないらしい。暑過ぎて死にさうだつたので奧の自販機コーナーでコーラを買つた。自販機の奧にあつた燒酎專門の賣場が消滅してゐた。コーラを激しい勢ひで飲みながら叔父を探しつつ親達が出て來るのを待つ。親達が出て來た。飛行機に預けた荷物が激しく汚れてゐた。荷物を積む場所は相當汚いらしい。叔母のは布みたいなのでできてゐて色も赤なので眞黒な汚れが目立つ。先にレンタカーの申し込みをしようとした邊りで叔父が來たと思ふ。叔父は少し老けた感じがする。從妹は隨分とデカくなつてゐた。2007年の祖母の葬式以來か?一周忌や三囘忌の時もゐたか?いづれにしても小學校に入るかどうかといふぐらゐの頃だらう。今では小6になつてゐる。子供の成長は早いな。他の子供は運動會で來れないらしい。一番上の從弟はどうなつてゐるんだらうな。もう高2だ。外見も激しく變つてゐるんだらうな。まだカブトムシとかに興味はあるんだらうか。俺は中學卒業と同時にさういふのに對する興味を失つたけど。從弟は俺に近い感じがあつた。上手く成長すれば俺みたいな變人になれる資質があつた。親が嚴しいからなかなか俺みたいにはなれないかもしれないが、將來が樂しみだなと思つてゐた。ならなくて良い、なる必要は無い、なるべきではない、なつてはいけない、などと誰もが思ふだらう。まあ俺もさう思ふ。意外と普通の人間になつてゐて面白くないかもしれないな。子供は激しく變りやすいからな。從妹はかなり大人しい感じになつてゐた。祖母の通夜の時に猫の叔母の息子や俺の弟と一緒に子供達がうるさく騷いでゐた記憶がある。今囘はほとんど知らない大人ばかりだらうし今激しく騷ぐ理由が無いし話すことも無いだらうし大人しくて當り前か。叔母はカウンターにクレームを言ひに行つた。預ける時にビニールに入れる等の對策をすれば良いのだとか、もうこれは諦めるしかないだとか、言ひ方はどんな感じなのか知らないけども無慈悲な結末。レンタカーを契約して外へ。
もう16時だ。朝6時前に起きたのにここに來るだけでもう1日がほぼ終つてゐる。種子島は遠いな。行くのも歸るのもそれぞれ1日掛かるから大變だ。今囘は3泊4日だが、ほとんど何もできないまま慌ただしく歸ることになるんだらうな。もう疲れた。朝から全力で自轉車を漕いだし、空港が無駄に廣くてアホみたいに歩いたし、JACのプロペラ機はエアコンが壞れてゐて命を失ひ掛けたし、もう瀕死。普段の生活と比べたらエネルギー消費量が多過ぎる。晝にかなり大量に食つたし夜もこれからアホみたいに食ふ豫定だからエネルギー收支は大幅なプラスだらうけど。ああ疲れた。早く寢たい。でも寢に來たわけぢやない。すぐに寢たら勿體ない。まだ筋トレもやらねばならんしな。
レンタカーは一緒に來た一番下の叔母が運轉することになつた。別に俺が運轉しても良いんだが、俺は普段ほとんど運轉しないから親が恐れたやうだ。叔父の先導で古田の大叔父の家に向ふ。實は一度も行つたことが無い。場所は聞いてゐる。十三番の坂を下つたところの左側と言つてゐた。大體の場所は分かる。空港前の縣道76號線を西之表方面へ向ひ、御前橋を過ぎて、待避所といふのか、すぐ行き止まりになつてゐる草の生えた變な上り坂みたいなのがある場所の少し先だらう。叔母はアホみたいに安全運轉。何度か捕まつてゐて、次捕まるとヤバいらしい。それにしても遲過ぎる。スピードメーターを見ると60km/hは出てゐるからそんなに遲くはないんだらうが、何故か異樣に遲く感じる。思つてゐたよりも手前で叔父の車が左に入つて行つた。分かりにくい場所だな。坂を下り切る前だしな。山羊のゐる家だからすぐ分かるとか言つてゐたが、分かるわけが無い。西之表の親戚もイケダパンの近くだからすぐ分かると言つてゐたが、あれもそれだけの情報では絶對に分かるわけが無い。種子島人は適當過ぎる。來て欲しくないからわざと分かりにくく教へてくれたのかもしれないと思つたこともあるが、俺が場所を聞いたわけではなく自分から教へてくれたので來て欲しくないわけでもないんだらう。イケダパンとか十三番とか、やたら難易度が高いよな。十三番は俺は一瞬でどこだか分かつたが、島民でない人間には普通はかなり難しいと思ふぞ。イケダパンは不可能級だ。2007年の秋に叔父に連れて行つて貰つたが絶對あんなの辿り着けない。わかさ公園の裏の邊りだと教へてくれた方が遙かに分かりやすかつた。かういふところも面白いんだよな。のんびりしてゐると言ふか適當と言ふか大雜把と言ふか。クロネコヤマトも配達時間指定しても全然守らないしな。一寸早く來過ぎたからまた後で持つて來ようか?とか意味の分からんことを言ふ配達員もゐたな。俺がゐるんだから置いて行けよ。出直す意味があるのか。バスの時間もかなり大雜把だから注意が必要。本數が少ないのに早めに來て時間を待たずに行つてしまつたりするからな。店も定休日とか營業時間とか守らないんだらうな。自分が振り囘されるのは嫌だが、當り前のやうに適當に生きてゐる感じが心地良い。かういふ適當な島で氣分に任せて適當にダラダラ生きる人生は素晴らしく良いよな。
山羊を見るのを樂しみにしてゐたのだが、どうやら山羊は處分してしまつたらしい。一人で來て山羊を目印にして探してゐたら辿り着けなかつたな。横濱の叔母に會ふのも4年ぶりだな。叔父は少し雰圍氣が變つてゐたが、叔母は2人とも4年前と同じ感じだ。俺は下の叔母に痩せたと言はれた。やはり體重は減つたんだな。見て分かるほど痩せたとも思へんのだが、自分が思つてゐるより痩せたのかもしれない。なんで痩せたのかが分からない。まあ俺のことはいい。家に上がつて種子島辯で雜談してゐるのを聞く。やはり分からない。通算1年ぐらゐ種子島で暮らしたが、何を言つてゐるかいまだに分からない。6割くらゐは分かると思ふけど。これでも昔よりはかなり分かるやうになつたんだけどな。種子島語の本も買つて讀んだし、ネットで種子島辯を紹介してゐるサイトなんかも讀んでみたりした。猫の叔母にも色々教へて貰つた。でも分からない。滑らかに早口で話されると理解不能。まづ何の話をしてゐるのかが分からないこともある。そこまで分からないことは最近はほとんど無いけども、完全に分かることもほぼ無い。話の登場人物も知らない人が多いし。それにしても、大叔父の家は凄いな。天井が無い。屋根の裏側や梁がそのまま見えてゐる。ケーブルもそのまま張り巡らされてゐる。種子島の人は大工ぢやなくても家も自分で作るからな。うちの祖父母の家も祖父が作つたらしい。家なんかどうやつて作るんだ。專門知識が必要な氣がするんだが。見樣見眞似で適當に作れるものではないだらうに。多少はプロの力も借りるんだらうけど。
蠅が多い。叩き殺したい。心が躍る。4年前の冷凍オキアミ腐敗事件で視界が霞むほどに大量發生した蠅には恐怖を感じたが、これくらゐならけたたましく爆笑しながらいつまでもいつまでも屠り續けられさうなほど氣分が昂揚する。ヒットした時の壓倒的征服感。無意味に屠られる命。これほど感動できる場面は人生でもなかなか無い。うむ。これ以上語るのはやめておかう。お前らに理解して貰ふ必要は無い。
要らない安納芋があるらしい。農協の基準が嚴しく、收穫の6割ぐらゐしか出せないらしい。サイズや形や傷や糖度等、色々あるんだらう。安納芋はそこそこ有名になつて來て他所では高級品扱ひだからな。ブランド價値を高めるために相當嚴しくやつてゐるらしい。消費期限が過ぎた農藥が倉庫に置いてあるだけでゴチャゴチャ言はれたりするらしい。規格外品とは言へ、食へば同じだ。量が多いので食ひ切れず捨てるしか無い。勿體ないのでくれと親が頼んでゐた。どうせ捨てるやつだから良いよといふことになり、見せて貰つた。大きい籠8〜10個ぐらゐに滿載されて外の小屋に置いてあつた。少し芽が出てゐたり傷がついてゐたりやたら太過ぎたりするものが多いが、普通に食へさうだ。取り敢へず今日のところは貰はず、また明日か明後日にどこかで送るための箱を調達して貰ひに來るといふことになつた。俺も激しく貰ふぞ。食費が浮くぜ。バンドメンバーへの土産にも丁度良いだらう。
晩飯は親の同級生達と居酒屋で食ふことになつてゐた。時間が迫つてゐたので大叔父の家を出る。横濱の叔母が親達の車に乘り、荷物が邪魔で俺が乘れなくなつたので俺は叔父の方の車に乘ることになつた。まづは泊まるところに行つて荷物を置く。中種子町のシンボルの鳥の糞のモニュメントが置いてある太陽の里の向ひ側に「ふれあいの里」といふのがある。太陽の里は中種子市街地から少し東に入つて行つたところにある。町役場の奧。運動場やデカい滑り臺のついたプール等がある。風力發電のプロペラもあるな。過去の犬土偶日記にも寫眞を載せたことが何度かあるので興味があるやつは見てみろ。ちなみに中種子町のシンボルの鳥の糞のモニュメントはこの太陽の里と牧川港でしか見たことが無い。牧川港は中種子町の西側の北端だから、ここから中種子町ですよといふ標識代りなのかもしれない。でも北東や南東・南西の町境では見たことが無い。これから増えて行くんだらうか。ちなみに、どれだけ必死に説得しても鳥の糞であるといふ認識を改めることは絶對に無いから諦めろ。ふれあひの里は普通の家みたいなのが3棟あつて宿泊施設になつてゐる。申し込めば農業體驗みたいなので黒砂糖を作つたりもできるらしい。8人泊まれるのが1棟、10人のが2棟ある。料金は少し違ふ。俺達は今囘は小さい方に泊まる。基本料金は1泊で7000圓。それに人數×1000圓が必要になる。1人だと1泊8000圓になるからそれほど安くもないが、大勢だと安くなる。8人なら1泊15000圓だから1人當り1900圓あれば良いことになる。あまり料金について詳しく調べてゐないから間違つてゐるかもしれないが、そんな感じ。
大叔父の家からは來た道をまた戻つて行くことになる。空港前の縣道76號をひたすら野間方面へ向ふ。俺の乘つた叔父の車の後ろを叔母の車が追つて來る。古田に行つた時と同じく、叔母の運轉はやたら遲い。叔母の後ろの車がイライラしてゐさうな感じだつたので叔父が端に停めて待つ。叔母が追ひ附き、後ろの車を先に行かせてからまた走り出す。遲いな。でも60km/hぐらゐだからそんなに遲くはないはずなんだよな。なんで遲く感じるんだらう。それにしても長い。こんなに距離があつたんだな。野間まですぐに着けるイメージだつたけど。十六番の空港を越え、二十番を過ぎ、ひたすら走る。遠いな。國道までは行かず、手前から太陽の里の方へ。懷かしい鳥の糞。右側のふれあひの里へ。敷地内には何度か入つたが、建物の中に入るのは初めてだ。隣の宿泊客のレンタカーのライトが點きつぱなしになつてゐた。エンジンは切れてゐた。そのままでは死亡だ。叔父が隣の人に知らせに行つた。
親はここに泊まつたことがあると言ふ。祖父の十七囘忌の時に一番下の叔母と叔父と3人でここに泊まつたらしい。2006年が十三囘忌だつたから十七は2010年か。2009年秋に祖母の三囘忌は行つた。あの半年後くらゐだな。俺は金が絶望的に無くて行けなかつたのかな。行つたばかりだから無理して行かなくても良いといふ感じだつたのかも。次は二十三囘忌、2016年2月かな。2年半後。二十三とかすげえよな。普通そんなにやるものなの?父方の祖父母なんて全く何もやらないぞ。まあ俺は次も行けないだらうな。分からんけど。冬は1囘しか行つたことがない。冬は海で遊べないが、冬は冬の良さがあるかもしれない。冬の種子島の食べ物は何か珍しいものがあるのかな。前に行つた時はどうだつただらうか。
一番手前の家。玄關入つてすぐが臺所と居間になつてゐる。フローリングで、眞ん中に圍爐裏があるが蓋がしてある。その蓋がテーブル代りになつてゐるが高さが10cmほどしかないのでかなり使ひづらい。もう少し高くすればいいのに。脚を疊める長いテーブルが2つあるのでそれを圍爐裏の蓋を跨ぐやうに置けば高さは良いかもしれない。玄關と反對側に便所と風呂と洗濯機。玄關入つて左側に疊の部屋が2つ。エアコンは1つ。液晶テレビが1つ。冷藏庫もガスも電子レンジも炊飯器もあるし、長期滯在も餘裕で可能だらう。金さへあればな。テレビの部屋に無線LANルーターもあつた。テレビのためのやつだらう。ルーターにLANケーブルが插さつてゐたがもう一方はテレビに接續されてゐなかつた。SSIDやWEP・AES等のパスワードはどこにも書いてなかつたので無線を自由に使へるわけではないかもしれない。暗號化されてゐないかもしれないけど。LANケーブルを插せば有線でネットもできるのではないかと思ふ。飯は自分で何とかせねばならんが、すぐ近くにAコープがあるからどうにでもなる。旅館やホテルに泊まるよりは安いだらう。ちなみに、利用者數をごまかして不正に安く濟ませることは十分に可能で、知つてゐる人はみんなごく當り前にさうしてゐるのだと親の同級生が言つてゐた。クソ眞面目に拂ふ奴なんかゐないのだとか。だがそれを信じて不正をして捕まつても俺は責任取らんからな。確かに客の自己申告以外に人數チェックなんてしないし宿泊しない人も外部から簡單に當然のやうに出入りするし、管理してゐる側も眞面目に細かく金を徴收しようとは考へてゐないかもしれない。3人分の金で6人泊まつても餘裕だらうな。明らかに大勢ゐるのに1人分しか拂はないといふのはダメだらうけど。罪惡感と折り合ひがつかなければ眞面目に拂へば良い。そんなに無理に不正するほどの金額でもないけどな。不正を推奨してゐるわけではないから誤解するなよ。可能だといふことを書いてみただけだ。やるかやらないかは個人の判斷で。地元民が同窗會などで利用する時は當り前に不正するらしい。まあ種子島は大らかだからな。でも島民は見逃して貰へるけど餘所者は見逃して貰へないなんて可能性も無いわけではない。不安なら眞面目に拂へば良いだらう。常に眞面目に拂へ!不正はするな!と言つておくべきなのかな。どうでもいいよ。好きにしろ。
確か19時だつたと思ふが、野間の茶ぶけといふ居酒屋を豫約してあるとのことだつた。みんなで行く。だが從妹がパジャマを持つて來るのを忘れたやうで、叔父と從妹の2人で買ひに行くことになつた。先に殘りの4人で居酒屋へ。町役場の前を通り、大きい交差點に出て北へ向ふ。すぐ横に體育館や資料館がある。資料館の駐車場に車を置き、すぐ向ひにある居酒屋へ。丁度親の同級生も來た。昔は岩倉に住んでゐたと思ふ。今は種子島に歸つて來て熊野の邊りに住んでゐる。旦那さんがロケット關係の仕事をしてゐる。今もその關係で種子島で働いてゐる。今日も夫婦で一緒に來てゐた。前囘もここで飲み會をやつた時に來てゐた。何年も種子島で暮らしてゐるがいまだに種子島辯が分からないと言つてゐた。やはり俺だけぢやないんだ。分からないよな。種子島人からすればなんでそんなに分からないの?と思ふかもしれないが、マジで分からんから。英語の方が分かるよ。下手に同じ日本語だからこそ餘計に分かりにくいのかもしれない。大昔、その同級生の人とその息子と母親と俺と弟の5人で一緒に種子島に來たことがある。あれはいつだつただらうか。小5か中1のどちらかのはず。中1の時かな。あまり憶えてゐないけど。颱風に苦しめられた時かな。颱風のせゐで鹿兒島に泊まらされたことがある。親が誰かから借りて來たカメラを鹿兒島のホテルに忘れてしまつてそれを叔父に頼んで種子島まで持つて來させてゐたやうな記憶がある。あの時ぢやないかな。取り敢へず店の中へ。全部で何人來るのかは知らん。まづは適當に飲み物を頼んで叔父と從妹が來るのを待つ。しばらくして2人が來たのでその分の飲み物も頼んで乾杯。もう1人親の同級生が來た。俺はまづはパッションフルーツの酒。激しく飯を食ふぞ。晝に鹿兒島空港で2人分ぐらゐの量の飯を食つた。あの1食で俺の2日分の飯だ。まだここから食ふ。胃が小さくなつてゐるだらうから大量には食へないかもしれない。でも食ふ。金を拂はずに激しく榮養を補給できる。體重を増やすチャンスでもある。キビナゴの刺し身を酢味噌で食ふやつは晝のさつま御膳にもあつた。澱粉に熱湯を加へて餠みたいにしたやつに胡麻や砂糖醤油をかけたやつもここでは毎囘食つてゐる。料理名は「澱粉」だ。貧乏臭いけどな。昔の極貧時代の種子島人が食つて來た郷土料理みたいなものだらう。砂糖醤油をかけるといふのが珍しい。他所では粉の砂糖をかけて食ふのが普通だと思ふ。魚やら筍やら唐揚げやら、とにかく出て來たやつ全部食ふ。梅酒やライムサワーを追加。思つてゐたよりもアルコールが強く、かなり腦に來た。醉ひ過ぎてどんな料理が出て來たのか正確に憶えてゐない。勿體ないな。酒は控へめにした方が良かつたかも。食ひ物はやはりそんなに大量には食へなかつた。休憩しながら少しづつ少しづつ食つて行く。滿腹になつても食ふのをやめない。勿體ないからな。でも全部は食へなかつた。叔父と從妹は途中で先に歸つた。途中で柱に凭れ掛かつて寢てしまつた。數秒なのか數分なのか、全く分からない。もしかしたら30分ぐらゐ氣絶してゐたかもしれない。睡眠不足や疲勞のせゐなのか、それとも酒のせゐなのか。結局23時ぐらゐまでゐたのかな。飲み過ぎた。食ひ過ぎた。體重は増えるんだらうか。全部ウンコになつてしまふ氣もする。
駐車場で親の同級生達と別れ、ふれあひの里へ戻る。もうあとは風呂に入つて寢るだけ!みたいな状態だつたが、俺はまだ寢るわけにはいかんよ。こんなに酒で腦がモワモワしてゐても、まだ筋トレをやらねばならんのだ。今日は腹筋の日。ギターの練習は朝家を出る前にやつた。3年以上も毎日續けて來たがそれも今日で終る。明日と明後日はギターの練習ができない。考へるだけで落ち着かない。行政書士の勉強は飛行機の中や空港で少しやつたからもう今日はやらなくても大丈夫。少しでもいいから必ず毎日やるといふノルマがあるので1分でも取り敢へずやればOKだが、ノルマをこなすことが目的ではなく、合格せねばならんから可能なら毎日2時間でも3時間でも本當はやらねばならんのだよな。全然やる氣になれんのだけど。この調子だと確實に不合格だぞ。まあ今は種子島旅行を滿喫することを優先すべきだ。腹筋は50囘やつた。十分だらう。あまりやり過ぎて激しい筋肉痛になつても困る。種子島滯在中は餘計なものは全て輕く濟ませる。筋トレ後に風呂に入り、もう少しだけ行政書士のテキストを讀む。今日の勉強時間は合計49分。俺にしては相當頑張つた。
今日は激烈な睡眠不足の状態でかなり早い時間に起き、自轉車を全力で漕いで限界近くまで體力を消耗し、クソ廣い空港で無駄に歩かされ、飛行機に乘るのも無駄に力が入り、また鹿兒島空港で歩かされ、JACのプロペラ機では空調の故障で死にさうになり、息も絶え絶えな状態で種子島に着いた。その上、居酒屋で夜遲くまで過ごし、かなり體力的に嚴しい日だつた。蒲團に入つた瞬間に一瞬で眠れるだらうと思つたが、何故か眠れなかつた。幻聽が激しい。大勢の人間が賑やかに話すやうな音がざわざわと聞こえる。驛や空港や居酒屋等で普段の何萬倍も人の話し聲を聞いたせゐで腦がをかしくなつてゐるんだらう。遊園地に行つた日の夜寢る時にジェットコースターに乘つてゐるやうな感覺や轟音が蘇つてなかなか眠れないのと同じやうなものだらう。それと、久しぶりにエアコンをつけて寢ることになつた。2年前に壞れて以降、エアコンをつけて寢ることなんて無かつたからな。中途半端に寒い。風力發電のプロペラも意外とうるさい。そんな感じで、長い長い初日が終る。この調子で日記書いてたら終らんぞ。今日の分だけでも全文讀んだ奴ゐる?3萬文字近いんぢやないか。
公開日時 | 2013年09月21日 02時49分12秒 |
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最終更新日 | 2013年09月21日 03時32分01秒 (更新回数: 3) |
本文文字数 | 32998文字 (タグ込み) |
URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20130914 |
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