海の近くに住みたい
最終更新日: 2013年06月15日 19時29分03秒
8時半に起きた。今日は耳の具合が最惡レベル。なんでこんなに日によつて違ふんだらう。死ぬほど鬱陶しい。
さう言へば昨日、畑の寫眞を撮つたのに日記に載せるのを忘れてゐた。今日の日記に載せることにする。インゲンがいつの間にか大量だ。あと數日で食へるだらう。ナスの一番花も無事に着果した。2つ目の花も咲いた。やはり微妙に雌蘂が短い氣がする。肥料をもう少し入れた方が良いのかもしれない。オクラはまだしばらく掛かりさう。
懷かしいファイルが出て來た。MSX時代に作つた曲。中1の頃、MSX2+といふパソコンを買つた。パソコンといふか、ほぼゲーム機の位置附けだが。ファミコンとファミリーベーシックが合體したやうなものか。だが俺はMSXでゲームを一切やらなかつた。ファミコンやPCエンジンの方がスペックもソフトの種類も優れてゐたし、特にMSXでゲームをやる理由を見い出せなかつた。主にBASICでプログラミングをやつてゐた。椅子タンも同じやうな時期にMSXでプログラミングを始めたんだが、俺とは違つてそちらの方面の資質が極めて高かつたので最初から俺よりも高い位置にゐた。子供ながらに一生追ひ附けないなといふ確信を持つてゐたが、それは正しかつた。椅子タンは工業高校の電子科に行つたが、そのクラスでもプログラミングに關しては1つ拔けてゐたやうだ。ポケコン本體を改造したりとか1人違ふ世界だもんな。當然にそちらの方面のプロになつてゐて凄いと思ふ。まあ俺はあまりさういふ方面には向いてゐない人間だが、向き不向きは一切考へず、自分のやりたいことだけをやる。音樂もさうだな。リズム感にしても音感にしても、資質の面で常人より遙かに劣るが、好きだからやめない。といふか、俺に向いてゐるものなんて無いんだよな。記憶力だけは一般平均より良いと思ふのだが、それも30代に突入してから急激に衰へた。もう何も無い。で、MSX時代にBASICでゲームを作つたりして遊んでゐたんだが、プログラミングの一環として内藏されてゐたFM音源を使つて曲を作つたりしてゐた。MIDIが普及してゐない頃だつたし、シーケンスソフトもあまり無かつたやうな氣がする。少なくともさういふ音樂制作用のソフトを買はうと考へたことは無い。BASICのプログラミングとして音を鳴らす方向でやつてゐた。MSX-BASICにはPLAY文といふ音を鳴らす命令があつて、PSG音源(ファミコンで使はれてゐた音源)やFM音源(メガドライブで使はれてゐた音源)を鳴らすことができた。どの音を鳴らすかといふのを自分でプログラムする。A〜Gまでが普通に英語の音名でラ〜ソに對應。オクターブ指定がO(4がセンターCからの1オクターブで1上下するごとにオクターブが移動、1〜8まで)、音符の長さ指定がL(1〜64で全音符〜64音符まで)、TがテンポでBPMを32〜255で指定、Vがボリュームで0〜15まで、みたいな感じで。最初は音樂理論なんか何も知らないから滅茶苦茶で、ただ音を鳴らして遊んでゐた。こんな感じのプログラムを書いてゐた。たぶんMSXのエミュレータとかでこのままコピーしても鳴ると思ふ。まだ忘れてゐないはず。
10 call music (0,0,2,2,2)
20 call voice (@49,@10,@3,@4,@48,@0)
30 a0$ = "t100o4l8v14"
40 b0$ = "t100o5l2v12"
50 c0$ = "t100o4l2v12"
60 a1$ = "cgfedco3bo4dc1"
70 b1$ = "eo3bo4e1"
80 c1$ = "co3go4c1"
90 play#2,a0$,b0$,c0$
100 play#2,a1$,b1$,c1$
110 end
これは一應考へてハ長調で書いたが、中1の頃は何も考へてゐなかつた。call musicでFM音源を使ふことを宣言する。最初の0はリズム音源を使はないといふこと。1だと使ふ。リズム音源といふのはドラムとかパーカッションの音。他の音階のある音源とは別扱ひ。今囘は無し。次は必ず0。3つ目以降は1トラックで鳴らす音數。2,2,2といふのは2音づつ3パート鳴らすといふこと。ハードの制約で確か合計で9音までしか使へない。それプラスPSGを3音鳴らせるけど。リズム音源を使用するとトータルで使へる音數が減る。正確な値は憶えてゐないけど。次のcall voiceで音色を選擇。全パートで1つしか鳴らせないといふ高級な音色がいくつかあつて、それを複數指定すると鳴らない音が出て來る。それ以外のカス音色はどれを選んでも自由。上の例だと最初の49が三味線で高級な音色になる。45のバイオリンとか22のベルとか36のフルートとか何か色々あつたな。49以外のやつは全てカス音色のはず。10がギター、3がカスのフル―ト、4がオーボエ、48がホルン、0がカスのピアノだつたか。3と4邊りが微妙に曖昧だが。まあ音色はどうでもいい。上の例ではまづ變數に文字列としてPLAY文で實行するパラメータを代入しておき、最後にまとめてPLAY文で鳴らすといふ仕組みになつてゐる。PLAY文の#2とか#1でFM音源を鳴らす。この#指定が無いか0だとPSGになる。a1$の内容とb1$の内容とc1$の内容を同時に鳴らせといふ命令。call musicで3パートの指定になつてゐるが、ここにd1$とかe1$とかでパートを重ねると4つ目以降はPSGが鳴る。音名の直後に數字が書いてあるところがあるが、その音のみ音の長さを直截指定できる。
要するにこのプログラムで鳴る音樂はハ長調でメロディがト音記號の5線譜の一番下のもう1本下のドからドソファミレドシと8分音符で鳴り、最後にドを伸ばす。最後から2番目のシはドの下の方。急に高いシに行くと變だからな。トラック2と3は伴奏部分だが2音しか無い。コードはC-G-Cで、トラック3でルート、トラック2で10度(3度のオクターブ上)を鳴らしてゐる。2トラックで1つのコードを鳴らすなら音色は同じにすべきなのにルートで鳴らす2音と10度で鳴らす2音が全部バラバラの4音色で氣持ち惡い。これが犬土偶クオリティ。Gのところはドミナントモーション感を出すために3度と7度でそれぞれ半音進行にした方が良いよな。ルートの強進行感も欲しいから伴奏は3音は欲しいよな。などとこんなもので無駄に拘る必要は無い。かういふ感じで樂譜がイメージできないプログラムを延々と書いて鳴らしてゐた。まづ樂譜を書いてからプログラムするのではなく、いきなりプログラムを書いてゐたので、實行するまで自分でもどんな曲になるのか分からない。これを作曲と呼んで良いのだらうか。聽いた後で修正することも一切無い。當時は樂器も全くできなかつたから、樂器で曲を作ることも無かつた。音樂理論も一切知らなかつた。ただし、同時に鳴らすパートは同じ長さにすることだけは氣を附けてゐた。メロディだけ先に終つて伴奏だけ續くとかをかしいからな。
さういふ感じのゴミみたいな曲が結構たくさんある。MSXのFDDは脆いのですぐに壞れてしまふ。折角作つたのに消滅してしまふのは勿體無いといふことで色々とバックアップを取つたりしてゐたのだが、デジタルデータはいづれ壞れる。讀める機械も無くなるかもしれない。實際FDDとかほぼ消滅したし。といふわけでMSXで再生しながら出力端子からカセットレコーダーに繋いで録音したやつが殘つてゐた。それをどうやら2001年頃にPCに取り込んでMP3化してゐたらしい。前置きが長くなり過ぎたが、そのファイルが出て來て異樣に懷かしい。過去に犬土偶日記に同じやうなことを書いたことがある。同じゴミを何度も見つけてそのたびに懷かしがる。最初は適當に打ち込んでゐたが、好奇心の關係上、そのまま續けることは不可能になる。そのうち音樂理論に興味を持ち始めて樂典やら作曲入門の本を買ひ漁るやうになる。高3の頃かな。進學校で大學受驗を控へてゐる時期に音樂を勉強し始める自分が面白過ぎる。ネタみたいによく言つてゐるけども、マジで大學受驗とか興味無かつたんだよ。むしろ憎しみを抱いてゐるレベルだつた。意地でも勉強なんかしねえぜ!といふ感じだつた。勉強したら負け!みたいな感覺。何だつたんだらうな。高校レベルは一般教養として最低限必要な知識だから受驗に關係無く眞面目に勉強しておけば良いのに。あとで苦勞することになるんだよ。まあ自業自得だね。で、ある時を境に、突然理論を學んだことが丸分かりな感じの曲になる。それでもゴミみたいなものだけどな。本で學んだ知識を實際に音に出しながら試行錯誤といふ段階。最終的に大學に入つてすぐの頃にMSXは完全にお亡くなりになつた。理論を學び始めてから短かつたな。本格的に作曲し始める前に終つた。
それからしばらくして、漸くギターを始めた。最初に樂器ではないところが面白い。MSXのプログラミングから始まつて音樂理論や作曲を勉強して、それから樂器を彈き始めるといふ變な順番。まあギターはこの流れの延長ではなく、例へばB'zとかのプロの音樂を聽く方面からのルートで手を出したんだが。聽いてゐるだけでは物足りなくなつて自分でもやつてみようといふ。それからしばらくしてWindowsのパソコンを買つた。そこから漸くMIDIに手を出す。いぬMIDIといふ、知る人ぞ知るあれだ。その後、椅子タンを介してCHOSANGとSALLYさんのバンドに誘はれ、Beginner's Rockを結成。デジタルな方向からアナログな演奏へ。Beginner's Rockが終了し、Debugへ移行。そしてオリジナル曲をやることになつて過去の經驗が生きて來る。今の時代はMIDIの打ち込みだけで曲を作ることは無い。ギターなんか打ち込むのは發狂するからな。自分で彈いた方が早い。MIDIの伴奏とオーディオファイルのレコーディング。今はDebugオリジナル曲のデモ作成といふ形で續いてゐる。
子供の頃に遊びでやつてゐたことがどう生きて來るか分からんな。今やつてゐる他のことも10年後には思ひもよらぬことに生きて來るのかもしれない。中學高校の頃にMSXでプログラミングしてゐた經驗はWebに興味を持つてからも激烈に生きた。自分のWebサイトを作り始めてすぐにPerlのCGIを改造し始めたが、一切プログラミングの經驗が無かつたら難しかつただらう。言語が違つてもプログラミングそのものの基礎があるのと無いのでは全く違ふ。基本情報技術者試驗の午後のプログラミングの問題にも激しく役立つただらう。自分ではあまり認識できないが大幅に勉強時間を削減できてゐたのかもしれない氣がする。プログラミングの知識はパチンコパチスロにも激しく貢献した。仕組みを推測する上でプログラミングの經驗は死ぬほど生きる。Z店のデータを自動取得してまとめて表示するプログラムをDebugのサイトで公開してゐるが、あのWebスクレイピングだつてプログラミング經驗の賜物だらう。あれはMSXで學んだことより自分のWebサイトのCGIプログラミングの經驗が生きたんだけど。Webサイトで通常はダウンロードできないものを無理にダウンロードする場合とか、何か厄介な仕組みを囘避するのとか、さういふ時にも役立つよな。デジタル機器が溢れてゐる時代だ。何かトラブルが起こつた時にそれを動かしてゐるソフトウェアの動作から原因を推測したりとか、解決に役立つことも多いだらう。言語の種類に關らず、實際に使ふかどうかも關係無く、プログラミングは習得しておくべきだと思ふ。家庭菜園かそれ以上に有用だと思ふ。
上の方にMSXのBASICのプログラムを書いてゐて思つたんだが、行番號を書くのが新鮮過ぎる。行末に「;」を書かないのも逆に新しい。昔はGOTO文を多用した保守性の著しく低いスパゲッティコードと呼ばれるものが多かつた。GOSUB〜RETURNを使つてサブルーチンを行き來する構造化プログラミングもできないことはないけども色々大變だつたよな。メモリも激烈に少ないのによくやつてゐたものだ。一寸した配列を宣言するだけですぐにout of memoryとかエラーが出やがつてね。いかに配列を使はずにやりたいことを實現するかといふやうなことを中學生に求める非道なMSX-BASIC。でもさういふ經驗は凄く良かつたと思ふ。椅子タンなんかモロに今の仕事に生きてゐるだらうな。
能動的な趣味は不思議と何故か必ずどこか別のところで生きて來る。ただ與へられるだけの趣味は生きて來ない。音樂を聽くだけとかゲームをやるだけとかテレビを見るだけとか、ほとんど何の役にも立たずに何も殘らずに終る。無趣味な人間や受動的な趣味しか無い人間は空つぽのまま人生を終へる。恐ろしいことだ。好奇心が無い人生といふのを想像すると怖くてたまらない。人生の樂しみを何も知らないまま死んで行くといふことだからな。自分で何かを生み出す樂しみを知らない人生。人から與へられるだけで滿足できてしまふ人生。知らないのならば不幸ではないのかもしれないが、老人になつてから知つてそれまでの人生を無駄にしたことに氣附くとアホみたいに不幸だ。世の中にはまだまだ樂しいことがいくらでもある。人生を何周してもやり盡くせない。無限に生きたい。人の一生は短過ぎる。短いからと言つて寢る間も惜しんで死ぬほど必死に動き囘るのは嫌だ。のんびり暮らしながら宇宙の全てを味はひ盡くしたい。いや、全てではない。勞働以外の全てだ。ソクラテスも言つてただらう?勞働はウンコだつて。
CHOSANGに貰つたジャガイモを食ひ盡くした。でも體重は全く増えてゐない。ウンコしたら全て臺無し。
まだ夕方だが早めに日課のギター練習をやつておく。さう言へば今日は土曜だつたな。週末の1.0倍速。
みかんのうた、THE HELLION、BANZAI、Brotherhood、ロビンソン、世直しGOOD VIBRATION、勝手にしやがれ、衝動、いつかのメリークリスマス、GO FURTHER、I'm in love?、波、OH!GIRL -Mixture style-。
死ぬほどつらかつた。今日は左耳の具合が惡過ぎる。左だけ變に低い音が聽こえる。實際に鳴つてゐる音よりも明らかに低い。完全に不協和音。ギターのチューニングが狂ひ過ぎてゐるやうに聽こえる。間違へてゐないはずなのにミスつて違ふ音を出してゐるやうに聽こえる。だから間違へてもあまり氣附かない。それくらゐに異常な状態。この状態では音樂なんかまともに聽けない。
庭の畑を見に行つた。ここであり得ないミスを犯した。ボケてゐたんだらうか。雜草を拔いたりした後、ナスの餘分な脇芽を取るつもりで、取つてはいけない脇芽を摘んだ。脇芽といふより側枝。もう花の蕾がついてゐるほど生長したやつ。明らかに今まで大事に殘して來たはずの側枝。何故摘んだのか自分でも分からない。これはヤバいぞ。主枝と側枝1本しか無い。通常の3本仕立てから2本仕立てに強制移行。この先有力な側枝が出て來るとも思へん。もうダメだ。何故だ。あり得ない。ゲロ吐きさうなほどの絶望感。人生でワースト10に入るほどの失敗だ。もうダメだ。生きる希望も失つた。
絶望感で視界が狹くなつたまま飯を食ふために臺所へ。そこでさらにあり得ない事態に遭遇。今朝、米を炊いておいたはずだつたのだが、炊飯器のスイッチを入れ忘れてゐた。あり得ん。腦がをかしい。研いですぐに炊くのではなく、ある程度吸水させてから炊くのが良いらしいが、そんなことはどうでもいい。ウンコ過ぎて泣けて來た。何かがをかしい。もうダメだ。次に生まれて來る時はゑりりんみたいにテキトーに生きたい。でも次なんて無い。失敗したらそれで全て終り。もう何もかもが終つた。始まる前に終つた。
公開日時 | 2013年06月15日 19時26分10秒 |
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最終更新日 | 2013年06月15日 19時29分03秒 (更新回数: 3) |
本文文字数 | 7477文字 (タグ込み) |
URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20130615 |
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