海の近くに住みたい
話題:種子島 2009年秋
公開日時: 2009年09月28日 18時50分09秒
明日の朝一の飛行機で種子島を発つ。といふことは今日が実質最終日だ。やり残したことは多いが、もう全部消化することはできないだらう。島の北側の観光は諦めよう。デジカメの防水プロテクタを親に持つて帰つて貰はなかつたので、それを無駄にしないためにも海には潜らねばなるまい。どこへ行くべきかな。どうせなら透明度が高くて魚の多いところが良い。下の海は藻の粉とか細かい泡のせゐであまり透明度は高くない。よきの海水浴場は来たばかりの頃に潜つて動画を載せたりしたから別の場所にしたい。熊野や浜田は海には入らなかつたが少し前に行つたばかりで行く気になれない。北の浦田海水浴場まで行かうかなとも思つてゐたが、一寸遠いしな。釣りもせねばならん。エサ釣りとルアー釣りとエギングを短時間でこなす必要がある。かなり難しい。そして、残つた荷物を送らねばならん。ルアーとかを送る必要があるので、海水浴や釣りが終つた後でなければならない。運送屋の営業時間内に荷物をまとめて電話で呼ぶ必要がある。もう時間が無い。今日はどこへ行くべきかとか考へる余裕も無い状態だな。でも朝からダラダラしてゐた。
電話が掛かつて来た。種子島の人からだと言葉が分かりづらい。誰もゐない時は俺が出るしか無いが、横浜の叔母がゐたので出ないことにした。で、叔母が出た。電話の主は猫の叔母だつた。俺に用があるとか。何だらうか。話を聞くと、鹿児島大学病院の祖母の主治医の名前が知りたいとか。電話の近くに祖母の検査結果とかの紙がファイルにまとめて置いてあるからそれに主治医の名前が書いてないか見てくれと言ふ。何でそんなのを知りたいのか知らんが、一応探して調べてみた。ファイルは見つかつたが、医者の名前は書いてなかつた。横浜の叔母に代つてくれと言ふので代つた。血液検査の結果とか薬の説明書みたいなのを片付けてゐたら薬の紙の裏に主治医の名前があるのを発見し、横浜の叔母に教へて伝へて貰つた。横浜の叔母によると、猫の叔母は自分も祖母と同じ病気を発症したんぢやないかと思ふので同じ医者に相談しようと思つてゐるとか。湿疹は出てゐなかつたやうに思ふのだが、リンパ節でも腫れてゐたんだらうか。まだ50代だからATLの可能性は低いだらうと思ふ。このことは誰にも言ふなと言つてゐたらしい。別に鹿児島の病院ぢやなくてもATLの検査はできるだらうし、同じ医者でなくても鹿児島大学病院には同じ科の先生はいくらでもゐるだらう。何故同じ医者に拘るんだらうか。例の件があるだけに、担当の医師に祖母のことを何か聞き出さうと企んでゐるのではないかと思つた。本当はもつと長生きできたんぢやないかとか、もし薬を飲ませなかつたらどうなるのかとか、完璧に看病したらどれくらゐ生きられたのかとか。まあ今さらそんなことしてもどうにもならんのだが、本人がそれで納得するならそれで良いのではないかと思ふ。
面倒なので下の海で泳ぐことにした。天気はあまり良くないが、雨が降りさうな感じではない。まあどうせ泳いで濡れるから雨が降つてもどうでも良い。水着に着替へてデジカメに防水プロテクタを装着した。上は長袖のシャツを着る。曇つてゐても日焼けする可能性があるからな。岩とか藻に生手で触る勇気が無いから手袋も装着。足には裏がフェルトになつて滑りにくい釣り用の足袋を履く。コンタクトレンズをつけ、水中眼鏡を持つて海へ。
風が少しあるが波は高くない。これなら海の中も澄んでゐるかもしれない。早速入つてみた。最初は冷たいかなと思つたが、すぐに慣れた。むしろ一度入つた後は外の方が寒い。潜つて適当に写真を撮りつつ泳ぐ。やはり思つたより澄んでゐた。クサビ(ベラの仲間)ばかりかと思つたらさうでもない。むしろいつもより激烈に少ない。今年はオヤビッチャが多い。少し深いところまで行くと食へる魚が大量にゐた。そこそこデカく見えるが、光の屈折とかの関係で実際より大きく見える仕組みなので大してデカくはないだらう。本当はもつともつと深いところまで行つてみたいのだが、山人は海に慣れてゐないのであまり無茶はしない方が良い。少し沖に行くと波が強かつた。
どんどん写真や動画が白つぽくなつて行く。波が高くなつて細かい泡が立ち、それで白くなるといふことではない。デジカメの防水プロテクタのレンズ部分が曇つてしまふのだ。本当は乾燥剤をケース内に入れるんだが、もう遥か昔に使ひ果たしてしまつた。味付け海苔とかに入つてゐるのと同じものだが、デジカメのケース内に入る小さいやつは普通には手に入らない。デジカメアクセサリーとして売つてゐるのを島に来る前に買つておくべきだつた。途中から曇り過ぎて真つ白になつたので撮影をやめて日の当る岩の上に置いた。そしてひたすら泳ぐ。天然の水族館だ。直に魚に触れることはできないが、かなり近づいても逃げない。余裕で逃げ切れる自信があるんだらう。去年浦田海水浴場にダイビングをしに行つた時、インストラクターが俺に魚肉ソーセージを渡してくれた。それを指で磨り潰して撒くとアホみたいに魚が寄つて来て手で魚に触れることができた。今日もソーセージを持つて来れば良かつたと思つた。まあこんな浅いところにはあまり綺麗な魚もゐないけど。
しばらく岩場に置いておいたデジカメを見たら温まつてレンズ部の曇りが消えてゐた。動画モードにして潜り、水中撮影を再開した。やはり綺麗に見える。だが、すぐに曇つてしまつた。やはり乾燥剤無しではキツいか。もう撮影は諦め、また泳ぎを堪能した。波が面白い。山では体験できない。潜つてゐるといつ波が来るか分かりにくい。突然大波が来たりして焦る。息継ぎの瞬間に来たりすると大変だ。波に流されて岩に激突したりすると大変なので、波が少し荒くなつてからはあまり岩の隙間には入らないやうにした。魚も波に翻弄されるんだな。魚と一緒に流される様子も時々映像に映つてゐる。
水の中はある程度温かいのだが、さすがに長時間入ると体温を奪はれてしまふ。外に出て日に当れば体温も復活するかもしれないが、外は風があつて寒いし、太陽もあまり出てゐない。もう潮時だなと思つた。釣りにも行かねばならんし、泳ぎはこれでやめることにした。1時間半ぐらゐ泳いでゐただらうか。真夏ならもつと長い時間ゐても大丈夫なんだが、さすがに9月末となると種子島でも少し厳しい。
坂の下の店の裏にあつた海へ下りる階段は護岸工事で消滅してゐたが、もつと北側に新しい階段ができてゐた。そこから上がつて歩いて帰つた。家には誰もゐなかつた。鍵も閉まつてゐた。だが風呂のそばの鍵が開けつぱなしになつてゐたのでそこから入つた。まづは風呂に入る。水着やシャツを水で洗ひ、体の海水も流す。ずつと海で泳いでゐたから水風呂でも寒くない。風呂に入つて着替へてから家に入り、洗濯機を回す。今日中に乾かして箱に詰めて送らねばならんからな。デジカメの防水プロテクタや水中眼鏡や足袋も洗つて外に干しておく。しばらくして叔母が帰つて来た。町に遊びに行つてゐたやうだ。横浜の叔母は俺と違つて逆ヒキコモリだからほとんど家にゐない。何か食料を少し買つて来てゐた。で、すぐにまた町の方へ行くと言つて出掛けて行つた。
どんどん時間が過ぎていく。時間が無い。釣りに行かねばならん。島間港に行くぞ。先日の観光ではスルーしたが、一度あそこで釣りをしてみたかつた。いつ行つても釣り人が多いし、本を見ても良さげなことが書いてある。家から結構距離があるから行くだけでも大変なんだけどな。島間に行く途中の作りかけの橋がどうなつてゐるのかも見てみたいし。といふわけで、15時過ぎた頃に家を出た。遅い。かなり厳しいな。雨はたぶん降らないだらうが、念のため外に干しておいたものは雨が降つても大丈夫な場所に移動した。冷凍庫のエサもしつかり持つ。サビキで鰯や鯵を釣る。エギでイカを釣る。ルアーで何か釣る。釣れろボケ!!
国道58号線をひたすら南下。旧空港へ向ふT字路のところを過ぎた直後のY字路から右の方へ入つて行く。DRUG STORE MORIといふデカい店がいつの間にかできてゐた。県道588号線に乗り、島の西側を南下する。海が見えるところまではまだ遠い。ひたすら山やおおぎ畑の中を進む。懐かしいな。去年屋久島に行く時にこの道を通つた。あの時はここら辺を通つてゐる時点で便意に襲はれてゐた。たぶん島間港までは堪へられるだらうと思つてゐた辺りだ。便意の記憶が蘇る。本当に人生終了しかけたからな。
しばらく山の中を進み、作りかけの橋が見えて来た。去年も一昨年も写真を載せたやうな記憶がある。阿高磯大橋といふ谷を越える高い橋。種子島では常にどこかで新しい道や橋を作つてゐる。グネグネした道をできるだけ直線にしようといふやうな工事が多い。こんな田舎を工事する必要なんてあるのかと思ふやうな場所で激しく工事してゐたりする。無理に道路を作らなければ島民の仕事が無いのかもしれない。もう完成してゐるかと思つたが、橋の北側の方はまだ全然できてゐないやうだ。北側から見ると山を越えて行くやうな感じになつてゐる。確かにこれが完成すると直線になつて楽になるかもしれんな。この橋が見える辺りを通る時、去年は便意がかなり危険水域に達してゐた。あの記憶が蘇る。
しばらく進み、海が見えて来た。島の西側の真ん中ら辺にある南北12kmにも渡る砂浜、長浜海岸だ。ここにはウミガメが産卵に来るらしい。春にはハマグリも大量に採れるやうだ。島間はまだまだ遠い。遠くに見える漁港は屋久津だ。その遥か先に島間はある。去年の便意を思ひ出す。もう限界だと思つてゐた。民家で便所を借りるべきかもしれないと真剣に考へてゐた。島間まで持つはずがないといふ感じだつた。それでもひたすら走り続けた。リミッターのせゐで50km/hしか出ない原付で遥か先に霞んで見える島間港を目指す。歯を食ひ縛るとウンコが漏れる。どうすればいいのか分からない。もうあんな苦しみは味はひたくない。
島間港に着いた。巨大な船が来てゐた。どの堤防にも釣り人がゐた。一番奥まで行つた方が良いのかなと思つたが、手前の方で釣ることにした。まづは軽くエギを何度か投げてみた。北の方から強い風が吹いてゐて、西の方に投げてもずいぶん南に流される。時間的に潮位は低いはずなのだが相当深い。着底までアホみたいに時間が掛かる。色んな方向に投げてみたが、全くアタリは無い。追つて来る気配も無い。干潮から2時間程度のあまり良くない時間帯だから釣果はあまり期待できないかもしれない。
エギは取り敢へずやめて、サビキ釣りを開始した。冷凍オキアミを全部使ひ切らねばならん。足元に少し撒いてみた。風のせゐで波があり、エサがどんどん流れて行く。全く魚が寄つて来ない。浜津脇港ならすぐに下から湧き出るやうに魚が来たのだが、島間港では港が広過ぎてどこにでも魚がゐるといふわけではないのかもしれない。根気良く撒いてゐたらオヤビッチャの小さいのと、何だかよく分からない緑色の背中の細かい雑魚の群れが来た。口の長いサンマみたいな色の良さげな魚も来たが、警戒心が強く、すぐにゐなくなる。サビキでしばらくやつてゐたが全く釣れなかつた。足元のオヤビッチャは小さ過ぎるし、少し遠投してみても何の反応も無い。擬餌針にもわざわざオキアミをつけてゐたのだが全く食ふ様子も無かつた。潮の加減が悪いのかもしれない。周囲の人達も全然釣れてゐなかつた。生の鯵をエサにして竿を使はずに手で投げて釣りをしてゐる人がゐた。イカを狙つてゐるんだらうか。ここでイカが釣れるといふことなんだらう。でも釣れてゐなかつた。しばらくやつたが、雑魚すら釣れる気配が無いので残つたエサを全部足元に撒いた。魚が集まつて来る様子も無い。ここにはほとんどゐないやうだ。もう少し堤防の先の方まで行つた方が良かつたのかもしれない。あとはエギやルアーをひたすら投げる。全く反応が無い。釣れる気がしない。17時半。もう限界だ。日が暮れるまでに帰れるかどうかも怪しい。運送屋に荷物を取りに来て貰はねばならん。かなり危険だ。家まで40分は掛かる。
急いで片付け、ひたすら走る。来た時と同じ県道588号を走る。長浜海岸や阿高磯大橋を撮影したりして。次もし来ることがあれば、さすがに橋は完成してゐるのではないかと思ふ。でも分からんな。橋の南端には平成20年10月完成と書かれたプレートが埋め込まれてゐた。全然完成してねえよ。1年経つてるぞ。橋は当然通行止め。迂回路を走り、下の方からも写真を撮る。迂回して谷に下りたところのT字路から右(東)の方に行くと美座に出る。国道58号線だ。その道は通つたことがある。谷を越えて橋の北端の辺りで橋脚の写真を撮り、さらに進む。少し大きい道を右へ行くと満足山に出る。この道も何度も通つた。もう大概の道は走つてゐるな。そのまま野間まで県道588号線を走つた。たぶんそれが最短なんだらうと思ふ。あとは国道58号を北上するだけだ。野間から約10km。まだ遠い。
何とか真つ暗になる前に家に帰り着いた。鍵を閉めて出たのに玄関とか全部開いてゐた。でも家の中は暗かつた。叔母は坂の下のお婆さんの家にでも行つてゐるのかなと思つたが、奥で寝てゐた。急いで釣具を洗ひ、荷物をまとめた。今日着た服は洗濯せずに袋に入れて箱に詰める。釣竿やリールやエギは置いて行く。海用の道具を山に持ち帰つても意味が無い。もうこの家には誰も来ないのかもしれないが、何かの時にまた誰か親戚が来ることもあるかもしれない。その時に来た人が使へばいい。俺もまた行くかもしれんしな。ルアー類は荷物に入れて送る。海用だが、淡水でも使へるだらう。デジカメの防水プロテクタや服やルアーを箱に詰め、ヤマトに電話した。荷物を取りに来てくれと。さうしたら、何と今日はもう終了しましたとか。狙はれてる。まだ18時半だ。普通19時まではやつてゐるのではないか。いや、受付はもつと早く終了するのかもしれない。これは拙い。明日の朝一の飛行機で発つ。今日しか無い。明日の朝ならOKだと言ふのだが、8時前に取りに来てくれるとは思へんし、これは終了したかなと思つた。どうしてもダメだつたら明日空港の土産屋に持ち込んで送つて貰ふしか無いだらう。一応ドライバーに連絡してみてダメだつたら折り返し電話すると言はれた。余裕の無い暮らしをしてゐるな。叔母がタクシーの予約をすると言つてゐた。明日の朝電話すれば良いのではないかと思つたが、前日に予約しておいた方が良いのかもしれない。俺がヤマトからの電話を待つてゐて電話を使へなかつたので、外に出て携帯電話で予約してゐた。しばらくして、ヤマトのドライバーがわざわざ寄つてくれた。助かつた。金を払つて荷物を渡した。届くのは26日らしい。
晩飯の時間。まだだいぶ食料が残つてゐた。俺は少食だからほとんど食はなくても良いぐらゐなのだが、残つた物は全部食はねばならん。明日は朝早いから朝飯を食ふ余裕は無いだらうし、朝飯を食ふと絶妙に嫌なタイミングで便意に襲はれたりする。夜のうちに食へるだけ食つておいた方が良いだらう。叔母が昼に買つて来た物もある。飛魚の醤油を贅沢に使ひながら色々食ひまくつた。食へないかと思つてゐたが、泳いだり釣りに行つたりしてエネルギーを消耗したので意外と食へた。菓子類や果物が残つた。これはもう捨てるしか無いだらうと思ふ。
飯の後は荷造り。カバンにはノートPCや残つた服などを入れる。忘れ物が無いか何度もチェックする。たぶん大丈夫だらう。あとはもう帰るだけ。まだ帰りたくないな。イカが釣れなかつたことが心残りだ。金に余裕があればスキューバダイビングもやるつもりだつたんだが、種子島に来る直前の連敗で20万失つて無理になつた。色々と心残りは多い。何度来てもどれだけ長く滞在してもやりたいことを全然消化できないな。これはもう種子島に住むしか無い。宝くじを当てよう。当ててどこかに家を建てる。シロアリがゐるから家を建てても維持できないかもしれんけどな。今年も消化不良のまま可児に帰ることになつた。今年はとにかく狙はれ具合が半端ではなかつた。来た日から最悪だつたしな。ロケット打ち上げも見れなかつたしムカデには刺されたし、そもそも来る前から酷かつた。飛行機のチケットをタイムリミットギリギリで予約したらクレカが使用不能になつてゐて必死に何度もコンビニを往復したりした。山の上に家があつて自転車だつたから全身筋肉痛だ。最初から酷かつた。腐乱死体の処理が最強だつたな。色々あつたが、滅多に体験できないことも多くて面白かつたよ。歯を食ひ縛れば良いのか?歯が痛くて食ひ縛ることもできねえよ。死ね。
話題:種子島 2009年秋
公開日時 | 2009年09月28日 18時50分09秒 |
---|---|
本文文字数 | 13518文字 (タグ込み) |
URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20090923 |
コメントはありません。