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話題:種子島 2009年秋

2009年09月20日

種子島2009秋 13日目 法事と叔母の暴走

最終更新日: 2009年10月04日 15時42分19秒

今日は親や叔父が来る。朝からみんなで激しく大掃除したりして法事の準備をしてゐた。俺は8時過ぎに遅めに起きた。猫の叔母の旦那さんが祭壇を組み立ててゐたが、どこに何を置けば良いのか分からず、俺のノートPCに保存してあつた去年の法事の写真を見たりして設置した。親は朝一の飛行機で来る。叔父達は高速船で来る予定だつたが、例の流木で来れないのでフェリーで来る。それだと法事にはギリギリ間に合はないらしい。猫の叔母が知り合ひに土産を持つて行くついでに親を空港に迎へに行つた。

昨日の観光の写真を日記に載せるので、そのための画像編集を朝からコツコツとやつた。他の人は掃除したり法事の準備をしたりしてゐたが、俺だけ遊んでゐた。親が来た。テーブルの上を片付けろと言ふので作業をやめて奥の部屋に全部片付けた。そして白と黒の服に着替へて待つ。法事用に服を用意してゐなかつたので焦つたが、まあ適当に白黒な感じの服を着た。派手な服で来る親戚とかもゐるだらうから良い。続々と親戚が集まつて来た。何だかんだで俺は法事のたびに来てゐるな。

坊さんから電話が掛かつて来た。今朝どこかで亡くなつた人がゐてそちらに急遽行かねばならなくなつたために少し遅れて来るとか。叔父達が法事に間に合はない状態だつたが、坊さんが遅れて来れば間に合ふかもしれない。頼んであつた飯が届いてハエが増え始めた。去年だつたら喜んでハエを殺戮するところだが、今年はもうハエには辟易してゐる。もういい。面倒臭い。でも屠る。殺しても殺してもアホみたいに出て来る。死ねボケ。猫の叔母の旦那さんに腕が落ちたなと言はれた。確かに今年はヒット率が低い。ハエが速くなつた。

坊さんが来た。坊さんの準備に時間が掛かつた。専用の法衣に着替へながら話してゐた。野間の方のウエホーとかいふところで今朝誰かが亡くなつてそちらに行つたので遅刻したらしい。上方と書いてウエホーと読むんだらうと思ふ。野間の東側の太陽の里の裏の方の道へ行くと上方海岸といふ標識が出てゐて、去年そこを探し回つたが海岸には辿り着けなかつた。ただの海岸の名前だから特に何かがあるわけでも無いし、必ずしも海岸までの道があるわけではない。一昨年に、おなす海岸を探し回つて結局海に到達できなかつたのと同じだ。うちの下の海も牧川海岸といふ名前がついてゐる(腐つた標識が捨てられてゐるのを見たことがある)が特に何も無い。まあとにかく、ウエホーといふのはその辺りのことだらうと思ふ。

お経が始まり、正座して聴く。お経の前に焼香のやり方を教へて貰つた。坊さんが変つた。俺を大学生だと思ひ込んでゐた前の坊さんは京都の偉い坊さんが死んで後を継いだとか。新しく来た坊さんは頼りないとか聞いてゐたが、普通だつた。でも頼りない坊さんと今日の坊さんは違ふと誰かが言つてゐたとか。よく分からんな。お経を聴いて焼香してさらに長いお経を聴いてゐる途中、叔父達が到着した。叔父は台所から入つて着替へて仏間に入つて来た。ギリギリ間に合つたな。上方で死人が出なかつたら叔父は間に合はなかつた。まだ流木が漂つてゐて高速船は出ないらしい。坊さんの仕事が終り、坊さんが着替へてゐる間に近くのハエを叩き殺さうと思つた。しかし痛恨のミス。逃げられた。坊さんの前で殺生するなと叔父に言はれた。坊さんは殺す時は南無阿弥陀仏と唱へるやうに言つてゐた。南無阿弥陀仏つて他の宗派ぢやないのか?詳しく知らんけど。殺すたびに南無阿弥陀仏と唱へてゐたら俺は簡単にベロ噛んで極楽浄土に辿り着けるぞ。

法事の後は親戚一同で食事会。飯を激しく食ふ。モサモサ食ふ。刺身には飛魚の醤油をかけて食ふ。俺は飛魚の醤油が激烈に美味いと思つてゐたが、他の人に勧めても酷評ばかり。微妙だとか味が無いだとか薄いだとか散々だ。俺の味覚はをかしいのかもしれない。台所の腐敗臭はまだキツいらしいが、俺はもう慣れたのか麻痺したのか全く感じない。味覚にも影響が出てゐるのかもしれない。正常な状態で舐めると実はあまり美味くない醤油なのかもしれない。

祖母の弟とか祖母の妹の夫とか、全力で種子島弁を話す人達と話した。昔よりはだいぶ分かるやうになつて来たが、まだ種子島弁は分からない。どうしてもイカを釣りたいのでどこで釣れるか聞いてみた。西海岸では深川で釣れるとか。浜津脇でも釣れるらしい。ただ、今はあまりよくないみたいなことを言つてゐた。上能野港でオキアミの撒き餌にパン粉を混ぜたやつを使つてヒラメが釣れるらしい。あそこにヒラメがゐるのか。明日か明後日にルアーを持つて行つてみるか。春はここら辺はモハミ(ブダイ)が釣れるらしい。サバとかアジが釣れるところは無いのか聞いてみたら浜津脇でサバを釣つた人がゐるとか言つてゐた。でも時期とか潮の関係とかあるので難しいやうだ。ビングーとかいふあの縞々の熱帯魚みたいな鯛系の魚(オヤビッチャ)ならいくらでも釣れるんだけどな。一応美味いから良いんだが、もつとメジャーな魚でないと感動が少ない。

日蝕の話題も出た。種子島や奄美大島は暗くなつたやうだ。可児は全然暗くならなかつた。可児でも半分以上は欠けたのに薄暗くもならなかつた。去年の年末と今年の3月末から4月の超絶クソ負けが無ければ俺も7月に日蝕を見に種子島に来てゐたかもしれない。まあ天気が悪かつたから来なくて良かつたんだらうけど。

他にも色々話したやうな気がするんだが、酒を飲み過ぎてゐたのであまり覚えてゐない。

夕方まで飲み食ひして、親戚がみんな帰つて行つた。古田に住んでゐる祖母の弟が俺の携帯電話の番号を聞いて行つた。自動的に俺に番号を教へてくれたことになる。何かあつたら電話しろと言ふ。また種子島に来た時にでも困つたことがあつたら電話しろと。まだ古田の家には一度も行つたことが無い。場所は大体分かるんだけど。もう種子島に来ることは無いやうな気がしてゐるが、もし来た時は世話になるかもしれない。

ハエを屠つたりして、酔ひが覚めた頃にエギを持つて牧川港まで歩いて釣りに行つた。今日は昨日と違つて波が無い。奥の堤防に2人先客がゐたので、手前の方でエギを投げてみた。色んな方向に投げてみたが、全く反応が無い。追つて来る気配も無い。足元にはオヤビッチャの小さいやつがゐるだけ・・・と思つたら30cmぐらゐの細長い感じの魚が高速で泳いで来た。ルアーを投げてみたいが、かういふ時に限つてエギしか持つて来てゐない。しばらく投げてゐたが、どうしても釣れる気がしない。といふか、イカがゐる気配が無い。時期的にまだ早いのかもしれない。10月になれば良いかもしれん。

牧川港1 牧川港2 草ノ木の海

家に帰つてから昨日買つた種子島弁の本を読んだりDSでドラクエをやつたりしてゐた。昼から夕方まで飯を食ひ続けてゐたのに、親が晩飯を食へと言ふ。食へるわけないだらう。普段1日1食なのに。でも無理して食つてみた。やはり無理だつた。食ひ過ぎて動けなくなつた。

アシダカグモ昨日の画像処理の続きを黙々とやる。本文を書くのは楽なんだが、この画像関係の作業が面倒臭い。居間は大勢人がゐてできないので隣の部屋でやつてゐた。人が多過ぎて寝るスペースが足りないかもしれない。何人ゐるのか数へてみた。12人もゐた。祖母が亡くなつた時と比べると少ないが、結構限界に近い感じだ。猫の叔母夫婦は布団やスペースが足りなくなる前に自分達の分を確保して敷いて寝転んでゐた。居間では猫の叔母を除く4人が歓談してゐた。その襖1枚裏で俺は黙々と画像処理。他の部屋では叔父の子供達が騒いでゐた。便所にウンコしに行つた時、壁に巨大なアシダカグモがゐた。この蜘蛛は巣を張つて獲物を待つのではなく、走り回つて自ら獲物を獲る。動きも速いし体も異様にデカいので見慣れない人は怖いかもしれない。人を噛んだりはしないが、さすがにこれが体を這ふと嫌だ。ウンコ中は身動きが取れないので刺激しないやうにした。ポケットにデジカメがあつたので撮影してみた。つまりこの写真の撮影時刻には俺はウンコをしてゐたといふことになる。

しばらく写真を弄つてゐて疲れたので隣の居間に行つてドラクエをやり始めた。ひたすらメタルキングを狩る。何がキッカケだつたか分からんが、寝てゐたと思つてゐた猫の叔母が居間に来て会話に入つて来た。納官の方でサッシ屋をやつてゐる親戚(親の従妹か?)に祖母が山を100万で売つたらしい。農地なのかただの山なのかは知らない。その金をまだ貰つてゐないから早く貰へといふやうな話をして来た。詳しくは知らんのだが、その人は鹿之峯にゐた肺癌の親戚と兄妹か何からしく、よく一緒にゐた。祖母の葬式の後、みんな帰つて一時的に俺しかゐない状況になつたことがある。その時にも2人で来たことがある。肺癌の親戚は今年の2月に亡くなつたのだが、その治療とか色々出費が多かつたのは間違ひ無いのでサッシ屋の人はそんな100万なんかすぐに払へる状況ではないといふ感じのことを親達は話してゐた。でも猫の叔母が強硬に早く貰へと言ふ。今すぐ貰はなくてもいつになるのか聞けと迫る。祖母の保険金とか色々な金は今回の三回忌の法事まではその費用として使ひ、終つた後は残つた金を5人で均等に分けるといふ話になつてゐた。祖母の遺言では半分を叔父が貰つて残りを4人で分けるといふ話だつたのだが、5等分といふことになつてゐた。まだ貰つてゐないその山の代金も5等分といふことだらう。従妹だし金に困つてゐるのが分かつてゐるのに金なんか請求しづらいとみんな言ふのだが、猫の叔母だけが猛烈に金を払はせろと言ふ。祖母が病気の時に早くから自分が来て治療費とかに自分が借金までして30万も使つたとか、祖母が山を売つた100万の金でその金を猫の叔母に返すみたいなことを言つてゐたとか、今まで誰も聞いたことが無いやうなことを言ひ始めた。祖母はその100万を楽しみにしてたんだからそれをすぐに貰はないのは祖母の気持ちを蔑ろにすることだとか言ふ。その時はサッシ屋の人も払へたかもしれんが、今は肺癌の親戚の治療とかで状況も変つてゐるし、祖母も生きてゐたらそんな強引に取り立てるやうなこともしないのではないかと思ふ。明日サッシ屋の人に電話してどうなつてるのか聞けと迫る。長女であるうちの親か、長男の叔父に電話をさせようとする。そんなこと電話しづらいと言ふと、なら金は要らんのかと言ふ。要らんなら全部貰ふとか言ひ出す。どうも猫の叔母は金に困つてゐるらしい。来た日に雑談で俺の預金額を聞いてきたことがある。俺は普段全く預金をしないので現金を多めに持つてゐる。現金が100万に到達しさうになると稼ぐのをやめて、銀行には全く預けない。まあ100万近くまで稼ぐことも無いけど。常に種銭ギリギリぐらゐ。何かに備へて貯蓄するといふことはしない。人生に逃げ道を作らない。常に崖つぷち。だが今は種子島に来てゐるといふ、普段とは違ふ状態なので使はない金を銀行に預けてある。30万程度だらうか。いつ死んでもをかしくないほど少ない金額だ。30万ぐらゐしか無いわと答へたら夫婦揃つてうちらより金持ちだとか言つてゐた。冗談だと思つてゐたが本当だつたのかもしれない。パチンコでも何でもいいけど、金だけはしつかり貯めておかないとダメだと諭された。金が無いと困るからと真剣に言つてゐた。分かるよ。飯が食へないほど追ひ詰められたことがあるからな。体重も激減して47kgぐらゐになつた。3日で2食。米と具無し味噌汁のみ。餓死寸前だつた。それでも俺は余分な金は稼がない。金を稼ぐといふことは時間をドブに捨てるといふことだ。それはつまり人生をドブに捨てるといふことだ。必要な分だけ稼げばいい。病気になつた時とかに困るし他人に迷惑を掛けることにもなる。それは分かるが、それでもダメ人間の人生を貫きたい。といふか、単に稼ぎたくない。時間を無駄にしたくない。心の底からダメ人間なんだらうと思ふ。猫の叔母夫婦は高価さうな土産を大量に送つて来て、それをそこら中に配つて回つたらしいし、レンタカーも借りつぱなしで、金に余裕が無いとは思へないのだが、相当借金があるやうなことを一番下の叔母が後で言つてゐた。金が無いくせに派手な生活をしてゐるやうだ。金に困つて祖母の遺産(金額は相当少ない)を当てにして来たのかもしれない。祖母の子供だけは法事の交通費は祖母の遺した金から出ることになつてゐた。その配偶者とか孫の俺とかは自腹。金に困つてゐるなら特に無理して来る必要も無いから夫婦で来なくても良い。それでも来てゐるといふことは金はあるんだらうと思つたのだが、一番下の叔母の話を聞くとどうも金があつても無くても金遣ひが荒い人達らしい。猫の叔母は、金が欲しくて言つてゐるわけぢやない、さういふことはハッキリしておかないとダメだとか言つてゐたが、金が欲しいとしか聞えなかつた。「山の金は要らんのか」「要らんことはない」「なら電話しろ」「電話しづらい」「電話はできんけど金は欲しいのか」「そこまでして欲しくない。そんなに言ふなら自分で電話すれば」「ぢやあ私が明日電話する。嫌なことだけ押し付けやがつて。さういふのは長男か長女がやれ」といふやうな展開。猫の叔母以外、誰も今すぐ金を請求するつもりはないが、特に100万を諦める理由も無いし、相手の都合もあるから今はこのままで良いのではといふ感じだつたのだが、猫の叔母だけが執拗にハッキリさせるために明日必ず電話しろと言ふ。まあ今言つておかないと有耶無耶になる可能性はあるけどな。何千万とかならともかく、100万程度なら向うが言ひ出すまで放置でも良いんぢやねえの?と俺は思ふけどな。

山の件の話をしてゐる間、俺はひたすらドラクエをやつてゐた。途中で腕がモワモワしたので何気なくその付近を触つたら明らかに虫の感触があつて手が激しく動いた。視界の隅に憎むべきクソ虫、ムカデが見えた。勝手に立ち上がつてをかしな体勢で暴れてゐた。動揺した。あの恐怖が蘇つた。だが、一度体から離れてしまへば動揺も収まる。急激に正常な殺意が湧いた。必ず絶滅させると誓つた。殺さない理由は無い。今回は刺されなかつたが、もう何をしても絶対に許さない。必ず殺す。苦しめて殺す。カバンの下にゐたので日焼けの薬の箱で叩いてダメージを与へた後、後ろ半分を磨り潰した。もつと長時間苦しめたかつたが、大勢見てゐるのでやめておいた。生かしたままティッシュで包んで捨てた。ティッシュの中で苦しみ抜け。脱出は絶対できないやうにした。揉め事を中断させて悪かつたね。存分に山の100万で揉めてくれ。メタキン狩りでレベル99になつて転生し、キリの良いところでやめた。

猫の叔母はどんどん言ひ方が激しくなり、話も逸れて行き、親や叔母や叔父を悪し様に罵り始めた。全然誰も聞いたことが無いやうな妄想としか思へないやうなことまで言ひ出し、祖母は本当はもつと長生きできたのにお前らがしつかり看てなかつたから早く死んだんだとか言ふ。後から考へればいくらでもあの時ああすればとかいふことは出て来るだらう。その時は誰もが一番良いと思つてゐたことをやつたはずだ。誰も早死にさせようとは思つてゐなかつた。行きたくないのに指宿の温泉に無理矢理連れて行つたとか、重病なのに山に登らせた(屋久島の件)とか、薬を飲ませなかつた(祖母が薬を嫌つて誰も見てないところで捨ててゐたことが発覚した)とか、さういふことを言つてみんなを激しく責め立ててゐた。自分はしつかり看てゐたのにお前らは何もせずに早死にさせたみたいな言ひ方をする。

屋久島から帰つて来る高速船で体調を崩してしばらく高熱で苦しんだのは確かに無理をさせて寿命を縮めたのと同じことだらう。屋久島へ行きたかつたのは俺だ。親の同級生が屋久島で民宿をやつてゐることを知り、みんなで行かうといふ話になつた時、俺は祖母は留守番するんだらうと思つてゐたが、祖母も当然のやうに行きたがつた。横浜の叔母は友達と会ふ予定か何かがあり留守番したが、他はみんなで行く流れになつた。病気だから行くなと言つて無理矢理留守番させるべきだつたのか?そもそも俺が屋久島に行く計画を立ててゐなければ祖母が屋久島に行くこともなく、もしかしたらもう少し長生きできたかもしれない。でも屋久島に行つたことで祖母も楽しんだだらう。畑を見るために車を止めたりとか猿を見たりとか、良い思ひ出になつただらう。どちらが良かつたのかは分からない。

薬をしつかり飲んでゐると思ひ込んで飲むところまで誰も見届けてゐなかつたのも確かに拙かつただらう。薬を捨てる現場を見たのは俺なんだが、屋久島に行く少し前から祖母の挙動がをかしかつたので気になつてゐた。祖母は病気のせゐよりも薬が合はないせゐで体調が悪いと思ひ込んでゐた。表面上は病気もだいぶ治つたやうに見えてゐたから、それでも薬を多量に飲まされたり病院に行くたびに体調が悪くなるのを見て医者や薬のせゐだと思ふのも無理は無い。祖母は飯の後に薬を手に持つて無意味に家の中を歩き回つたりしてゐたし、薬のせゐで体調が悪くなつたり食欲が無くなつたり髪が抜けたりすると言つて薬を嫌がつたり医者を悪く言つたりしてゐた。何か少し怪しいなと思つてゐたのだが、ある日薬を手に持つたまま便所に行つて何も持たずに戻つて来たのを見た。便所で飲んだかもしれないが、それは無いだらう。捨ててゐるのではないかと猛烈な疑惑を抱き、それからバレないやうに監視し始めた。ハエを殺す振りをしながらハエ叩きを持つてウロウロしつつ祖母を見てゐたが、俺の目を気にしてゐる様子だつた。ますます怪しい。で、洗面所の方に行つた時に居間から弟が話し掛けて来たことを利用してわざと隙を見せ、安心させたところでコッソリ音を立てずに戻つて見てゐたら風呂の裏の方に薬を投げてゐた。俺が何を言つても絶対に聞かないだらうから、急いで親や叔母に知らせた。親達が祖母に薬を飲まないと大変なことになると激しく言つて祖母は動揺してゐた。助かる見込みが無い病気だといふことは本人は知らされてゐなかつた。なのに薬を必ず飲まないと大変なことになるとみんなで激しく説教するから何か勘付いてしまふんぢやないかと不安になるぐらゐだつた。それからは誰かが必ず飲むところを見張つてゐた。でも俺が気付くまではどのくらゐの期間か分からんが薬を捨ててゐた。飲むところをしつかりと見届けてゐなかつたことを猫の叔母は今頃責め立ててゐたが、もう遅い。といふか、何で今頃そんなことを言ふんだらうか。しつかり飲んだからと言つて治る病気ではないが、確かに飲まなかつたことで寿命が縮んだ可能性はある。とは言へ、抗癌剤は確実に副作用があるが、効くといふ保証も無い。飲んでもただ無駄に苦しまされるだけの可能性もある。どの程度効果があつたのか素人には分からない。飲まなかつたことで寿命が縮んだのか、それともあまり変らなかつたか。それすらも分からないが、医者が飲めといふ薬をしつかり飲ませなかつたのは確かに拙かつただらう。祖母は自分の思ひ込みでこの薬が悪いとか勝手に決めて特定の薬だけ飲まないやうにしてゐた。どの薬を捨ててゐたのかは分からない。抗癌剤や免疫抑制剤のやうな重要な薬を捨ててゐたならかなり危険だ。叔母は自分は祖母が飲むところまでしつかり見届けてゐたと言つてみんなを責めてゐた。でもそんなに他の人が信用できないなら愛知に帰らずに最期までずつと看てゐれば良かつたのだ。

8月末の大潮の時に叔父と祖母と俺の3人で海に貝拾ひに行つたのだが、俺はそれが致命的だつたと思つてゐる。その直後に高熱を出し始めたから、直接のキッカケになつたんだらう。行かなければもう少し長生きできたかもしれない。でも祖母は何日も前から「潮時ぢや」とか言つてカレンダーを見ながらソワソワして楽しみにしてゐた。9月になれば少し寒くなつて海にも行けなくなるし(アナゴの漁期も8月で終る)、病気は何をどうしても悪化するだけだからその時が生涯最後の海遊びのチャンスだつただらう。何十年も種子島に住んでゐる島民にとつて、大潮の海遊びは特別なものだ。特に祖母は戦争で一番キツい時に育つた世代だから、海での食料調達等には俺達には分からん思ひもあるだらう。種子島語の本にも島民にとつての海遊びについて色々書いてあつた。当時も一応祖母に行かない方が良いよと言つてみたが全然聞く気も無い様子だつた。あんなに楽しみにしてゐたのに行かせないのも可哀想だ。少し余分に長生きさせるためだけに何もさせずに軟禁するよりは本人のしたいことを可能な範囲でやらせる方が良かつただらうと思ふ。長生きと言つてもあと1年も持たなかつたはずだと思ふ。後から色々考へればもつと長生きさせられただらうといくらでも言ふことはできる。でも誰も早死にさせようとしてゐたわけではない。

高熱が出ても救急車も呼ばなかつたとか叔父を責めてゐたが、救急車を呼んでどうにかなつたとは思へない。海に行つて数日後に高熱を出して寝込んだ。叔父が種子島病院に連れて行つて検査をした。肺に少し影があり、少し水が溜まつてゐるかもしれないが特に何も無いといふことで点滴を打つたら劇的に回復して元気になつた。それから2日ぐらゐ元気だつたのだが、また高熱を出した。歩くのすら困難なほど弱つてしまつた。それ以上悪化したら救急車を呼ぶつもりだつた。鹿児島の大学病院に行く予定はまだだいぶ先だつたが、叔父が大学病院に電話して、祖母が少しだけ調子が良くなつた隙に船に乗つて連れて行つた。そこではATLの治療経過も詳しく分かつてゐるからしつかり検査もしただらう。血液検査の結果、ATLも悪化はしてゐないといふことだつた。脱水症か何かだらうといふことでその時は薬を貰つたり水分を多く摂るやうにアドバイスされただけだつた。当然、種子島病院で言はれた肺の影も検査して貰つた。肺炎だとは診断されなかつた。まだ肺炎は発症してゐなかつたんだらう。肺の影は今にして思へばATLの癌細胞が肺に浸潤して来て腫瘍になりつつある前兆だつたのかもしれない。最期は肺炎で亡くなつたが、肺の隅に腫瘍ができてゐた。それだつたのかもしれない。大学病院でしつかり検査してさういふ状態だつたのだから、救急車を呼んでどうにかなつたとは思へない。叔父は頻繁に病院に連れて行つたし、予定を繰り上げて大学病院にまで連れて行つたりした。決して何もせずに見殺しにしたわけではない。なのに早死にさせたとか酷いことを叔母は言ふ。

親と俺と祖母と猫の叔母の4人で7月に大学病院に行つたついでに指宿の温泉に行つたことがある。そのことも責められた。祖母は本当は行きたくなかつたらしい。叔母には密かに行きたくないと言つてゐたらしい。親にさう言ふと怒るからといふやうなことを言つて仕方なくついて行つたんだと。叔母も用があつて早く愛知に帰りたかつたのに無理矢理温泉に連れて行かれたと言ふ。嫌だと言つたら親がキレたから仕方無くついて行つたらしい。そんな気配は微塵も感じなかつたけどな。言はれた親が一番驚いてゐた。キレた記憶なんか無いし、祖母も楽しんでゐたと言ふ。俺も祖母は楽しさうにしてゐたやうに見えた。無理矢理連れて行かれたといふ感じではなかつたと思ふ。電車から畑を見て楽しさうに農業の話をしてゐたし、タクシーの運転手とも鹿児島の農業について語り合つてゐたし、温泉にも何度か入つてゐた。病院で抗癌剤の点滴をやつて少し体調は悪く、食欲もあまり無かつたが、無理矢理連れて来られて苦痛だつたといふ感じではなかつた。種子島に帰つてからもすぐに嬉しさうに近所の人達に土産を持つて行つて楽しさうにしてゐた。叔母も無理矢理連れて行かれたとかよく言へるよな。全額出して貰つて誰よりも長く温泉に入つてゐたくせに。あまりにも戻つて来ないから風呂で倒れたんぢやないかとみんな心配したぐらゐだ。しかも別料金の砂むし温泉も岩盤浴もしつかり入つてゐた。行きたくなかつたのに無理に連れて行かれたとか祖母が嫌がつてゐたとか、何でそんなことを言ふんだらう。

医者がもう大丈夫と言つたから安心して帰つたのに1ヶ月半であんなになつたのはお前らのせゐみたいに言つてゐたが、そもそも医者がもう大丈夫なんて本当に言つたのだらうか。絶対に治らないしどんなに頑張つても3年ももたない病気なのに。今すぐ死ぬといふやうな状況ではないよといふ意味で大丈夫と言つた可能性はあるが、本当に言つたのかどうかは分からない。確かに叔母が帰つた7月末は祖母が一番調子良かつた頃だから、その後亡くなる直前の9月中旬に瀕死の状態で再会して不審に思ふのも無理は無いと思ふ。でも叔母が帰つてから少しづつ衰へて行つたのを俺は見てゐた。叔母が帰る直前の指宿に行つた時の治療後、食欲が無くなつて大変だつた。その後も食欲は回復せず、大学病院で抗癌剤をやるたびにどんどん衰へて行くやうでもあつた。どうしても飯が食へんと本人も悩みながら無理して少しでも多く食はうとしてゐたが、食欲は回復せず、どんどん衰へて行つた。みんながしつかり看てゐなかつたから急激に病気が悪化したわけではない。

本人は嘘をついてゐる感じではなく、本気でさう思ひ込んでゐる様子だつた。祖母は自分とゐる時と他の人とゐる時では全然違つたと言ふ。他の人とゐる時は嫌だつたけど何か言ふと怒られるから仕方無く合はせてゐたみたいなことまで言ふ。自分が嫌がられてゐたんぢやないのか?早く帰れと言はれてたぢやないか。みんな猫の叔母が暇人だから種子島にずつとゐろとかふざけたことを言つて自分達は何もしなかつたみたいに言ふが、叔父は鬱病と診断されて長く休んでゐたから種子島に早くから来てゐたし、他の叔母も来ようと思へば来れる状態だつたから帰りたければいつでも帰れば良かつたのだ。一斉に行くと祖母が自分の病気に勘付くから時期をズラしながらみんな種子島に来るつもりでゐたわけだし、無理矢理猫の叔母に全部任せて何もしなかつたわけではない。うちの親は一度に長く仕事を休めなかつたので、何度も行つたり来たりして旅費が大変なことになつてゐた。みんな遠いところから来て大変なのに自分だけが大変な思ひをしたみたいな言ひ方をする。それどころか祖母の看病のために仕事を辞めたとまで言ふ。そんな話は誰も聞いたことが無い。借金のことも仕事のことも、ずつと黙つてゐたとか。そんなに追ひ込まれてゐたならその時に言へば良かつたのだ。誰もそこまで叔母に負担を掛けてまで無理に祖母の面倒を見させるやうなことはしなかつただらう。でも言ふのも言はないのも自由だとか言つてゐた。なら何故今になつて言ふのか。言ふならその時に言つてゐれば良かつたのだ。その時に言つてゐれば誰か他の人と交代もできただらう。今言つてもどうにもならない。他の人が少しでも反論すると激昂して激しく罵る。週刊誌を破れさうな勢ひで激しくめくりながら話してゐた。当然週刊誌は読んでゐない。俺は隣にゐたから見てゐたが、手が細かく痙攣してゐた。激しい怒りか何かの発作か知らんが正常な状態ではないなと思つた。妄想を真実だと思ひ込んでゐるやうな感じと言ひ、何かがをかしい。1人だけ著しく違ふことを言つてゐる。変り者だといふ領域を少し超えてゐた感じだつた。元々感情の起伏が激しくヒステリックな性格だつたが、ここまで来ると精神病を疑はざるを得ない。何たら人格障害とか何とか症候群とか、よく分からんが何か病気なんぢやないかと思つた。これは誹謗とか中傷の類ではなく、純粋にをかしいと感じた。今までも何度か急に態度が変るやうなことはあつた。普通に話してゐても何か一つの単語にありもしない悪意や自分に対する敵意みたいなのを感じて怒り始めたりすることが時々あつた。さういふ性格なんだとか変り者だとか思つてゐたが、それが今日みたいに誰もスルーすることができない内容を話して反論され続けると際限なくエスカレートしてかういふヤバいモードに突入してしまふらしい。これはをかしい。脳内で何かの神経伝達物質の分泌量が少ないとか、何か正常ではない状態なのではないかと思へる。来た日に掃除をしながら更年期障害になつたといふやうなことを夫婦で話してゐるのを小耳に挟んだ。さういふのも影響してゐるのかもしれない。

親達が祖母を殺した、とは言つてゐないと力強く言つてゐたが、本当はもつと長く生きられたのにいい加減な看病をしたから早く死んだといふやうなことは執拗に言つてゐた。つまりそれは自分達が殺したやうなものだといふ意味だらう?と親が聞いたら、さうだと認めた。だが親達が殺したとは言つてないと言ひ張る。親や叔母や叔父が「殺した」とは絶対に言はないが、さいうふ意味で別の言ひ方はするらしい。殺したといふ直接的な表現を避けたから何だと言ふのか。同じ意味で言つてゐると宣言しながら断じて殺したとは言つてゐないと。その一語に執拗に拘る意味が分からない。言つてもゐないことを言つたことにするなといふ感じで激しく怒る。意味ではなく言ひ回しの正確さに異常に拘る。かういふのをネット上で見たことがある。そいつは気違ひ認定されてゐた。これは精神病だと思ふ。殺したとは言つてゐない、それは俺が聞いて知つてゐるはずだ、自分は「殺した」と言つたかと俺に聞いて来た。俺に構ふな。正常な状態の普段の叔母なら受け答へするが、気違ひは相手にしない。本人は自分がをかしいとは思つてゐないだらうから、一方的に気違ひ扱ひするのも可哀想だ。でも俺は優しい人間ぢやないからな。それにしてもこんなに何時間も叫び続けるのが凄い。俺が同じことをしたら遥か昔に声帯が破れて疲労で死んでゐる。こんな夜中にデカい声で叫んで何とも思はんのも病気なんだらうと思ふ。叔父の奥さんとか他の人もゐるのに。みんな寝てゐるやうに見えて確実に聞いてゐただらう。それにしても、猫の叔母の旦那さんは何故止めようとしないんだらう。まともな人に見えるんだけどな。発狂した叔母が怖いんだらうか。それとも一緒にゐるぐらゐだから意外と似たやうな種類の人なのかもしれない。何を言つても火に油を注ぐやうなものだと分かつてゐるのかもしれない。3時半頃まで延々と同じ話を繰り返してゐた。結局どちらも互ひを認めることはできず、平行線のまま終つた。

最初は金が目的みたいな感じだつたが、話が逸れてそのまま終つた。猫の叔母夫婦は外に出て縁側で何事か話し合つてゐた。来た時から2人でいつも何事かボソボソと小声で話してゐるやうなことがあつて不気味だつた。さういふのを見ると金を多く貰ふことが目的で来てゐたのではないかと思へて来る。何を考へてゐるのか分からんが、叔母は着替へ始めた。旦那さんは一寸コンビニに行くとかわけの分からんことを言ふ。あんな言ひ争ひがあつて居心地が悪くなつたんだらうか。その前に、お騒がせして申し訳ないとか普通言ふだらうと思ふのだが。さう言ふと叔母が怒るから言へなかつたのだらうか。叔母の言ふことが全面的に正しくてそれ以外の人が理不尽に自分の妻を責めたと感じてゐたのだらうか。それよりもそんな夜中に種子島で営業してゐる店などあるものか。夫婦揃つて出て行つた。明細は分からないが交通費と叔父が頼んであつた法事のお返しの費用合はせて9万ぐらゐは争ひの前に受け取つてゐた。借金の返済のためにコンビニにその金を振り込みに行くのかなとも思つた。それか他の人には聞かれたくない話をするために外に出たかつただけなのかもしれない。普段は2人とも良い人なんだけどな。何でこんなことになつてゐるんだらう。俺は叔母・叔父の4人の中では変人同士一番猫の叔母と気が合ふのだが、さすがにこれは擁護する気にもなれん。祖母も叔母も嫌だつたのに親がキレて無理矢理指宿に連れて行つたとか、医者がもう大丈夫だと言つたとか、真実とは到底思へない。全体的に信用できない。

俺は祖母が亡くなつた年はかなり早い段階から種子島に来て祖母が亡くなつた後もしばらく種子島にゐて毎日日記を書いてゐた。だから2007年7月から9月頃の日記を読めば当時の様子は俺の主観によるものだがある程度は分かる。自分の記憶と照らしてみても叔母が言つてゐたことはをかしい。俺の知らないところで色々あつたんだらうが、叔母の言ふことにはどうも違和感を覚える。それとも叔母以外の全員がをかしかつたのだらうか。大体、しつかり看てゐればもつと長生きできたと言ふ時に、明らかにまだ何年も生きられるはずだつたみたいな感じで言ふ。例へ誰も一切ミスせずに監禁して完璧な看病をしてゐてもそれほど劇的には変らなかつたはず。大学病院で自分も先生に聞いて知つてゐるはずなのに。なんかもう叔父や親を責めるために祖母はもつと長期間生きられるはずだつたといふ物語が必要になつたから脳内で記憶が改変されてゐるとしか思へない感じだつた。本人が意識していい加減なことを言つてゐたのではないと思ふ。本人はさう思ひ込んでゐる様子だつた。そもそも自分が最初に夏まで持つかどうかだと言つたんだらうに。しかしそんなことは言つてゐないと言ひ放つた。ハァ?お前が夏までとか言ふからみんな焦つて種子島に来たんぢやないか。指宿温泉の件でうちの親に自分が言つたことも覚えてないのかと詰め寄つたくせに自分は自分の言つたことを覚えてゐない。何か自分にも当て嵌まることを力強く言つて他の人を責めたり罵つたりすることが何度もあつた。人はしばしば自分を罵るべき言葉でもつて他人を罵ると誰かが言つてゐたのを思ひ出した。でももしかしたらうちの親がをかしいのかもしれない。本当に夏まで云々といふのは言つてゐないのかもしれない。親が聞き間違へてそこから他の人に広まつた可能性が無いわけでもない。夏までもつかどうかと言つたかどうかに関らず、祖母はもう長くはなかつた。どれだけネットで検索しても、大学病院の先生の話を聞いても、何年も生きられる感じではなかつた。親達を責めるために祖母は本当はもつともつと長く生きられたといふ妄想物語が必要になり、本人の意思とは無関係に脳内で記憶の再構成が起こつたんだらうと思ふ。正常な人間がただ怒りに任せて適当なことを言つてゐるといふ感じでもなかつた。何か薄ら寒いものを感じた。叔母夫婦がコンビニに行つて静かになつた。一番下の叔母は怒つて携帯のアドレス帳から猫の叔母を削除したらしい。もう時間も遅いし、みんな疲れ果てたので寝た。4時半頃に帰つて来る音が聞えた。

もしあの時ああしてゐればどうなつてゐただらうかと考へて後悔することはある。叔母の言ふ通り、もう少しだけ祖母を長生きさせることはできただらう。当時の俺も日記で書いてゐるが、屋久島へ連れて行かない方が良かつたのではないかとか、屋久島では民宿で留守番させてゐた方が良かつたのではないかとか、大潮の時に海に行かせなければとか、熱が下がらず動けない状態でも無理してでも早めに病院に連れて行つた方が良かつたのではないかとか。長くても3年でほとんど死ぬ病気だ。発症が発覚した5月よりもだいぶ前に既に発症してゐた。1年。良くて2年。冬まで生きられたかどうか。冬になれば寒さで体調も崩しやすい。冬は越せなかつた可能性が高いと思ふ。実際はどうなつてゐたか分からんけどな。屋久島旅行と海遊びと畑仕事をさせず、薬もしつかり飲ませてゐたとして、どれくらゐ生きられたんだらうか。9月初めに肺炎にさへならなければもう少し長く生きられただらうが、少しづつ弱つて行つていつか亡くなつてゐただらう。その「いつか」とはいつだつたんだらうか。ネットで調べても医者の言ふことを聞いても少しづつ悪くなつて行く祖母の様子を見ても、次の夏まではほぼ無理だらうと思つた。確かめる術は無いが、実際に最大限の注意を払つて可能な限り長く生かすことだけを考へてゐたらどの程度生きられただらうか。長く生きられたとしてもそれが幸せかどうかは分からない。やれるだけのことはやつた。いや、全然足りなかつた。どちらが正しいのだらう。決して折り合ひのつかない問題だ。でも結果は覆らない。そもそも肺炎は海で貝拾ひをしたのが原因ではないのかもしれないし、避ける術は無かつたのかもしれない。季節の変り目で気温の変化等で何をどうしてもあの時に肺炎になつてゐたのかもしれない。免疫が相当弱つてゐたから、いつどうなつても不思議ではなかつた。何をどう悔やんでも今さら何も変らない。俺はほとんど何もしなかつた。祖母が肺炎になつた時も呑気に観光してゐた。一番長く祖母と一緒にゐたのは俺なのに。俺は叔母に責められても仕方が無いのだが、叔母は俺には何も言はなかつた。最初から何も期待してなかつたんだらう。

一番思ひ詰めて祖母を看てゐたのは猫の叔母だつたし、祖母が亡くなつて一番悲しみを表に出してゐたのも猫の叔母だつた。通夜の時もずつと祖母の亡骸の前に座つて延々と話し掛けてゐた。その叔母から見れば他の人がまともに看病してゐないやうに見えたかもしれないし、祖母の死をもう過去のこととしてみんなで楽しく語り合つてゐるのが腹立たしかつたかもしれない。でもみんなそれぞれがベストだと思ふことをやつたのだ。早死にさせたことを反省しろとか、さういふことは言ふべきではない。今頃になつて当時借金してまで面倒見たとかそのために仕事を辞めたとか、自分が一番苦労したみたいなことも言ふべきではない。自分が愛知に帰らずずつと看てゐれば良かつたといふ後悔の念が強過ぎてノイローゼになつたのかもしれない。結局、何が言ひたかつたのか分からなかつた。みんなにどうして欲しかつたんだらう。早死にさせたことを反省しろといふことが言ひたかつたのか。でも最初は山を売つた金を催促しろとか、さういふ話だつた。目的が分からない。結局山の件は自分が悪者になつて明日電話するみたいなことを言つてゐた。そんなに金に困つてゐるんだらうか。ただみんなを不快にさせただけだつた。

話題:種子島 2009年秋

Info.
公開日時2009年09月26日 00時56分44秒
最終更新日2009年10月04日 15時42分19秒 (更新回数: 3)
本文文字数16339文字 (タグ込み)
URLhttps://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20090920
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