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犬土偶日記

海の近くに住みたい

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話題:種子島&屋久島 2007年夏

2007年10月15日

犬土偶旅行記 105日目 よきの海水浴場・日本甘藷栽培初地之碑・誠の碑公園・鉄浜海岸・メヒルギ自生群落・喜志鹿崎灯台・浦田海水浴場

公開日時: 不明

夜中に目が覚めた。波がうるさい。風は無いのに何故か波が激しい。風が吹けば小屋のドアとか屋根とか近くの雑木林が音を立てる。それが全く無いのに海がうるさい。断続的にラジオのホワイトノイズが爆音で流れてゐるやうな状態で、いや、もつと荒々しい音だが、それに加へて打ち上げ花火が爆発するやうな、波の塊が岩に激突する音が鳴り響く。海に様子を見に行つてみたい気もするのだが、眠いのでまた寝ることにした。そして再び5時頃に目が覚めた。夏は祖母が起きて畑に行つたりしてゐた時間だ。だが、もう秋なので5時でも真つ暗。波の音が消えてゐた。風の音も波の音も聞こえない。何がどうなつてゐるのかサッパリ分からない。また寝た。何故何度も目が覚めるんだらう。

11時過ぎまで寝てゐた。朝から西之表方面を回らうと思つてゐたのに。今日は天気が良い。少し寝坊したが出掛けないわけにはいかない。まづは深川で国道58号から山の中に入り、能野方面へ向かふ。小さい丘が3つ連なつてゐる道を録画しながら走つてみた。本当は能野側から走つた方が先の山までハッキリ見えて面白味が増すんだが、興味がある人は自分で行つて走つてみれば良い。録画したのをUPしてみる。最後の方の、海の青とサトウキビの緑が良い感じ。何か今日も長い日記になりさうな予感がする。能野の山の上の道(MPEG1 22.2MB) ( http://orca.xii.jp/data/dogoo/mov/yokino.mpg )

よきの海水浴場の手前まで山の上を走つたが、ここで引き返した。一寸住吉の方に用があつた。途中で下りる道があると思つたが、おおぎが生長し過ぎて道がよく見えない。何と下り損ねて山に突入し、深川のバス停のところまで戻つてしまつた。そこから国道58号を走り、住吉を通つて能野へ。さう言へば今までよきの海水浴場を撮影したことが無かつたなと思ひ、駐車場に原付を停めて海岸まで出て撮影したりした。この海ですよ。7月21日に原付のキーを失つた海。懐かしくもあり、歯を食ひ縛りたくもある。思へば今年はまともに海水浴をしてゐない。よきの海水浴場に入つて2分以内にキーを失つてひたすら絶望感を抱へて鍵を探し回つただけだ。あまり良い思ひ出はない。空も海も憎らしいほどに青々としてゐる。南国風の照葉樹の深緑や、浜に生えてゐるアサガオみたいな植物の淡い緑や、砂の白が素晴らしい。岐阜の山奥に住んでる俺にはかういふ風景が珍しいのだ。それにしても、写真だけみると真夏のやうに見える。全然秋らしい雰囲気が無い。

よきの海水浴場1 よきの海水浴場2 よきの海水浴場3
よきの海水浴場4 よきの海水浴場5 よきの海水浴場6
よきの海水浴場7 よきの海水浴場8 よきの海水浴場9

日本甘藷栽培初地之碑といふ石碑がよきの海水浴場の北端辺りに建つてゐる。またまた観光誌を引用させて貰ふことにする。1698年、島主種子島久基(栖林)が島の救済事業として、琉球王より甘藷を譲り受け、初めて栽培に成功し、その後サツマイモ(種子島ではカライモ)の名前で日本全国に広まった。といふことらしい。その記念碑が建つてゐる。ここは国道58号沿ひなので数へ切れないほど通つてゐるが、写真を撮つたのは初めてだ。特に観光地として見ておかねばならんやうな物でもないが、種子島を堪能し尽くすなら外すわけにはいかないだらう。

日本甘藷栽培初地之碑1 日本甘藷栽培初地之碑2 日本甘藷栽培初地之碑3

西之表に向かひ、途中のセルフのスタンドでガソリンを入れる。今日も結構たくさん走ることになるので満タンにしておかねばならん。といふか、あと少しで尽きる。ガソリンを入れてから西之表市街地に出て、土産屋を探し回つた。結構たくさんあるんだが、どこで買ふのが良いんだらう。こないだ親や叔母と一緒に行つた乗船場近くの土産屋で良いかな。

甲女川を遡つて空港方面へ向かふ県道76号線を走る。時々後ろを振り返つて種子島トンネルや県道を撮影してみたりしながらどんどん進む。古田の御前橋の手前の両脇にある険しい坂を上つて上から橋を撮影してみたりする。この辺は標高が高いので寒い。といふか、今日は寒い。気温が低い上に風が強い。

古田方面から見る種子島トンネル 御前橋方面から西之表方面を振り返つて見た県道76号線 御前橋を北西の山から見下ろす。山の上はおおぎ畑。 御前橋解説 御前橋の北東の山。上は茶畑。

御前橋からもう少し南に行き、誠の碑公園といふ立て札が出てゐる交差点を左(東)へ曲がる。誠の碑といふのは終戦時に兵隊が云々。詳しくは公園内の看板の写真を見ろ。よく知らんがその近くは祖母の故郷のやうな気がする。曾祖母が住んでゐたやうだし、祖母の弟とか親戚が近くに住んでゐるらしい。この誠の碑公園の用地は云々と書かれた中に出て来る串間サワといふのが祖母の母親で、串間利夫といふのが祖母の弟。立て札を辿つて奥の方に行き、無事に辿り着いた。前にもバイクで一度来たことがあるから迷はない。石の前に設置されてゐた看板が新しくなつたといふことは聞いてゐた。それを自分で確認しつつ、石を色んな角度から眺めたり撮影してみたりする。看板は新しくなる前のやつを大工仕事の時に撮影してUPしてある。今回は新しいのを載せておく。

誠の碑公園1 誠の碑公園2 誠の碑公園3
誠の碑公園4 誠の碑公園5 誠の碑公園6

誠の碑を撮影してから、すぐ近くにある肺癌の親戚の家に寄つてみた。土曜に帰るから挨拶していかうと思つたのだ。ほとんど覚えてゐないが、20年ぐらゐ前に種子島に来た時にその人に島を案内して貰つた。住吉のガジュマルを見に行つたのだけは覚えてゐるんだが、他は分からない。千座の岩屋に行つた時もその人に連れて行つて貰つたやうな気がするが別の時だつたかもしれない。たぶん宇宙センターや門倉岬や坂井神社の大ソテツにも連れて行つて貰つたんだらうと思ふが子供の頃の記憶がほとんど無い。で、挨拶していかうと思つたんだが、家中閉め切られてゐて不在つぽい感じだつた。ゐないなら仕方が無い。

山を越えて東海岸へ出る。そこから島の北端の喜志鹿崎を通つて帰るのだ。しかし、二本松の辺りから東海岸へ出ると恐らく安城の辺りに出るだらう。緯度で言へば深川や住吉と同じ辺りだらうと思ふ。そこから島の北端を目指すとかなりの距離を走ることになる。起きるのが遅かつたせゐで結構時間的にも厳しい感じになつて来てゐる。それでも今さらどうしやうもない。帰るのも大変なのでどうせなら予定通り回つた方が良い。といふか、可児に帰るまで時間が無いので今日を逃すと伊関方面へ行かずに島を離れることになるかもしれない。

島の東を走る県道75号線まで53kmといふ標識が出てゐた。一瞬焦つた。島が南北に60kmしかないのに53kmもあるわけがない。小数点を見逃しただけ。その道を進んで75号線に出るつもりだつたが、何と途中で通行止め。迂回路が書かれた木の看板は色褪せて読みづらいし、面倒なので詳しくは見ないことにした。通行止めの方へは行けないので迂回路の方へ曲がる。しかしその先はどこをどう通るのか分からない。どんどん奥深い山に入つて行つて不安になる。だがそれも面白い。しかしそんなことはどうでも良い。寒過ぎる。アホみたいに寒い。島の北の方は結構高い山ばかりなので、東側は日が当たらない場所が多い。恐ろしく寒い場所が時々ある。全体的に寒い。

何とか細い道を脱して県道75号線に合流。川脇川の河口。前に通つたことがある場所だ。あっぽ〜らんどや天女ヶ倉へ行つた帰りに通つた道だ。やはり安城に出て来た。ここから南へ行くとカシミア橋やカシミア号漂着地を通つて犬城海岸に出る。北へ行くと安納だ。安納から天女ヶ倉へ行く道がある。前に来た時は天女ヶ倉から下りて来て犬城に向かつたので、安納から北へは行つたことがない。反対側の西之表港から喜志鹿崎までは行つたことがある。喜志鹿崎から安納までの区間を今まで走つたことがない。今日は反時計回りに喜志鹿崎を通つて帰るのだ。

少し行くと標識があつた。右へ0.8kmで鉄浜海岸、直進27km喜志鹿崎。27kmもあるのか。回つたら単純に考へて60km以上あるぢやねえか。日が暮れる前に帰れるのか。取り敢へず、鉄浜海岸へ向かつた。前にあっぽ〜らんどや天女ヶ倉へ行つた帰りにも寄つたんだが、今回も寄る。ここはサーファーのメッカと言はれる場所だが、ここでサーファーを見たことがない。まあ宿泊施設が海のそばにあるから、島外から来るサーファーにとつては良いのかもしれない。種子島に住み着いてゐるサーファーは、ここではなくよきの海水浴場等に行くやうだ。やはり広くて明るい海岸が良いよな。鉄浜海岸は別荘地みたいになつてゐて、その中のどこかに武田鉄矢の別荘があるらしい。前に来た時はどれが鉄矢の別荘か分からなかつたし、奥まで行かなかつたんだが、聞くところによると鉄矢の別荘は奥の方にあるらしい。今回は一寸それを探してみようかと思つたのだ。ログハウスだと聞いてゐたが、ログハウス結構たくさんあるし。結局どれだか分からない。一寸大きめのログハウスを勝手に鉄矢の別荘と決め付けて撮影してきた。これですか?庭に金八先生の銅像を置くぐらゐのことはしてくれても良いのではないかと思ふ。

鉄浜海岸1 鉄浜海岸2 鉄浜海岸3 鉄浜海岸4

見覚えのある海岸を見ながらひたすら北上。途中、工事中で山に入つたりもする。前に来た時に道を間違へて逆戻りしさうになつた懐かしい道だ。そこを抜けて安納へ。遠い。とにかく遠い。しかも寒い。種子島でこの寒さなら可児に半袖で帰るなんて絶対無理だな。長袖の服を買はねばならん。7月に海用日焼け対策で長袖のTシャツを2枚買つたんだが、黒い方は海で貝を拾つてゐる間に猛烈に縮んでしまつて着れなくなつた。あの時はどう頑張つても脱げなくて猛烈に焦つた。首を抜かうにも腕が引つ掛かつて無理だし、腕を抜かうにも腋の部分に余裕がなくて肘が抜けない。腹のところから捲らうとしても腕や肘が邪魔で抜けない。あれは焦つたよ。まさか海に入つただけで縮むとは想像もしてなかつたからな。何とか根性で脱いだけどその後二度と着てゐない。もう1着の白いやつは海で何度も着てボロボロになつた。帰る時のためにまた長袖を買はねばならんな。

天女ヶ倉と書かれた標識が見えた。スルー。今日は伊関・湊方面へ行くのだ。さらに進むとあっぽ〜らんどの標識も見えた。これもスルー。遠い。もう疲れた。といふか、寒さで震へるのに体力を使ひ過ぎた。飯を食つてないからエネルギー不足だ。漸く伊関に到着。あっぽ〜らんどの西京ダムから流れてくる西京川が流れ込んでゐる。ここで淡水魚を釣つてみたかつた。しかしここに来るのは大変だな。どこから来るにしても凄い遠回りをしないと来れない。

さらに北へ進む。どこまで行けば良いのですか。意外と北の方は長いんだな。海からの風を受けながらしばらく行くと、湊漁港といふところに着いた。湊といふのは喜志鹿崎から東へ少し行つた場所だ。あと少しで島の北端だ。だが、ここでそのまま喜志鹿崎に行くわけにはいかない。湊川下流域にあるメヒルギ自生群落を見るのだ。川沿ひの道に入り、少しづつ上流に進みながら見る。結構激しい林になつてゐてよく見れない。ボートで川を遡ると良いんだらうが、陸側からだとなかなか良く見えない。まあ適当に写真撮影。写真の色合ひがもう完全に夕方だ。まだ島の東側にゐて大丈夫なんだらうか。湊を出たのが15時50分。

メヒルギ自生群落1 メヒルギ自生群落2 メヒルギ自生群落3 メヒルギ自生群落4""
メヒルギ自生群落5 メヒルギ自生群落6 メヒルギ自生群落7 メヒルギ自生群落8

湊から喜志鹿崎は近かつた。7月10日に来た時はガソリン残量に不安があつて喜志鹿崎から湊に向かふ途中で引き返した。あれから3ヶ月。季節も変はり、あの時の強烈な日焼けによる黒さも消えて別の日の日焼けによる黒さが中途半端に残つてゐる状態。あの頃は今の生活を全く想像してゐなかつた。8月末には帰るつもりでゐたし、よきので原付のキーを紛失するなどとは全く想像もしてなかつたし、色々と予想外のことが起こりまくつた。思へばあの時に喜志鹿崎まで来たのが初の種子島探索だつた。7月3日に来てからずつと梅雨と台風に閉じ込められて引き篭もつてゐた。あの頃はまだ種子島のことをほとんど何も知らなかつた。ネットや地図で色々調べて知つた気になつてゐたが、実際はずいぶん違ふものだつた。3ヶ月半滞在した今でもまだ全然種子島のことが分かつてゐないんだらうと思ふ。堪能し尽くして帰るつもりだつたが、そんな短期間では無理だらう。

道なりに進んで行くと灯台には行かずにそのまま西之表に帰ることになる。それでは面白くないので、標識に従つて喜志鹿崎灯台へ。懐かしいな。前に来たのは昼だつたが、今日はずいぶん遅い時間だ。灯台を撮影したり海を見下ろしたりする。喜志鹿崎周辺は良い釣り場らしい。どこからこんな崖を下りるんだらうか。どこかに道があるはず。海まで出てみたい。ここまで来たら行くしかないだらう。

喜志鹿崎灯台1 喜志鹿崎灯台2 喜志鹿崎灯台3
鞍かけの松立て札 喜志鹿崎灯台から見下ろす海1 喜志鹿崎灯台から見下ろす海2

灯台を出て少し戻り、小さい横道に入つてみた。犬城海岸に行く時のやうなゴツゴツしたコンクリートの細い道だ。下り坂になつてゐるので海に通じてゐるんだらうと思つた。しかし下まで行つてみると、どうも畑に通じてゐるやうな感じ。少なくとも灯台から南へ遠ざかる道だ。これは違ふ。少し戻り、コンクリートの細道からさらに横に舗装されてゐない砂利道がある。これか?さすがにこれはキツい。道の両脇は背丈の高い草だつたり雑木林だつたりする。草木の葉や枝が道に出て来てゐるし、上には蜘蛛の巣が大量だ。道は激烈に細く、ところどころ泥になつてゐて水が溜まつたりしてゐる。これは厳し過ぎるぞ。蜘蛛の巣のある高さから見て、ほとんど人が通る場所ではないやうだ。軽トラで無理矢理入るなら良いかもしれんが、原付は厳しい。普通の車では絶対無理だらう。行くか?ここは行かねばならんだらう。道はグネグネ曲がつてゐて先が見えない。本当に海に通じてるのかどうかも分からない。

慎重に蜘蛛の巣を避けながら進む。突然、2匹のスズメバチが視界に入つた。こちらに向かつて飛んで来る。俺の人生終つた!どうやらこの近辺に巣があるらしい。今の季節は蜂の繁殖期で無駄に攻撃的になつてゐる。こんな場所で無数の蜂に囲まれて数百箇所刺されて死んだらいつ発見されるんだらうか。釣りマニアが来るまで発見されることはないだらう。叔父がどこかに出掛けてる間に出て来たから誰も行き先を知らん。誠の碑のところの親戚にも挨拶しなかつたから誰も俺の向かつた先すら想像がつかないだらう。日記には西之表方面に行きたがつてゐたことが書かれてゐるだらうが、西之表と言つても広過ぎる。もし俺が帰らなくて捜索することになつても簡単には発見されないだらう。ここで死ぬわけにはいかん。こんな狭い場所では急激にUターンして引き返すのは不可能。今死なないためには猛烈に加速して突つ切るしかない。カーブの先が崖だつたら死ぬ。でも行くしかない。何で俺がこんな目に!

下から見上げる喜志鹿崎灯台蜂が1匹服に激突したが刺されずに突破した。狭い山道を出て少し広い場所に出た。海岸まではまだ草むらを掻き分けて少し歩かねばならんが、今はそんなことはどうでも良い。取り敢へずピンチは脱した。しかし帰る時にまた同じ道を通らねばならん。どうすれば良いのかね?蜂が飛び回る場所を通らねば帰ることはできん。ふと山を見上げると、喜志鹿崎灯台がせせら笑ふやうに夕日を浴びて輝いてゐる。灯台を下から撮影しながら蜂を絶滅させたい気持ちを漲らせた。国はスズメバチ駆除業者に補助金を出すべきだ。巣1個完全駆除で10万出せ。そのための増税なら歓迎する。人に頼まれて駆除する場合の通常の報酬を貰つてもさらに国から10万貰へるやうにしろ。そして蜂駆除業者は激烈に儲かると宣伝しろ。貧しいやつらが山に入つて無理矢理巣を探し出して駆除するやうに仕向けろ。スズメバチを日本から絶滅させろ。他の国にも大量にゐるんだから日本で絶滅しても問題ないだらう。一寸ぐらゐ生態系がをかしくなつても構はん。スズメバチを絶滅させろ。あんなウンコ虫は苦しんで死ねば良い。何故いつもいつも何もしない俺に無駄に襲ひ掛かるんだ。生まれて来たことを後悔しながら苦しんで死ね。さて、どうやつて帰らうか。泣きさうですよ。無駄に横隔膜が震へてます。

強行突破しかあるまい。最高速度で突つ切る。悪路だから相当危険だ。もしかしたらタイヤがパンクして帰るのが困難になるかもしれない。家まで30km以上はある。だがここで死ぬわけにはいかんのだ。ここさへ乗り切ればあとはどうにでもなる。さあ突入だ。これ以外に方法は無いだらう?やるしかない。行け俺!顔に虫が激突!死ぬほど焦つたがトンボだつた。スピードは緩めない。フラついても突き進む。蜂がゐた辺りでコケないやうに集中力全開!突破!!だがまだ油断はできん。やつらは意外と行動範囲が広い。そのまま全速力で突き進む。前から釣り人の乗つた軽トラが来たら即死だ。もう少しの間誰も来るな!そして泥の場所に突入。これはかなり危険だと予想はしてゐた。ヌルァ!と滑り、車体が左側に倒れ掛かつた。死ぬわけにはいかん!急激に左側に飛び降りて地面を力強く蹴つて体勢を立て直しながら再びシートに跨る。それで無事に乗り切れたのは奇跡に近い。しかし左足を猛烈に挫いてしまつた。ウンコ虫のせゐでこんな酷い目に遭つた。蜂に対する憎しみがますます増大してきた。必ず絶滅させねばならん。蜂駆除の仕事をしようかな。生活のためではなく、憎しみをぶつけるために。復讐のために。

酷い目に遭つた。でも死なずに何とか切り抜けた。あとは県道に戻つて帰るだけ。いや、折角だから浦田海水浴場にも寄らう。ここは日本の海水浴場88選に選ばれてゐるらしい。島の北側の九州本土に近い場所にあるのに透明度はなかなかのものだ。夏にV6の番組でもここでバーベキュー等をやつてゐた。全体的に砂浜だが、海に向かつて右の方に一寸した岩場があつてシュノーケリングなんかにも良いらしい。一度ここで泳いでみたいものだ。こんな季節外れの夕方に家族連れの観光客が来てゐた。丁度俺と入れ違ひになつた。浜に出て写真を撮つたり、シーサイドハウスといふ建物に上つてみたりして遊ぶ。もう完全に夕方だ。16時半。日が暮れる前に帰れるんだらうか。夕方の海もなかなか良いものだ。牧川周辺は日が沈む頃は太陽が真正面にあつて眩し過ぎてあまり良い感じではない。海も黒つぽく見えるしな。太陽を背にして見る海が綺麗なのだ。

浦田海水浴場1 浦田海水浴場2 浦田海水浴場3
浦田海水浴場4 浦田海水浴場5 浦田海水浴場6
シーサイドハウス1 シーサイドハウス2 シーサイドハウス3

さて、あとは帰るのみ。県道581号線を西之表港の方へ向かつて進む。海水浴場を出てすぐの辺りにカラスが群れてゐた。近づいて行つたら逃げた。道に何か落ちてゐる。こ、これは・・・動物の死骸に違ひない。取り敢へず見てみた。仔猫だつた。腿肉を上手い具合に食はれてゐた。死体をズタズタに引き千切るのではなく、上手く肉だけ食つてゐる。骨も繋がつたままだ。肉だけ上手く食つてゐる。これから腹や背中の方に向かつて食ひ進んで行くんだらうな。写真撮つて載せると喜ぶやつもゐるだらうが、逆に発狂するやつがゐるとウザいので撮らなかつた。

県道581号線をひたすら南に進む。遠くに西之表港が見える。まだ家まで20km以上はある。島の西側に出ても気温が低い。夕方だからかもしれないが、とにかく寒い。最近急激に寒くなつて来た気がする。ほんの2・3日前まで最高気温が30℃を超えてゐたんだが、急激に気温が下がつたと思ふ。このままでは凍死してしまふ。可児に帰る時のために長袖の服を買はねばならん。だいわに寄つてみた。夏物処分みたいな感じで夏物ばかり売つてゐる。秋物は何故かサイズが滅茶苦茶デカい服ばかり売つてゐる。結局服は買はなかつた。今度野間のAコープに行つてみよう。だいわの100均でビニールの緩衝材を買つた。祖母に貰つた鹿の角をそのままダンボールに入れて送ると危ない。ビニールでグルグル巻きにして送らねば。誰かが山で拾つて来た小汚い角で、長年外の倉庫にぶち込まれて泥まみれ埃まみれになつてゐたゴミみたいな物だが、唯一祖母が俺にくれた物だ。価値のある物ではないが、部屋に飾つておかうと思ふ。

序でにだいわで食料を買つた。プリンとかパンとか菓子とかがメイン。飯のおかずはオマケみたいなもの。適当に買つて帰宅。あとはひたすら国道58号線を南下するだけだ。どんどん暗くなつて行く。サムズを越えてよきの海水浴場に辿り着く頃には西の空が紫色つぽくなつてゐた。なかなか綺麗な風景だつたので写真に収めようかと思つたが、寒いし疲労が激しいのでやめた。あと10cmぐらゐで太陽が水平線に到達だ。どこからどこがまでが、何を基準に10cmなのかとか、さういふことはどうでもいい。感覚的に分かるだらうが。海水浴場を抜け、下能野の集落の脇を抜け、デーリィ牛乳の横を突つ切り、住吉小学校を通り過ぎて漸く住吉港まで来た。西の空を見ると太陽があと1cmで以下略。

深川のバス停辺りで既に太陽は水平線に少し消えてゐた。意外と速い。見る見るうちに沈んでいく。まだ18時にもならないのに。牧川港の辺りではもう半分以上太陽が沈んでゐた。あと1km。ギリギリ太陽が沈み切る前に家に帰り着けるかどうかといふ感じだ。危ないな。もう少しどこかに寄り道してたら真つ暗になつてゐた。何とか蜂にも殺されず生きて帰ることができた。

今日は130.4kmも走つた。80kmぐらゐのつもりだつたのに。家に帰つてすぐギターを弾いてみたが、寒さで手が硬直してまともに動かなかつた。夜のニュースを見たら今日の種子島の最低気温は18.5℃だつたらしい。最高が26℃だとさ。寒いわけだ。可児はどれぐらゐなんだらう。もう冬服に移行してるのかもしれんな。

話題:種子島&屋久島 2007年夏

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