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犬土偶日記

海の近くに住みたい

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2007年09月19日

犬土偶旅行記 79日目 馬立の岩屋・増田周袈裟女の碑・太陽の里・熊野漁港公園・他

公開日時: 不明

朝起きた時、叔父が誰かと電話をしてゐた。祖母の肺炎は悪化したらしい。昨晩は40度の熱が出たやうだ。今日から点滴の中身を変へて様子を見るやうだ。ATLで免疫が弱つてゐるからなかなか治らない。寝たきりみたいになつてゐる。もしかしたらこのまま回復しないといふこともあり得る。

昼から種子島探索に行く。晴れてゐるうちに少しでも消化しないと帰れない。今日のメインは中種子の市街地付近にある太陽の里。流水プールや体育館や野球場等があるデカい公園だ。太陽の里だけ行つて帰るといふのも無駄なので、別の場所も行かねばならん。だが中種子方面へ行くのなら西之表の方へは行けない。盆にデジカメの設定をミスつてしつかり撮れなかつた犬城海岸の馬立の岩屋を再度撮りに行くことにした。さうするとまづは犬城へ行くことになる。その後に増田を通つて野間へ出る。ならば序でに増田周袈裟女の碑を見に行ける。コースは決まつた。犬城、増田、野間。まだ時間に余裕があるはずだから、そのまま南種子へも行つてみよう。以前に南種子を回つた時に、熊野海水浴場の手前に熊野漁港公園といふ立て札があつて気になつてゐた。そこへ行かう。それぐらゐ回れば今日はOKだらう。

昼過ぎに家を出た。まづは坂の下の国道を通らねばなるまい。納官の辺りから山へ突入のいつものコースだ。だが、坂を下りる途中で異変に気付いた。坂の下に住んでるおばあさんの家の前に消防車が停まつてゐた。サイレンは聞いてないから火事ではないだらう。向かひの店の前にパトカーが何台も停まつてゐて、人が大勢集まつてゐる。避難訓練か何かをやつてゐるのかと思つて取り敢へず無視して犬城方面へ行きかけたが、やはり気になるので引き返した。店の隣にある老人ホームの事務所みたいなところにも車が大量に停まつてゐて人が大勢集まつてゐる。何かあつたんだらうか。言葉が分からんし知り合ひもゐない感じだつたので誰にも聞けない。少し牧川港の方へ向かつて進み、途中から山の方へ入つてみた。上牧川にある公民館の前を通つてゐる時に前からパトカーが来た。やはり何かこの近辺であつたらしい。そのまま進んで行くと、サトウキビ畑で何人か長い棒を持つて歩き回つてゐた。服装や動きからして農作業ではない感じだ。もう少し行くと川があるのか知らんが小さい谷みたいなところがある。そのカーブになつたところに救急車が1台停まつてゐて、救急隊の人が谷底を見てゐた。総合的に考へると、どうやら牧川集落の人が行方不明になつて大勢で捜索してゐるやうな感じだ。だが人が集まり過ぎてゐる。牧川の人だけであんなに集まるとは思へない。恐らく老人ホームのボケ老人が行方不明になつて関係者が集まつて来てゐたんだらう。この近辺に老人ホームは2つか3つあるやうだが、親の同級生の老人ホームぢやないだらうな。もし親の同級生の老人ホームの人で死体で発見されたとかいふことになれば、屋久島の民宿を頼むといふ状況ではなくなる。

犬城海岸へ。男淵女淵の滝をいつも通りスルーしてサトウキビ畑を抜ける。畑の隙間を縫ふやうにして東海岸近くの県道75号線へ出る。ゴルフ場の脇を抜けて少し北上し、犬城海岸といふ立て札のある道を曲がる。曲がつた瞬間から凄まじい道だ。割れて走りにくいコンクリートの道が続く。道は細く、車では擦れ違へない。カーブが多くて見通しが悪いのにカーブミラーも無い。谷間を無理矢理下つて行くやうな凄い道だ。せめてアスファルトの舗装にして欲しいものだ。今まで行つた種子島の観光名所でここが間違ひなくダントツで酷い悪路。何とか無事に海岸に出た。車が3台停まつてゐた。1台はレンタカーで2人組の観光客。他は海水浴らしい。シュノーケリングか何かかもしれない。こんな時期にも人が来るんだな。取り敢へず写真撮影。相変はらず馬立の岩屋のサイズが写真だと分かりにくい。比較のために穴の前に車でもあれば良いんだけどな。中に2階建ての家が建つ程度の大きさだ。今日は前に来た時よりも潮が満ちてゐて、奥の方の潮溜まりは消えてゐた。岩が濡れてゐて危ないので沖へ渡ることもできない。適当に撮影して戻ることにした。海水浴の人達はずいぶん沖の方まで出てゐた。こんな東海岸の波が荒い場所でよくあんな沖まで行く気になるな。

馬立の岩屋1 馬立の岩屋2 犬城海岸1
犬城海岸2 馬立の岩屋の中から海を見る 馬立の岩屋の中
犬城海岸3 犬城海岸4 犬城海岸5
犬城海岸6 犬城海岸7 犬城海岸8
犬城海岸9 犬城海岸10 犬城海岸11
馬立の岩屋3 馬立の岩屋4

増田港付近から宇宙センターを望む県道75号線に出てゴルフ場の脇を抜け、増田宇宙通信所といふ巨大パラボラアンテナがある施設の前の道を走る。このまま行けば増田港に出る。増田港付近からもロケットの打ち上げが見れる。一応その近辺から宇宙センター方面を撮影してみた。写真の左端の方に薄つすらと宇宙センターが見える。靄が無ければハッキリ見えるだらうが、わざわざこんな遠い場所から打ち上げを見る必要は無いだらう。

増田周袈裟女の碑増田港から少し南下すると今度は島の中心に向かつて山に突入する。そのまま行くと空港から野間方面に下りて来る道と合流だ。その近辺に増田周袈裟女の碑があるはず。増田周袈裟女の碑つて何?と誰もが思つてゐるだらう。観光誌によると、江戸末期、島主23代久道に村の生活のくるしさを嘆願した増田周袈裟女は、その後も村のために力を尽くしました。この碑はその功績を讃えるために建てられたものです。といふことらしい。生活の苦しさを嘆願するといふのがよく分からんが、割とありがちな感じなので必死に見に行くやうな物でもあるまい。だがかういふ些細な物でも見るのだ。しかしこれがなかなか見つからない。観光客がわざわざ見に来るやうな物でもないから標識も立て札も出てゐない。中種子観光案内といふデカい看板にも載つてない。これを自力で探すのか。とにかく、以前通つた道には無かつた。違ふ道を適当に走ることにして増田小学校へ向かふ道を走つた。公民館みたいな建物のところに石碑があつた。土地改良碑か何かだらうと思つたが見てみたら増田周袈裟女の碑だつた。割と簡単に見つかつたが、特に何の感動も無い。適当に写真を撮つてそのまま小学校前の道を進んだが、以前通つた道に合流した。そこから野間まで一直線。

太陽の里入り口の中種子シンボルまづはガソリンを満タンにする。それから市街地の交差点を左折。太陽の里は曲がつて100mと書いてあつたが、何も無い。焦つた。いつも100mとか90mとかの標識を見てゐたから、辿り着けないことは絶対に無いと思つてゐた。曲がつた瞬間に巨大な公園が見えて迷ふことなど無いはずだと思つてゐた。だが、曲がつたところは寂れた繁華街。ボロい飲み屋やビリヤード屋が薄暗く並んでゐる。その先には太い道路が南北に走つてゐる。その道路を走つたらそのまま国道58号と県道75号に別れる場所に辿り着く。その手前で引き返し、昨日散髪した店のある交差点から曲がつてみた。また同じやうな感じだつたが、交差点に小さい立て札が出てゐた。それに従つて進む。明らかに100m程度ぢやないだらう。もつと奥へ行かねばならん。結構遠いぞ。しばらく行つたら猛烈に見慣れた物が見えた。牧川港にもあつた鳥のフンのオブジェだ。あれは牧川港のシンボルではなく中種子町のシンボルだつたんだな。他の場所では見たことが無いんだが。

ふれあいの里案内板太陽の里の隣にふれあいの里といふのがある。和風ロッジが3棟あつて、宿泊したりできるらしい。水車小屋もあつたりする。ここは基本的に農業系の施設で、農業体験みたいなのをするところだ。サトウキビから黒砂糖を作るとか赤米を育てるとか、さういふのがあるやうだ。中に入つてみたが人もゐないし特に見るべきものは無い感じだつた。一応案内板を撮影してみたが、実際はまだ建設中みたいな中途半端な感じ。ここはスルーで良からう。奥の赤米の田んぼを見てももう収穫は済んでるし意味が無いだらう。汚い池を見ても意味が無い。来る時期が悪いな。観光客の多い夏休みならまだ良かつたかもしれない。

太陽の里の体育館のところからプールや風力発電のプロペラを撮影したりする。公園はそこそこ広いが中途半端な感じだ。西之表のわかさ公園やあっぽ〜らんど、南種子の宇宙ヶ丘公園の方が公園としては良い。まあ太陽の里は公園といふよりは総合スポーツ施設だ。正直に言はう。流水プールで遊びたい。でも太陽の里では犬の運動は禁止なんだとさ。死ね。

太陽の里1 太陽の里2 流水プール
風力発電のプロペラ 犬の運動禁止 太陽の里3

太陽の里を出て南へ。県道75号線を通つて熊野方面へ進む。サトウキビ畑が延々と続く。本当に種子島はサトウキビだらけだ。サトウキビと山を無くしたらほとんど何も残らん。ちなみに種子島ではサトウキビのことをオオギと言ふ。サツマイモはカライモと言ふ。カライモは最近は中まで紫色の紫芋が全国的に人気だが、祖母が言ふには安納芋が美味いらしい。白い皮で中がオレンジ色つぽい昔からあるやつ。まあ祖母の場合は食ひ慣れてゐるから美味いんだらうけど。皮が赤紫で中が黄色い普通の芋は何といふ名前なんだらうか。あの芋も種子島にあるが、結構珍しい気がする。

県道75号線を通つて島の南東へ行き、熊野漁港公園と熊野海水浴場の立て札に辿り着いた。まあ海水浴場も漁港もすぐ近くなので同じやうなものだけど。横道に入つて漁港へ向かふ。砂浜の熊野海岸の端に漁港がある。堤防の奥は砂利の海岸になつてゐた。港の奥に駐車場や小さい展望台があつて、一応公園みたいな感じに整備されてゐた。公園と呼ぶほどのものではないな。漁港は海の中に無理矢理ブロックを沈めて作つた感じではなく、内陸部に作つて海を引き込んだみたいな感じで港内は全く波が無い。外洋に面してゐるので夏は鯖や鯵が普通に大漁だらうと思ふ。砂浜もすぐ近くにあるのでキス等も狙へるだらう。足場も良いし釣りをするには良い漁港だと思ふ。今日も釣り人がたくさんゐた。

漁港に入つた頃に変な電子音が幻聴のやうにどこからか聞こえてきた。何だらうかとしばらく考へ、ポケットの中の携帯だと気付いた。バイクに乗つてても聞こえるんだな。親からだつた。家に帰つたらゐなかつたがどこにゐるのかと。熊野漁港と答へたが親は知らないらしい。熊野海水浴場のそばだと言つたら分かつたやうだ。雨が降るから早く帰れと言はれた。西海岸は結構降つたらしい。俺は上手い具合に雨を避けて晴れた地域を旅してゐたやうだ。親達はまた病院へ行つたらしい。

熊野漁港公園1 熊野漁港公園2 熊野漁港公園3
熊野漁港公園4 熊野漁港公園5 熊野漁港公園6
熊野漁港公園7 熊野漁港公園8 熊野漁港公園9

漁港公園内を一通り歩き、立ち入り禁止の堤防の上も端まで歩き、熊野の海を堪能してから漁港を出た。漁港内から熊野海水浴場も見える。といふか、一寸泳ぎが堪能な奴なら海水浴場から漁港まで泳いで来れるだらう。そのまま県道75号線を北上して帰る選択肢は無いので取り敢へず熊野海水浴場にも陸側から行つてみることにした。200m程度進むだけで海水浴場だ。奥の方の駐車場に車が1台あつて、薄いウンコ色のテントが張られてゐた。こんな時期にこんなところでキャンプする人がゐるんだな。他の海水浴客は皆無。無人。海水浴場を出る時にデカいタヌキの置物に気付いた。こんな場所にこんなのがあつたんだな。

熊野海水浴場1 熊野海水浴場2 熊野海水浴場3
熊野海水浴場4 熊野海水浴場から熊野漁港を見る 海水浴場入り口付近にあるタヌキの置物

海水浴場を出てしばらく行くとメヒルギ・ハマジンチョウの自生地がある。小さい川が海に流れ込んでゐるんだが、潮の干満で水位が変はる。ここによく分からんがメヒルギとかハマジンチョウとかいふ植物が生えてマングローブを作つてゐるらしい。前にも吉助橋付近で写真を撮つたが今日はその少し手前の密林状態の場所を撮影した。吉助橋はスルー。実は橋のところに水稲早期栽培発祥の地といふ石碑が建つてゐる。それを撮影せずにチラ見しただけでスルーといふ力強さを発揮した。車で通つたのも合はせて4回は通つたのに全スルーですよ。今日なんかタヌキの置物とか意味不明な物を撮影しながらかういふのはスルー。基準が分からんね。機会があればまた今度。

マングローブ1 マングローブ2 マングローブ3 マングローブ4

熊野を過ぎてずつと真つ直ぐ行くと宇宙センター入り口まで行つてしまふ。そこからは門倉岬方面か上中方面かといふことになつてしまひ、もう行き飽きた感じがある。広田遺跡といふ未踏の地もあるんだが、今日は色々と回つて写真が多いので日記を書く苦労を考へると日を改めたい。とにかく千座の岩屋入り口辺りまでは真つ直ぐ行くしかない。しばらく進み、山に入つてから分かれ道があつた。右へ行くと国道58号線、左へ行くと宇宙センター方面。国道58号に出たらそのまま帰るしかなくなるが、この道は通つたことが無いので行つてみることにした。ずつと山の中を走つて行くと、長谷展望公園といふ立て札が見えた。ここに繋がつてゐたのか。病院の手前の交差点に繋がつてゐるやうだ。ここに来たのならば病院に寄つて行くべきだらう。

病室に行つたら俺が来るとは思つてなかつたやうな雰囲気だつた。祖母の点滴の薬が変はつてゐた。それよりも酸素マスクをしてゐたのが一番の変化だ。今までは鼻に嵌めるチューブのやつだつたが、今日は口も覆ふやつになつてゐた。肺炎が悪化したといふのは聞いてゐたが、結構深刻な状態なのかもしれない。昼に牧川にパトカーや消防車や救急車が来て人が集まつてゐたことを話した。やはり老人ホームの人がゐなくなつたのではないかとみんな考へた。祖母は敬老会で酔つた老人が行方不明になつたんぢやないかと言つてゐたが、敬老会は一昨日なので違ふやうな気もする。話は変はつて、親の耳に蜘蛛が入り込んでゐたらしい。昨晩病院で寝てる間に入り込んだやうだ。朝から違和感があつて綿棒を買つて来て必死に苦労して掻き出したら蜘蛛だつたらしい。血がついてゐたとか言つてゐた。吸血蜘蛛か。耳栓して寝ろと言はれた。そんなの滅多にあることぢやないから大丈夫だらうと思ふ。祖母は今は熱が下がつてゐて話したりできるが、夜になると高熱を出して死にさうになるやうだ。親は今日も病院に泊まるらしい。20日に岐阜に帰ると言つてゐたが、飛行機をキャンセルしたらしい。屋久島へ行くのをしばらくやめろと言はれた。明日猫の叔母が来るらしい。11月に来るやうなことを一昨日ぐらゐに聞いたばかりなのに。明後日にはバイクの叔母が来るらしい。何か急に慌しくなつてゐる。もしかして俺が思つてゐる以上に深刻な状態なんだらうか。俺は肺炎が悪化して40度の熱が出たと叔父が電話で話してゐるのを聞いただけなんだが、悪化の度合ひが俺の想像以上だつたのかもしれない。ATLで免疫が弱いから治りにくい。悪化したといふのは致命的なことなのかもしれない。急変することもあるだらうし、熱が下がつてゐる状態でもかなり弱々しい状態だから、全く安心できる状態ではない。肺炎さへ良くなれば、飯を食へるやうになりさへすれば、などと軽々しく言つてゐたが、それが実は想像以上に難しいことなのかもしれない。

親は今日も病院に泊まる。晩飯の準備は昼にしてきたらしい。叔父は先に帰つた。少ししてから俺も帰る。国道58号を北上するだけだが、もう何度通つたか分からない。違ふ道を通りたい。でも遠回りになるだけだ。まあゆつくり帰れば良いので適当に寄り道することにした。坂井から美座の辺りの地面が激しく濡れてゐた。局地的に豪雨が降つたばかりのやうな感じだつた。野間の自動車学校付近から左に曲がつてみた。野間の北端辺りで国道に合流した。ずいぶん前に親と叔母と祖母と4人でラーメンを食ひに行つた店の前に出て来た。どこを通つても知つてる道に出るな。少し北上してから、旧空港方面へ曲がつてみた。去年の3月に閉鎖されたが、どうなつてるのか見ておきたかつた。ただ普通に閉鎖されて寂れてゐるだけだつた。周囲のレストランやレンタカーや民宿みたいなのも全部閉店状態。可哀想に。旧空港の前を通つて奥へ奥へ進む。しばらく行くと東西に走るやや太めの道に出た。右へ行けば納官辺りの国道58号に出るのは明白だ。左へ行くべきだらう。行きかけてすぐに気付いた。ここは前に通つたことがある。長浜海岸に行つた時に通つた道だ。あれは南種子を回つた帰りだつただらうか。納官小学校を越えてずつと行き、ウンコの臭ひが漂ふ平鍋に出た。前に長浜海岸に下りた場所だ。今日は海へは行かずにそのまま行く。前と同じく国道に合流。もうすぐそこが浜津脇だ。ここから寄り道といふのは激烈に困難だ。今日の旅は終りか。と思つたが、標識に右へ行くと16番と書かれてゐた。16番といふのは新空港がある方向だ。一寸行つてみることにした。急激に山の上まで行き、あとはサトウキビ畑ばかり。延々とどこまでも山とサトウキビ畑が続く。ずつと行くと、空港から下りて来る道と交差してゐた。その坂を下りると浜津脇の交番があつて星原小と雄龍雌龍の岩がある。もう寄り道も諦めるべきだらう。だが往生際が悪いので坂を下りずに牧川方面へサトウキビ畑を突つ走る。以前に叔母と祖母と3人で車で通つたことがある。入り組んだサトウキビ畑の奥で祖母の弟に遭遇してスイカをプレゼントしたのはいつだつただらうか。まだ叔母がゐたといふことは7月だな。畑の奥深くに入り込むとずつと同じ景色が続くのでどこにゐるか分からなくなる。しばらく進むとT字路に辿り着いた。見覚えがある。これは散歩コースだ。向う側から来て左側へ下りて行くと小学校の横に出る。iPodを聴きながら走つたり歩いたりして運動してゐたコースだ。突き当たりで山へ入るか海へ下りるかの2択になる道があつて当然のごとく海を選んで小学校に出たとか何とか書いた記憶がある。あの山へ向かふ方の道の奥へ行くと今日の道なのだ。いつもと逆方向に進んでうちの坂の上の十字路から下りて行く。初めて山の上から帰つて来た。

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