海の近くに住みたい
公開日時: 不明
髪が伸び過ぎた。種子島に来る前にいつもより短く切つたんだが、もう2ヶ月半も経つたのでかなり伸びてゐる。切りに行かねばならん。言葉が分からんのが不安だが何とかなるだらう。しかしどこへ行けば良いのか分からん。野間の方に上手い店があるとずいぶん前に祖母に教へられた。原付の持ち主の従弟もそこで切つたらしい。どこと比べて上手いと言つてゐるか分からんのが不安だが、恐らくこれまでの様子を見ると知り合ひが良いと言つてゐる店なのだらう。もしかしたら14年ぐらゐ前に亡くなつた祖父が行つてゐた店なのかもしれない。まあそこに行けば良いだらうと思つてゐた。しかし、それがどの店なのか分からない。種子島なんか人口が少ないから床屋も激烈に少ないと思ひ込んでゐた。しかし逆で、恐ろしい量の床屋や美容院があるのだ。市街地でない場所にも普通の民家みたいなところに看板が出てゐたりする。西之表の大通りだけでも何軒あるか分からない。野間にもかなりたくさんある。こんなにたくさんあつたら儲からんだらうに。島内に500軒はありさうな気がする。で、野間のどの店なのかね?別にどこでも良いけど。
親と叔父は午前の面会時間に合はせて病院へ。少し早めに出てAコープで買ひ物をするらしい。散髪が終つたら序でにバイクで病院に来いと言はれた。一緒に南種子で昼飯を食はうと言ふ。親達が家を出て少しの間ネットをやることにした。もうそろそろ秋だ。可児に帰らないと栗畑の様子が分からない。栗の収穫は順調なんだらうか。栗を食ひたい。お前ら気が向いた時だけでも栗を拾つてくださいよ。で、しばらくネットで遊んでたら携帯に親から電話が掛かつて来た。車をぶつけられたらしい。代車は赤い車だとか。そのまま病院へ行くらしい。この短時間で何が起こつたんだらうか。野間の街に入つてすぐのところに良さげな床屋があるからそこで切れと言はれた。JAのスタンドの向かひ側にあるあの店か。まあどこでも良い。
戸締りをして家を出た。親に勧められた店を見たら閉まつてゐた。休みかよ。仕方がないのでもう少し先へ。まづはガソリンを満タンにする。159円で安定してゐる感じ。常に高いな。郵便局を越えて野間小学校に行く交差点のところに床屋があつた。恐らく祖母が言つてたのはここだらう。ここに来るまでに何軒も床屋をスルーした。目の前に美容室もある。バイクを歩道の隅に停めて入店。客はゐない。早速切つて貰つた。言葉が分からないので世間話をされると困るんだが、この店の人は無口だつたので助かつた。3000円。何もかもが高い。
真つ直ぐ国道を南下して種子島病院へ。この道も何度も通つたな。意外と遠い。病院の駐車場の端にバイクを停め、3階の病室へ。熱が出てゐた時と比べると元気だが、俺が島に来た頃と比べるとかなり弱つてゐる。もう便所にも行けないぐらゐ寝たきり状態になつてゐるやうだ。夜中に高熱が出たりするらしい。取り敢へず昼飯を食ふことにして病室を出た。赤いボロ車に変はつてゐた。聞いたら、Aコープの駐車場で爺さんにぶつけられたらしい。後ろを見ずにバックして来て運転席の横に直撃したとか。恐ろしい島だ。親に勧められた床屋が閉まつてゐたことを話したら、親達が通り掛かつた時には3色のあれが回つてゐたらしい。俺が通つた時は回つてなかつた。店員の昼飯休憩だつたんだらうか。怖い島だ。
昼飯は南種子市街地の上中で飲食店を探す。しばらくグルグル回つて店を探し、ボロい定食屋に入つた。多少不安。だが客が続々と来るし、悪い店ではなささう。焼魚定食600円を食ふことにした。魚は鯖。まあ種子島と言へば飛魚か鯖だ。飯を食つてから病院へ戻る。祖母としばらく話してゐたら祖母が寝てしまつた。
宝満の池でも見に行かうといふことになり、3人でドライブ。また上中の方まで行き、上中の交差点を左へ。宇宙ヶ丘公園を探して彷徨つてゐた時に通つた道だ。あの時は途中で引き返したが、そのまま真つ直ぐ行くと宇宙センター入り口付近の波に侵食された跡がある岩山がある場所に出た。そこから宝満神社方面へ。道路から少しだけ池が見える。少し上つて行くと展望台がある。以前に自転車で南種子を回る観光客に遭遇した辺りだ。一応写真も撮つた。前に写したのと何も変はらない。どこかに池に下りて行く道があるはずだと叔父が言ふ。どう見ても山に囲まれてて道など無ささうだが、必ずどこかにあるだらうと言ふ。池に下りてみたいとは思ふが、深い山には入りたくない。取り敢へず少し引き返して宝満神社に行くことになつた。叔父も親も来たことは無いらしい。奥まで車で行つてそこから歩く。前に来た時は赤い灯篭が倒れてゐたが、今日は直されてゐた。境内の横に宝満の池が広がつてゐるが、そこから直接下りるのは無理に思へた。歩ける岸が無い。でもどこかから行けさうな気はする。叔父が池に行けさうな道を発見した。「池に行け」とか呟いてみたい。少し山道を通つて池の岸に出た。写真撮影。普通の池だな。山の中の神社なので蚊が多い。猛烈に刺された。蚊は今すぐに絶滅しなければならない。苦しんで死ね。
病院へ。病室を移すらしい。最初は2階だつたが、近くの病室の爺さんが叫ぶので3階に変へて貰つた。だが2階の方が看護婦が多いのでまた2階に戻るらしい。といふことは病状が悪化したといふことだらうか。叫ぶ爺さんはまだゐた。病院の人が気を利かせて少し離れた病室にしてくれたが、それでも叫び声は聞こえるだらう。しばらくして俺だけ先に帰ることにした。
長谷の交差点から西へ向かつた。島間港に行つて太陽丸の乗船券を買ふ場所等を調べる必要がある。島間港に行く道もハッキリさせておきたい。どこからでも南西に向かへば辿り着けるが、確実な安心が欲しい。長谷の交差点から真つ直ぐ西の方へ行つたらそのまま島間港に出た。この道が分かりやすいな。港内に入り、待合所といふ立て札の矢印に従つてウロウロする。あつた。交番みたいな恐ろしく小さい建物があつて窓に太陽とか何とか書かれてゐた。ここに違ひない。まあ今日のところは帰らう。
来た道を戻るのは嫌だ。違ふ道から帰ることにした。しばらく進むと横峯遺跡といふ標識が見えた。旧石器時代の遺跡が発掘されたらしい。当然見て行く。立て札に従つてサトウキビ畑の中に入つて行く。本当にこんな畑の中にあるんだらうか。デカい看板と石碑が建つてゐる場所にすんなり辿り着いた。だが、遺跡などどこにも見当たらない。その道を入るといきなり草が生ひ茂つてゐて歩きで奥まで行く気にはなれない。その左右に不自然に荒れた畑みたいな空き地がある。まさかこれか?いや、いくら何でもこれはないだらう。どこかこの近辺にあるはずだ。取り敢へず、念入りにその近辺を散策してみた。色んな場所に出てゐる標識や立て札に従つて色んな方向から走つてみる。標識や立て札に従ふと必ず石碑の場所に出る。やはりここなのか?他はどこを見てもサトウキビとサツマイモの畑になつてゐて、どこにもそれらしい土地は一切無い。このただの荒れた畑みたいな空き地が遺跡なのか?発掘が終了してそのまま何年も放置したのか?やる気あるのか?遺跡だとか言つて観光誌に載せたり標識を立てたりするなら観光客が来ても良いやうに整備しておけよ。これは一寸笑つた。種子島はやる気が無いんだよな。その気になれば観光で収入を増やせるだらうに。観光に力を入れてないから観光客は宇宙センターと門倉岬と鉄砲館しか知らないし来ないし、土産の食品も美味い物がほとんど無い。
横峯遺跡を出て真つ直ぐ行つたら何と上中に出てきた。上中の交差点を西に向かふと横峯遺跡を通過して島間に行くやうだ。こんなに南に来てゐたのか。帰りにまた病院に寄つて行かうかと思つたが、疲れてゐたのでそのまま帰ることにした。もう寄り道をする気力も無い。国道を真つ直ぐ北上。長い間走り続けて漸く家に辿り着いた。疲れた。夕日を浴びて雲が普段と違ふ色になつてゐた。記念に写真に収めておく。すげえ疲労感。2日連続で遠出したからな。しばらくして叔父が1人で帰つて来た。親は病院に泊まるらしい。もう祖母が入院して1週間以上も経つたんだな。早いもんだ。俺はいつ可児に帰るんだらう。コツコツと種子島観光を消化してゐるが、まだ行つてない場所がたくさんある。屋久島・鹿児島観光を素早くこなして10月中旬には帰らうなんて考へてゐるが、どうなるか分からない。こんなに長引くとは思つてなかつた。これは何か決定的なキッカケが無いと帰れないかもしれない。10月か11月に名古屋でやるライブのチケットを買つてしまふとか、自分を追ひ詰める何かが無いと帰れないやうな気がしてきた。
公開日時 | 不明 |
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URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20070918 |
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