海の近くに住みたい
公開日時: 不明
10時頃まで寝てゐた。9時には目が覚めてゐたんだが、昨日体を酷使したせゐか、全身のスジが痛んで動けなかつた。今日は祖母が四日潮と呼んでゐる大潮の日。干潮時に一番水位が下がる日だ。今日は祖母も貝を拾ひに行くらしい。叔父も行く。先端が鉤爪状になつた鉄の棒をクシと言ふのだが、ナガラメやアナゴ等のアワビ系の貝を岩から剥がすためにはそのクシが必要になる。だが2本しか無い。俺は海に関しては素人だし、水中眼鏡を使ふために普通の眼鏡は持つて行けないので貝を探す能力が極端に下がる。効率の面から言つて俺以外の2人がクシを使ふ方が遥かに良い結果が期待できる。といふわけで、俺は主にアカミナ等のカス貝を拾ふ役。まあ好きなやうに遊べば良いといふことだ。なので防水プロテクタを装着したデジカメを持つて行く。何か面白い物が撮れるかもしれない。今日は深いところまで行つて撮つてみるつもりだつた。といふか、深い場所でイセエビを探しまくるのだ。
今日の干潮は12時18分。11時頃に海へ。ずいぶん遠くまで潮が引いてゐて海までかなり歩かされる。貝類の移動速度は遅いので陸に取り残されるバカが多い。さすがに満潮時の岸の近くにはゐないが、沖へ向かつて行くと貝類や雑魚が結構ゐる。ヒトデやウニもゴロゴロゐる。あまり気分の良い物ではない。まづは水中眼鏡を着けて潜る。クサビが多い。アカミナはゐない。名前は分からんが雑魚の群れがゐたので写真を撮りまくつた。よく見かけるがこの魚は何なんだらう。緑色に光る雑魚。イワシは青だからイワシではない。
もう見飽きたかもしれんがクサビや名前も知らない熱帯魚やウニやらも撮影したので載せておく。いつも通りクリックすれば高解像度の写真が見れる。まあわざわざクリックしてデカい画像を見てる人はほとんどゐないだらうけど。
足が届かない深場まで行つてみたが、エビもゐないし、魚も同じのしかゐない。波が激しくて命の危険を感じるやうな場面もあつたが、必死に潜つて岩の下を探したりした。イセエビなどゐない。ウニしかゐない。どうなつてるんだ。蟹すらゐない。もしかしてイセエビは素潜りでは無理なほど沖まで行かねばならんのか?高校の頃に叔父が岸のすぐ近くの岩の隙間から2匹捕まへてたと思ふんだが。あの時は別に大潮でも干潮でもなく普通に海で遊んでて捕まへてたやうに見えたんだが。山人には分からん何かがあるのかもしれん。これは可児に帰るまで何年掛かるか分からんな。
デジカメ防水プロテクタの内部のレンズ部分が曇つてしまつた。乾燥剤の効き目が無くなつたらしい。海から出て乾かしてから開けて指で拭いてみた。皮脂や海水がついてますます白くなつてしまつた。乾燥剤の袋で拭いてみても上手くいかない。終つたな。家に帰つて真水で洗つて乾かしてからティッシュとかで磨かないとダメだ。今日の撮影はこれまでか。
何も獲物をGETせずに帰るわけには行かんので、アカミナがゐる場所まで歩いた。そこでアナゴを見つけてしまつた。見つけたからには何としても取らねばならん。でも道具が無い。また昨日みたいに諦めるしかないのか。いや、今日は意地でも取る。大きい石と石の隙間に張り付いてゐる。まづは手で無理矢理剥がさうとするが、やはり無理。色んな方向に力を加へて貝を疲れさせる作戦も無駄。石を拾つて横から何度も叩きまくつても無理。負けるわけにはいかん。必ず勝たねばならん。どうすれば良いだらうか。道具は何も無い。石も動かせない。イチかバチかの賭けに出た。この場所を必死に記憶し、一度岸に戻つて使へさうなゴミを拾つて戻る。同じやうな石が何万個もあるやうな場所を正確に記憶できるだらうか。遠くの岩を目印にして大体この辺だと記憶し、集中力全開で忘れないやうにする。岸でプラスチック片を拾つて振り返る。この絶望感。この広大な海でたつた1つのあのアナゴに到達できるんだらうか。別のアナゴを偶然発見するのではダメなのだ。あのアナゴを取らねば負けなのだ。取り敢へず戻る。目印の岩からの距離を記憶と照らし合はせて探る。大体この辺りのはずだ。だが岸に行つて戻る間に少し潮が満ちて感じが変はつてゐる。やはり無理だつたか。いや、俺ならできる。負けるわけにはいかんのだ。歯を食ひ縛りながら根性で探す。そしてつひに見付けた。プラスチック片を使つて何とかアナゴを1匹GET。勝つた。貝1匹のためにここまでするのですよ。
叔父がアナゴを結構たくさん捕獲してゐた。中に1匹ナガラメが混じつてゐた。日焼け止めを塗つたのに腕が少し赤くなつてヒリヒリする。死んだな。日焼けで赤く腫れる場合、時間が経つにつれてどんどん激しくなつて行く。海から帰つてすぐの時点でこの状態ならまた悲惨なことになる。それにしても、既にずいぶん黒くなつて自力である程度紫外線を防御できる状態のはずなのに僅か3時間程度海で遊んだだけでこんなことになるのか。日焼け止めの効果は3時間も持たないから仕方が無いのかもしれんけどな。でも腕の一部だけ変な模様みたいに赤くならずに白い場所がある。どうやら部分的に猛烈に日焼け止めが効いたらしい。可児に帰る頃には三毛猫みたいな模様になつてゐるかもしれない。これは綿密に計画を立てて上手く日焼けで陰影を表現すれば腕をピッコロ大魔王と同じに見えるやうにできるのではないか。日焼け止めを使つて人生を半分棒に振りながら面白い芸術ができるかもしれない。そんなことを真剣に考へたりする31歳。
正式な名前は忘れたが、親や祖母がバサミとか何とか呼んでゐた食へる蟹がゐる。足の数が少ないので蟹ではなくヤドカリの仲間だらうが、薄つぺらい蟹の形をしてゐる。体に青い線が入つてゐて、日が当たるとその部分が光る。大きさはかなり小さめで大きい物でも甲羅の幅は5cm無いだらう。昔はその蟹がたくさんゐた。今年は何故か全くゐない。この2ヶ月で3匹ほど見かけただけだ。昔は普通にミナを拾ひに行つた序でに大量に獲れたりしてゐた。前回種子島に来た時は冬だつたから海へは行かなかつたが、その前に来た99年の時点でもまだ普通に大量にゐた。でも今年は絶望的にゐない。祖母に聞いても急にゐなくなつたのを不思議に思つてゐるやうな感じだ。急激にゐなくなつたらしい。フグも激減した。潜つて見てもフグの姿が見当たらない。昔は大量にゐた。ミナを潰してエサにして釣りをするとクサビと半々ぐらゐで釣れた。フグはクサビ以上に針を飲み込むし食へない魚なので完全なる外れで邪魔者だつたが、今年は1匹も釣れないし姿もほとんど見かけないといふ異常事態。海で何かが起こつてゐるやうだ。生活廃水を垂れ流しにして海の環境が変はつたのではないかと思つて祖母に聞いてみたが、遥か昔から異変は始まつてゐたらしい。昔は昆布や若布みたいな海草が大量に生えてゐたらしい。今は石だらけの海になつてゐる。海草が無くなつてナガラメが育たなくなつたらしい。その海草が無くなつたのは洗剤を垂れ流す前の出来事らしい。一体何十年前の話なのか想像も付かんけども。何故海が変はつたのかは祖母にも分からないやうだ。外国の船が油を流すからぢやないかとか言つてたが、そんなことは無いやうな気がする。気候が変はつたのかもしれない。それにしても、蟹が急激にゐなくなつたのが不思議で仕方が無い。種子島人が生活廃水を垂れ流してゐるのはもう20年以上になるはずだ。ここ数年で急激にゐなくなるのはをかしい感じがする。で、俺が考へた仮説は、クサビが増え過ぎたのが原因ではないかといふ説。海に潜つて適当に写真を撮るだけでも1枚の写真に30匹以上写るぐらゐ異常にゐる。冷凍オキアミの撒き餌をすると海が青や緑に光りながらグネグネ動いて見えるぐらゐの数が集まつて来る。昔からこんなにゐたんだらうか。潜つて様子を見てゐると、石に着いたヘドロのやうな藻の残骸ですら群れて食ひまくるし、貝を潰して撒いても食ふしオキアミも食ふ。とにかく何でも食ふのだ。蟹はこいつらに食ひ尽くされてしまつたのではないか。卵から孵つて成長する前に食ひ尽くされてゐるといふのは容易に想像できる。長年かけて海藻類が無くなつたのもこいつらのせゐではないだらうか。あらゆる物を食ひ尽くして異常繁殖してゐるやうに思へる。いづれ食ふ物が無くなつて今度はクサビが激減することになるだらうが、もう元には戻らないやうな気がする。
今日は種子島の西側にある島々がクッキリと見える。近くにある屋久島さへも靄がかかつて全く見えないことも良くあるんだが今日は恐ろしくクッキリ見える。記念に撮影してみた。屋久島の脇にある口永良部島や、西の方にある火山のやうな硫黄島も見える。種子島の北西にある馬毛島もいつも以上によく見える。北を見ると、何と指宿の開聞岳まで見える。こんなに空気が澄んでゐるのも珍しい。さう言へば今日は皆既月食らしい。これだけ晴れてゐれば月食もクッキリ見えるだらう。ほとんど興味無いけどな。
今日は叔父の友人のカナダ人が種子島に来てゐるらしく、一緒に晩飯を食ふことになつた。祖母は留守番。飯後の薬をしつかり飲むのか猛烈に不安だ。夕方に電話が来て叔父が英語で話してゐた。7時に待ち合はせらしい。叔父は英語の練習のために英語を話してるだけで、日本語でも通じると言ふ。俺は英語は全く話せない。聞くのはある程度大丈夫だが。まあ英語で話さずに済むだらうとは思ふ。叔父の車で西之表港へ。港の駐車場に車を停め、鉄砲まつりのあつた辺りにあるホテルへ。受付の人に呼んで貰つたが電話に出ないのでロビーで待つことにした。少しして下りて来た。挨拶と自己紹介。日本語でもほぼOKな感じだ。
近くにある居酒屋に入つた。まづは梅酒を飲む。あとは適当に。結構高い。色々食ひまくつた。叔父が鹿児島で教師をしてた頃にそのカナダ人も一緒に高校で教師をしてゐたらしい。俺は聞いてるだけだが、時々政治とか近況とかの話を交へつつ主に学校関係の話をしてゐた。英語と日本語が2:3ぐらゐの感じ。ほぼ全部日本語で会話しても成り立つと思ふんだが、半々ぐらゐの使用頻度で話してゐた。時々電子辞書を使つて日本語を調べながら話したりしてゐた。普段全く聞かない英語でも会話の内容は何故かほぼ分かる。何で分かるんだらう。高校までの英語は文法や読解に重点を置いた短期間で英語の基本を習得する効率重視の学習だつたので会話や聴解はほとんどやつてゐない。当然英会話などできない。大学に入つてから多少会話や聴解に重点を置いた英語を勉強したりもしたが、ほとんど何もやつてゐないやうなものだ。でも何故か今日の叔父とカナダ人の会話はほぼ分かる。よく種子島弁よりも英語の方が分かるなどと言つて種子島弁の難解さを表現するが、本気で英語の方が理解できた。隣の座敷で騒いでゐる地元民の会話が全く理解できない。
大学生ですかと聞かれた。もう卒業したのかとか。大体その辺の20〜23歳辺りに見えるやうだ。ほとんどの種子島人にも大体その辺りの年齢に見られてきた。1週間半ぐらゐ前に来た人が母親の旦那かと聞いてきた時だけが例外。その人には俺が50前後に見えたんだらうか。さすがにそこまで老けて見えることは無いと思ふんだけどな。31歳と叔父が言つたら驚いてゐた。そんなに若く見えるんだらうか。まあ精神年齢の低さが外見にも出てるんだらう。とにかく飯を食ひながら、俺はほとんど聞いてるだけだつたけども色んな話をした。飯は叔父の奢り。3人で1万円近く行つてた。恐ろしい。震へるね。居酒屋は高い。外に出たら皆既月食はほぼ終る頃だつた。上の端の方が薄つすらと影になつてゐるだけ。今日は満月だからあの暗い部分が月食なんだらう。西之表の町は可児で言へば広見の大通りから少し奥に入つた薄暗い怪しい感じの町。こんな夜には人などゐないだらうと思つてゐた。電車も走つてないので駅も無い。客船もこんな時間には無い。地元民は早寝早起きだしな。恐ろしく閑散としてるんだらうなと思つてゐた。でも何故か結構人が多い。しかも結構若い感じの人。居酒屋とか寿司屋みたいな飲食店が少しあるだけなのに何でこんなに人がゐるんだらう。近くにあるパチ屋とカラオケ屋に集まつて来るんだらうか。
寝る時に体がモワモワ揺れる。足の届かないところで波に揉まれながら泳いだせゐだらう。脳が波の動きを無駄に記憶して脳内で再生してやがる。遊園地に行つた日の寝る時にジェットコースターの轟音が聞こえたり乗り物の動きを感じたりするのと同じやうなものか。なかなか眠れない。相当疲れてるはずなのに。
公開日時 | 不明 |
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URL | https://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20070828 |
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