海の近くに住みたい
公開日時: 不明
今日は急激に人が減る。6人も一気に減る。親達は20日までゐる予定だつたが、1日早く出て指宿に寄つて帰ることになつた。世間では19日まで休みといふ人が多いのかもしれない。宿の予約を取るのが大変さうだつた。また白水館に行かうと思つてゐたやうだが予約を取れなかつたらしい。とにかく、親達は1日早く帰ることになつた。親達と叔父の家族合はせて大人3人と子供3人が帰るんだが、車に全員乗るとそれで満員だ。港から車を持つて帰つて来る運転手の俺が乗れない。だから誰かバスで行く必要がある。叔母も昨晩西之表に置いてきたバイクを取りに行くらしい。今日は鉄砲まつりが西之表である。バイクで行くつもりだつたんだが、今日帰る人達と一緒に西之表に行つて車で帰つて来なければならなくなつたので、港に行つてみんなを見送つた後で1人で歩いて祭を見物して車で帰れば良いことになつた。親と叔母がバスで西之表に行き、他は車で行くことになつた。車で行く人が先に港へ行つて乗船手続きをして待つといふことになつた。
港はあり得ないほどの大人数だつた。駐車場もほとんど空いてなかつた。こんなに混雑するんだな。丁度リーマンの長期休暇が終るタイミングなんだらうか。座るところも無いほどの混雑だ。トッピーのところは人が多過ぎたのでロケットの場所で親達を待つことになつた。叔父の奥さんが奄美にも来てくださいと言つてくれた。行つてみたいんだが、行くタイミングが無い。海が綺麗らしいので行くなら夏だが、今夏は無理つぽい。さうなるともう行ける時が無い。親と叔母が合流し、船で帰る人達はみんな船に乗つた。叔母と俺だけ残してみんな帰つた。今年の夏で一番賑やかだつた時期も終つたな。
叔母は明日祖母と2人で鹿児島の大学病院に行く。その時の船の予約をするためにロケットの建物へ。俺は祭の見物だ。どこでやつてゐるのかは知らない。種子島は夏に色々な祭がある。それら全てをスルーして来た。8月4日に中種子町のよいらーいき祭があつた。夜には打ち上げ花火なんかもあつたやうだ。その頃は今来てゐる叔母の子供が来てたし叔父もゐたので祭に行くのかと思つてたんだが行かなかつた。8月5日の南種子町のロケット祭もスルーした。これは火縄銃を撃つたりする祭かな?夜は花火もある。この日は昼に宇宙センターや千座の岩屋へ行つたりしたが、祭は見なかつた。屋久島から帰つた翌日に、この近辺の地域の祭があつた。浜津脇港でやる盆踊りみたいな祭。準備もされてゐたやうだが、突然の豪雨で中止。弟と夕方に牧川港に釣りに行つて雨に打たれた時だ。まあさういふわけで、種子島に来てから祭には一切参加してゐない。今日の鉄砲まつりが一番デカい祭だらう。これだけは見ておかねばならんと思つてゐた。ポスターのスケジュールを見ると一部イベントの時間が重なつてゐる。別々の場所で色んなイベントをやるのかもしれない。それぞれどこでやるのかは全く書いてゐない。サンシードのところの道が通行止めになつて歩行者天国になるとか聞いた。そこで何があるんだらうか。何時に行けば良いのだらうか。港で帰る人達を見送つたのが11時過ぎ。
まづは時間的に太鼓山行列といふのを見るしかない。どこでやつてゐるのですか。観光客も多いはずだから、人が多いところに行けば良い。だが、全く人がゐない。取り敢へず船着場から出て市街地へ向かつてみた。やはり人がゐない。まづはサンシードに行つてみる。人がゐない。本当にこの近辺で祭があるのか?西之表の祭だが、やるならこの港周辺の市街地だらうと思ふ。それ以外の場所でやるなら探し当てるのは不可能だ。島の上半分全部西之表市だからな。必ずこの近辺でやつてゐるはずだ。でも見つからない。人が集まつてゐるやうな気配も無い。祭をやつてゐるやうな音も聞こえて来ない。船着場からサンシードまで結構な距離がある。恐ろしく疲れる。かういふ日に限つて恐ろしいほどの晴天だ。日焼け止めを塗つて帽子を被つてゐるが、それでも焼き殺されさうな感じだ。太鼓山行列といふのは一体何なんだらう。どこかを大勢で練り歩いてゐるんだらうか。どこにゐるのですか。どうやつて探せば良いのですか。とにかく歩くしかない。サンシードの裏の道を港の方へ引き返す。ここが西之表の市街地か。可児の広見商店街ぐらゐの規模に思へる。市街地全体の広さも広見ぐらゐの感じかな。全く都会ではないな。
港の奥の漁港まで行つてみた。派手な旗をつけた漁船が大量に港にゐる。何か船でやるのかもしれない。12時からの港まつりといふやつだらうか。もうすぐ12時。先にこれを見るべきか。いや、もう少し太鼓山行列を探さう。漁港の奥の方にあつた自販機でアクエリアスを買ふ。水分が恐ろしい勢ひで流れ出てゐる。脱水症で死ぬぞ。取り敢へず自販機を撮影。HOTありますといふシールが貼つてあるが当然ホットなど無い。
再びサンシードの方へ。サンシードとダイワの間に川が流れてゐる。その川沿ひに木が立つてゐて日陰になつてゐる。そこで休んでゐる人達がたくさんゐる。この辺りで何かやるんだらうか。それとも単に日陰で休んでゐるだけだらうか。もう港まつりが始まる時間だ。また港へ戻らうと思つた。相当歩いてるな。橋の上から川を見た。魚がたくさんゐる。食へるんだらうか。岸の近くのテトラポットに魚の群れがゐた。牧川港とかでよく見る魚だ。ルアーには全く反応しない魚。しばらく眺めてゐたらテトラポットに生えた藻を群れで貪つてゐた。なるほど。ルアーやオキアミでは釣れない魚だつたのか。魚種は相変はらず分からない。
汽笛が鳴り響く。派手な旗をつけた漁船が続々と沖へ出て行く。港まつりといふやつか。サンシードから港まで1kmはあるだらう。何度行つたり来たりしてゐるだらうか。相当な距離を歩いてゐる。死にさうになりながらトッピー乗り場へ。ここから1時間動かなければ良かつたんだな。太鼓山行列は結局見つけられなかつたし。港では漁船が競艇みたいにグルグル回つてゐる。ただ漁船が回るだけなのか。30隻ぐらゐの漁船が港内の広い範囲をグルグルグルグルいつまでも回り続けてゐる。取り敢へず写真撮影。しかし見物客がほとんどゐない。デカいカメラを持つたオッサンが1人。どこか別の場所にもつとよく見える場所があるんだらうか。港に沿つて町の方まで歩くことにした。どこからでも同じやうに見える。所々に観光客か地元の人か分からんが見物してゐる人がゐる。でもやはり少ない。別の場所からまた写真を何枚か撮影。ふと川の方を見ると凄い人数の見物客が集まつてゐた。行くしかない!急げ俺!
ダイワ側の河原に神輿を担いだ白装束の団体がゐて何か叫んでゐる。太鼓山行列だ。どこかを練り歩いてきて、どうやらここで最後の見せ場があるらしい。サンシード側の岸から近づきながら写真を撮る。見物客の話を盗み聞きしたら、どうやら向う岸から川を渡つて来るらしい。サンシードのすぐそばにある階段を昇つて道路まで出てくるやうだ。といふことは俺はなかなか良い場所にゐる。しかも丁度川に入り始める見せ場のシーンに遭遇できた。良過ぎるタイミングだ。少しづつ川に入つて渡つて来る。結構深い気がするんだが渡れるんだらうか。まあ干潮の時間に合はせたりしてるんだらう。漸く祭らしい現場を見ることができた。俺のすぐ目の前に神輿が上がつて来る。
サンシードの前の道まで上がつて神輿を下ろして休む人達をしばらく眺めてからサンシード内へ。暑過ぎるんだよ。マジで焼き殺されさうだ。太鼓山行列はこれで終りなんだらうか。まだ続くんだらうか。ポスターに書いてあるやつを見ると14時までになつてゐる。もうこの先はやるとしてもただ神輿を担いで歩き回るだけだらう。ついて行つても熱射病で死ぬだけだ。少し休まないと本当に死ぬ。海に落ちたみたいに汗で濡れてゐる。水分補給も必要だ。といふわけでサンシード内の自販機で飲み物を買つて飲む。3階に回転寿司の店があつたんだな。客が多い。その店の前の窓から川がよく見える。しばらくそこで休んでから3階の小さい本屋へ。釣りの雑誌を立ち読み。冷房で汗を乾かす。もう疲れた。帰りたくなつてきた。でも鉄砲まつりを見に来たからには火縄銃を撃つところを見ないといけない。南蛮パレードといふやつがそれだらう。どこでやるかも探さねばならんな。
1時間ほどサンシード3階の本屋で釣り雑誌を立ち読みした。まだ南蛮パレードまで時間はあるが、早めに場所を探しておいた方が良い。神輿を見物してた客がまだ外にゐるだらう。それについて行けば大丈夫だと思つてゐた。しかしいつの間にか人が全くゐなくなつてゐた。サンシード3階の回転寿司はいつの間にか準備中になつてゐて中には誰もゐない。外の神輿も当然無くなつてゐるし、見物客も全くゐない。これは拙い。自力で祭の場所を探さねばならん。また歩くのですか。取り敢へず死にさうになりながら港へ向かふ。何も無い。祭の気配すら感じられない。人もゐない。川沿ひの木陰には数人ゐるが、あまりにも数が少ない。祭を待つてゐるやうには見えない。あれだけゐた人達はどこへ消えたんだらう。南蛮パレードまで時間があるから一度帰つたんだらうか。
港近辺まで行つてみたが何も無い。また引き返す。歩き過ぎ。死ぬぞ。一体何km歩いただらう。もう何往復してるか自分でも分からん。ダイワへ行つておにぎり2個とポカリスエットを買つた。川沿ひの木陰で飯を食ふ。すげえ疲れた。もうダメかもしれん。だが南蛮パレードを見るまでは帰るわけにはいかんよ。今回を逃したらもう一生見れないかもいれない。別にそんな必死になつてまで見たいものでもないんだが、ここまで来たら見るしかないだらう。少し休憩してから海沿ひの道よりも一本奥に入つた道を歩いてみる。西之表の商店街だ。どんな店があるのかも大体覚えてしまつた。サンシードの前で24時間テレビの募金をやつてゐた。今日種子島で一番人が集まる場所を狙つてゐる。ここが一番金が集まるだらう。上手いタイミングで祭があつて良かつたな。俺は募金しない。貧乏だし、そもそも何に使はれる金か分からんしな。日本のマスコミは何よりも信用できん。最終的な場所に全国から集められる過程でバカなバイトが横領したりするかもしれんしな。募金するなら直接ユニセフとかに自分で募金するよ。漁港の近く、一番西の端の方にパイプ椅子が並べてあつた。そこで何かあるんだらう。ここで待てば良いのだらうか。近くの公民館に太鼓山行列の人達が神輿を解体してゐた。ジュースを飲んだりしながら行つたり来たりウロウロして様子を探る。どうやら漁港近くの西の方にあつたテントの場所からパレードが始まるやうな気配。着物を着た鉄砲隊の人達が時々外に出て来たりしてゐる。だがまだ始まるまで相当時間がある。近くのコンビニみたいな店でお茶を買ふ。凄い勢ひで水分を補給してゐる。飲み物だけで既に1000円近く使つてゐる。
パレード出発地点と思はれるテントのある交差点の少し南で待機する。どこからか人が集まつてきた。道を挟んで東側は鉄砲隊、西側はハッピを来た来賓が座つてゐる。テレビ局のカメラも来た。24時間テレビで放送するんだらうか。夕方のニュースで流すんだらうか。周りの道路が通行止めになつて車を迂回させ始めた。もうすぐ始まる。
開会式典みたいなのが始まつた。種子島だけでなく、どこか別の場所から来た鉄砲隊もゐた。3組の鉄砲隊が順に開会の合図で鉄砲を撃つ。交差点で南側を向きながら。銃身をこつちに向けるな。弾は入つてないだらうが、銃を向けられるのは生きた心地がしない。真正面のベストポジションにゐたんだが、怯えて斜め前の位置に微妙に移動した。それにしても、太鼓山行列と言ひ火縄銃と言ひ、運の悪い俺にしては偶然にも素晴らしい場所にゐる。これは何か悲劇の前兆だらうと思ふよ。狙はれてるからな。
3組の鉄砲隊の代表者がそれぞれ1発づつ撃ち、それから祭の主催者代表みたいな人の挨拶。来賓を紹介したり祝電を読んだり。何故か岐阜の各務ヶ原市長から祝電が来てゐる。何か縁があるんだらうか。長い前振りを終へてつひにパレード開始。3組の鉄砲隊が、隊ごとに全員で一斉に撃つ。今度はサンシードのある東側を向いて。凄い爆音だ。ほんの一瞬のタイミングを逃さず、奇跡的に鉄砲が火を噴いてゐる写真を撮ることができた。運が良過ぎるのが怖い。これも鉄砲隊の真横から撮れるといふ奇跡のポジションだ。テレビ局のやつらと同じぐらゐ良い場所にゐる。
鉄砲隊の射撃が終り、パレードの先頭が西の方から出て来た。まづは地元の小学生の吹奏楽部。船の張りぼてをつけた軽トラに人が乗つてゐたり大名行列みたいなのが来たり、なかなか派手だ。思つてゐたより立派な感じの祭だ。意外と凝つてゐる。鉄砲伝来の時の大名に扮した人やら、その家来の役の人やら、色々と仮装行列が続く。行列に近づいて写真を撮つたりしてゐてふと後ろを見たら、存在を完璧に忘れ去つてゐたテレビカメラがこちらを向いてゐた。拙い!鹿児島テレビだらうか。24時間テレビで全国に流されるのか?鹿児島ローカルのニュースで晒されるだけで済むのか?頼むから俺が映つてしまつたところはカットしてくれ。何で俺がこんな目に遭はねばならんのだ。
しばらくして手踊りのパレード。地元の婦人会とか農協の団体とか病院の団体とか九州電力の団体とか種子島高校の生徒とか、種子島中総出で手踊りパレードだ。凄い人数だな。踊つてゐる人と見物してゐる人を合はせると相当な人数の島民が集まつてゐる。観光客はあまりゐないやうな気がする。時々変なも混じつてゐる。最後の高校生の団体の時、流れてる曲と進行状況が合はなくなつて少し走らされてゐた。長いパレードだな。先頭はどこまで行つただらうか。
手踊りパレードが終り、次は宣伝パレード。地元の企業やら何やらが、それまでと同じやうな手踊りをしながらパレードする。団扇やらティッシュやらを見物客に配つてゐる。先頭はサンシード。次はダイワ。タバコの会社やホテル等が後に続く。本当に長いパレードだな。客もいつの間にか滅茶苦茶増えてゐる。熱射病寸前。でももうすぐ日が落ちて涼しくなるかもしれない。もう少しの我慢。かなり限界に近い。足が痛い。汗が止まらない。10km近く歩いたやうな気がしないでもない。港に来たのは朝なのにもう夕方。すげえな。この後数日は寝たきりになるかもしれない。
宣伝パレードの後は太鼓でフィニッシュ。トラックの荷台で太鼓を叩いてゐる。長い長い行列はどうやらこれで終りらしい。なかなか派手な祭だつた。この南蛮パレードの後に演芸大会といふのがあるらしい。もうそこまで見る気力も体力も無い。このパレードを最後まで見て帰らう。もちろん夜まで待つて花火大会を見ることもない。すげえ疲れた。可児の夏祭りなんかより種子島の鉄砲まつりの方が祭りつぽくて良いな。あと少し。取り敢へずパレード出発点でパレードの全てを一通り見た。
サンシードの裏の大通りをゆつくりとパレードが進んで行く。沿道は見物人で溢れてゐる。パレードを追ひ掛けるのが困難なほどに見物人がゐる。一本海側の道へ出て早歩きで東へ進み、途中でパレードをやつてゐる通りへ出て写真を撮つてみたりする。「春・秋ウコン」といふ垂れ幕にキュピーンと反応して思はず撮影してみたりする。そんなことを繰り返してゐたら、サンシードのところでまた鉄砲隊の射撃が始まつた。またしてもなかなか良いタイミング。ただし微妙に気付くのが遅れたために鉄砲隊の真後ろといふあまり良くないポジション。まあ前と横は見たから今度は後ろでも良いかもしれない。
適当にパレードを先回りしてティッシュやら団扇やらを何度も貰ひながら写真を撮る。行列はサンシードを越えて橋を渡り、ダイワの前の大通りを南に進んで行く。途中で曲がつて近くにある学校みたいな建物に続々と入つて行く。どうやらそこが終点らしい。太鼓が終点に着くまで見届けてから帰ることにした。長いパレードだつた。長い1日だつた。
まだ終らない。まだここからが長いのだ。車はトッピー乗り場の近くの駐車場にある。そこまで1kmほど歩かねばならん。この瀕死の状態でまだ歩くのか。自販機でジュースを買ひ、死にさうになりながら港へ向かつて歩く。足が痛い。無事に帰り着ける気がしない。車の運転もまだ不安がある。家まで15kmぐらゐだらうか。まあ大丈夫だとは思ふが、多少不安がある。何にしても帰らないわけにはいかない。とにかくまづは車まで歩かねば。すげえ疲労。屋久島の縄文杉を見に行かねばならんからこの程度で死ぬわけにはいかん。良いトレーニングだと自分に言ひ聞かせながら歩く。苦労して駐車場に辿り着いた。
まだ祭の参加者や見物人が街中をウロウロしてゐるので危ない。港沿ひの安全な道を慎重に走る。無事に人を轢かずに西之表市街地を出た。あとは国道58号を真つ直ぐ走るだけ。でも狙はれてる俺が無事に帰れるとも思へない。俺の前に遅い車が走つてゐた。まあゆつくり帰れば良いと思ひながらも、あまりの遅さにイライラする。しばらくして、その遅い車の前にさらに遅い車が入つてきた。あり得ん。原付でも余裕で追ひ抜けるぐらゐのスピードだ。何故時速30kmで走るのか意味が分からん。制限速度50km/hの道を30km/hで走るのは迷惑だぞ。しばらく走り、道を譲る気になつたやうで突然左ウインカーを出して脇に寄つた。俺の前の遅い車もさすがにイライラしてゐたやうで、抜いて行つた。だが俺は抜けない。カーブが近づいてゐて対向車が来る危険があつた。次に見通しの良いところが来たら追ひ越さう。もうすぐカーブが終る辺りでまたウインカーを出して寄つてくれた。行けといふことか。まだ俺は前が見えてないんだが、信用して良いのか?横に出ながら加速し、カーブ終了と同時に対向車線が見えた。来てるぢやねえかよ!殺す気か。キュッとブレーキを踏んで遅い車の後ろに入る。死ね。もう他人なんか信用しない。完璧に抜ける場所に出てから猛烈に抜いてやつた。ウンコ食つて死ね。
一寸危ない場面もあつたが、何とか無事に家に帰り着いた。もう18時。叔母もバイクで帰つて来てゐた。晩飯を食つて風呂に入つてすぐに寝る準備ですよ。明日は5時起き。祖母が大学病院に行く日なので港まで早朝に送つて行かねばならんのだ。こんなに疲れてゐて起きれる気がしない。疲れてない時でも無理なのに。かういふ時は疲労が激し過ぎて睡眠を維持できない状態になることに期待するしかない。目覚まし時計をセットして寝る。と言ひつつ24時間テレビを無駄に見たりして。
公開日時 | 不明 |
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