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犬土偶日記

海の近くに住みたい

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2007年08月11日

犬土偶旅行記 40日目 さらば屋久島

公開日時: 不明

今日は屋久島観光はしない。1日ダラダラと過ごす。土産屋を覗いたり昼飯を食ひに行つたり民宿でくつろいだり。夕方の船で帰るので無理すればどこか観光に行けないこともないが、今日はゆつくり過ごすことになつてゐた。

昼飯は近くのラーメン屋。角煮ラーメンの黒麺が一番売れてゐるらしい。それを食ふことにした。豚の角煮がやたらとデカい。それだけで満腹になりさうだ。具は脂全開な感じだが、汁はアッサリサッパリした醤油系。でもやはり味が甘い。甘いといふことは糖分が多いといふこと。糖分が多いといふことはすぐに満腹になるといふこと。なかなかキツい。祖母が角煮ラーメンの白麺を食つてゐたが、食ひ始める前に俺と弟の丼に麺を半分以上入れてしまつた。ますますキツい。無理して完食したが、相当キツかつた。味はまあまあか。黒い麺が珍しい。色々と珍しい物を食つてゐる。

土産物屋へ。みんな色々買つてゐたが、俺は何も買はなかつた。まだ可児に帰る予定は無いから、食ひ物を土産として買ふのは無理。食ひ物以外も、どうせまた屋久島に来るからその時で良い。種子島に帰つてから自分で食ふ物も、別に食ひたいと思へるやうな物が無かつた。菓子の試食をいくつか食つてみたが、あまり美味くなかつた。屋久杉で作られた物が恐ろしく高い。だがなかなか良い。屋久杉製品は色々と欲しい物があつた。でも高過ぎて買へない。小さい湯飲みが数千円とか、貧乏人が買へるわけがないだらう。明らかに余つた木材だらうと思へる小さい木片が何故か600円とか800円とかで売つてゐる。何に使ふのかも分からない。何十万もする屋久杉の壺とか売れるんだらうか。

屋久島のAコープで飲み物を買つて一度民宿に戻つて雑談。弟がゐる間にまたバーベキューをやらうと祖母が言ふ。今日帰つてからやることになり、種子島で留守番してゐる叔母にナガラメを解凍するやうに電話してゐた。明日疲れが取れてからやれば良いのに。しばらくくつろいでから帰る準備。戸締りをしたりして裏口から出る。裏口は鍵を掛けなくて良いんだらうか。裏口を開けてたら意味が無いと思ふんだが。観光客が多くて治安も悪さうな気がする。宮之浦港から16時20分のトッピーで帰るので15時過ぎに出た。レンタカーを返す前にガソリンを満タンにする必要がある。種子島で見たニュースで今が一番ガソリンが高いと言つてゐた。ガクガク震へながらガソリンを入れる。25.05リットルで4008円。1リットル160円だつた。さすが離島。レンタカーは港の駐車場に返し、乗船場へ。

港の土産物屋で美味さうな菓子を見つけた。タンカン餅といふやつ。餅の中にマシュマロとタンカンゼリーみたいなのが入つてゐる。それと、屋久島の芋焼酎を買つた。37度の焼酎。何となく珍しい。どこに行つても三岳といふ焼酎が入荷数が少ない感じだつた。どこでも売つてるんだが、それだけは1人何本までと必ず書かれてゐる。それは買はない。あまり興味が無い。25度の芋焼酎なら種子島のと大差無いだらう。37度が珍しい。あとはパッションフルーツプリンとタンカンプリンを食つた。パッションとタンカンのプリンは大外れだつた。大概かういふ土産の菓子は不味い。当たりは少ない。タンカン餅は当たりだつた。

船に乗る前に酔ひ止めを飲んだ。いつもと違ふやつだつた。オレンジ味だつた。これが全然効かないやつだつた。台風のせゐで波が高いといふのもあつたかもしれないが、結構酔つた。他の薬と違つて眠気もなかなか起こらない。それでも寝た。寝るのが一番良い。無事に種子島の西之表港に到着したが、異変が起きてゐた。何と祖母が別人のやうに弱つてゐる。宮之浦を出るまでは普通に元気に歩いてゐたのに、船の2階から下りる階段を右向きで手すりにしがみつきながらゆつくり下りてゐる。左足を1段下ろしてから右足で同じ段に下りる。しかも遅い。こんなに弱つた祖母を見たのは初めてだ。何が起こつたんだらう。叔母や親が言ふには、船に酔つて吐いたらしい。酔ひ止めは効かなかつた。薬ごと吐いてしまつたのでダメだつた。そもそも効きが悪い薬だつた。

まるで100歳の老人のやうに見た目も弱々しい感じになつてしまつてゐた。歩くのが異様に遅い。待合室まで何とか苦労して辿り着いたが、いきなりベンチに横になつて寝ようとしてゐる。船酔ひぐらゐでそんなになるのか。歩き過ぎた疲労が今頃出て来たのかもしれない。あまり飯を食つてないからエネルギーも尽きたんだらう。車に全員乗れないので、まづは親と叔母がサンシードかダイワにバーベキュー用の肉を買ひに行くことになつた。その間に俺と弟は叔父に家まで送つてもらふ。祖母は買ひ物について行つてどこかで休むことになつた。

家に帰つてすぐに牧川港まで釣りに行つた。台風の影響か、風が激烈に強くで波が荒過ぎる。防波堤の奥で3人ぐらゐ釣りをしてゐる人がゐた。珍しいな。ここで別の釣り人に遭遇したのは初めてだ。だが釣れてないやうだつた。俺も釣れない。魚影も無いしアタリも無い。釣れる気がしない。メッキでも釣つてバーベキューで焼かうかと思つてゐたが諦めて帰ることにした。

ずいぶん遅く叔父と叔母と親と祖母が帰つて来た。祖母がますます弱つてゐた。車を降りてから家まで辿り着けない。家の入り口の道路に寝て動かない。船酔ひが治らず、その状態でさらに車に酔つたらしい。こんな状態でバーベキューなんかできんだらう。布団敷いてくれと言はれ、急いで祖母の部屋に布団を敷く。叔母と親が苦労して家の中まで連れて来て寝かせてゐた。これはもうバーベキューどころぢやない。何でこんなに弱つてるんだらう。酔つて気分が悪いといふ感じではない。死にさうな状態に見える。重病だがこんなに急激に死んだりするやうな病気ではないはずだ。

バーベキューは当然中止になるんだらうと思つてゐた。祖母の容態が悪くて帰つて来るのも遅くなつたから、すぐに暗くなつてしまふ時間だ。看病もしないといけないだらう。だが、叔父が庭で炭に火をつけてゐる。やるのか。親も肉を用意してゐる。ナガラメを解凍したからやるしかないのか。炭に火をつけて肉を準備して焼き始める頃にはだいぶ暗くなつてゐた。外に灯かりは無いので暗くなつたら終りだ。これはかなり厳しい状態。といふか、既に肉が焼けてるのか生なのかすら識別できない。キュピーンと閃き、屋久島登山用に買つておいたヘッドライトを装着して肉を食ふ。俺が狙つてゐる肉がモロバレ。俺が余所見をすると他の人は何も見えなくなる。どの肉が焼けてゐるのか調べるために首を動かしながら満遍なく照らす。俺が照明になつてゐる。暗闇で静かにバーベキュー。何だか不思議な光景だ。

祖母に熱があると叔母が言ふ。体温計を探して計つたら40度近い熱が出てゐたらしい。全く動けない。本当に死にさうだ。白谷雲水峡で歩いたのが拙かつたのではないか。単に船に酔つただけとは思へない。飯を食はないといふのも原因の1つだらう。無理せず家でおとなしくしてゐた方が良かつたのかもしれない。医者に白谷雲水峡を歩いたと言つたら怒られるかもしれんな。

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URLhttps://orca.xii.jp/br/diary/diary.cgi?id=dogoo;date=20070811
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