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話題:種子島旅行記(2006年2月)

2006年02月24日

種子島旅行記 8日目 〜帰還〜

公開日時: 不明

11時10分の飛行機で帰る。バスは9時41分か10時3分だ。ギリギリで行くと危険なので9時41分のバスで帰る。早起きして飯を食ってTVを見た。フィギュアで荒川が金を取ったらしい。ロシアの選手が強いとか言ってたのにすげぇなと思ったらロシアの選手は転倒したらしい。偽ミキティはダメダメだったらしいな。4回転は結局成功しなかったようだ。本番で成功したことあるのか?元々成功率は低いようだが。種子島の最後の飯を食ってから便所に大量のウンコを葬った。恐ろしい量だった。さすがに毎日3食も食っておやつとかも食ったりしてたから放出量が半端じゃない。全部吸収すればいいのにほとんどウンコになってる気がする。着替えて荷物を全部片付け、忘れ物がないか何度もチェック。祖母は朝から畑仕事をするようだ。畑仕事が楽しくて仕方ないんだろうな。次はいつ来れるんだろう。まず間違いなく次は新空港だな。次は夏に来ようと思う。短い1週間だった。密かに全身筋肉痛。特にふくらはぎがヤバい。坂が多い。平地がほとんどない。普段の俺とは比べ物にならないほど動いた。過労死寸前だ。バスの時間が迫ってきたので早めに家を出ることにした。前日みたいに置いていかれると拙い。生きてる間にまた来いと何度も言われた。滅多に行かないから本当にこれが最後になるかもしれない。バス停へ向かう途中で振り返ったら祖母がずっとこっちを見てた。バス停で10分ほどバスを待つ。坂の下にある親戚か知り合いかよくわからない近所の人が出てきたので挨拶した。親は店に走っていって店の人に挨拶しようとしてたが開いてなかったので戻ってきた。そして近所の人とバスが来るまで雑談してた。バスが来たのでお別れ。もうしばらくここに来ることはない。まだ居たかった。バスの整理券を取り、海を眺めながら空港へ向かう。天気は曇り。何度も何度も通った道を通る。空港まで一直線。未練がましくいつまでも景色を眺めてた。

空港に着いて470円払い、バスを降りる。まずは搭乗手続き。荷物も預ける。でもギターは預けない。1時間ほど余裕があるので土産を買うことに。弟に頼まれた焼酎を買わねばならん。焼酎だけ送ると送料がもったいないので、菓子類を追加した。3日ほどかかるかもと言われたが、自力で持ち帰るのは不可能だ。カバンとギターがある。これ以上は持てない。土産を買って送る手配をし、飛行機を待つ間に空港内を撮影した。この空港は3月15日で役目を終えて閉鎖する。もうたぶん二度と来ることはない。

種子島空港ロビー 種子島空港売店1
種子島空港売店2 搭乗待合室

時間が近づいてきたので搭乗待合室(上の写真右下)へ。手荷物の検査がある。今まではポケットの中身も全部出してたけど面倒だったのでギターを渡すだけで通過。原付のキーとかiPodとかで反応するかと思ってたけど無反応。壊れてるんじゃないのか?昔はベルトのバックルにも反応してたのに。ギターを受け取って待合室で待つ。飛行機の準備ができたので飛行機へ。小さい飛行機なので歩いていって直に乗る。右側は2列あるが左側は1列しかない。そして恐ろしく狭い。通路も狭いし座席の間も狭い。すげぇ窮屈だ。俺の席は10B。ほぼ一番後ろの右側の通路側。親は10Cで窓側。でも俺が窓側に座る。乗り込んでみたら俺の席に既にじいさんが座ってた。どういうことだ!まさか空港のミスで同じ座席に重複予約したとかいう最悪な狙われ方か!?とガクガク震えてみた。そしたらただじいさんが9Cと間違えただけだった。おどかしやがって。無事に座席に着いて離陸を待つ。行きは満員だったのに帰りは激しく空席祭。やっぱり行きはロケットで混雑してたんだな。何もない島だからロケット打ち上げが終わったらみんな速攻で帰ったんだろう。1週間後はこの有様。墜落して全員死んでも犠牲者は15人程度か。大したニュースにもならんな。行きの飛行機では離陸時にiPod聴いてて注意されてしまったので今回は我慢する。というか狙われてるから無事に帰れる気がしない。余計なことはしない方がいい。そして離陸。さらば種子島。恐ろしい勢いで加速して一気に飛び立つ。揺れが激しい。急激な気圧の変化で脳がモワモワする。これでパイロットが気絶したりしたらどうなるんだ?こんな小さいプロペラ機でも自動操縦なのか?小さい飛行機だからパイロットは1人だ。その1人が突然死んだりしたらどうなるんだ。全自動ならパイロットは必要ない。でもいるってことはちゃんと人間が操縦してるんだろう。やっぱりここでパイロットに死なれたら客は全員終わりか。怖ぇな。どんどん上昇して窓から島が見える。やっぱり来る前に思ってたより広い。当たり前か。そんな簡単に原付で1周できるほどの小島なら島民のほとんどが親戚になってしまう。離陸してすぐ島の北西の海岸線に沿って北上。野間から牧川の辺りも見えた。近所にあった岩のところの駐車場が独特な形なのですぐにわかった。祖母の家の辺りも見える。デジカメで撮影しようと思ったんだが、ベルトが邪魔でポケットから出すのに手間取った。とにかく飛行機内は狭い。苦労して取り出した頃には左へ旋回して俺が座ってる右側の窓からは角度的に見えない状態になったので諦めた。鹿児島まで30分ちょっと。途中でスチュワーデスが飴を配りに来る。短時間の飛行なので飲み物のサービスはない。日本エアコミューターのロゴが入った飴を貰った。中身はラムネと飴を張り合わせたようなやつでレモン味。揺れが激し過ぎてまたまた酔った。ダメだ。このプロペラ機はヤバい。アホみたいに気持ち悪い。上昇・下降時も斜めにゆっくり行くんじゃなくてガクン、ガクン、と急激に、しかも何回かに分けて階段みたいに行く感じで、そのたびに急激な気圧差で気分が悪くなる。ちょと風が吹いたり雲に当たったりするだけでも相当揺れる。プロペラの音と振動も気分が悪い。早く着け!なんか脳だけでなく体中がモワモワする。そんな調子で気分悪くなりながらも何とか無事に鹿児島に到着。アホみたいに晴れている。

帰りの飛行機飛行機を降りて空港の係員に誘導されながら出口(建物の入り口)に案内される。外を歩いて建物に入る。親がさつま揚げを買うというので、一旦出ることになった。ハイジャック防止のためここから出たら戻れませんと書いてある出口を出て土産物屋へ。揚立屋とかいうところのさつま揚げが美味いらしい。俺も1500円のを1箱。賞味期限は4日間。ここで買った物は手で持って行かねばならん。大変だ。帰りはカバンとギターとさつま揚げと滞在中に近所の人に貰った鯖の開きを持って原付だ。大丈夫かな。鯖は種子島空港で預けたから名古屋までは大丈夫。そこからは大変だ。屋久島のたんかんが鹿児島にも売ってた。でも種子島の2倍以上の値段。1箱5000円以上ってアホだろ。誰が買うんだ。鹿児島空港で昼飯を食う予定になってたが、あまり時間がなかったのと、何よりアホみたいに腹が減ってなかったので小さいサンドイッチを買って食う事になった。ジュースの自販機の横にパソコンが置いてあった。インターネット15分100円とか書いてあった。そんなのもあるんだな。俺たちが乗る飛行機の到着が少し遅れた関係で、機内の作業も遅れてなかなか乗らせてもらえなかった。目の前に飛行機があるのに中では準備中。とりあえず自分が乗る飛行機を建物の中から撮影した。左右3席ずつで21列ある。夏はもっとデカいのにな。乗客数の関係か。結構遅れて搭乗案内があった。障碍者とか妊婦とかの優先搭乗の後に後ろ半分の客を乗せる。俺たちは真ん中ら辺より少し後ろの左の窓側。既に子供連れの客が通路側に座ってたのでどいてもらって席に着く。その前にギターを上の棚に入れようとしたらスチュワーデスが楽器ですか?と聞いてきた。壊れる可能性があるから座席の下に置けだって。もうすぐ離陸。機内アナウンスによると名古屋は雨だそうだ。鹿児島はウザいほどに晴れてるのに。シートベルトを着けて機内誌を読みながら離陸を待つ。飛行機は嫌いだ。毎回死に怯えながら乗っている。気分も悪くなるしな。機内誌の通販みたいなのって買うやついるのか?カタログと申し込みハガキがついてるんだが、何もかもが高い気がする。時計とかバッグとかわざわざ飛行機で買わんでもいいだろ。ついに離陸。スチュワーデスが救命胴衣や酸素マスクの使い方を説明している。そういうのを使う事態にはならないで欲しい。乗り場から滑走路へゆっくりと移動していく。滑走路の端に着き、そこから恐ろしい勢いで加速。あんな巨大なものがこんな勢いで加速できるのが凄い。離陸直前はどれぐらいの速度なんだろう。窓の外を見てる限りでは新幹線よりは速そうだ。時速800km以上で飛行するらしいが、飛び立つ時の速度は機内誌の飛行機スペック表には書いてなかった。相変わらず急上昇に伴う気圧変化にやられてモワモワする。少し視界が狭くなるような感覚がある。シートベルト着用のランプが点いてる間は電子機器の電源を入れてはいけない。安定してからiPodを聴き始めた。

本当に名古屋は雨なんだろうか。アホみたいに晴れている。iPodで音楽を聴きながらただひたすら無事に帰還することだけを考えていた。雲が多くなってきた。やはり北の方は雨なのかもしれない。飛行機は雲の上に出てしまった。だから晴れているように見える。窓の外は下に雲海が広がっているだけで何も見えない。海も見えない。どこを飛んでるのか全くわからんな。高度もわからん。窓から何枚か写真を撮ってみた。機内サービスのコーヒーを飲んだりしてくつろぎながら時々外の風景を撮影するが、いつまで経っても雲海しか見えない。機内アナウンスでどうやらもうすぐ着陸らしいという頃になって雲に突入した。空さえも見えない。外は灰色。一応撮影したが別に何もない。

機内からの風景1 機内からの風景2
機内からの風景3 機内からの風景4

雲の下に出た時には既にかなり低いところにいた。海しかない。こんな低いところを飛んで大丈夫なのか?落ちるつもりか?と思いながら焦って進行方向を見ようとするがなかなか見えない。横の方に陸は見えるが結構遠い。どんどん高度が落ちていく。近くの船がクッキリ見える。もう明らかに着陸寸前状態だが陸地がない。どうなってるんだ!?と思った瞬間に凄い勢いで突然陸地が視界に滑り込んできた。中部国際空港は海の上に浮かぶ空港なのでこんな感じになるようだ。前が見えないから結構怖い。無事に着陸。本当に雨だった。原付で帰るの大変だな。飛行機を降りてからがアホみたいに長かった。動く歩道がどこまでもどこまでも果てしなく続く。長ぇ。アホか。苦労して広いところに出て今度は荷物が出てくるのを待つ。ここでは狙われなかったな。無事に荷物も戻ってきた。出口で荷物の引換券みたいなやつを渡して出る。せっかくだからセントレアで少し遊んでいこうということになった。それにしてもカバンがあり得ないほど重い。行きの倍ぐらいあるように感じる。種子島で預けた時は9kgと表示された。いつの間にそんなことになったんだろう。向こうで服を少し買ったし、向こうでGETした土産も少し入っている。こんなに重くなるものなのか。サトウキビや芋を送る時に母も祖母も楽譜を一緒に送れと言ってたが、ARIGATOをコピーするために拒否した。それを今頃になって後悔することになるとは。曲を行く前に決めてその曲の楽譜だけコピーして持って行けばよかったのだ。次からはそうしよう。まずは荷物を預かってくれるところを探した。出てちょっと行ったところに夕方5時から無料で預かってくれるところがあったんだが、まだ14時過ぎぐらいだったので開いてなかった。一番奥に手荷物一時預かり所というのが見えたのでそこまで苦労して歩いていった。そこは荷物1個で500円らしい。3階に1カート500円で預かってくれるところがあると教えてくれたのでそこに行くことにしてエレベーターに乗った。3階で空港従業員に教えてもらってカートに荷物を載せて中央のエスカレーターの裏側に行ってみた。確かに1カートで500円だった。他の場所で荷物4つ預けたら2000円になるところだった。4階に上がってウロウロした。食いモン屋がめちゃめちゃたくさんある。入り組んで迷路みたいになってる。飯を食って行くことになった。まるは食堂というところで1500円コースというやつを食った。カンパチの刺身がやたら新鮮で美味かった。さすがに海のそばだけのことはある。あとはエビフライとか鯛の塩焼きとか。味噌汁が赤じゃないのはどう考えてもおかしい。展望台に出て飛行機を少し見た。ちょっと雨が降ってるし、何より寒い。やはり種子島とは寒さの質が根本的に違う。刺さるような寒さだ。雪でなく雨が降ってるってことはそんなに寒くはないはずなんだが、やはり1週間種子島にいると感じ方が違う。適当に写真を撮ってみたけどあまり意味はない。無意味に国際線の飛行機も撮ってみたりして。

セントレア展望台から国内線 セントレア展望台から国際線

荷物を預けたところに行って荷物を受け取り、カートを押してスロープを下りていく。名鉄の駅が見えた。帰ってきたんだなとしみじみ思った。まだここからが遠いんだけどな。とりあえず切符を買う。西可児まで1410円。時刻表を見たら御嵩行きが15分後に発車。絶妙なタイミングだ。御嵩行きはほぼ確実に犬山で切り離されて前半分は岐阜方面に強制連行の運命だ。後ろに乗らねばならん。カートを返してから改札を通り、電車が来るのを待つ。割と早く来たので一番手前の車両に乗った。ここから直通だ。乗り換えなしというのは非常にありがたい。だが2時間もかかる。アホか。種子島から名古屋まででも2時間かからんのになぜ中部国際空港から可児まで2時間かかるのかと。しかも電車は疲れる。乗ってるだけで凄い疲労だ。椅子に座ってても疲れる。慣性に逆らったりするのに無駄なエネルギーを消耗する。いつまで経っても名古屋にすら辿り着かん。アホみたいに時間がかかる。イライラする。名古屋16時半ぐらいだときっと恐ろしい人数が乗り込んでくるだろう。考えるだけでイライラする。予想通り名古屋でアホみたいに乗ってきた。早く帰りたかった。まだここから45分。長ぇ。名古屋から先は数えきれんぐらい乗ったので景色も見慣れている。懐かしい。栄生・上小田井・西春・岩倉・布袋・江南・柏森・扶桑・犬山・富岡前・善師野・西可児。やっと着いた。アホみたいに疲れた。荷物がクソ重い。ギターとカバンと鯖とさつま揚げ。気が狂いそうだ。指も千切れそうだ。両手塞がってるのにどうやって改札を出るんだ。何とかして片手を空けて苦労して改札を出た。問題はここからだ。最後に狙われるとしたらここだ。行く前から不安だった。市営の無料駐輪場。1週間放置したら撤去されるんじゃないかと思っていた。そしたらタクシーで帰るだけだが、後で面倒だ。不安になりながらも駐輪場に辿り着き、バイクの無事を確認。だがやはり狙われていた。何がどうなったのか知らんが、座席の中が水浸し。ヘルメットも手袋もマフラーもアホみたいに濡れている。しっかり座席は閉ってた。どうやって水を入れたのかわからない。雨が染み込んだんだろうが、そんな隙間はないはずだ。どの方向から雨が降ったんだよ。どう考えてもおかしい。必死に考えたがどうしてもわからない。マフラーが少しはみ出ててそこから凄い勢いで水を吸収したんだろうか。でもはみ出てなかったはずだ。わからん。やはり狙われている。ヘルメットの内側の皮の部分が濡れて雑巾みたいなニオイになっている。手袋も冷たい。あぁムカツク。死ねボケ。ここでノーヘルして帰るとまたK察に捕まるんだろう。今年の夏で免許更新だ。初の講習なし更新の予定だ。ここで捕まるわけにはいかんのだ。濡れたヘルメットを被って帰ることになった。酷いな。座席の中に鯖とさつま揚げを入れ、足元にカバンとギターを置く。脚でギターを挟んで帰る。懐かしいが何の面白味もない可児市。やっぱりもっと種子島にいたかった。とりあえず何でもある可児よりも何もない種子島の方が断然面白い。まぁ仕方がない。ここで事故ったりしたらアホだから慎重に帰る。

やっと家に辿り着いた。17時半ぐらい。疲れた。なんか庭の雑草が減ってる気がした。ゴミも少し片付けられている。親や弟がやったとは思えん。やつらは何もやらない人間だ。おかしいぞ。まぁ気紛れでやったんだろう。焼酎が5本あるけどどれを開けていいのか分からんと言って種子島に弟から電話が掛かってきた時に、炊飯器の釜を洗っておけと言っておいた。父親は素晴らしくダメ人間なので一切何もやらない。食器を洗うということをしない。使ったら使いっぱなし。だから俺が使う分の食器もどんどんなくなっていく。俺は人の分まで洗う気はダニの糞ほどもない。自分のことだけやる。使ったら洗え!と言っても洗って使えとかわけのわからんことをほざく。お前が洗え。炊飯器も同様で、飯炊いて食ったらそのまま放置。使ったら洗え!と俺がうるさく言うので、そう言われないために自分が食う分よりもやや多めに炊いて少しだけ残して他人にトドメを刺させて洗わせるという園児みたいな手段を使い始めたが、俺はその手には乗らない。少量残したまま放置して茶色くて固い物が炊飯器に残ったまま放置された状態になっている。もうずいぶん長い間そのままだ。だからしばらく米が食えない生活だった。洗っておけと種子島から電話しておいたんだが、ついに諦めて洗ったのかもしれない。そして人として当たり前のことに気付いて掃除とかも始めたのかもしれない。庭の草が減ってたのはそういうことだろう、と勝手に期待した。台所に行ったら大量に積み上げられてたビールの缶がほとんど無くなっていた。ビンもなくなってた。ペットボトルもゴミもなくなってた。少し残ってたがほとんど始末されてた。何が起こったんだ。やっぱりおかしい。やつらが片付けるわけがない。流しを見たら食器類がアホみたいに積み重なったまま。半年以上このままだ。で、炊飯器を見たらやっぱり米の残骸が残ってる。殺すぞ。炊飯器の釜洗っとけっつったろうが。日本語分からんのかボケ。洗わんな使うな。種子島に帰りたい。ここは俺の住むべきところじゃない。俺だからかろうじて正気を保ってるが常人だったらたぶん殺してると思うよ。水曜の朝に送った荷物が俺より2時間早く届いてたらしい。不在票を置いて持ち去られてしまったので再配達キボンヌ!って電話した。弟は夜から椅子タンとスキーに行くらしい。PCのモデムの電源はちゃんと切ってあった。音楽番組の録画はちゃんと実行されてるか見てみたらHEY!HEY!HEY!だけ録画されて他は何も録れてなかった。録画ソフトがちゃんと終了せずに中途半端に止まってた。とりあえずシマンテックのサイトからウイルス定義ファイルをダウンロードして更新。久しぶりのネットだ。この1週間特に変わったことはなかったようだ。運送屋が荷物を届けてくれた。サトウキビGET。

弟が仕事から帰ってきて話を聞いたところによると、土曜か日曜(種子島2日目か3日目)に朝から親子揃ってバカ面下げてパチ屋行って帰ってきたら家のドアが開いてて台所のゴミがなくなってたらしい。閉めたはずのドアが開いてたのを見て親は泥棒が入ったと思ったらしいが、無くなったものはゴミだけ。親切な泥棒ですな。どうやら親戚が何年かぶりにうちに来て惨状を目の当たりにして片付けずにはいられなかったというのが真相のようだ。翌日の朝に誰かから電話が掛かってきたんだが、きっと片付けた親戚からで、文句を言われるのが嫌だから電話に出なかったのだそうだ。アホか。本当に園児みたいだな。種子島の「半端ボケ」用の老人ホームに入れてもらえ。帰ってきた時はまだ弟は仕事に行ってて父親だけ家にいたんだが、ばあさんは元気だったか?とか聞く前に何か食うモンはないか?だもんな。とりあえずさつま揚げを渡した。少ししてどこかに出かけていった。きっと飲み屋だろう。その後に弟が帰ってきた。夜遅くスキーに出かけるらしい。親が帰ってきて弟と一緒にさつま揚げをほとんど食ってしまった。4切れだけ残ってた。ふざけんなよ。全種類1つずつでも残しとけや!!なんかもうすっげぇイライラしてきた。種子島はここと比べたら天国だな。人がいない、それが俺にとっては何よりもいい。夜遅く、椅子タンが弟を迎えにきた。椅子タンに会うのも久しぶりだな。2週間ぶりか?すげぇ疲労してるしイライラしてるし、特に話すこともないのでロクに会話も交わさない。これからスキーへ行くという時に土産を渡しても困るはずだから、この時には土産を渡さないことにした。そして僕らの音楽2を見逃したことに気付いて絶叫。あやゃああぁぁあぁぁああぁぁぁ!!録画したやついたらUPキボンヌ。

一番安い焼酎を開けて舐め回しながらデジカメの画像をPCに取り込んだ。とりあえずロケット打ち上げの1枚をUPしてmixiで日記を書いた。ロケット関係の写真と叔父や従妹が写った写真を選んで圧縮して鯖にUPして叔父にそのURLをメールで送った。とりあえずやるべきことはやった。種子島の電話番号を知らないので無事に着いたと報せることができなかった。弟に聞くのも忘れてた。というか帰ってからいきなり色々ありすぎて結構大変だった。余裕なかった。とにかく疲れた。向こうではせっかく1日3食早寝早起きの健康的な生活だったのにきっと戻ってきたら一瞬で元のロクでもない生活に戻るんだろうなと思った。炊飯器が使えないから思うように飯も食えない。誰にも起こされないから勝手に起きるまで寝ている。それは別にいいんだが、どうもここは住みにくい。グリーンジャンボ当てて出て行こう。抽選日は3月8日。さすがに濃い1週間の日記を帰ってから一気に書くのは無理があった。少しずつダラダラと書いてたらいつの間にか3月になっている。なかなか日記が現実の時間に追いつかない。とりあえず種子島旅行記はここで終わり。全部読んだ人、お疲れさん。読むだけでもずいぶん時間かかりそうだな。種子島は何もないけどいいところなので一度行ってみろ。ホテルとか民宿も一応あるぞ。行くならやっぱり夏がいい。俺は来年の夏に行こうかと思ってる。今年の夏はやめておく。でもたぶん次はずいぶん先だろうな。往復9万はキツい。

話題:種子島旅行記(2006年2月)

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