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犬土偶日記

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話題:種子島旅行記(2006年2月)

2006年02月23日

種子島旅行記 7日目 〜墓参り〜

公開日時: 不明

あいにく天気が悪かった。それに種子島滞在最終日(24日は朝の飛行機で帰るだけ)ということで、本日の畑仕事はやらないことになった。親が誰かからたんかんの追加注文を受けたようだ。バスで買いに行くと言う。別に無理して買わんでもいいと言われたみたいだが、家に篭ってるのが退屈なんだろう。俺もついていくことにした。バスの時間を調べてバス停へ。坂を下りたところにある。鹿児島からのフェリー到着に合わせて運行するので、フェリーが遅れたらバスも遅れることになる。バスは1時間半に1本ほど来るようだ。ちょうどいい時間にバス停に行ったんだが、なぜか来ない。遅れてるのかと思ってしばらく待ったが来ない。反対方向の西之表行きは時間通り来た。かなり長い間待ったが、どうやら来ないようなので諦めた。どうやら俺たちがバス停に着く少し前に行ってしまったようだ。次のバスを待つ気などダニの糞ほどもないので諦めた。野間(空港の近く)までバスで500円かかるらしい。往復1000円だ。買い物も一苦労だな。家に帰ってから墓参りへ。花と水を持って墓へ行く。坂を下りていく途中で左の方の山に入っていく。墓石は3つ。昔は土葬だったらしい。今もそうなのか火葬になったのか知らない。一番奥の新しい墓が祖父の墓。1つ手前は祖父の親の墓。一番手前は誰のか分からない。祖母も知らないし、祖父も知らなかったらしい。墓石には明治何年とか書いてある。かなり昔の祖父の家系の先祖らしい。もう誰の墓なのか全くわからない。花瓶の水を替えて花を挿して拝む。祖母が死んだらどうなるんだろう。誰か叔父か叔母が種子島に来るんだろうか。山の中に点在する廃屋みたいになってしまうんだろうか。人が住まないと家はあっという間にダメになってしまう。祖母は俺より遥かに元気だが、もう75だからいつどうなるか分からない。父方の祖母も80超えてもあり得ないぐらい元気だった。可児で俺の家に一緒に暮らしてたんだが、広見のバローとかに歩いて買い物に行ったりしてたからな。でも雨の日に窓のサッシで滑って転んで足の骨をやられてから急激に衰えた。考えられんぐらいの勢いで足だけでなく全身衰えた。そして癌で亡くなった。きっとあの時転倒しなければ癌にもならずに今でも生きてたんじゃないかと思う。老人はそういうのがあるから怖い。気力が萎えるだけで体もおかしくなる。種子島の祖母も畑で怪我でもして倒れたら復活できないかもしれない。あと20年か30年であの集落からは人がいなくなる気がする。今は老人が少しいるだけ。誰も戻っては来ないだろう。あそこで暮らすにはサトウキビ栽培が必須条件だ。その技術を受け継ぐ人もいない気がする。どうなるんだろう。祖母が亡くなったらもう種子島に行く機会も激減するだろう。ただでさえほとんど行かないから、もしかしたら二度と行かないこともあり得る。生きてるうちにまた来いって言ってたけどあと何回行けるんだろう。頻繁には行けない。

祖母の弟夫婦が色々と持ってきた。手伝いの御礼らしい。そんなに大量に色々買ってきたら赤字になるんじゃないのかと思った。俺たちが手伝った分のサトウキビより御礼の方が金かかってそうだ。生のトビウオを2匹くれた。あとは水あめやら黒砂糖やら種子島の菓子類やら色々とかなり大量に。トビウオはDaiwaで切って加工したやつを買ってきて焼いて食っただけだった。生は初。もしかしたら人生初かもしれない。いつもは干物を食っている。九州地方の食いモンはやたらと甘いのが特徴だが、魚の干物だけはアホみたいに辛い。洗ってから焼くとちょうどいいぐらい塩辛い。だがそれがいい。カマスとかトビウオとかの塩焼きが激辛で、他の甘いおかずにはよく合う。今回はそういう辛いのはほとんど食わなかったんだけど。で、完全に生の、ただ捕まえただけみたいなトビウオが2匹手に入った。ビニール袋の中に少し血が溜まってて生臭いが取れ立ての新鮮。どんな風に食うのか楽しみだった。種子島から帰ってCHOSANGと飯を食った時に色々話したんだが、CHOSANGはトビウオを20〜25cmぐらいの鮎みたいな大きさだと思ってたらしい。実物は40cm以上あります。太くて棒みたいな体。ボラみたいな感じ。色は鰯とか鯖みたいな青系で、鱗は多め。向こうでは普通に店に売ってるから日常的に食う魚なのかもしれない。可児では手に入らんけどな。ちなみに向こうでは「トッピー」と呼ばれている。高速フェリーの名前もトッピー号。夏に海を眺めてると遠くでトビウオの群れがジャンプするのが見えたりする。冬でも見えるのかもしれないが、風が強くて寒いので海辺に長時間いるのは難しい。トビウオはぶつ切りにして煮て食った。鰈に似た味だった。

ニュースを見たら民主党の永田議員が入院したと言っててまたまたコーヒー吹いた。糾弾された方がストレスで体調崩して入院ならまだわかるが、何故お前が入院してるのかと。というかフリーの記者とやらを晒せよ。夜は奇跡体験!アンビリーバボーを見た。気孔のやつだった。散々引っ張って未知のエネルギー説とかわけのワカランこと言って終わりやがった。これだからテレビは嫌いんだよ。あとはB'zのARIGATOを練習するだけ。まだ諦めない。小早川なんとか言う病院のドラマを見ながらギターを弾き続けた。ギターがなくなって歌がファルセットになる部分の後のテンポが変わるところから覚えられん。1週間なんてあっという間だな。もっと長くいたかった。バンド練習があるから1週間しか滞在できん。うまい具合に他のメンバーが休む時を利用すれば2週間行けるが、あまり変わらない。せめて1ヶ月は行きたいものだ。次は夏に1ヶ月ぐらい行きたい。2007年の夏に行こうと思っている。夏は飛行機の割引が全くないらしいので往復9万ぐらいかかる。たぶん金銭的な問題でまず行くのが不可能だろうと思う。それにB'zのライブが夏によくあるので難しい。福岡ドームでやるタイミングを狙って向こうで見るというのもアリかもしれんな。何にしても長期間行くとなるとバンドに迷惑が掛かるから無理だな。椅子タンみたいに気安く休みまくるなんてことは俺にはできんし。でも行きたいな。何もない島だけど退屈するなんてことは全くない。何でもある可児より遥かに面白い。でも言葉がわからん。向こうの人は標準語を理解できるようだが、地元の言葉しか喋らん。でも若い人は標準語に近い言葉しか喋らないらしい。テレビが全部標準語だからと言ってたが、それはおかしい。テレビは何十年も前から標準語のはずだ。ならば老人も標準語を喋らないのはおかいしい。テレビで標準語を覚えても周りの人間が方言ばかりだったらそっちが染み付くんじゃないかと思う。起きてる時間の大半をテレビを見て過ごすやつなどいないだろう。日常で耳にする言葉はほとんど地元の言葉のはずだ。それにテレビを見て育つだけで標準語を話せるようになるのなら福井の天使の説明がつかない。よくはわからんが、数少ない地元の若者は標準語で喋るらしい。まぁ多少は訛りもあるんだろうが。というか種子島で若者に会ったことがない。見かけたことはあるけど。ロケット見に来てた都会の観光客風の若者が地元民だったりしたらちょっと嫌だな。言葉以外にも致命的に不便なことがある。楽器屋がない。鹿児島までフェリー往復でいくらかかるのかな。鹿児島には楽器屋があるのかな。まぁ向こうで長期間暮らすようなことはないだろうから、そんな心配をする必要はない。24日は朝の飛行機で可児に帰る。まだ帰りたくない。寝る前に、持ってきた物や土産をカバンに詰め込んだ。朝起きて飯を食って帰るだけだ。

話題:種子島旅行記(2006年2月)

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