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犬土偶日記

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話題:種子島旅行記(2006年2月)

2006年02月17日

種子島旅行記 1日目 〜行くだけで瀕死〜

公開日時: 不明

前日の日記を書いてから凄い勢いで準備した。きっと忘れ物をするだろうと思った。何度も何度も入念にチェックしても絶対に忘れ物をするだろう。狙われてるから絶対そうなる。俺のミスではない。宇宙がそういう仕組みになっている。でも入念にチェックする。しないよりはした方がいいに決まっているからだ。だがやはり狙われているのでエネルギーを注げば注ぐほどにダメになっていく気がした。とりあえずこの旅行のために買ったデジカメとiPodだけは忘れてはならぬ。充電器も。あとはギターだ。楽譜もPleasure IIとHouse Of Stringsのをカバンに入れたし、着替えもカバンに入れた。財布もちゃんとコートのポケットに入れた。飛行機のチケットは親に預けてある。大丈夫なはずだ。まだ何か忘れてるような気がしたので必死に考えた。音楽番組の録画予約も一応しておいた。ハロモニは加護がタバコ吸ったおかげで放送されないことになったので心配無用。ギターの弦も張り替えたし、スペアの弦や工具も持った。もう大丈夫なはずだ。B'zの衝動が鳴るように目覚ましをセットした上、弟に起こすように頼んでから寝た。

ちゃんと起きれた。弟に起こされた。二度寝しそうだったが、B'zに更に起こされた。そのまままた寝そうだったが無理に起き上がって助かった。着替えてもう一度軽く荷物チェック。財布も持った。ギターも持った。他の持ち物はカバンに入れてある。あとは行くだけだ。その前に犬土偶日記を見た。俺に言い残すことがあったら今のうちに言っておけと書いておいたので念のため。予想通り放置プレイ。ディスプレイの電源を切った。PC本体は切らない。音楽番組の録画があるから切れない。種子島にはPCなどない。ネットもできない。普段IT系の仕事をしてるのと同じぐらいPCの前にいる俺だが、全く何の未練もなかった。さようなら。

原付の足を置くところにカバンとギターを置き、ギターを足に挟んで西可児駅へ。駅前の市営駐輪場の端に原付を停めた。1週間放置するので少し不安。しっかり施錠して駅へ。中部国際空港まで1410円。親は知り合いと一緒に来ることになってて別の駅からその人と一緒に乗って西可児で合流の予定。なんか種子島出身の人がいて、たまたま同じ時期に法事で帰ることになったので一緒に行くことにしたらしい。目の不自由な人とその付き添いの人。付き添いの人が母の知り合い。もちろんその人も種子島出身。ただ目の不自由な人は電車で後から来るとかで、空港で待ち合わせるらしい。空港まで1人で来れるなら付き添いなんか要らんのじゃないのか?と思ったんだが、障碍者と介護者は運賃が半額になったりとか色々あるらしい。で、西可児に9時24分に来る中部国際空港行きの電車に乗ることになっていた。ちょっと早く駅に着いたので、その1本前の電車にも乗れたが、もちろんスルー。で、目的の9時24分発の電車に乗り込んだ。親がいない。遅刻か?別の電車に乗りやがったか?まぁいい。空港駅の改札で待てばよかろう。向こうに着いてから携帯に電話すればいい。こういう時のために俺も携帯電話を持てと言われているのだが、俺には必要ない。ほんの十数年前はみんな持ってなくても普通に生きていたではないか。俺は今でも必要性を感じない。大体俺は年間通話時間が10分未満だ。そのために大金を払うのはアホらしい。飛行機チケットは自分で持ってた方が良かったかなと思いながらiPodで音楽を聴き始めた。2GBいっぱい入れてある。50MBぐらいは無意味に空けてあるけど。シャッフルしてランダム再生。B'zばっかりだ。B'zと稲葉浩志とあややとミキティをメインに、BRやDebugでコピーした曲も入れた。入りきらなかったのでB'zのアルバムをいくつか消した。でも大半がB'z系になってしまっている。ランダム再生にしてもB'z以外が滅多に来ない。いや、来ないにも程がある。この時はまだ悲劇に気づいてなかった。

次の善師野の駅に着いた時、ホームに親と知らない人がいて乗り込んできた。雑談しながら待ってたら電車が来たので何も考えずに乗り込んだら1つ前の電車だったとか。で、西可児で俺が乗ってこないので気づいて次の駅で降りて待ってたんだと。一緒に行く人と軽く挨拶して空港へ。まだ朝早い時間で乗客が多く、最初は座れなかった。でも犬山でギリギリ座れた。乗り換えなしで直に空港に行けるのは楽だ。でも以前の名古屋空港と比べると距離が倍以上あるので大変だ。西春で降りてバスで名古屋空港へ行く方が遥かに楽だったような気がする。名古屋に着いてもまだ半分だ。既に瀕死。電車に乗るだけで体力を消耗する。慣性に抵抗したりするのにエネルギーを使う。長ぇ。どこまで行くんだ。名古屋ですら半ヒキコモリの俺には遠すぎるというのに。2時間ぐらいかけてようやく海が見えてきた。常滑だ。椅子タンがよく仕事で行くらしい。ちょっと前まで常滑が終点だったはずだが、新空港がその先にできて少し伸びた。こんな遠くまで来るのは珍しい。知多半島を離れて海に浮かぶ空港へ電車で突入。やっと着いたか。死ぬほど疲れた。

セントレアから高速艇乗り場方向の景色改札を出て左の方にある椅子に座って待つ。次かその次ぐらいの電車で目の不自由なもう1人の人が来るらしい。眠るように深く座りながら気を失いそうになりつつ待つ。ダメだ。もう帰りたい。疲れすぎた。でもまだだ。まだ空港に来ただけだ。種子島はまだまだ遠い。この日はセントレア開港1周年の日だそうで、いろいろとイベントみたいなのがあるらしい。混雑確定じゃねぇかボケ!!と思ってこの激しい狙われっぷりに怒りをぶち撒けたりもしてたんだが、全然大したことない。普段どれぐらい人がいるのか知らんが、どう見ても普通の日みたいな感じだった。上の階はどうか知らんけど空港の施設は混雑していない。とりあえず写真でも撮っておこうと思い、名鉄の改札を出て左奥の、高速艇乗り場方面へ行ってみた。よく晴れていい天気だ。デジカメの操作には絶望的に慣れていない。一通りマニュアルを高速で読み流したがほとんど頭に入っていない。使いながら覚えるしかないが、とりあえずフルオートでシャッター押すだけ。写真撮ってから便所へ行き、また椅子のところに戻った。少しして電車が来たので改札の方へ。帽子を被っているらしいので、帽子を目印にして探す。どんな人か俺は知らないので探しようもない。乗客が全部出てきてもその人はいなかった。次の電車か?と話しながら周りを見渡してたら、付き添いの人が遠くにその人が立ってるのを見つけた。いつの間にか改札を抜けて右の空港方向へ歩いていって壁際で待ってたらしい。見逃したのか。近くに行ってもこちらには全く気づかない。どうもほとんど目が見えないようだが、それでも1人で空港に来るのが凄い。付き添いの人が話し掛けてやっと気づいた感じ。薄っすらと人影ぐらいは見えるのかもしれないが、どの程度なのか全くわからない。話を聞くと、もっと前の電車で来て待ってたらしい。お互い無駄に待ったという事だが、もしかしたら同じ電車に乗ってた可能性もある。その人は白い杖も持ってるが、使いたくないようで、すぐに折りたたんでポケットに入れてしまう。俺より速く歩くし。すげぇな。搭乗手続きをして荷物を預けてから土産物屋へ。種子島に持っていくらしい。俺は何も買わない。親が赤福を5箱ぐらい買ってた。定番ですな。俺はカバンは預けたがギターは手で持っていくので大変だ。疲れすぎて死にそうだ。

名古屋から鹿児島へ向かう機内から飛行前に撮影した風景種子島空港には直で行けないので鹿児島空港で乗り換えないといけない。激しく面倒だが仕方がない。まずは鹿児島へ向かう。いつもは大きめの飛行機だが、今回は何か知らんがすげぇ小さい飛行機だった。座席が左右2列ずつのやつ。飛行機に乗ってから飛ぶまでに少し時間があったので写真を何枚か撮った。窓越しだとあまり綺麗に撮れないようだがどうにもならない。まぁ別に大したものでもないからいいんだが。出発時刻になって飛行機が滑走路に向かい始めた。その時も何枚か撮ったけど面倒なので画像は貼らない。というか離陸時は電子機器の電源はお切りくださいって言われてたんだけどね。携帯電話だけでなくCDプレーヤーとかも切らないとダメらしい。でもiPod聴きながらデジカメで撮影ですよ。もちろん自殺願望はありません。途中で不安になって電源切ったけどね。毎回飛行機の乗るたびに死を覚悟する。あの高さから落ちたらもう死ぬしかない。絶対助からん。たまに飛行機事故で生存者がいるが、どうやったら助かるのか意味がわからん。でもマンションの9階から激しくダイブして余裕で助かってる俳優とかもいるしな。まぁ俺は事故ったら助からんだろう。空中で爆発して一瞬で死ぬということはほとんどない。墜落が確定してからも何とか無事に地上に戻ろうと色んな人が必死に頑張ってそれでもダメで落ちる。ということは死がほぼ確定した状態から実際に死ぬまで散々死の恐怖を味わわされるということ。考えるだけでブルッちまうぜ。飛行機は時速800km以上で飛ぶらしい。あんな巨大なものが飛ぶんだから離陸には相当なエネルギーが要るはずだ。実際に離陸時には恐ろしいスピードが出る。加速が凄い。電車なんか目じゃないぐらいの速さで滑走路を走って凄い重力を感じながら一気に飛び上がる。そして急激な気圧の変化で気分が悪くなる。ガキが泣き喚いたりする。嫌な瞬間だ。しばらくはCDプレーヤーの電源も入れられない。でもデジカメでこっそり外を撮影してみたりする。

特に珍しくもない海の風景を撮ってみた。B'zのOCEANでも聴きながら眺めればよかろう。

セントレア離陸直後の風景1 セントレア離陸直後の風景2

左はセントレアを飛び立ってから方向転換中に見えた中部国際空港。真ん中は空港上空から知多半島を写したもの。画像よりも左の方に名古屋港。右の画像は名古屋を離れてしばらくしてから撮った上空の景色。窓に薄っすら俺が反射して映ってるような気がするけど気にしない。

セントレア離陸直後の風景3 セントレア離陸直後の風景4 セントレア離陸直後の風景4

1時間20分ぐらいで鹿児島に着く。可児から中部国際空港よりもかなり早い。機内で飲み物のサービスもあるんだが、ゆっくり味わう暇もない感じがする。俺は左側の窓側の席だったので、名古屋から鹿児島に向かう間はずっと海を見てるような感じだった。なかなか陸は見えない。時々見えるが、四国なのか既に九州なのかもよくわからない。四国の辺りかなと思ってたらもうすぐ着陸とかアナウンスされたりして。よく見るとだんだん高度が下がってるのがわかる。上段真ん中の画像は、鹿児島近辺のスタジアム。詳しくないから俺は知らんのだけどわかる人にはどこなのかわかるかもしれない。競技場みたいなのも見える。下段真ん中と右は遠くに桜島が見える。でも靄がかかってて桜島はクッキリと見えない。残念。高1の時、種子島に行く前に鹿児島の叔父に連れて行ってもらったことがある。鹿児島から桜島へフェリーで行った。池田湖でオオウナギを見たりもした。懐かしいな。

どこだかわからないけど九州の近辺の海岸線 九州のどこか。海のそばに競技場やスタジアムが見える。 着陸が近いので高度が下がる。微妙に可児に似た風景。
鹿児島の田畑 遠くに薄っすら見える桜島 桜島アップ。靄がかかってはっきり見えない。

着陸時は特に撮るものもなかったし、電源切れというので何も撮らなかった。というか少し酔って気分が悪かった。めちゃめちゃ高いところを飛んでるよりも中途半端な高さにいる時の方が怖い。ちゃんと着陸できるんだろうかと不安になる。事故なんか滅多に起こってないんだから大丈夫だろうが、俺が乗ってるというだけで事故発生率は極端に上がるに違いない。狙われてるからだ。でも何とか無事に着陸。俺と母と一緒に行った2人の4人で飛行機を降り、今度は叔父を探す。高1の時に桜島に連れて行ってくれた母の弟だ。俺と10歳ぐらい違う。叔父というよりは感覚的に従兄弟に近い感じもある。昔は鹿児島にいたが今は奄美大島にいるらしい。高校の教師をしている。飛行機を降りて少し行ったところで合流。出てくるのを待ってたらしい。娘を連れてた。俺の従妹か。会うのは初めてだな。まだ3歳か4歳ぐらいか。前に種子島に行った時はまだ生まれてなかったようだ。というか生まれたことすら知らなかった。母親の方の親戚はあまりよく知らない。母が一番上で、その下に3人叔母がいて、その下に叔父がいる。5人。全部会ったことがあるはずだが、顔も思い出せない叔母が2人いる。以前、Beginner's Rockのライブに母のすぐ下の叔母とその息子が見に来てくれたことがある。その従弟とはその時ですら会うのが12・3年ぶりぐらいだった。最後に見たのはまだロクに言葉も喋らないような子供の頃だったはず。それが大学生ぐらいになって突然ライブを見に来てくれたんだが、もう全然面影もない。叔母は薄っすらと覚えてたんだが。俺が一番付き合いのある母方の親戚がそれ。もう他はほとんど知らない。愛知県に下から2番目の叔母が住んでるようだが、5年ぐらい前に母に会いに来たときに俺が近所のL店にいて、2人で様子を見に来たことがあるんだが、それぐらいしか会った記憶がないし、もう顔も覚えていない。叔父は鹿児島とかに住んでるから種子島に行く時しか会わない。もう1人の叔母は横浜かどこかに住んでると聞く。絶望的に知らない。そんな状態だから、従兄弟となるともうほぼ全部知らない。何人いるのかもわからないし、会っても誰が誰だかわからない。親からいろいろと話を聞いたりして、どんなのがいるかは少し知ってるんだが、ほとんど知らないと言っていい。叔父とは何年ぶりだろう。6年半前に種子島に行った時には会ったんだろうか。何故か最近のことなのに記憶にない。その時に会ってなければ13年半ぶりか。ずいぶん久しぶりだ。鹿児島から種子島へ行く飛行機の出発まで時間があったのでみんなで飯を食う事になった。全部で6人。ちょうど昼飯時で混雑してて1つのテーブルで食えなかったので、4人と2人にわかれて食った。さつま定食というやつを食った。写真には撮らなかった。きびなご(向こうの方でよく見る10cmぐらいの小魚)の刺身とか、豚の手か足の軟骨入りの肉を煮たやつとか、さつま揚げとか刺身とかの定食。やはり九州地方は何もかもが甘い。醤油もタレも汁も何もかもが甘い。味噌汁も甘い。地域によってずいぶん違うものだ。やっぱ味噌汁は赤だよな。赤以外認めんよ。断然赤が美味い。どうも赤味噌は東海地方特有のものらしいが、これはもう他の味噌とは比べられんぐらい圧倒的に美味いものだ。東海地方で育ったからというのは関係なく、必死に頑張って可能な限り客観的に評価してももう圧倒的だ。赤味噌の良さがわからんやつはダメだと思う。たまには違う地方の味噌汁を食うのもいいが、毎日食うなら赤以外認めんよ。

鹿児島空港でさつま揚げの試食を堪能してから出発を待つ間、少し写真を撮った。一緒にいた人達の写真も撮ったりしたけどもちろんこんなところには貼らない。一緒に行った目の不自由な人とその付き添いの人の親戚が数人東京方面から来て合流。どんどん人数が増えていく。下の写真の左と真ん中は窓から見える外の風景。右側は飛行機に乗り込むところ。こんな小さいプロペラ飛行機で行くんですよ。しかも普通の飛行機と違って一度外に出て直接飛行機に乗り込む。場合によっては飛行機までバスで行くこともある。飯食ってる時とか待ってる間に聞いたんだが、どうやらロケットの打ち上げが間近に控えているらしい。ロケットは種子島の宇宙センターから打ち上げる。そういう時だけ客が激増するので、打ち上げと重なるとチケット取るのが大変だ。だが今回は打ち上げが決まる前にチケットを確保してたので巻き込まれずに済んだ。素晴らしい幸運。しかし俺に幸運などあるわけがないから、これは奴の糠喜び戦法だろう。何らかの悲劇の前兆と見て間違いない。

搭乗待合所から見た滑走路 搭乗待合所から見た滑走路2 種子島行きの飛行機に乗り込むとっころ

離陸時にiPodを聴いてたらスチュワーデスに注意された。でも懲りずに離陸直後の電子機器使用禁止状態で鹿児島空港を撮影したりした(写真左)。小さい飛行機はやたらと揺れる。めちゃめちゃ気分が悪い。上昇や下降の角度や速度が急なのか、やたらと気圧差を感じてヤバい。エレベーターのワイヤーが切れてブレーキも働かなかったらこんな感じになるのかもしれん。すっげぇ気分が悪い。酔わないように他のことにエネルギーを注ごうと思って無駄に景色を撮影したりした(写真中)。でも逆効果。ますます酔う。アホか。もうダメだ。20分ぐらいで種子島に着くんだが、もう墜落したらどうしようとかいう恐怖よりも気分の悪さに気を取られて早く着陸して欲しかった。何も考える余裕などない。でも開聞岳がいい感じに見えたので写した(写真右)。何ていう山か知らなかったので親に聞いた。開聞岳と言ってたが本当かどうかは知らない。火山なんだろうか。何か不自然にそそり立ってる感じが不気味だ。

離陸直後に撮影した鹿児島空港 鹿児島のどこかの海岸線 不自然にそそり立つ開聞岳

何とか無事に種子島に到着。酔いまくった。とにかく降りようと思った。急いでシートベルトを外し、ギターを抱えて通路に出た。そしたら何とシートベルトがコートのどこかに引っ掛かって身動きが取れん。飛行機内はアホみたいに狭い。30人ぐらいしか乗れない飛行機だからもう少し広く作ればいいのに、極限まで隙間をなくしたような感じになってて恐ろしく狭い。バスとか電車は動き回れる空間があるが、この小型飛行機はまともに動くことができない。狭いパチ屋よりもさらに狭い。狭いパチ屋は台と台の間隔も狭く、通路も狭くてアホみたいに動きにくい。あれをさらに酷くした感じ。そんな中でコートがベルトに引っ掛かったもんだから大変だ。無理に取ろうとしたら腕を攣った。泣くぞコラ!見かねて後ろの知らない人が取ってくれた。情けない。飛行機から降りたらすげぇ風。暴風。こんな状態でよく着陸できたな。激烈に寒い。鹿児島は暑かった。岐阜から来た俺達には冬服が必要ないぐらいの暖かさだった。でも奄美から来た叔父は寒いと言っていた。種子島は風のせいで可児と同じぐらい寒く感じた。懐かしい種子島空港。いつも夏に来るので人が多いのは俺には特に珍しいとは思わないんだが、この時期に飛行機が満席というのは通常はあり得ないことらしい。どうやらロケット打ち上げで人が集まってるようだ。技術者とか見物客とかいろいろ。名古屋で預けた荷物を受け取って外へ。一緒に来た人達とはここでお別れ。何とレンタカーが全部出払ってて借りることができないという素晴らしい悲劇。ロケット効果だな。空港に来てたレンタカー会社の人達は予約客を待ってただけ。一応聞いてみたが空車はない。電話帳で調べて他のとこともいくつか当たってみたがダメ。ロケットのことなんか考えてなかったから、事前に予約もしてなかった。普通に借りれると思ってたんだろう。空港でレンタカーを借りて祖母の家に向かう途中にスーパーで食料を買っていくつもりだったようだが、予定が少し狂った。タクシーで祖母の家へ。空港から10kmぐらい。結構近い。道は真っ直ぐだ。国道は58号線しかない。南北に50kmぐらいの細長い島なので知多半島ぐらいの感じかもしれない。知多半島よりは一回りぐらいデカいかもしれない。北の方に西之表市というのがある。真ん中に中種子町。南には南種子町。空港と祖母の家は中種子にある。宇宙センターや鉄砲伝来地は南種子にある。フェリー乗り場は西之表だ。島の南西に屋久島がある。たぶん種子島より屋久島の方が有名だろう。祖母の家は中種子の上の方で、西之表に近い。空港を出てすぐの国道58号線をただ真っ直ぐ北に向かうだけで祖母の家に着く。タクシーで島の西側の海岸沿いを一直線。見覚えのある景色が見えてきた。でも疲れ果てていた。そもそも家から中部国際空港までで既に瀕死だった。飛行機でも相当疲労した。何より乗り物の乗り継ぎ等で歩き回ったのが痛い。しかもギター抱えて。1週間分以上は運動したに違いない。まだ風邪も治ってなくて体調も悪いのに。無理しすぎだ。国道から右に曲がって山を登り始めたすぐのところで止まった。やっと着いた。

6年半ぶりに来た。何も変わってない。犬がいなくなって代わりに猫になってたぐらいしか変化がない。カバンを部屋に置いた時に変な音が鳴ってるのに気づいた。ラジオが微妙にノイズを出してるような音。いや、何かの振動音か。誰かの携帯がブルッてるのかと思って探してみたけど見つからん。音の出所を必死に探してみたらなんと俺のカバンの中。しかし音を出すような物を持ってきた記憶はない。おかしい。荷物を預けてる間に誰かが爆弾でも入れたか?不安になりながらカバンを開けて漁ってみた。何かが振動している。ここでようやく気づいた。電動歯ブラシが動いてる!激しく電池の無駄だ!飛行機に乗せる時とかに雑に扱いやがったな。預ける前よりかなり潰れてるようにも見える。いつから動いてたんだろう。名古屋からだったら2時間以上電源ONだぞ。電池切れたら電動歯ブラシの意味がない。死ねボケ!歯を食い縛りながらカバンを漁って電動歯ブラシのスイッチを切った。着いてすぐ、まずは近所の人に挨拶回り。でも俺はほとんど知らない人ばかりだ。誰が誰だかわからない。親戚なのかただの近所の人なのかもわからない。でも人自体が極端に少ないから、人に会ったらまず間違いなく母の知り合いに違いない。まずは坂の下の方にある家へ。詳しくは知らないんだが、たぶん親戚だと思う。次は下の国道を横断して海沿いにある小さな店。こんなところで店をやってても絶対に儲からない。まず人がいない。どうやって生活してるんだろう。店が主な収入源ではないのかもしれない。そこにミニチュアダックスがいた。吠えまくって人にはなつかないようだ。しかし俺は犬好きなので瞬間的に服従させた。別に脅したりはしてないぞ。犬にはわかるんだよ。親はその店でティッシュを買うつもりだった。家にあったやつが尽きそうだったから。可児では5箱で198円ぐらいで手に入る。そのつもりだったんだが、叔父がもっと高いはずと言ってた。500円ぐらいは覚悟しといた方がいいと。そんなバカな値段で売ってるはずがないと思い、親がバカにしてた。だが、行ってみたら450円だった。事前に叔父の忠告がなければ店で絶叫してたかもしれない。祖母はバラ売りしてくれると言ってたが、5箱セットでしか売らないと店の人は言う。でも明らかに1つ開けて4箱しかないやつがある。アレは何?と激しく聞きたい。店の人が従妹にジュースをくれた。得したのか損したのかわからない。たぶん売るチャンスだと思って普段はバラ売りしてるのに無理に5箱売ったんだろう。もしかしたら普段より高い値段だったかもしれない。というか普段の値段に関係なく明らかに高い。何故ティッシュが450円もするんだ。こういうところも適当で面白い。明らかにバラ売りした形跡があったのがますます面白い。車がないと色々と困るので、また叔父がいろいろとレンタカー会社に電話してた。熊毛レンタカーというところに空きがあったらしく、無事に車GET。取りに行けないので家まで来てくれるらしい。その代わり車を持ってきてくれたレンタカー会社の人を送っていかないといけない。何だかほのぼのとしてていいな。まずは晩飯、と聞いて怯えまくる俺。さっき昼飯食ったばっかりじゃねぇか。俺は1日1食でも余裕だ。そんなに頻繁に飯を食い続けるようなことは無理だ。1日3食とか絶対無理!って何度も犬土偶日記に書いている。詳しくは「3食」で犬土偶日記を検索して探して読め。とにかく食欲などない。疲労で死にそうだし。でもこれから1週間、地獄のように健康的な生活を強いられることになる。早寝早起き、1日3食を強要されることが確定だ。親にそう宣告された。晩飯は刺身とか色々。種類も量も多い。赤身の刺身だが、マグロではない。もう少し薄いがカジキでもない。カジキやマグロよりは艶がある。何の魚か分からない。そう言えば最近カジキの刺身って全く見ないよな。昔はマグロとセットで売ってたしかなりメジャーな種類の刺身だったのに、今では全く見なくなった。何故だろう。ちょっと前にバンド練習に行く途中で椅子タンとそういう話をしたのを思い出しながら魚を食った。味噌汁は当然のように白。醤油も甘い。これぞ種子島。納豆の豆もデカい。プリンが杏仁豆腐の風味!何もかもが東海地方と違う。結局1日分ぐらいの飯を食った。テレビは12個ぐらいチャンネルがあるんだが、重複してるのが大量にあって実質4つか5つしかない。そのうち2つがNHKだ。しかも1・2・3は映ったり映らなかったりする。時間帯によって違うんだろうか。映らなくても他の重複チャンネルで見ればいいから問題はない。それよりもどのチャンネルがどの系列の局なのかサッパリわからん。まぁ俺はテレビなんか見なくても何の不自由もないからいいんだけど。特にやることもないので飯後はギターを弾きながら祖母と母と叔父の会話を聞いてた。向こうの言葉はサッパリわからん。たぶん2割も理解できない。言葉が違い過ぎる。訛りでイントネーションも違うし、使われてる単語自体も違う。同じ単語で違う意味で使ってたりする。古い助動詞が残ってるような気配もある。助詞の使い方が古語的な感じだったりもする。本当に外国語みたいな感じだ。母の通訳なしには無理だ。でも実は祖母も標準語を話そうと思えば話せるらしい。テレビは全部標準語だから、向こうは標準語を理解できる。でもこっちは向こうの言葉を理解できない。ほんとにわからない。何を聞かれてるのかもわからないから困ることが多い。所々微妙に理解できたとしても、話の登場人物が俺の知らない人ばかりだから何の話なのかわからない。ダメだ。これは無理だ。横浜かどこかに住んでる従弟がちょっと前まで種子島に来てたらしい。高1らしいんだが、1人で1ヶ月ぐらいいたとか。よくこんな言葉がわからないところで1ヶ月も暮らせたな。とりあえず俺は会話に参加できないのでACアダプタを使わずにDIGI-ZOでギターを弾き始めた。アンプを通さないからほとんど音は出ない。しばらく弾いてたら、1曲聴かせてくれと言われた。その場の誰も知らないような曲しか弾けないのに1曲弾けとはなかなか無茶なことを言う。弾くのは構わんが聴いてどうするんだろう。何を弾いても同じだろうと思ってB'zのSHINEを弾くことにした。ACアダプタを繋いでクリーントーンでガットギターのイントロを弾く。その後はディストーションサウンドで激しくハードロック。1コーラス終わって最初のギターソロ。というか俺しかいないから常にソロ。そこが終わって2コーラス目に入った頃には3人とも完璧に黙殺して雑談を始めていた。1曲聴かせろと要求しておいて1曲も聴かないうちに飽きるとはどういうことですか。なんかすげぇ楽しくなってきたので最後まで弾き切った。ベースとの掛け合いの部分でベースのフレーズを脳内で待ってる空白の時間は3人にはどう映ったんだろう。もはやその時点では聴こえてもいなかったのかもしれない。音楽ではなく雑音としか認識してなかったかもしれない。調子に乗って4曲ぐらい弾き続けてみた。珍しいのか時々従妹がチラチラとギターを見てた。

ギター弾いた後は風呂。祖母の家の風呂は外にある。外と言っても野ざらしになってるわけではなく、別の小屋みたいになっている。風呂に行くために一度一瞬だけ外に出ないといけない。変わった造りだ。風呂は広い。湯船も深い。風呂出てプリン食って赤福も食って、コーヒー飲んだりして終わり。これを書いてるのは25日なのであまり正確には覚えてないが、とにかく祖母の家に辿り着くまでに疲れ果てた感じの1日だった。18日は祖父の法事。13回忌。本当は19日が命日なんだが、18日にやるらしい。祖父は俺が高2の時に死んだ。心臓が悪かったらしいんだが、特に何もなく普通にしてたのにある日突然寝たまま死んでたらしい。叔父も心臓が悪くて何年か前に手術したらしい。何か心臓につけてて、4級か何かの障碍者の資格を持ってるらしい。資格っていうのもおかしいか。俺より明らかに健康でどう見ても健常者なんだけど。というかむしろ俺が障碍者だろ。体力がなさ過ぎってのはダメなのか?飛行機代半額とか高速道路タダとかの特典が羨ましい。どんな特典があるのかよく知らんけど。何級がどうなのかとかもよく知らん。何にしても心臓系の病気が遺伝してるのかもしれんから、俺もそのうちヤバいかもしれん。母方の方は心臓、父方の方は癌。もし遺伝するものなら俺は結構ヤバいところにいる。入院保険とか癌保険とか一切入ってないから非常にヤバい。祖父は65歳で亡くなったらしい。あまり祖父の記憶はない。種子島自体にほとんど行ってないし、祖父は標準語を喋らなかったから、あまり会話した記憶もない。祖父が亡くなった時は俺はまだ高校に行ってたし、急なことだったので葬式には行けなかった。その時もたまたまロケット打ち上げが重なって飛行機に乗れなくて、母は鹿児島から貨物船で種子島に行ったとか言ってた。ロケットに狙われている。種子島のロケットは失敗しまくりな印象があるんだが、今回は成功するんだろうか。どうやら18日に打ち上げらしい。午前中に法事をやって、午後から打ち上げを見に行くことになった。

初日からこんなに長い日記を書いてしまったらこのペースで1週間分書かなきゃバランスがおかしくなるじゃないか。自殺としか言いようがないな。どうしよう。書き始めたら止まらない、というか文章を終わらせる能力が極端に弱い。まぁよい。適当に書く。思いのほか画像が多くていろいろと画像関係の処理に手間取って日記自体を書けない状態だった。25日中に全部書くつもりだったけど疲れたのでとりあえず初日の分だけにしておく。18日はロケット打ち上げを間近で見てバッチリ写真取ってきたのでお楽しみに。ついでに他の観光地も見てきて写真撮ったりした。またまた長い日記になりそうだな。法事もあったし。大変だ。

話題:種子島旅行記(2006年2月)

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